東工大について

夏目漱石の東工大講演

夏目漱石の東工大講演

いまから100年以上前の1914年1月17日、「坊ちゃん」や「吾輩は猫である」の著者として有名な夏目漱石が、東工大の前身である東京高等工業学校で講演を行いました。どのような経緯で講演が実現し、漱石はどのような話をしたのでしょうか。

漱石の講演を実現させた文芸部員

漱石は、当時の内閣総理大臣 西園寺公望が自宅に文士を招いての宴会への招待も、ハガキ1枚であっさりと断ったというエピソードがあるほど、出不精として知られています。そんな漱石に、東京高等工業学校の文芸部員がおよそ3年間、しつこいまでに講演のお願いをし続け、根負けした漱石はとうとう講演を引き受けることになりました。

  • 本学の文芸部が発行していた部誌「浅草文庫」

    本学の文芸部が発行していた部誌「浅草文庫」

  • 東京高等工業学校(本館)

    東京高等工業学校(本館)

漱石の講演録

そんな漱石は、専門分野の違う東工大で何を講演したのでしょうか。「面白い話もできかねます...題なんかありません...」とぶっきら棒な口調で語り始めた漱石、その貴重な歴史の一端をここに要約し紹介します。

私は専門があなた方とは全然違っています。こんな機会でなければ、顔を合わすことはないでしょう。

人間のエネルギーの方向性には2種類あります。その一つはエネルギーを節約する努力(距離をつめる、時間を節約するなど)で、吾々の生活の便を計るものです。これがあなた方の専門のものです。もう一つの方向はエネルギーを消耗するもので、文学・美術・音楽・劇等です。私らはこの方面へ向かっていく。この方面からいえば時間・距離なんて云う考えはありません。飛行機のような速いものの必要もなく、堅牢なものの必要もなく、数でこなす必要もない。生涯にたった一つだっていいのを書けばいいのです。即ち、時短や量産を目指すあなた方とは、かく反対になっているのです。

あなた方の方でする仕事は、Universal(普遍的)な性質をもっています。私共の方は反対に、Personal(個人的)な性質です。ただし、だからといっていい加減というわけではなく、我々の方でも時には法則が必要です。なぜに必要であるかといえば、これがために作品に深みが出てくるからです。100人なり200人なりの読者を得たとき、その読者の頭をつなぐ共通なものがなくてはなりません。これが一つの法則です。

あなた方のものは、誰が作ったかは余り問題になりませんが、吾々の方のものは作品を見て作った人に思い及びます。あなた方が尊ぶことは、己でなくして腕でしょう。吾々の方は人間であると云うことが大切になります。つまり、文芸家の真髄は人間であって、他のものは附属品・装飾品です。この見地より世の中を見渡せば面白いものです。世の中は自分を中心としなければいけません。伝承的な文芸家・美術家だけでなく、皆が人間の本分として必要不可欠な個性や人格を発揮することを自覚しなければならない、と私は考えます。

今日は時間がないから之で止めます。あなた方と私共の職業の違いから、この講演で私は私共の方を詳しく説明しましたが、あなた方の方も或る程度までは応用がきくはずです。あなた方の職業の方面に於いて、幾分か参考になることがあるでしょう。個人としてなり職業としてなり、ご参考になれば非常に私は嬉しく思います。

講演は、およそ1時間で終了しました。

講演に対する反応

漱石が本学で講演した話が掲載されている岩波書店の「図書」
漱石が本学で講演した話が
掲載されている岩波書店の「図書」

後日、東京高等工業学校の学生がこの講演の趣意を理解できていなかった、という噂が漱石の耳に入ります。どうにかしてそこに集まる聴衆に、相当の利益を与えたいという希望があった漱石は、東京高等工業学校で講演したことを後悔する内容を、随筆の一部として公開しました。

しかしその数日後、漱石のもとに別の学生から4、5通の手紙が届きます。それは全て講演を聴いた学生たちからのもので、漱石の失望を打ち消す内容でした。工学者を目指す多くの若者たちに「工学と芸術」の共通点と差異を適切に伝えたことは、当時の学生にはもちろんのこと、東工大の歴史にしっかりと刻まれているのです。

東京高等工業学校(全景)

東京高等工業学校(全景)

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本稿は、本学資史料館が発行したリーフレットの内容を再構成し、掲載しています。