研究

顔 東工大の研究者たち Vol.6 高安美佐子

未来の人間社会を豊かにする「フラクタル」 領域を超えて展開するフラクタル現象学 高安 美佐子 大学院総合理工学研究科 知能システム科学専攻 准教授

未知の学問に魅せられて

「見てください。きれいな模様でしょう!これもフラクタルなんです。」

板の上に歯磨き粉を出して、もう1枚の板で挟み、ゆっくりと剥がし始めると、そこにみごとな樹枝状の模様が姿を現した。「子どもがスポンジにクレンザーをつけてお風呂掃除をしていたときに、同じような形を偶然発見し、それを再現する簡単な実験を思いついたんです。」と笑顔を見せながら語る高安。日常の中にも目を光らせ、楽しく研究を進める彼女の生き方が伝わってきた。

フラクタル(fractal)とは、フランスの数学者ベノワ・マンデルブロが導入した幾何学の概念で、一部分を抜き出しても全体と似た形になる「自己相似性」を示すものをいう。例えば、リアス式海岸線は、地図で見ると複雑に入り組んだ形状をしているが、その一部を拡大してみても、同じように複雑な形をしている。その複雑さの度合いは、フラクタル次元という量を通して数値化することができる。

高安がフラクタルと出合ったのは、名古屋大学に入学した1983年。このフラクタルという概念、当時は複雑系科学としてカオスとともに脚光を浴び始めた時期であり、日本ではまだ本格的な研究は進められていなかった。教養の授業以外に、何か最先端の研究に触れてみたいと思っていた矢先のことだった。

「大学に入学した年の夏、フィールズ賞[用語1]を受賞した数学者、広中平祐先生主催の「数理の翼」というセミナーに参加したのですが、そこでマンデルブロの『フラクタル幾何学』という本をセミナー参加者の有志で翻訳することになったんです。まだ研究者も原文でしか読んでいない書物を翻訳し、自分たちで日本語版を作る。最先端の研究に学生でも寄与できるんだと興奮したのを覚えています。」と振り返る高安。その後、名古屋大学の学生で立ち上げた自主研究ゼミ「フラクタル研究会」が、フラクタル研究を始めるきっかけとなった。

フラクタルはシステムの効率を最大にする

名古屋大学の物理学科では、最もフラクタルに近い分野の研究をしている物性物理学の研究室で統計物理学を学び、その後、進学した神戸大学大学院では、フラクタルと統計物理学の交差点である注入凝集系[用語2]の研究に取り組んだ。最近よく耳にするPM2.5などの大気中を漂う微粒子(エアロゾル)の大きさの分布が、なぜフラクタル性を有するベキ分布[用語3]にしたがっているのか、ということに答えるような研究だ。

また、大学院在学中には、フラクタルの生みの親であるマンデルブロの在籍していた米国エール大学や、統計物理学の大御所的存在であるスタンレーのいるボストン大学に客員研究員として長期滞在する機会を得た。そのときのいろいろな経験が学位論文に様々なヒントを与えてくれた。当時、なぜ自然界にはフラクタルがいたるところにあるのか、ということがホットな話題となっており、自動的にフラクタル的な状態を維持するようなシステムの研究が重要だということに気づき、研究の焦点をそこに絞ったのである。

学位取得後、東北大学、慶應義塾大学、はこだて未来大学では、自動車の渋滞現象、そして、インターネットを流れるパケットの渋滞現象についての研究を推進した。自動車の渋滞現象に関する統計物理学的なモデルを開発したのは、家族旅行の最中に大きな渋滞に巻き込まれた時だったという。「そもそもなぜ渋滞は起こるんだろう?」という疑問がきっかけになり、家族で議論しているうちに、車はブレーキを踏むとすぐに止まるが、アクセルを踏んでもなかなか加速しない、その加速と減速の非対称性が渋滞を生み出す本質ではないかと気付いた。旅行が終わって自宅に戻ったときには、モデルはすっかり頭の中にできていたという。

しばらくして、情報科学の専門家と話をする機会があり、インターネットの中のパケットは高速道路の車のようなものだという話を聞いて、それならインターネットの渋滞も研究テーマになると考えた。そして、パケット密度の低い非渋滞状態と密度の高い渋滞状態のちょうど境目の臨界状態が最も流量が多く、しかも、そこではフラクタル的に流量が変動することを、モデル解析と実測によって明らかにした。「ゆらぎは制御にとっての邪魔者というのが常識ですが、ゆらぎをフラクタル的に制御すれば効率が高くなるなら、自然界にも生体にも、そして、社会にもフラクタルがあまねく存在していることを合理的に理解できるかもしれない。」と高安はいう。

ビッグデータの解析から社会貢献につなげる

21世紀に入り、「ビッグデータ」と呼ばれる膨大な情報の蓄積によって、研究対象が一気に広がった。例えば、金融市場や企業間取引、POS、ツイッターやブログなどのソーシャルメディアなどの経済や社会現象は、サンプル数の多さも手伝って、構造や相関関係が見えやすい。現在、高安の研究室ではこうしたさまざまなビッグデータに関連した現象を、フラクタルの視点や統計物理学によりモデル化することに力を注いでいる。

例えば、日本企業約100万社の取引ネットワークに関する膨大なデータをコンピュータで解析していくと、「スケールフリー性」とよばれる特性が浮かび上がってくる。これは、取引企業数がベキ分布に従うというフラクタル性を意味する。高安は、大気中のエアロゾルがベキ分布にしたがうことをヒントに、注入凝集現象の理論解析を応用し、新規参入、買収・合併、倒産を考慮した企業のネットワークの数理モデルを提案し、それがスケールフリー性を持つ定常状態に自動的に収束する特性があることを証明した。また、金融市場における価格変動に関しては、フラクタル的な特性とそこからの乖離に関する研究を続けており、研究室で開発した市場の安定性を定量化する手法はすでに金融の現場でも使われている。また、ブログなどの解析においては、数百万人の人間が毎日書き込んだ文字列の中から、例えば「クリスマス」や「津波」などのキーワードの出現数を解析している。ひとりひとりの人間の行動を予測することは困難だが、社会全体となるとひとつのイベントやアクシデントへの関心の高まりや収束に至る反応を、時間に関するベキ乗の関数として表わせることを見出した。これを応用すると、「10年後、どれくらいの人が津波に関心を持っているか」を推定することもできるという。

「今後、様々な分野で観測が進めば、社会現象ばかりでなく、生態系などの解明にもフラクタルや統計物理学が役立てられるでしょう。」と話す高安。経済データやブログ解析などでは、すでに企業とのコラボレーションを行うなど、学問の領域を超えた実務レベルの共同研究を進めている。近い将来、自分達で発見し開発した技術が実用化され、企業の活性化や安全安心な社会の構築に貢献することが、高安や学生たちの目標だ。

「新しいことに挑戦する時は、困難はつきものです。大発見だと思ってまとめた論文が査読にも回らず、門前払いされたことも何度かあります。マンデルブロも「フラクタル」という言葉が受け入れられるようになるまではすごく苦労をしたそうです。今は非常識と考えられていても、未来には常識に変わるかもしれない。その日を夢みて自分の信じることを追求してほしいですね。」未来の科学者たちに向けて高安はこう話す。

「普段の生活の中や何気ない人との会話の中にも研究の種は潜んでいます。おもしろいと思ったことを自分なりに徹底的に考え、恥ずかしがらずに質問することが大切です。」

用語説明

[用語1] フィールズ賞 : 4年に一度、顕著な業績をあげた若手数学研究者に授与される賞。数学に関するものでは最高の権威を有する。

[用語2] 注入凝集系 : 沢山の粒子が大気中をふらふらと浮遊していて、粒子同士が衝突すると合体(凝集)するようなシステム。
一般には、十分に時間が経過した後には、すべての粒子が合体してしまう。しかし、常に新たな微粒子が系に注入される場合(埃や工場からの排煙など)、粒子の大きさ分布がベキ分布となることが知られている。

[用語3] ベキ分布 : ベキ分布とは、確率変数のべき乗で記述される確率分布。月のクレーターの大きさ、河川の流域面積、所得の分布など、何桁ものスケールの異なるのもの分布として自然現象、社会現象でよく観測される。大部分が小さな大きさのものだが、少数の桁違いに大きいものが、全体の大部分の大きさを占有する。
ベキ分布の研究は、フラクタルの研究によって発展した。

高安美佐子 准教授

高安 美佐子 (Misako Takayasu)

大学院総合理工学研究科 知能システム科学専攻 准教授

  • 1987名古屋大学 理学部 物理学科 卒業
  • 1993神戸大学大学院 自然科学研究科 物質科学専攻 博士(理学)
  • 1993日本学術振興会特別研究員 (東北大学)
  • 1997慶應義塾大学 理工学部 助手
  • 2000公立はこだて未来大学 システム情報科学部 助教授
  • 2004東京工業大学 大学院総合理工学研究科 助教授
  • 2007東京工業大学 大学院総合理工学研究科 准教授

2014年1月掲載