東工大について
東工大について
宮原義昭
副学長(不動産活用担当)、
株式会社アール・アイ・エー 最高顧問
稲川公裕
研究・産学連携本部ベンチャー育成・地域連携部門、主任URA
藤野公之
理事・副学長(財務担当)、事務局長、キャンパスマネジメント本部長
江端新吾(司会・進行)
総括理事・副学長特別補佐、戦略的経営オフィス・教授
江端:今回の田町キャンパス再開発は、東京工業大学にとって140年前の蔵前における開学、約100年前の大岡山キャンパスへの移設、約50年前のすずかけ台キャンパス開設以来の大きな事業になります。
田町というビジネスが集まる場所で、東工大の発展だけではなく東京あるいは日本の発展、さらには世界の発展にこの再開発がどう寄与できるのか。スタートアップやベンチャーなど大学に今求められている進化あるいは展望といった視点から、お話しいただきたいと思います。
藤野:2021年1月に事業予定者を選定しました。そして2月に事業協定を締結し、2021年9月の今は再開発事業の具体的な内容について事業者と詰めている最中です。この再開発は、東工大にとってはもちろん日本の大学にとっても極めて大きな、今まで前例がない事業だと思います。
「天地人」という孟子の言葉がありますが、この事業の遂行にあたっては、これが非常に効いた気がします。「天」つまり時が非常にいいタイミングでした。また「地の利」は田町駅前に直結する恵まれた立地があったことです。そして何よりも大切だったのが「人の和」。人のつながり、人が目標へと一緒に向かっていった取り組みが、この事業がここまで進んだ原動力になりました。
大学はさまざまなもので成り立っていますが、一番の中心は人だと思います。もう1つはソフト。つまり知や技術でイノベーションを起こしていくことです。もう1つがキャンパス。単なる「入れ物」ではなく「場」、つまり大学が醸し出す雰囲気であり、大学の構成員がその場をつくっていくという意味で非常に重要だと思います。
東工大の歴史は、1881年(明治14年)東京職工学校の設立に始まります。最初の地、蔵前の校舎は関東大震災で焼失、1924年(大正13年)大岡山に移り、その後東京工業大学が発足。1951年(昭和26年)この田町の地にあった東京工業専門学校附属工芸高等学校と附属電波工芸高等学校が東工大に併合され、東京工業大学附属工業高等学校(2005年、東京工業大学附属科学技術高等学校と改称)となり、2キャンパス体制に。1975年(昭和50年)にすずかけ台キャンパスができたことで3キャンパス体制になりました。そして今回の再開発。歴史的に見ても非常に重要な意味を持つと思います。
宮原:この場所はかつてNHKの実験放送が行われた場所でした。私の高校時代の記憶ではその実験放送をした場所がまだ図書館として残っていました。当時の田町駅は芝浦口と三田口がつながっておらず、まったく違う環境でした。三田側に行こうとすると入場券を買わなければならない造りでした。芝浦は今と違って港湾関係者の働く場所でした。東海道新幹線(1964年開業)がつくられた時に私は附属高校生でしたが、敷地を新幹線のために売却しています。1回目に新幹線の線路までを売却する時は今のサークル部室のところにあった本館が残っていましたが、2回目の時に壊されたと記憶しています。
田町駅の芝浦側はこれまで何回かの大きな転機がありました。最初は駅前が狭いということで少し広げて、田町キャンパスが今のNTT側すなわち西側にずれた。さらにもう1回東京駅側に駅前が拡張され、地元店の建物が建て替えられ、そして結ぶ田町に合わせて再開発されたのが今の状態です。
現在の田町は東京の中でも特異な場所です。例えば新橋や東京駅方面には「住」がないのです。住むという文化がない。ところが田町は三田とつながっていることでそれがあり、病院なども複数ある。世界視点で見ると、ヨーロッパ的な都市環境を持っているのです。
計画されている羽田アクセス線が田町駅に止まらないのは少し残念ですが、海外からの人流なども含め、経済的にも文化的にも東工大が役割を十分に果たせる場所だと思います。
稲川:田町キャンパスは駅に隣接した好立地で、まさに地の利があります。イノベーションを生む、スタートアップをつくるためには、大学関係者以外の人の集まりが大切です。田町キャンパスは国内のみならずグローバルな「人の集積地」として最適な場所だと思います。
イノベーション創出環境を形成するためには、優れた研究成果や知財だけではなく、それをいかに事業化・社会実装していくかが問われます。研究課題と事業課題は違いますので、それをブリッジできる人材に多く集まってもらえるような魅力的な場所を田町につくりたいという想いがあります。
藤野:田町キャンパスの再開発については、1970年代ぐらいからさまざまな議論がされてきたものの、なかなか実現できませんでした。田町キャンパスには附属高校があり、その教育環境という意味でグラウンドがあり、校舎自体が駅前にあり、何かを付け加えようとしても限られていた。キャンパス・イノベーションセンター(CIC)ができたことで、いろいろな大学と連携できる仕組みはできましたが、そこで止まっていました。
今回、再開発を実現できた要因はいくつかあります。
1つは2004年に高等学校の設置基準改正が行われたことです。これによって校舎や運動場等に係る基準が弾力化・大綱化され、高大連携やグラウンドの共用化によって、高校にそれまでのような広い面積を充てなくても整備が可能になる。という道が開けました。
もう1つは、2016年に国立大学法人法の一部改正が行われたことです。文部科学大臣の認可を得ることができれば、教育研究水準に支障のない土地等の貸し付けが可能になりました。
田町は一等地ということもあって、東工大単独では再開発は無理だろうということで、民間事業者と一緒にやることにしました。制度改正が非常に大きな追い風となり、高校を大岡山キャンパスに移転し、高大連携を見据えながらより機能を高める構想を描くことができたのです。その結果、高校が移転した跡地で民間事業者と一緒に新しいキャンパスづくりができるようになりました。
東工大の指定国立大学法人構想の中では、経営力、すなわち財務基盤の強化の一環として、田町キャンパスの再開発が位置付けられています。大学全体の取り組みとして、大勢の人が一緒になって進めることができたのは、人の輪という意味でも非常に良かったと思います。
宮原さんには、東工大OBの、専門家としてのお知恵をお借りするため、副学長に就任していただき、田町キャンパスの土地活用にご尽力いただいていますが、今回の再開発をどう捉えていますか。
宮原:工業高校の役割が社会でずいぶん変わってきたことが大きいですね。私がいた頃は、工業高校の役割は中堅技術者を出すことであって、大学に進む人たちを出すことではなかった。大学附属でありながら、ただ大学の下にあるというだけだったのです。私が大学に進むと言うと、「なぜおまえが行くんだ」「ここはそういう高校じゃないぞ」というような時代でした。
高校の移転問題は70年代から議論されていて、例えば都立大附属高校が移転したらその跡地になるなんていううわさもありました。これまでの議論は物理的に移転することでしたが、今回は工業高校の役割、大学との連携が変わり、その結果大岡山キャンパスに行くという、高校にとっては一番いい選択ができるようになったのは大きいです。
私は附属高と大学両方のOBで、たまたま仕事として田町駅前の再開発にも関わったという経歴なので、今回参加要請があった時に、絶対断れないなと思うと同時に、思い入れのある田町なので人一倍うれしかったです。
20年以上前から、デベロッパーにいる周囲の人間に、田町キャンパスはデベロッパーにとっては本当に欲しい場所だと言われ続けてきました。かといって、敷地を売ってしまうと大学キャンパスをこの中に入れようとしたときに使いにくいという問題があった。それが先ほどのお話にあったように、貸し付けが可能になったことで条件が整い、お手伝いさせていただくことになりました。私自身、再開発という日本の中でも一番複雑な仕事をずっとやってきたという自負があり、それを生かしたお手伝いができたと思っています。
藤野:大学と企業が一緒になって、キャンパスと民間オフィス等をつなぐような大規模施設をつくることは、日本で多くはないだろうと思いますが、その意味とはどんなものでしょうか。
宮原:民間が再開発事業を受ける場合、一定規模の広さが無いと難しい。例えば、東京の事務所スペースは、トータルボリュームだけではなく、ベースとなる基準階面積もある程度大きくないといけません。少なくとも1フロア500坪以上が必要ですが、田町キャンパスではそれが可能なんです。つまり大学の経営安定のために民間企業を事業に引き込むことができるわけです。
3万平米という広さはかなりの規模であり、大岡山、すずかけ台と違う役割を果たすキャンパスをつくることができます。ただ、民間と組む場合、何十年とその建物を使い続けることが前提となります。場合によっては100年、今回は75年の契約です。30年経ったところで「大学の施設としては古くなったから壊して違うのにしましょう」ということができないわけです。そういった縛りがある中での建物づくりは、フロアの階高に余裕を持たせる、といったリニューアルのしやすさが重要です。新しい田町キャンパスは、従来の固定的なキャンパスとは違うフレキシブルな施設として捉えていただくと良いかと思います。
藤野:田町キャンパスの今後ということでは、社会や地域の期待に応えるために、事業者と共同で運営する1万平米を超えるインキュベーション施設の計画があります。これについては、稲川さんがいろいろと構想を練っていますね。
稲川:インキュベーション施設は、ハードウエアつまり場所だけ提供しても「良い生態系」にはなりません。どれだけ豊かなエコシステムを形成できるかが重要だと思います。東工大だけでそのエコシステムをつくるには限界があります。ヒト・モノ・カネ・情報が絶えず循環できるような生態系をつくるためには、民間事業者と共同で運営もしくは経営していくことが重要な要素になります。さらには行政や国内外の他大学との連携もかなり必要になります。また、海外との連携ということでも田町はグローバルなゲートウェイとして非常にいい立地ですから、いかに豊かな生態系をつくっていくかが求められていると思います。
指定国立大学法人構想の中では、東工大が将来どれだけのベンチャー企業を生むべきなのかという目標が入っています。研究・産学連携本部でも2021年はベンチャー元年ということで、イノベーションやスタートアップを生み出す仕組みを積極的にサポートしていこうという流れになっています。
現在国内的には第4次ベンチャーブームなどと言われています。大学発ベンチャーの企業価値は約2兆円規模にまで到達していますが、将来的にはもっと大きくなると期待されています。大学の研究成果の中には社会的な課題を破壊的に解決できるような研究成果が多くあって、特に東工大は世界でも有名な先端的研究成果があります。その社会実装を早める1つの手段としてスタートアップがあると私は考えていて、それらを支援するためのインキュベーション施設が田町には求められていると思います。そしてそれは大学と民間事業者がパートナーを組んでより大きな生態系をつくることによって初めて成し遂げられることだと思います。
藤野:1万平米ものインキュベーション施設が都心にあるのは本当に珍しいと思います。それも単なる賃貸施設ではなく、一緒になってつくり上げていこうという施設になるわけですね。
稲川:この広さは、たぶん国内だけではなく世界でもかなり大きいほうだと思います。しかも都心の主要駅に隣接した1万平米のインキュベーション施設は世界でも類を見ないと思います。期待も大きい分、東工大だけではなくさまざまな人々を巻き込んで運営してくことが求められます。都心型施設に求められる要件はいろいろあると思いますが、「研究の深度化ができる」ことが重要かと思います。
また、ヒト・モノ・カネが循環するという意味では、東工大には3つのキャンパスがあり、例えば大型実験は田町では向いていないがすずかけ台では可能、という場合もあります。大岡山、すずかけ台、田町は世界的に見れば非常にアクセスがいい場所です。3キャンパス間の有機的な連携、つまり人や知の流れをつくり出す構想が今後必要になってきます。
藤野:田町キャンパスの再開発施設ができ、供用開始されるのは10年後の2030年頃になりますが、その前段階として現在のCICビルを使って事業展開をしようとしています。
稲川:「箱をつくったから、さあ来てください」というやり方ではなく、人、ソフトウエア、ネットワーク、エコシステムの部分を先につくろうとしています。スタートアップを支援する仕組みを最初につくっておいて、10年後に田町キャンパスが再開発されたら一気に加速できるようにするためです。これからの10年は非常に大切な10年、エコシステムをつくる上で大切な10年であると考えています。他大学と連携、国や国立研究開発法人の事業なども活用しながら、人材の開発、ネットワークづくり、エコシステム拡大につながる体制をまず築いていきたい。他大学も含めた東京コンソーシアムという大きな流れの中で中核を担う役割を持ちながら、2031年の東工大創立150周年とも重なる田町キャンパス再開発完成を機に、次の100年に向かってロケットスタートできるような体制づくりに取り掛かっています。
藤野:2026年から約45億円の地代収入が入る予定になっています。東工大全体の事業費規模519億円ですので、大学独自で戦略的に使える大きな資金が初めてできるのは非常に意義のあることだと思います。
稲川:これからもさまざまな規制緩和がされて、例えば大学が民間事業に直接出資できるようになったりすると思いますが、それが大学の財務基盤を支え循環するにはまだ時間がかかるとは思います。田町のこの歳入を開発や投資に回せるということは、短期的な財務基盤というよりは日本の産業を発展させるための投資にもつながる。東工大にとってこれだけ大きな先行投資ができる状態はとても恵まれています。他大学や行政とも組みながら、大学で開発された研究成果や知財の社会実装を早めることによって、大きな社会的インパクトが出せると思います。
宮原:大学が社会の中で果たすべき役割という意味では、教育環境つまり足腰を強くするところにぜひお金を使ってほしいと思います。最近の企業は、場合によっては大学も、即物的なものを求め過ぎていますから、そうでない部分に対して、是非お願いをしたいです。
藤野:今回、田町キャンパスはこのような形で大きく変わるわけですが、大岡山、すずかけ台のキャンパスをどうしていくのかという将来構想も重要ですね。
稲川:すずかけ台キャンパスにはまだまだ開発すべき余地があります。海外から優秀な研究者を呼んで共同研究を進めるときに、例えば外国人教員の居住環境の整備が必要です。また、民間企業がキャンパス単位で研究開発をしやすい環境も整備しておかなければいけない。3キャンパス全体でイノベーションを生んでいくためには、すずかけ台が果たす役割は今後ますます大きくなってきます。文部科学省が提唱するイノベーションコモンズのような郊外型の研究環境を整えていくとすると、すずかけ台は理想的な場所であると思います。それほど郊外というわけでもなく、都心に近い場所で研究開発ができる。大型研究や本格的な基礎研究ができる、すずかけ台を国内でも有数の研究拠点にしていきたいと考えています。
宮原:田町キャンパスによる財源があるかないかによって、他キャンパスのあり方も変わるわけですね。すずかけ台はかなり拡大開発していかないと、社会から求められる環境を提供できないのではないかと思います。稲川さんのおっしゃる外国人の居住環境も重要です。慶應義塾大学の湘南藤沢キャンパスのような打ち出し方が必要かもしれません。
大岡山キャンパスの再開発が次にきます。しかし、拡大できませんから、施設を大規模にリニューアルしながら同じ土地をどう有効利用していくかということです。そのためにも「軍資金」は重要だと思います。
稲川:すずかけ台が、企業や地域住民と連携した一大リサーチパーク、サイエンスパーク的な方向に、将来は向かえればいいと思います。
藤野:他方、東工大は創立150周年の2031年までの今後10年を「次の100年に向けた環境整備の10年」として位置付けています。3キャンパスを革新し、各キャンパスで生み出される知、人および資金が循環し、さらにキャンパス外との産学官連携のネットワークにつながる。東工大ならではの「キャンパス・イノベーションエコシステム構想」の実現に向けて取り組んでいきたいと思います。
東工大は2021年3月、格付機関による格付を取得しました。格付は「AA+、安定的」で、日本国政府と同格になりました。いざとなれば、大学債を発行して大きな資金を得ることも可能です。そういった意味で、経営の自由度が増したのは大きいと思います。
江端:経営においては人が最も重要です。ハードがどれだけいいものであったとしても、そこで動く人たちのインセンティブについての考え方や、どういう形でその人たちをサポートしていくか、環境をどうつくっていくかというところがとても大事だと思っています。今回のような、支援・環境を整えていくことで活躍できる人たちとはどんなイメージでしょうか。また、そういった人たちを大学の中でいかに確保して育成していけばよいのでしょうか。
稲川:大学の教職員で優秀な経営者としてスタートアップを起こす人もいます。ただ、外部的なマーケティング、ビジネスデベロップメント、マネジメントファイナンスは、起業に必要不可欠な条件です。そういった意味で、ビジネスやファイナンスの専門的人材を外部から集める、大学の研究成果とマッチングする機会を設けることは必須だと考えています。
シリアル・アントレプレナーと言われる人材を循環させるためには、コロナ禍でリモートがはやっているとはいえ、実際に人と人が出会う場所、リアルな場所が必要で、田町は最適な環境です。民間事業者、経営人材、社会実装を実際に行う人材、研究課題から事業課題にトランスレーションする人材は、都心型環境でネットワークをつくり上げることが求められています。
江端:今回のようなコロナ禍の状況でも、リアルで会える環境づくりは本当に大事だと思います。
稲川:例えばアメリカの企業文化はセールスレップなど昔からリモート勤務が多かったと思います。結果を出せば実際にオフィスには行かなくてもいいという、フレキシブルな働き方を彼らはしてきた。ところが、スタートアップのときは真逆なんです。リアルな場所を提供することがスタートアップのエコシステム形成には欠かせません。コロナ禍になっていろいろなことが試されていると思いますが、エコシステムを作る上ではハイブリッド型も含めてリアルな場が非常に重要な要素になっていると感じます。
宮原:議論しながらまとめ上げていくのは、リアルでないとなかなかできません。欧米はそういう意味ではパーティー社会ですね。基本的にリアルの社会で動いているし、重要なことは面と向かってしかほとんど話してくれません。
「場づくり」で一番重要なのはそこに目利きがいるかどうかです。目利きが人材を連れてくることもあるけれど、あそこに目利きがいるから、あの目利きのところに行ってこようと、人材が向こうから集まってくるということもあります。
稲川:「ここにこういう目利きがいる」という情報をしっかりと発信する必要があります。
稲川:学生の育成という面から見ると、田町キャンパスはどういう形で機能できるのでしょうか。
宮原:学生に「田町キャンパスがあるから東工大に行きたい」と思ってもらう必要は無いですが、3つのキャンパスがあることで学生はいろいろな経験ができます。
東工大は日本の大学の中でも一番社会に開けています。私が子どもの頃から東工大のキャンパスは誰が入っても怒られない。それだけ自由、開かれているんですね。その良さが、田町でもスタートアップの育成はじめ世界に貢献していくことにつながる気がします。社会人学生やリカレント教育は田町があるからこそ、だと思います。
藤野:東工大設立の精神の1つに、実用的な技術教育、ものつくりがあります。「煙突のある所、蔵前人あり」という設立の精神は、東工大にとって魂の言葉みたいなものです。今後の田町キャンパスを考えるときにも、この言葉を東工大のDNAとして保ち続けることが重要かと思います。
ただ、田町キャンパスは東工大だけで動くのではなく、人や機関が集まるハブを目指すべきです。目利きを揃えることも東工大だけではできないので、海外を含めてさまざまな人が関わることで田町の知が生かせるのかと考えています。
宮原:東工大のOBは群れないという話がありますね。群れないということは、ほかとも付き合えることでもあります。
藤野:最後に、今回の田町キャンパス再開発は、必ずしもすべて順調にいったわけではなく、コロナ禍で社会状況、経済状況ががらっと変わり、若干の遅れもありました。といっても結果的に事業が上手く進んだ要因は何でしょうか。
宮原:コロナ禍は一時的なもので、長期的に見ると日本国内では少子高齢化の影響の方が大きいと思います。
まず、田町という価値の高い場所にあるということ。そして、その駅前であるということ。こうしたことから、企業が事業に応募するにあたってぶれなかったのではないかと思います。
それから、税金の問題が大学にはない、ということもあります。100億円借りたら100億円返せばいい。利息はありますが。民間ではそこに税金が掛かるんです。税金だけで3割ぐらい上乗せされてしまう。
江端:そういった意味でも大学がこういう事業のハブになる意味があるということですね。
稲川:東工大の優れた研究成果、技術力はグローバル展開がしやすい。だから、国内にとどまる発展ではなく、まず世界を視野に入れた発展がこの田町もしくは3キャンパスから生まれることを信じています。
藤野:今回の事業は1大学の事業ではなく、日本中の大学が、あるいは地域が、さらには日本全体が発展していくためのテコといいますか、嚆矢(こうし)となればいいなと思っています。75年という先の長い事業ですから、きちんと次の人に引き継ぎながら構想を実現していくのが我々の責務です。
統合報告書 未来への「飛躍」 ―東工大から科学大へ―
学長や理事・副学長、研究者による対談・鼎談や、教育・研究、社会に対する取り組み、経営戦略などをご紹介します。
2021年9月取材