教育

2014年春、退職教員インタビュー

本川 達雄 大学院生命理工学研究科 教授|今田 高俊 大学院社会理工学研究科 教授

2014年3月末をもって、東京工業大学で教育・研究、大学運営に尽力してきた39名の教職員が定年退職を迎えます。退職の日を前に、2名の教授にこれまでの教員生活を振り返り、心に残るエピソードやこれからの展望について話をききました。

ナマコの世界から人間の世界を見つめる|本川 達雄(もとかわ たつお)大学院生命理工学研究科 教授

研究を続けてこられた専門分野について、お聞かせください。

 私は生物学を専門としています。東工大の生命理工学は分子生物学が主体ですが、私の場合はもっと古典的な、個体や組織、生態系とか、そういう大枠で捉えた生物学を取り扱っています。どちらかといえば、"流行らない生物学"です。個体レベルで流行っている生物学というと、サルなど脳を持つ動物の行動の研究がありますが、私はそれだけですべて世界がわかるとは思いませんでしたので、できるかぎり脳のない生物を研究してきました。研究の核となったのは、ナマコやウニなどの棘皮(きょくひ)動物や、ホヤ、貝など、世間があまり話題に取り上げないような生物です。

研究対象の一種であるミナミフジナマコ研究対象の一種であるミナミフジナマコ

 進化の結果、生物というものは、存在すること自体に意味を持つようになったのだと私は理解しています。ナマコの皮が固くなったり柔らかくなったりというメカニズムにはどんな意味があるのかを突き詰めていくと、ナマコが存在するためのやり方が、他の生物とはまったく違う。だから違う世界を形成しているんですね。ナマコには、脳もなければ感覚器官もありません。そこにあるのは、まさにナマコワールド。同じように、ネズミにはネズミの世界が、ゾウにはゾウの世界があり、生物によって存在のあり方がまったく違う。そういう視点で人間を眺めてみると、また違った世界が見えてくるかもしれない。そういう研究を30年にわたり続けてきました。

生物学の道には、どんなことがきっかけで進まれたのですか?

 私は戦後すぐの生まれ、団塊の世代です。子供の頃はまだ焼け跡がありました。その後、世の中はどんどん豊かになり、高校1年のときに東京オリンピックがあり、大学受験の頃は高度経済成長期のまっただ中でした。ものづくりの盛んな時代でしたから、東工大はもちろん、大学の工学部というのは非常に人気がありましたね。数学が得意な子はだいたい工学部を受験していました。そんな中、私はちょっとへそが曲がっていましたので、世の中の役に立つというよりは、純粋に基礎的な学問をしたいなと思いました。
 そう考えると、理学部か文学部に進学することになります。当時、理学部と言えば、素粒子が花形。かたや、文学部は人間の心の中ばかりのぞき込んでいると当時の私には思えました。どう考えても、どちらか一方だけで全部わかるとは思えなかった。ならば、素粒子と心の中間から世界を眺めてみようと考え、行き着いたのが「生物学」だったというわけです。

東工大に来られる前は、琉球大学で教鞭をとられていたようですが。

琉球大学での瀬底実習琉球大学での瀬底実習

 1978年から1991年まで、琉球大学に籍を置いていました。やはり、沖縄は本州とは文化の土壌が違い、ものの見方も違う。もちろん、生物相はまったく異なります。そして、流れている時間も。そこから異文化・異世界を理解する重要性を学び、そして、ナマコもゾウもネズミも、われわれヒトとは異なる世界をもつと考えるようになりました。今の私の世界観は、沖縄で芽生えたものです。

東工大にはどのような印象をお持ちですか。

 東工大には、1991年から22年間にわたりお世話になりました。本学の一般教養は、昔からきら星のごとき先生方がいらっしゃることで知られています。そんな場所で、教養の生物を教えられたら望外の幸せです。応募したところ、幸いにも採用していただけました。こうして東工大に教鞭と研究の機会を得ることができたことに、心から感謝しています。

最後に、先生の今後についてお聞かせください。

 今、高齢者がどんどん増えています。生物学的には、生殖活動を終えたものが長生きしてはいけません(笑)。私は、次世代を育てることが広い意味での生殖活動であると考え、教育をやっていれば、まだ「現役」だから生きていることも許されると、生物学者としての自己を納得させています。幸い、私の書いた文章が小学校の国語の教科書に載っていますので、それに関連して、出前授業を全国各地で行っているところです。こどもたちには結構喜んでもらっています。今後も、「引退後は次世代のために働くべし」という姿勢で活動を続けていきたいと考えています。

社会学をベースとした文理融合の教育研究に携わって|今田 高俊(いまだ たかとし)大学院社会理工学研究科 教授

学生時代は文系を専攻されていたそうですが。

 東大に入学した当初は分子生物学に興味があって、理科二類を専攻しました。ところが、入学して間もなく学生紛争(東大紛争)が起きて、2年目は授業がなく、学生たちは昼夜を問わず、日本の体制や大学のあり方など議論ばかりしていました。当初は分子生物学をやりたくて理科二類に入ったわけですが、議論の輪に加わっているうちに、人間や社会のほうに沸々と興味が湧いてきて。それで、1年間留年し教養課程を終えた際に、人間社会全般を扱う社会学(文学部社会学科)に転向しました。

社会学科でのエピソードなどお教えいただけますか?

 正直、相当なカルチャーショックを受けました。理系に比べて圧倒的に知識量が違うんです。まるで頭の中に辞典が組み込まれているんじゃないか!と思うくらい。それでも、大学院修士課程が終わる頃には何とか同僚に追いつくことができたように思います。私の理論家としてのメインでもある社会システム論に出合ったのも、この社会学科に籍を置いていた時です。
 加えて、指導教官より常日頃から「学問というものは理論と実証、両方極めなければいけない」と念仏のように言われまして。その流れで、日本社会学会が昭和30年から10年おきに実施している『社会階層と社会移動に関する全国調査』という階層・階級の問題に関する全国調査を担当し、実証を学びました。博士課程の途中から助手となり、1979年に本学に移るまで3年半の間、調査や研究会の開催に心血を注ぎました。ここで揉まれたことが、研究者としての私の礎となっています。

その後、東工大に助教授として来られたわけですね。

レオナード・ブルーム教授を自宅に招いて歓談レオナード・ブルーム教授を 自宅に招いて歓談

 1979年、まだ30歳目前でした。ここから7年ほどは助教授として一般教育科目を担当しながら、ライフワークでもある社会システム論の研究に集中することができた時期でもあります。そうして、1986年、学位論文の本を書き上げた頃、文部省(当時)の在外研究員として、社会階層研究のメッカであるアメリカのウィスコンシン大学マディソン校で1年間留学の機会を得ました。そして1987年の9月に帰国、翌1988年春、教授に昇進しました。

ところが、ここからがたいへんでした。

社会理工学研究科の設立に多大な功績を残されています。

 1996年以降は社会理工学研究科で理系の専門の先生方と伍して教育研究に携わりました。この「大学院社会理工学研究科」が設置されるまでにはハードな山越えをせねばなりませんでした。教授に昇任した翌年の1989年以降、文明工学科構想、社会情報学科構想など、それぞれ2~3年かけて概算要求書を作成し、新しい研究科のもとでの専攻設立に向けて奔走したのですが、実現はかなわずの状態でした。
 社会理工学研究科設立は3度目の試みでしたが、これがうまくいかなければあきらめる覚悟で臨みました。人文社会や科学技術を対象とする文理融合の学問領域を切り拓くことを目的とした「社会理工学研究科」は、「人間行動システム専攻」、「価値システム専攻」、「経営工学専攻」、「社会工学専攻」の4専攻での設立が実現しました。社会理工学研究科がスタートしたのは1996年ですから実に8年を要しましたが、私の理論である「自己組織化」の理論を当事者として実践することができたことは、非常に意義深いことであると感じています。

これからどんなことにかかわっていきたいとお考えですか。

 最近は原発の高レベル放射性廃棄物やリスク社会の問題を扱う委員会にもかかわるなど、するべきことが山積みなのですが、そんな中で今私が最も力を入れているテーマが「文明学の可能性」です。
 14世紀に興ったルネサンスは人間観を変革しました。その後16世紀にあった宗教改革では、神を世俗化しています。17世紀には科学革命が、18世紀には民主革命が起こっています。そして、18世紀後半から19世紀に産業革命が世界を席巻しました。こうした経緯を経て、ようやく近代の基盤が出来上がったわけです。この間、実に4世紀以上を経ています。

第26回国会エネルギー調査会(準備会)第26回国会エネルギー調査会(準備会)

 実は、私はそれと同じことが、1980年代に始まったと考えているのです。かつては4世紀かかったものが、今度は1世紀くらいで達成できてしまいそうな勢いを感じます。もしかすると、22世紀にはもう文明が新しく変わっているかもしれません。その来るべき文明の媒介役を担うのが、情報テクノロジーです。そう考えると、もう楽しみで仕方がないですね。

※自己組織化

システムが環境変化に適応してみずからの構造を変えるのではなく、環境変化のあるなしにかかわらず、自力でみずからを変えることをいう。環境適応ではなく、内破の力によってみずからを変えることであり、喩えていえばサナギの変態(メタモルフォーゼ)に相当する。

本川 達雄(Tatsuo Motokawa)

本川 達雄 (Tatsuo Motokawa)

大学院生命理工学研究科生体システム専攻 教授
理学博士

  • 1948仙台市生まれ
  • 1971東京大学理学部生物学科卒業
  • 1975東京大学助手
  • 1978琉球大学講師
  • 1991琉球大学助教授
  • 1986米国Duke大学visiting associate professor(~1988)
  • 1991東京工業大学教授

今田 高俊(Takatoshi Imada)

今田 高俊 (Takatoshi Imada)

大学院社会理工学研究科価値システム専攻 教授
学術博士

  • 1948神戸市生まれ
  • 1972東京大学文学部社会学科卒業
  • 1975東京大学大学院社会学研究科博士課程中途退学
  • 1975東京大学文学部社会学科助手
  • 1979東京工業大学工学部助教授
  • 1986米国ウィスコンシン大学マディソン校 Honorary Fellow (~1987)
  • 1988東京工業大学工学部教授
  • 1996東京工業大学社会理工学研究科教授