株式会社本田技術研究所 栃木研究所 上席研究員
1983年からF1開発チームに所属、88年のF1での16戦15勝の記録を頂点とする、世界のホンダF1参戦の歴史を支えたエンジン開発者。
1978年 東京工業大学工学部機械工学科卒業
 F1レースの勝敗は、8割がたマシンの性能が左右するという。F1マシンのエンジン開発者であった小川さんの使命は「勝つこと以外にありません」。レースを観戦していると勝敗の差は大きく見えるもの。しかしマシンの実力に大きな開きはなく、小さな技術の積み重ねの差が大きく映ってしまうのだ。週末に開催されるレースのため、過密で過酷なスケジュールの中、つねに最善、最適なものをギリギリまで追い求める作業が行われる。時にはマシンの不調に見舞われることもあるが、そのような不運な事態さえ、明日のレースで勝つための貴重なデータとなりうるという。データ解析はリアルタイムで行い、2日間の練習走行と本番のレース1日につきエンジンは毎日交換する。「ドライバーも含めたチーム力が勝負を決める。すべてに完璧が要求され、それが達成されなければ勝つことはできません」と小川さん。
 「仕事をしていてうれしかったことが二つあります。一つははじめてレースに勝ったとき。一瞬ではあったが、やっと自分の仕事が正しかったと証明されたと感じた」小川さんはいう。
 もうひとつは「はじめてゼロから設計図を起こしたとき」だ。すでに限界まで設計されているエンジンにさらなる改良を加え、スピード追求しなければならない。エンジンの寸法を大幅に変更する方針を立てた小川さんはアイデアが途切れるのを恐れ、ホテルに自らを閉じ込めたうえ、ひらめきをそのまま図面にした。できあがった設計図を見た担当者が「こんな部品は造れない」と嘆くほど、そのエンジンは斬新さと驚きに満ちていた。誰もが半信半疑のまま、小川アイデアはホンダエンジンとしてマシンに積み込まれた。1988年、そのエンジンがホンダに、いやF1の歴史に16戦15勝の奇跡を起こしたのだった。
「大学時代は野球で勝負にこだわっていました。取材を受けて、母校の野球部は頑張っているかな、と懐かしく思い出しました」