大学院で学びたい方
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カフカース地域の建築史をひもとき、新しい価値や保全・修復の道を探求
アルメニアやジョージアを中心としたカフカース地域を拠点として、教会堂建築の研究に取り組む藤田康仁准教授。
建築や都市の隠された歴史に出会い、その成り立ちや歴史的な意味について思考しながら、文化財や町並みの保全へとつなげていく。
日本から遠く離れた彼の地になぜ惹かれ、何を見て、何を見出すのか。
海外における調査研究と取り組みを追った。
1997年、東京工業大学工学部建築学科卒業。1999年、東京工業大学大学院総合理工学研究科人間環境システム専攻修士課程修了。2003年、イタリア・ローマ大学ラ・サピエンツァ交換留学。2005年、東京工業大学大学院総合理工学研究科人間環境システム専攻博士後期課程修了、環境造形学園ICSカレッジオブアーツ講師に着任。2006年より東京工業大学大学院総合理工学研究科助手、助教、2015年に准教授を経て、2016年より現職。
撮る、採る、録る。歴史的建築物の調査の基本は、ひたすら記録をすること。藤田准教授は現地に到着するや、建物全体から装飾、碑文に至る細部まで写真におさめながら、動画も撮影する。「その教会までの道程や周囲の様子から空気感まで、動画の豊富な情報量が研究の支えになります」(藤田准教授)
建物の形の記録は、主にレーザ距離計を使い、建物の歪みまで再現できるよう壁や柱の奥行き、幅などをひとつひとつ測っていく地味で地道な作業だ。近年は、深度センサを利用した3Dスキャナを使い、建物のデジタル3次元データも直接採取している。建物の形が複雑だったり、崩壊している際には、その状況をそのまま記録できるので便利だという。「ここ数年はドローンも導入しています。今まで見えにくかった建築上部の様子や破損箇所も、屋根に上らず安全に把握できます」
世界遺産であるアルメニアのサナヒン修道院でも、周辺環境も含めてドローン撮影。以前は建物の目地ひとつひとつを目視でチェックしていく、修行のような方法だった写真測量システムでのデータ化も、今では100点余りのドローン写真があれば、専用のアプリケーションで建物の3次元データが計算できる時代になった。研究はこうした詳細な調査データの蓄積をもとに進められていく。ただ、現地に持ち込める機材も調査にかけられる期間も限られる。「単純に調査地が遠いこともあって、資金と人手と時間との戦いですね」と藤田准教授は言う。
父親が建築設計の仕事をしていた影響もあって、東工大建築学科に進んだ藤田准教授。建築を学ぶなかで、建築物を自ら設計して建てるよりも、設計という行いそのものや建築の形の成り立ちを考えることに興味の所在が移っていった。「学年が進むにつれて、建築物を建てない建築の学問もあることを知り、強く惹かれたのを覚えています」
修士課程から篠野志郎教授(当時)の研究室へ。篠野教授に誘われてアルメニアの教会建築調査に同行することになる。「最初は漠然とイスラーム建築を研究するつもりでした。ただ、アルメニアのことを学ぶうちに、自分の興味が建築文化の交わりにあることに気づき、それを研究するには、ローマなどの大帝国の辺境にあって東西文化の接点ともいえるアルメニアの方が、イスラーム建築よりも適していることがわかってきました。そして気がつくと、20数年間通い続けていたというわけです」と藤田准教授は笑う。
歴史的建築物の調査には、純粋に建築史研究のための調査のほか、建物の保存・修復を念頭に置いた調査がある。保存・修復のための調査では、藤田准教授は地震工学や建築構造の研究者にも参加してもらい、構造の解析や石材サンプルを用いた強度試験なども行っている。「教会建築の歴史研究といえば、西洋では主に美術史の分野に属していますが、日本の場合、建築史は工学のカテゴリーにあって、建築を技術の観点から捉える見方がある。それは当地の研究をする上での強みでもあり、東工大や外部の先生方と協同しながら、研究成果の還元を通じて現地に貢献したいという思いで進めています」
歴史的建造物の保全にはいくつか問題もある。その国の経済状況が保全を阻むことはもちろん、地域の人々がその歴史的な価値を解していなかったり、建物の利便性を求めて改装することで価値が損なわれることも。「そこにある建物は我々人類の文化遺産である一方で、何よりその土地に暮らす彼らの生活の場です。我々の価値観を押し付けるのではなく、彼らの場所を確保しながら適切に保存される方法を編み出し、共有していきたい。残念ながら、調査対象の国々では研究者と修復家とは連携が取れていないのが現状」と藤田准教授は考えている。
一方で、純粋な建築史研究にも立ち返る。「この地域の建物の歴史的価値は、実はまだきちんと位置づけられていません。この建築群が建築の歴史の流れの中でどういう意味を持つのか、建築史の研究者としてその解明に取り組みたい。”その建物がなぜその形なのか”を、どこに行ってもずっと考え続けています」
教会建築の歴史研究は、美術史の観点に立つ西洋の研究者によって主導的に進められてきた。彼らの見方では、たとえば建築の平面形に見出される「十字形」という形状は、キリスト教における「十字架」という象徴を建築として表現したものと捉えてきた。「平面形状も確かに建築の特徴を表す一側面だし、そこに象徴的な意味が込められることもあるでしょう。ただ、立体的な構築物である建築を考えるのに、平面にだけ注目するのは一面的。石材を積み上げて、3次元的に建築が成り立っているという視点がこれまでの研究には乏しかったのです。そこへの疑問が私たちの研究の出発点でもあります」
藤田准教授は博士論文で、どのような石材の組み合わせによって、建物の下部から上部のドームまでの形状を成り立たせているのかを研究した。実際の建物を現地で体感し、どの部位にどんな石材が用いられているのかをじっと観察した。「建物の中に身を置き、触れることで、建築の形の持つ意味を少しでも理解することが調査の醍醐味」だと言う。
日本から遠く離れた国までどうして行くのか? 根本には、この地域で成立した建築の歴史を知りたいという純粋な興味がある。「一方で、アウトサイダーとして、その地域の建築の歴史に取り組むこと自体にも意味があると思っています。教会建築の形を建築技術から考えるという、現地にはなかった視点を持ち込むことで、今まで見えなかった建築の歴史を紐解き、建物の新しい価値を見出し、共有していく。そこから生じる新たな保存・修復の対策を通じて社会還元にもつながれば、言葉や場所の隔たりを越えて私たちが研究に取り組む意義もあるというものです」
学生には無駄と失敗を厭わないマインドを身につけることを促す藤田准教授。「豪快に失敗することが許されるのが学生の特権です。想定の範囲外へどんどんはみ出していってほしい」と言う。「自分もそうであったように、建築の何に興味があるのか学生本人もわかっていないことが多い。だからこそ、いろいろなことを見聞きし、触れることに貪欲であるべきです。さまざまな物事が絡み合う建築を学ぶなら、雑食ぐらいがちょうどいい」
アルメニアから東トルコ、ジョージア、シリアへと研究の範囲を広げてきたが、今後も「黒海沿岸やイランへも調査に赴き、建築文化の歴史的な交流について理解を深めていきたい」と語る藤田准教授。そしてもう一つの展望として、後進の育成も模索している。調査を進めている国の中には、次世代を担う若手の研究者が十分育っていないという課題があるからだ。
「近代の日本で、外国人として日本美術を評価したフェノロサの偉業には遠く及びませんが、自分たちの文化の意味や価値を知り、問い続ける営みに寄り添えるように、研究協力を続けていきたいと思っています」
畔柳知宏 Tomohiro Kuroyanagi
環境・社会理工学院 建築学系
都市・環境学コース 博士後期課程3年
研究と仕事を両立していく先でより良いまちづくりに寄与していきたい
歴史的な町並みにおけるまちづくりを研究しています。実は修士のとき1年休学して島根県津和野町で町おこしに参加。その関係で3年前に個人事業主として起業し、研究を活かしつつ臨時職員として空き家対策を進めています。藤田先生は隠さず相談できる人。休学や起業の際も柔軟に対応していただきました。現場にも当然様々な意見があって、現場を知らない研究者とではまちづくりは上手く進みません。今後は研究と現場を知る第三者という立場から、より良い関係性をつくる役割が担えればと考えています。
焦鈺淇 Yuqi Jiao
環境・社会理工学院 建築学系
都市・環境学コース 博士後期課程2年
中国の海岸線からフィールドを広げ近代建築の研究者の道を進みたい
建築や歴史に興味があり中国から留学して来ました。研究テーマは私の出身地チンタオの都市型集合住宅です。中国人のためにドイツ人が建設し、後に日本人も建てたもので、3つの国が関わる建築文化の今後に興味を惹かれました。藤田先生を説得して行った現地調査では、意匠や構造の特徴を見分けたり3Dデータで分析したり非常に楽しかったです。研究テーマは与えられるのではなく自分で探すものという藤田先生の方針で、研究室の皆が別々のテーマに取り組んでいて面白いです。将来はチンタオから範囲を広げて研究を続け、国際的な遺産調査もしたいです。
本インタビューは東京工業大学のリアルを伝える情報誌「Tech Tech ~テクテク~ 37号(2020年3月)」に掲載されています。広報誌ページから過去に発行されたTech Techをご覧いただけます。
(2019年取材)