研究

半導体のパラダイムシフトを起こす「スピントロニクス」に賭ける ― ファム・ナム・ハイ

半導体のパラダイムシフトを起こす「スピントロニクス」に賭ける 工学院 電気電子系 准教授 ファム・ナム・ハイ

vol.24

工学院 電気電子系 准教授ファム・ナム・ハイ(PHAM NAM HAI)

磁性を持つ半導体デバイスの可能性

ファム・ナム・ハイ准教授

「既存の半導体デバイスは、技術革新がそろそろ限界に近づきつつあります。そこで、注目されているのがスピントロニクスと呼ばれる技術です。スピントロニクスはスピンとエレクトロニクスを組み合わせた造語で、電子のスピン(回転)※1を利用した強磁性体とエレクトロニクス技術を利用した半導体の2つの特徴を融合させる研究分野です。スピントロニクスにより、これまでの半導体の限界を超えた新しい半導体デバイスを実現できると考えています」

ベトナム、ホーチミン出身のファム・ナム・ハイは、流暢な日本語で語り始めた。

半導体とは、シリコンのように通常の状態では電気を通さない物質に不純物を加えることにより、一定の電気を通すようになる物質であり、コンピュータの集積回路や光通信素子などに利用されている。一方、磁性体とは、電子が回転(スピン)することにより磁力が生まれる性質を利用したものである。とくに、隣り合うスピンが同一の方向を向いて整列し全体として大きな磁力を持つ物質を強磁性体と呼ぶ。その機能を応用したのがハードディスクなどの情報記録媒体で、電力がなくても情報が失われない不揮発性という特徴を持つ。

「電子回路を制御する半導体は、導体と絶縁体の中間的な性質を持つ物質で、その性質を活かすことで電流の流れを止めたり流したりと、スイッチの役割を果たしています。一方、記録媒体としては遷移金属の鉄、コバルト、ニッケルなどの導体が利用されていますが、それらの導体では電子のスピンによる強い磁力が特徴です。つまり、情報を処理する電子回路と記録する媒体は、材料の観点からしてまったく別の世界だと言えます。この性質の異なる2つの媒体を融合させるために、半導体を構成している原子の一部を、磁気モーメント※2を持つ原子で置き換えることで強磁性を持たせるのが、強磁性半導体、すなわち半導体スピントロニクスです。もし強磁性半導体が実用化されれば、半導体と記録媒体で別れているデバイスの構造が根本から変わり、高性能かつ省電力な新しいデバイスにより、様々な応用分野が広がります。」

図1. 半導体スピントロニクスは半導体技術とスピントロニクス技術を融合した新しい分野
図1. 半導体スピントロニクスは半導体技術とスピントロニクス技術を融合した新しい分野

半導体スピントロニクス実現を阻む3つの壁

半導体スピントロニクスは1980年代末から研究が始まり、大きな期待のもと数多くの研究者が取り組んだ分野だった。この頃、半導体にマンガン(Mn)を加えることにより強磁性半導体ができることが分かり、一気に注目されるようになった。しかしファムが取り組み始めた2010年には、技術的、理論的に3つの大きな壁に阻まれており、研究は停滞していた。壁の1つ目は強磁性が発現するためのキュリー温度※3。強磁性半導体を作れたとしても、強磁性が発現する温度は約マイナス100度以下の極低温と、室温では強磁性の実現が難しかった。2つ目はn型とp型がある半導体※4のうち、マンガンを使ってp型強磁性半導体はできたが、n型強磁性半導体を作ることができなかった。その結果、最も簡単な半導体デバイスであるダイオードでさえ作ることができないという、材料としての問題があった。3つ目は、強磁性半導体の標準理論として信じられた理論モデル自体が、すべての事象を説明しきれてないのでは、という疑問が生まれつつあったことだ。

「多くの研究者があきらめていたからこそ、チャンスだと思いました。私はそれまで違う研究を行っていたこともあって、半導体スピントロニクスの研究者たちが抱えていた固定概念にとらわれていませんでした。客観的な視点からなぜn型ではできないのか理論を考え直し、研究を始めました。」

この言葉こそが、ファムの真骨頂だ。

「半導体を研究していた立場から、標準理論に手直しが必要なことは分かっていました。そこで3つの問題点をすべて解決するための設計論を考え、研究を開始しました。そして2012年に、当時理論的に存在しなかった強磁性n型半導体を実現したのです。」

際限のない実験の繰り返しから生まれた設計論

ファム・ナム・ハイ准教授

「2010年当時、n型半導体に強磁性を持たせようとする研究では磁性元素としてマンガンではなくて鉄に着目しました。鉄は半導体に添加しても、電気的に中性のため、マンガンで問題となる正孔の大量発生を抑えることができました。InAs半導体※5に鉄を数パーセント添加した結果、これまでp型でしか見られなかった強磁性がn型でも生じることが分かりました。」

もちろん、その過程では際限ないほどに実験が繰り返された。だが不思議なことに、ファムの話ぶりを聞いていると、いとも簡単に壁を超えたように感じられる。

「それまでの半導体の研究から、私には新しい設計論を打ち立てられるという直感がありました。信念を持って実験を繰り返すことで、必ずできると信じていました。半導体には、人工的に鉄の磁性原子を数パーセント加えると、うまくいけば強磁性半導体ができますが、失敗すると半導体の中に微小な金属の塊ができてしまいます。実は私の博士論文は、半導体の中にわざと金属の微粒子を発生させるという、“失敗作”のほうを研究した内容でした。その過程で“失敗作”ができる条件とその特性を熟知していたからこそ、逆に強磁性半導体を必ず作ることができると確信していたのです。」

2012年に発表した論文は、標準理論を覆すセンセーショナルな内容であったことから、多くの異論が出て当初は誰からも認められなかった。しかしファムはあきらめることなく、実験を繰り返して結果を積み重ね、自身の理論こそが正しいことを実証してきた。

「かつては極低温でしか動作が確認できなかった強磁性半導体も、現在は室温で動かせるようになりました。その結果、トランジスタやセンサーなどデバイスに実装できる段階に入っています。実際に熱を発生するコンピュータで使えるようにするには、室温よりも100度高い熱に耐えられるものを作らなければなりません。しかし2010年の段階では、まさかここまでたどり着けるとは誰も思っていなかった技術です。今後、実用化を目指して、これまでにない機能を持つ小型で省電力なコンピュータが生まれると期待します。」

図2. 強磁性半導体の接合を用いたスピントランジスタ
図2. 強磁性半導体の接合を用いたスピントランジスタ

基礎研究の厚みは日本の大学の強み

日本で研究を続けるファムが母国を離れ日本へやってきたのは、ベトナム、ホーチミンの高校を卒業した1999年のことであった。一般的に、海外の学生が留学先として日本を選ぶ際、大きなネックとなるのは言葉、つまり日本語だ。欧米だけでなく、アジアでも急速にレベルを上げているシンガポールや香港の大学など、英語で研究ができる留学先は多い。もともとファムも英語を話すことはできたが、日本語は話せなかった。

「日本語は勉強していなかったのですが、かつてベトナム語でも漢字が使われていた影響で、私は漢字を見ればおおよその意味を理解することはできましたし、日本語を学ぶことは大きな問題ではありませんでした。それよりも物理が好きで、先端的な研究をしたいという思いが強かった。留学先候補にはフランスやオーストラリアの大学もありましたが、身近に性能の良い日本の電化製品があり、テクノロジーの分野は日本が進んでいるイメージが強く、日本に行けば高いレベルで学ぶことができるのではという期待が大きかったんです。特に物理の基礎研究の分野では、日本は明治維新以降100年にわたる研究の積み重ねがあります。アジアの大学も急速に伸びていますが、基礎研究の厚みや学生への教育システムという面では、日本の大学にアドバンテージがあると思います。」

ストレスの発散は実験装置の自作

ファムが取り組んできた半導体の分野は、材料を原子レベルで扱う実験が欠かせないため、ファムの実験室には大掛かりな装置が据え付けられている。こうした研究環境の面でも、日本は先端研究に適しているという。

「実験的な研究を繰り返すため、どうしても大掛かりな装置が必要になり、費用もかかります。その点、日本の大学ならすぐにメーカーと新しい装置を作る相談もできますし、私の場合、部品を買ってきて学生とともに自分たちで実験装置を作ることもできるので、予算を抑えられるというメリットもあります。」

実はファムにとっては実験装置を設計し、自作することがストレスの発散にもなっている。実験にどんなスペックが必要かを考えて設計し、学生と一緒に装置を組み上げていく。それこそが研究で息詰まった時などの気分転換になっているそうだ。ベトナムから日本に来て18年、様々なことに挑戦し壁を乗り越えてきたファムがこれからの学生への期待を語る。

「東工大をはじめ、日本には優秀な学生がたくさんいます。だからこそ、私自身がやってきたように、もっと自分を表現する力を磨き、自分の信念を強く持って、正しい方向で研究を続ければ、よりレベルの高い研究者になれるはずです。その時はきっと高い英語力が必要になるので、研究をする中でできるだけ英語を使うことを心がけてほしいです。一方、ベトナムはいま経済的には発展を続けていますが、まだ十分な人材がいません。だから私は帰国する度に優秀な学生に声をかけ、日本で研究することを勧めています。そうやって日本とベトナムの橋渡しになることが、私が研究以外で両国に貢献できるもう1つの重要な役割だと思っています。」

※1 電子のスピン

地球の自転と同様に電子には自転に伴う特有な角運動量(運動量×距離で計算される)を持っている。この角運動量に応じてその回転軸に沿った磁力が発生する。

※2 磁気モーメント

磁力の大きさとその向きを表すベクトル量。

※3 キュリー温度

その温度以上で強磁性の性質が失われる温度。

※4 n型とp型がある半導体

III-V族半導体には、電子を余分にもったSiなどの不純物を加えて、自由に動き回る電子によって電気を通すn型半導体と、電子の少ないBeなどの不純物を加えて、電子が足りない穴(正孔)が電子の代わりの働きをするp型半導体がある。p型強磁性半導体しか作れなかったのは、多くの研究者が半導体に添加する磁性元素としてマンガンにこだわったためである。マンガン原子が半導体に磁気モーメントと同時に正孔も大量に提供するためである。

※5 InAs半導体

電子の移動度(動きやすさ)が高い半導体。磁気センサーや赤外線センサーの材料として使われる。

ファム・ナム・ハイ准教授

ファム・ナム・ハイ(PHAM NAM HAI)

工学院 電気電子系 准教授

  • 2009年3月東京大学 大学院工学系研究科 電子工学専攻 博士課程 修了
  • 2009年4月東京大学 大学院工学系研究科 電気系工学専攻 特任研究員
  • 2010年4月東京大学 大学院工学系研究科 電気系工学専攻 特任助教
  • 2012年4月東京大学 大学院工学系研究科 電気系工学専攻 主任研究員
  • 2014年5月東京工業大学 理工学系研究科 電子物理工学専攻 准教授
  • 2016年4月東京工業大学 工学院 准教授(改組)
    東京大学 工学系研究科・スピントロニクス学術連携研究教育センター 客員准教授(兼任)

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2017年3月掲載