この講義は……
さまざまな生命現象に関する基礎的な理解を目的としています。
高校で生物学を学んでいない学生にもわかりやすい内容です。
左:藍藻の一種(1目盛り1mm)
上:夏のヒマラヤの「黒い氷河」
講義名
対象学年
基礎生物学B
1年生
生物は「暑さや寒さ」「水のあるなし」など、物理的な環境の制約を大きく受けています。でも逆に、生物も環境に大きな影響を与えているのです。
「生態系」では、生物と物理・化学環境が相互作用しています。
例として、氷河生態系の生き物の話をします。
日本には、雪山や雪渓の雪の上で生きている「雪虫」がいます。その様子を観察するうちに、「もしかすると、氷河期には雪虫は氷河に生息していたのかもしれない」と思うようになりました。当時は、氷河に生物がいるとは考えられておらず、ヒマラヤに行って調査することにしました。
ヒョウガユスリカ
ヒマラヤでは、「ヒョウガユスリカ」という氷河の上で一生を送る昆虫を発見しました。羽が退化し、飛ぶことができません。-15℃くらいでも活動しますが、手のひらで温めると暑くて動かなくなってしまいます。
ヒョウガユスリカのメスは、産卵期になると氷河の表面に出て、ある方向を目指して歩いて行きます。観察を続けると、氷河の上流を目指していることがわかりました。
氷河は、固体である氷が圧力を受けることで、液体のように常に上流から下流へ動いています。一生のほとんどを氷のすき間で過ごすヒョウガユスリカにとっては、ベルトコンベヤーに乗っているようなもの。産卵期に上流に移動しないと、いつか氷河から出てしまいます。
ではヒョウガユスリカは、いったい何を食べているのでしょう。
ヒョウガユスリカの幼虫は、氷河の積雪の下にある泥の中に生息しています。この泥を顕微鏡で観察すると、藍藻(らんそう)の一種でした。ヒョウガユスリカはこれを食べていたのです。
次にヒマラヤの氷河上流に行き、2メートルくらいの穴を掘って断面を観察してみました。「汚れ層」と呼ばれる黒い層の氷を割ってみると、中にトビムシが生息していました。また、汚れ層を顕微鏡でよく観察すると、ここにも藻類(そうるい)が生えていることがわかりました。
こうした氷河に生息する藻類やバクテリアなどを「雪氷(せっぴょう)微生物」と呼びます。
氷河の構造
Point
氷河にも、光合成をする生物と
それを食べる生物がいる!
上の写真は、夏のヒマラヤの氷河です。氷河の下流部分が真っ黒に染まっています。
氷河の表面で増殖する雪氷微生物が形成する黒い汚れと、上流で汚れ層になっていた昔の雪氷微生物が形成した汚れが、氷河の流れによって下流部分で濃縮されることで、氷河が黒くなるのです。
実は夏のヒマラヤの氷河が黒いことは、ほとんど知られていませんでした。夏は悪天候が続くため登山者もなく、雲が多くて地表を上空から撮影することもできないからです。
そして黒い氷河は、太陽の光を吸収するため、非常に融けやすくなっています。
表面の雪氷微生物を取り除いて白くした部分と、黒い部分とを比べると、黒い部分は約3倍くらい早く融けることがわかりました。
このことには、とても大きな意味があります。雪氷微生物がいなかったら、氷河はもっと大きくなっていたはずだからです。
表面の雪氷微生物を除いて融け方を比較
汚れ層が見える、夏のヒマラヤの氷河下流
パタゴニアの氷河昆虫
緑藻の一種
では、他の地域の氷河はどうでしょう。
パタゴニアの氷河は真っ白ですが、たくさんの虫が動き回っていました。ここでは、赤い色素を持つ緑藻(りょくそう)の一種をトビムシが食べ、さらにそれをカワゲラの仲間が食べています。
アラスカでは、雪の中のプランクトンが大量発生することで、氷河の一面が赤く染まる「赤雪」と呼ばれる現象が見られます。これは雪の赤潮状態です。その赤雪をたくさんのコオリミミズが食べています。
赤潮でない正常な海にもたくさんのプランクトンがいるように、白い雪や氷河にもプランクトンがいるのです。
そして「虫のエサになる雪氷微生物の違いで、氷河の色が変わり、氷河の融け方が変わってしまう」ことがわかりました。
雪氷微生物と氷河の汚れの色との関係は、まだ仮説の段階ですが、黒いものは藍藻と腐植と呼ばれる黒い有機物を多く含み、赤いものは紫外線から核を守るために、赤い色素を持つ緑藻を多く含むのだと考えています。
Point
雪氷微生物が、氷河の融け方を変える
アラスカの「赤い氷河」
パタゴニアの「白い氷河」
アイスコアの切り出し
アイスコアの層の状態
さて、氷河上流では、ドリルで柱のような形の氷(アイスコア)を切り出して分析します。上流では氷がほとんど融けないため、アイスコアには過去の雪と空気がそのまま保存されており、雪氷微生物も含まれています。
雪氷微生物が多い部分は融解のある夏期、少ないところは冬期。ちょうど木の年輪のように、何年前の氷の層かがわかります。
寒冷な極地のアイスコアでは、氷の中の酸素同位体を測定すると、夏期は重い酸素、冬期は軽い酸素が多く見られます。しかし、ほとんどの氷河では融解水がしみ込むため、このような季節変化が乱され、時代特定がしにくくなります。ところが、生物の分布を使えば、古い時代の環境情報を得ることができます。
アルタイ山脈のアイスコア 酸素同位体比と雪氷微生物の量
北極のアイスコアを調べたところ、約100メートルの深さから、現在は下流部にのみ分布する藻類が見つかりました。現在の標高2000メートル地点は、約6000年前には、現在の氷河の下流のような温暖な気候だったことがわかります。
グリーンランドは、南極の次に大きい氷のかたまりですが、南極に比べ緯度が低く氷が融けやすいため、地球温暖化の影響を大きく受けるところです。
さらに、グリーンランドには「黒い氷河」と「赤い氷河」の2種類が分布しています。
黒と赤の雪氷微生物の分布にどのような環境条件が関係しているのか、まだよくわかっていません。温暖化が進んだとき、黒い氷河の部分が拡大して、より氷河の融解が進むのか? それとも、逆に縮小して融解にブレーキがかかるのか?
いずれにしても、海面の上昇など、地球温暖化による環境変動の予測には、気温などの物理的な過程に、生物的な過程も加味して考える必要があるのです。
Point
地球環境変動の予測は、両方併せて考える必要あり。
グリーンランドの地図と黒色・赤色氷河の分布
幸島 司郎
Shiro Kohshima
東京工業大学 大学院生命理工学研究科
生体システム専攻 准教授
グリーンランドに行く準備で、大忙しの幸島先生。雪氷生物学の他、東工大をねぐらにしている「ワカケホンセイインコ」の研究もしています。
詳しくは、幸島研究室ホームページをご覧ください。
http://www.ecology.bio.titech.ac.jp/index.html
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