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強磁場実験で磁気の量子力学的発生過程を検証

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公開日:2012.02.01

要約

東京工業大学の白田雄高院生と田中秀数教授、東京大学物性研究所の松尾晶博士と金道浩一教授の研究グループは、量子効果が顕著とされる三角格子反強磁性体の磁気の発生過程を強磁場実験で初めて検証した。

研究の内容,背景,意義,今後の展開等

同研究グループは三角格子反強磁性体の「アンチモン酸バリウムコバルト」(Ba3CoSb2O9)に着目して試料を作成、これにパルス状の強磁場を加え、発生する磁気の強さ(磁化)を精密に測定して、磁化の量子化を含む磁気の発生過程を明らかにした。強い磁場中で顕著な量子力学的磁気現象が現れることを実証したもので、フラストレーションと強磁場が新たな磁気研究のフロンティアを開くことと同時に、強磁場が新奇電子物性の開拓につながることを示す成果である。
三角格子反強磁性体では、磁気の担い手である電子のスピンが小さな場合に、強いフラストレーションと量子力学的効果のために、磁場を加えたときの磁気の発生の仕方がスピンを単なる古典的なベクトルのように考えた場合と全く異なることが理論的に知られていた。また、磁場中で現れる磁化の計算がいくつかの方法で精力的に行われていたが、良いモデル物質が無かったために明確な実験的検証がなされていなかった。
この成果は1月31日発行の米国学術誌「フィジカルレビューレターズ」(Physical Review Letters)電子版に掲載された。

研究の背景

磁石に代表される磁性体の磁気は負の電荷を持った電子の自転運動(スピン)(用語1)によって生ずる。絶縁性の磁性体ではこのスピンが磁性原子に局在し、互いに交換相互作用(用語2)と呼ばれる量子力学的な力を及ぼし合っている。交換相互作用はスピンを平行(強磁性)、あるいは反平行(反強磁性)にする働きをもつので、多くの磁性体は温度を下げると、スピンが平行に揃った強磁性状態や反平行に揃った反強磁性状態になる。
ところが図1のように、磁性原子が三角形の格子点に位置し、スピン間に反強磁性的な交換相互作用が働く場合には事情が異なる。どれか2つのスピンを反平行に置くと、残りのスピンはどの方向を向いてもエネルギーが変わらないので、安定な配置が決まらない。このような状況をスピンのフラストレーション(用語3)と呼ぶ。図2のように、三角格子上にスピンがあり、隣り合うスピン間に反強磁性的な交換相互作用が働く物質は三角格子反強磁性体と呼ばれている。三角格子反強磁性体では、図1に示したような強いフラストレーションがスピン間に働く。このために基底状態(用語4)は、従来から良く知られている強磁性状態や反強磁性状態にはならず、図2のようにスピンは互いに妥協し合い、隣り合うスピンが120°をなす三角スピン状態になる。
このような三角スピン状態に磁場を加えると、スピンが量子効果のない古典スピン(用語1)の場合には、エネルギーが等しい基底状態が無数に存在し、基底状態が一意的に決まらない。このような場合に量子効果が決定的な役割を果たす。この磁場中の量子効果について、多くの理論研究がなされた。量子効果によって,安定な状態が1つだけ選ばれ、磁場を増加するに従って、図3の(a)、(b)、(c)の状態が順次安定化されることが予言された。対称性の良い(d)の傘状態はエネルギーが高く、不安定になる。(b)のup-up-down状態は量子効果のために古典スピンの場合と異なり、有限の磁場範囲で安定化される。その結果、磁化曲線(用語5)に平坦領域(プラトー)が現れる。すなわち、磁化が量子化される。また、(a)と(c)の状態でも、量子効果のために磁化の磁場依存性は、単純に磁場に比例する古典スピンの場合と大きく異なる。このように、強いフラストレーションのある磁性体では、強磁場中で通常の磁性体には現れない顕著な量子効果が現れる。しかし、適当なモデル物質がなく、これまで明確な且つ定量的な実験的検証は行われていなかった。

研究手法と成果

今回、本研究グループは三角格子反強磁性体Ba3CoSb2O9に着目した。図4はこの物質の結晶構造である。青い八面体CoO6の中心に位置する磁性イオンCo2+が三角格子を形成している。磁性イオンCo2+のスピンの大きさは1/2と小さい。また、Ba3CoSb2O9では、スピン間に働く交換相互作用がスピンの向きに殆ど依存しない等方的なものである。これはコバルト化合物では例外的なことである。従って、Ba3CoSb2O9は量子効果が大きい三角格子反強磁性体のモデル物質になると期待される。
そこで本研究グループは、Ba3CoSb2O9の高純度粉末試料を用いて強い磁場中での磁化の精密測定を行った。使用した強磁場装置は金道教授のグループが開発した装置で、パルス的な強い磁場を安定的に発生させることができる。図5は、そのパルスマグネット本体の写真である。この強磁場実験の結果、図6に示された磁化曲線を観測した。飽和磁化の1/3に量子効果による明瞭なプラトーが見られるほか、プラトーに入る直前や飽和の直前で量子効果による磁化の急速な増大が見られる。これらは、細い点線で示した量子効果のない古典スピンの単調な磁化曲線と全く異なっている。
近年の計算技術の進歩により、スピンの大きさが1/2の三角格子反強磁性体の磁化曲線は
高精度で求められるようになった。図6には39個のスピンからなる系を厳密に計算して得られる磁化曲線(スピンの個数が有限であるために、磁化曲線が階段的になっている。)と結合クラスター法と呼ばれる方法で計算した磁化曲線を合わせて示してある。図を見て分かるように、実験と理論は見事に一致している。このような理論と実験の良い一致は、比較的単純な一次元磁性体を除くと初めてのことである。以上のように,本研究により、量子効果が顕著な三角格子反強磁性体の磁気の発生過程が初めて検証された。

研究成果の発展

従来の多くの磁性体では、スピンを量子効果のない古典スピンのように考えても、その磁気的性質が理解できた。本研究は、フラストレーションの強い三角格子反強磁性体が強い磁場中で、古典スピン模型では説明できない顕著な巨視的量子効果を示すことを実証したものである。強磁場が重要な発見をもたらした例として、ノーベル賞に輝いた量子ホール効果と分数量子ホール効果の発見はよく知られている。このように、強磁場は物理研究のフロンティアを拓くものであり、今後も多くの新しい現象が強磁場中で発見されるものと期待される。

用語説明

  1. [1]
    スピン
    粒子の自転運動に対応する物理量で、電子は大きさが1/2のスピンをもっている。自転の向きに右ねじを回したとき、ねじの進む向きがスピンの向きである。電子は負の電荷をもつので、自身の自転によって小さな磁石として振る舞う。磁性原子の中で磁気に関与する電子のスピンを全て足し合わせたものが磁性原子の持つスピンになり、その値は半奇数か整数になる。スピンは量子力学の法則(不確定性原理)に従うので、スピンの向きを完全に決定することはできない。しかし、スピンの大きさが大きくなると量子力学の法則による制限が弱くなり、普通の矢印のように向きを完全に決定できるようになる。このような状態のスピンを古典スピンという。
  2. [2]
    交換相互作用
    電子のスピン間に働く量子力学的相互作用で,近接する磁性原子上の電子が互いに位置を交換し合うことによって生ずる。交換相互作用は電子のスピンを平行、あるいは反平行にする働きをもつ。磁性原子のスピンを平行にする交換相互作用をもつ物質を強磁性体、反平行にする交換相互作用をもつ物質を反強磁性体という。
  3. [3]
    フラストレーション
    幾何学的配置や相互作用の競合によって、すべての相互作用エネルギーを最低にすることができない状況(どこかの相互作用にに必ず不満が残る状況)を物理学ではフラストレーションがあるという。
  4. [4]
    基底状態
    全体のエネルギーが最も低い安定な状態を基底状態という。物質は絶対零度で基底状態になる。
  5. [5]
    磁化曲線
    磁化M(磁気の強さ)を加えた磁場Hの関数で表したものをいう。 通常の反強磁性体の磁化曲線は、図6の点線のように、磁化は飽和するまで磁場に比例し、飽和すると一定になる。
  • 図1:スピンのフラストレーション。矢印の向きはスピンの向き(電子の自転が右回りか左回りか)を表す。

    図1:スピンのフラストレーション。矢印の向きはスピンの向き(電子の自転が右回りか左回りか)を表す。

  • 図2:三角格子とスピンが互いに120°をなす三角スピン状態(赤の矢印)。

    図2:三角格子とスピンが互いに120°をなす三角スピン状態(赤の矢印)。

図3:磁場中のスピン状態。(a)は平面状態I(Y字状態)、(b)はup-up-down状態、(c)は平面状態II、(d)は傘状態。

図3:磁場中のスピン状態。(a)は平面状態I(Y字状態)、(b)はup-up-down状態、(c)は平面状態II、(d)は傘状態。

図4: Ba3CoSb2O9の結晶構造。(a)は全体の透視図、(b)はc軸方向から見た構造。青い八面体は中心に磁性イオンCo2+があるCoO6八面体を表す。Co2+イオンはab面内で三角格子を形成する。

図4: Ba3CoSb2O9の結晶構造。(a)は全体の透視図、(b)はc軸方向から見た構造。青い八面体は中心に磁性イオンCo2+があるCoO6八面体を表す。Co2+イオンはab面内で三角格子を形成する。

  • 図5: パルス強磁場発生用マグネット。中心軸に沿ってくり貫かれた孔の中にサンプル、磁場と磁化の検出コイル、温度を下げるためのヘリウムなどを入れた装置が入り、これら全体を液体窒素の中に沈める。

    図5: パルス強磁場発生用マグネット。中心軸に沿ってくり貫かれた孔の中にサンプル、磁場と磁化の検出コイル、温度を下げるためのヘリウムなどを入れた装置が入り、これら全体を液体窒素の中に沈める。

  • 図6: Ba3CoSb2O9で観測された磁化曲線(縦軸M:磁化=磁気の強さ、横軸H:加えた磁場の強さ、測定温度は1.3 K)。赤い印が実測値、太い実線と破線はそれぞれ厳密対角化と結合クラスター法による計算結果、細い点線は古典的な磁化曲線を表す。実験と理論の一致は極めて良い。

    図6: Ba3CoSb2O9で観測された磁化曲線(縦軸M:磁化=磁気の強さ、横軸H:加えた磁場の強さ、測定温度は1.3 K)。赤い印が実測値、太い実線と破線はそれぞれ厳密対角化と結合クラスター法による計算結果、細い点線は古典的な磁化曲線を表す。実験と理論の一致は極めて良い。

発表論文

Y. Shirata, H. Tanaka, A. Matsuo and K. Kindo: Experimental Realization of Spin-1/2 Triangular-Lattice Heisenberg Antiferromagnet; Physical Review Letters 108 (2012) 057205.

問い合わせ先

田中 秀数(東京工業大学大学院理工学研究科 教授)
tanaka@lee.phys.titech.ac.jp
TEL: 03-5734-3541, FAX: 03-5734-3542

金道 浩一(東京大学物性研究所 教授)
kindo@issp.u-tokyo.ac.jp
TEL/FAX: 04-7136-3336

本件に関するお問い合せ先
田中 秀数
大学院理工学研究科 物性物理学専攻 教授
電話: 03-5734-3541   FAX: 03-5734-3542
E-mail: tanaka@lee.phys.titech.ac.jp

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