東工大について

抗ウイルス薬アラセナの原点

ビタミンB2合成から連綿と続く「伝統」の継承

世界で初めてウイルスに効く薬として開発されたアシクロビルは、1974年に米国の製薬会社で開発され、その6年後にはノーベル賞に輝きました。時を同じくして、東工大でも抗ウイルス薬の開発を可能にする画期的な有機合成反応が開発されていました。

抗ヘルペス薬「アラセナ」

近年、インフルエンザ治療薬として注目を浴びたタミフルのお陰で、抗ウイルス薬は一躍身近な存在となりました。抗ウイルス薬アラセナ(ara-A)は、タミフルとは作用機構が異なるため、インフルエンザウイルスには効きませんが、アシクロビルと似た働きをし、ヘルペスウイルスの増殖を抑制する働きがあります。タミフルがインフルエンザの特効薬として世に出たのが2000年前後であるのに対し、“東工大&味の素版” 抗ウイルス薬アラセナが生まれたのは、今から30年前の1984年でありました。抗ウイルス薬の草分けであり、現在も盛んに処方されています。

稀にみる理想的な結果

アラセナ(ara-A,図1の(3))が抗ウイルス薬になる可能性が示されたのは、1960年代後半のことです。

生命に欠かせないリボヌクレオシドの一種であるアデノシン(図1の(4))の水酸基(OH)の向きを1ヵ所だけ反対方向に変えたのがアラセナであり、これを工業的規模で合成することは、当時の科学技術では常識的に不可能でした。実際、ノーベル賞を受賞したグループもアラセナの合成に触発されましたが、合成できたのはより簡単な誘導体ばかりで、たまたまその中に、幸運にもアシクロビルが含まれていたのです。

図1. アラセナ(ara-A)の構造と合成過程

図1. アラセナ(ara-A)の構造と合成過程

東工大グループは、常識にとらわれず実験を進めた結果、この水酸基の向きを変えることに成功しました。図1に示すように、混ぜて熱を加えるだけで、目的のものを手に入れたという、この上ない成果でした。しかも、高収率で副産物はほとんど生成しないという理想的な結果が得られました。発見された時に思わず「オーイ、いっちゃったよ!」という叫び声が響き渡りました。

この反応が生まれた場所は、ビタミンB2の合成で世界的に名を上げ、通称「ビタミン研」と呼ばれていた東工大の研究施設でした。現在は改組を経て大学院生命理工学研究科へと変遷を遂げていますが、その精神は今もなお連綿と受け継がれています。ビタミンB2の合成が優れた若手を惹きつけ、抗ウイルス薬の開発につながる研究の基礎を築いたという意味で、「ビタミン研」は、科学研究における伝統と名声の大切さを物語る象徴的な存在といえます。

ビタミン研の伝統を受け継いだ石戸良治

この研究の中心人物であり、糖質化学・核酸化学の分野で数々の実績を残している石戸良治は、薬学を学んだ後、1956年に、当時ビタミンB2合成のリーダーであった佐藤徹雄の門を叩きました。「君はヌクレオシドをやりたまえ。」という佐藤の一言で研究テーマは決まったものの、何をどうすればいいのか皆目見当がつかず、暗中模索の毎日が続きます。そんな時に石戸の背中を後押ししてくれたのが、佐藤の片腕としてビタミンB2合成に取り組んだ渡部憲治や、肝機能改善薬である「熊胆(くまのい)」の薬効成分(ウルソ)の合成および工業化に中心的な役割を果たした金沢定一ら諸先輩たちの、実験に対する真摯な姿でした。こうしたビタミン研独特の雰囲気が、石戸を研究に没入させました。

  • 石戸良治
    石戸良治
  • 佐藤徹雄
    佐藤徹雄
  • 金沢定一
    金沢定一

鍵となった 炭酸エステルを用いた合成研究

石戸が、佐藤の助言を受けてヌクレオシドに関する研究に着手して間もなくのこと。炭酸エチレンにリボヌクレオシドの一種であるウリジンを加熱・溶融したところ、いとも簡単に環状炭酸エステルの交換反応が起きたのです。さらに幸運なことには、炭酸ガスが副次的に生産され、分子内で環状構造の形成が確認されました。この結果から石戸は、アラセナ合成にいたるステップとして、ウリジン(U)とは水酸基の向きが反対のanhydro-ara-Uだけが得られることを発見します。これを酸により加水分解すれば水酸基の交換反応が起こり、ara-Uが得られるというわけです(図1の第1ステップ)。炭酸エチレンは安価で、しかも反応も無駄なく進行することから、工業化には理想的な方法でした。

トラブルから得た発見のヒント

この石戸の合成方法に目を付けた「味の素」は、酵素の力を借りてara-U(図1の(2))の糖部をアデニン(A)に転移させる反応を成功させました(第2ステップ)。生体触媒である酵素を利用してara-Uの糖部をそのまま核酸塩基アデニンに転移させ、抗ウイルス作用のあるアラセナの合成に成功したのです。

味の素の化学合成グループでは、第1ステップで石戸らの反応を採用し、第2ステップの戦略を練っていました。ちょうどそこへ核酸醗酵グループが実験に加わり、微生物の持つ酵素で何とかしようということになりました。化学合成グループが供給するara-Uとアデニンを原料とし、核酸醗酵グループがara-Uの糖部をAに転移させ、アラセナを生み出す微生物を探しても、なかなか見つかりませんでした。反応系にアデニンを加えても、実験の狙いとは関係のない結果しか得られません。すでに一年以上も悪戦苦闘していました。

ある朝、反応槽から湯気が出ているのを見て、担当者はあわてました。普通の酵素は熱に弱いので、反応槽は30℃にセットしてありました。ところがサーモスタットが故障し、温度が60℃に上昇してしまっていたのです。事故にならなくてよかったと胸をなでおろしながら、加熱されてしまったサンプルを捨てようとして、結晶ができていることに気付きました。その結晶を分析してみると、なんと傷ついた遺伝子を修復する際に見られる核酸の類似物質であるara-Hx(ara-ヒポキサンチン)が生成されていました。それならば、酵素反応としては非常識だが最初から高温でやってみようということになりました。この結果、ara-Uの糖部をAに転移させる微生物が発見されたのです。この微生物に含まれる酵素(グリコシル基転移酵素)は60℃でも安定ですが、アデニンを分解する酵素(デアミナーゼ)は熱に弱く、60℃で反応が起こらなくなることが判明したため、第2ステップも温度を上げることで、無事クリアできました。

大学が発芽させ、企業が咲かせた産学協同の花 アラセナ

アラセナは、安価な試薬、合成過程の単純さ、そして収率の良さから、30年を経た今も、ヘルペスウイルスによって引き起こされる口内炎等の治療に欠かせない薬として広く使われています。水酸基(OH)の向きが1ヵ所異なるだけでこれだけ有効な薬になることも驚きですが、通常の有機化学反応と違い、反応部位以外の官能基(有機化合物の性質を決める特定の原子の集まり)に保護基(有機合成反応で不活性化された官能基)をあらかじめ導入することなく、しかも当時常套手段となっていた毒ガス・ホスゲンを使わずにanhydro-ara-Uの合成を実現し、水酸基の向きを変えることに成功した実験も見事というしかありません。

ウリジンという“種”に手を加えara-Uとして発芽させたビタミン研。それを立派に育て上げ、「アラセナ」という花を咲かせた味の素。生命科学に貢献する産学協同の見事な結晶として、いつまでも語り継いでいきたいエピソードです。

旧ビタミン研の前で

旧ビタミン研の前で
(前列左から2番目に佐藤、後列左から2番目に石戸)

本稿は、本学史資料館が発行したリーフレットの内容を再構成し、掲載しています。

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2014年2月掲載

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