研究

東工大ニュース

高周波無線給電型の超低電力無線機で多値変調を実現

2015.02.25

要点

  • 5.8GHz帯、113μWで動作する無線送信機に、多値変調を適用
  • 「直交バックスキャッタリング回路」により32QAM,2.5Mビット/秒を実現
  • 無線機は高周波無線給電技術で生成した電源により動作

概要

東京工業大学フロンティア研究機構の益一哉教授と精密工学研究所の伊藤浩之准教授、ソリューション研究機構の石原昇特任教授らの研究グループは、高周波(RF)無線給電型の超低電力無線機で、多値変調による無線信号伝送技術を開発した。従来、ミリワット未満の低消費電力では周波数利用効率に優れる直交位相振幅変調[用語1] といった多値変調の実現が困難だったが、RFID技術[用語2] をベースとした「直交バックスキャッタリング回路技術」という新技術を駆使して実現した。

開発した無線機は最小配線半ピッチ65nm(ナノメートル)のシリコンCMOSプロセスで試作し、市販の無線機の10分の1未満である113μW(マイクロワット)という極めて小さな消費電力で32QAM[用語3] の信号伝送に成功した。また、この無線機はRF無線給電により生成した電源で動作させた。ワイヤレスセンサネットワークの大容量化・低価格化・端末小型化につながる技術である。

研究成果は22日から米国サンフランシスコで開かれる「ISSCC(国際固体回路国際会議)」で現地時間24日に発表する。

研究背景・意義

様々な社会課題の解決手段としてセンサネットワーク技術が重要になってきた。2020年頃までにはセンサの出荷数が年間1兆個を超えると予想されている。すなわち,我々の周辺に何百個ものセンサが存在するようになり、これらがネットワークにつながる時代が間もなく到来する。この時、多数のセンサ端末が無線通信するため、無線トラフィックが増加し電波資源の枯渇がより深刻な問題となる。さらにセンサ端末の数が膨大であるため、電池交換や充電といったメンテナンスに要するコストも大きな負担となる。

メンテナンスの問題に関しては、環境発電技術やRFID技術を用いて電池レスにすることで解決できる。ただし、これらの技術で生成できる電力はせいぜい百μW程度であるため、無線送信機は低電力化のために単純なアーキテクチャしか選択できず、OOK[用語4] といった周波数効率が悪い変調方式しか実現できなかった。したがって、将来のセンサネットワークにおいて不可避なメンテナンスと電波資源枯渇という問題を同時に解決できる技術が存在しなかった。

同グループはこれを解決するために,直交バックスキャタリング回路技術という新規の直交変調技術を開発した。デジタル回路で一般に用いられるシリコンCMOS集積回路として実装し、環境発電素子により得られる微弱電力で動作可能な113μWの超低消費電力と、周波数利用効率が高い32QAMという多値変調を同時に実現した。さらに、この無線機チップを搭載したモジュールを試作し、RF無線給電により生成した微弱電力で無線機を動作させ、無線信号伝送に成功した。

技術内容

無線給電で動作する低電力無線送信機としてパッシブタイプRFIDタグ技術があり、これは親機から供給する搬送波をRFIDタグで反射させるバックスキャッタリングによって通信を行う。この反射波の振幅あるいは位相はRFIDタグのアンテナ負荷インピーダンスを送信データに応じて変化させることによって変調される。変調器がスイッチなどの受動回路のみで送信機を構成することができるため、マイクロワットオーダーの低い消費電力で動作させることができる。

一方、RFIDタグで周波数効率が高い多値変調を行う場合、インピーダンスが異なる負荷素子が多値数分必要だった。従来技術ではサイズが大きい受動素子を多数使うことになるため、面積やコストが増加する問題があった。また受動素子の特性が製造時のばらつきや温度変動の影響を大きく受けるため、変調精度が悪く、32QAMといった高多値変調が困難だった。

携帯電話などで用いられている無線送信機では多値変調を実現できるダイレクトコンバージョン方式などが採用されている。しかし、この方式で必要な周波数シンセサイザといった高周波回路がミリワット以上の電力を消費するため、高周波無線給電技術と組み合わせて利用することが困難である。

そこで同研究グループはバックスキャタリング技術とミキサ技術を応用することで周波数変換と直交変調を行う「直交バックスキャタリング技術」を開発し、無線送信機において低消費電力と多値変調を両立することに成功した。この技術では,トランジスタの入力インピーダンスを時間的に変化させることで,反射波の周波数変換と振幅・位相の変調を行う。

図1に開発した無線給電型無線機の全体構成を示す。この無線機は電源回路、受信機(RX)および送信機(TX)の3ブロックからなる。電源回路では親機から送信される無線給電のためのRF信号を整流し、一旦キャパシタに電力を蓄える。キャパシタに十分なエネルギーが蓄えられた後、送信機および受信機を動作させるための安定な電源電圧を生成する。送信機および受信機に供給する電源電圧を0.6Vと標準の電源電圧の半分にすることにより、消費電力を削減している。

開発した無線機のブロック図

図1. 開発した無線機のブロック図

図2に開発した直交バックスキャタリング技術を実現する送信機回路を示す。この技術では従来のRFID技術のように親機が送信する搬送波を用いることで高周波の周波数シンセサイザを排除する。直交変調器(QMOD)はRF搬送波と中間周波数(IF)で動作するミキサ(IF Mixer)が生成する変調信号(I/Q信号)を乗算することで周波数変換し、5.8GHz帯の多値変調信号を実現する。

送信機部分の回路図

図2. 送信機部分の回路図

従来のRF送信機で用いられている一般的なミキサ回路では図3(a)のパッシブミキサのように、乗算したい2つの信号の入力と乗算出力が別の端子である。したがって,RFIDのように1つのアンテナを使って親機が供給するRF搬送波信号を受信し乗算に利用しながら、乗算結果を出力するという動作には適していない。従来のバックスキャタリング技術では図3(b)に示すように、親機が供給するRF搬送波信号の受信端子と乗算結果の出力端子を共有できるが、ミキサに入力する信号はデジタル信号である。

この回路では図3(c)に示すように、デジタル信号ではなくIF帯のアナログI/Q信号を入力する技術を開発することによって、RF搬送波信号を利用してIF帯から5.8GHz帯へ周波数変換を行った。この結果、バックスキャッタリング変調信号の多値化を実現し、さらにIFミキサとQMODをパッシブ型の回路で構成できるようになったことで、主な電力消費がIF帯ローカル信号生成・分配のみに抑えられた。

RFミキサ部における信号と伝達方向 (a)一般的なパッシブミキサ、(b)一般的なバックスキャタリング技術、(c)本成果の回路

図3. RFミキサ部における信号と伝達方向 (a)一般的なパッシブミキサ、(b)一般的なバックスキャタリング技術、(c)本成果の回路

開発した無線機は最小配線半ピッチ65nm(ナノメートル)のシリコンCMOSプロセスで試作した。図4にチップ写真を示す。回路部の面積は0.14mm2である。図5に送信機出力信号のコンスタレーションおよびスペクトラムの測定結果を示す。送信機は消費電力113μWで2.5Mb/sの32QAM変調を4.6%のエラーベクトルマグニチュード(Error Vector Magnitude: EVM)で実現した。このときの周波数効率は3.3b/s/Hzである。図6にこれまでに発表された低電力送信機の消費電力および周波数効率の比較を示す。今回の成果は低消費電力でありながら、32QAMという周波数効率が高い変調を実現した点が特徴である。

65nm Si CMOSプロセスにより製造したチップの写真

図4. 65nm Si CMOSプロセスにより製造したチップの写真

送信機出力信号のコンスタレーションとスペクトラム

図5. 送信機出力信号のコンスタレーションとスペクトラム

最新の超低電力無線送信機との性能比較

図6. 最新の超低電力無線送信機との性能比較

図7に開発したチップを用いた無線通信モジュールを示す。これを用いて温度センシングのデモンストレーションを行った。無線給電により生成した電力を利用して無線通信を行い、温度データを取得することに成功した。

開発したチップを用いた無線通信モジュール

図7. 開発したチップを用いた無線通信モジュール

発表予定

この成果は、2月22日~26日にサンフランシスコで開催される「2015 IEEE International Solid-State Circuits Conference (ISSCC 2015): 2015年 IEEE国際固体回路国際会議」のセッション「Session 13 - Energy-Efficient RF Systems」で発表する。講演タイトルは「A 5.8GHz RF-Powered Transceiver with a 113μW 32-QAM Transmitter Employing the IF-based Quadrature Backscattering Technique(IF直交バックスキャタリング回路技術を用いた113μW 32-QAM送信機を有する5.8GHz帯RFパワード送信機)」である。現地時間24日16時45分から発表する。

論文情報

掲載誌 :
2015 IEEE International Solid-State Circuits Conference (ISSCC 2015): 2015年 IEEE国際固体回路国際会議
論文タイトル :
A 5.8GHz RF-Powered Transceiver with a 113μW 32-QAM Transmitter Employing the IF-based Quadrature Backscattering Technique(IF直交バックスキャタリング回路技術を用いた113μW 32-QAM送信機を有する5.8GHz帯RFパワード送信機)
著者 :
Atsushi Shirane (白根篤史:博士後期課程,発表者), Haowei Tan (譚昊イ:修士課程), Y. Fang (方一鳴:修士課程修了生), Taiki Ibe (伊部泰貴:修士課程), Hiroyuki Ito (伊藤浩之:准教授), Noboru Ishihara (石原昇:特任教授), Kazuya Masu (益一哉:教授)

用語説明

[用語1] 直交位相振幅変調 : 互いに独立な2つの搬送波 (同相(In-phase)搬送波及び直角位相(Quadrature)搬送波)の振幅及び位相を変更・調整することによってデータを伝達する変調方式。

[用語2] RFID技術 : ID情報を埋め込んだ無線タグと電波などを用いた近距離の無線通信によって情報をやりとりする技術。

[用語3] 32QAM : 直交位相振幅変調の一種で、搬送波の振幅と位相を変調することで32の状態を表す方式。

[用語4] OOK : 搬送波の有無によりデジタルデータを表す変調方式。

問い合わせ先

フロンティア研究機構
教授 益一哉
Email : masu.k.aa@m.titech.ac.jp
TEL : 045-924-5010
FAX : 045-924-5022