研究
研究
vol. 40
物質理工学院 応用化学系 教授
エネルギー・情報卓越教育院 教育院長
伊原学(Manabu Ihara)
2020年10月26日、菅義偉首相は国会の所信表明演説で、「国内におけるCO2などの温室効果ガスの排出を2050年までに全体としてゼロにする」と宣言した。また、続けて「もはや、温暖化への対応は経済成長の制約ではない。積極的に温暖化対策を行うことが、産業構造や経済社会の変革をもたらし、大きな成長につながる」と述べている。
まさに、この実現を目指しているのが、長年、環境エネルギー分野の研究に携わってきた物質理工学院 応用化学系の伊原学教授だ。東工大は70名を超える環境・エネルギー関連の研究者を擁している。伊原は、これらの研究者を代表し、ビッグデータ科学とエネルギーにまたがる研究・教育を強化するコンソーシアム「InfoSyEnergy(インフォシナジー)」を2019年11月に始動させた。そのゴールは地球温暖化防止と経済活性化を両立する、持続可能なエネルギー社会(=アンビエント・エネルギー社会)の実現だ。
菅首相の温室効果ガス排出量実質ゼロの表明に対し、伊原はこう意気込む。「歓迎すべき目標です。今後さらに持続可能なエネルギーシステムへの転換が加速していくことでしょう。大学の果たすべき役割は大きく、企業にとっても大きなビジネスチャンスとなります。この課題に産学連携で挑戦していきます」
東工大の大岡山キャンパスには、東急大井町線沿いに、4,570枚もの太陽光パネルに一面覆われたひときわ目を引く建物がある。これは2012年に竣工した研究棟「環境エネルギーイノベーション(EEI)棟」だ。EEI棟では、太陽電池などの再生可能エネルギー(以下、再エネ)を最大導入し、燃料電池、ガスエンジン、リチウムイオン蓄電池などを統合的に制御することで、電力をほぼ自給自足している。さらに、EEI棟でのエネルギー機器に関するデータをすべて収集して制御するスマートエネルギーシステム「Ene-Swallow(エネスワロー)」も装備する。それにより、エネルギーを効率良く利用できるため、同規模の研究棟と比べCO2排出量の60%以上削減に成功している。この開発を手掛けたのが、伊原である。
現在、伊原が研究室で取り組んでいるテーマは、次の3つだ。1つ目は次世代太陽電池の開発、2つ目は水素製造技術である水電解セルの開発と水素を使った燃料電池の開発、そして、3つ目は様々なエネルギーデバイスを統合的に制御する新たなスマートエネルギーシステムの開発だ。
まず、1つ目の次世代太陽電池の開発では、ペロブスカイト太陽電池と呼ばれる次世代太陽電池とシリコン太陽電池の二重構造(タンデム構造)にすることで、電気への変換効率のさらなる向上を図り、33%超の変換効率を目指している。これは現在のシリコン太陽電池モジュールの最高変換効率約20%を超える。
また、CO2排出量削減に向けては、再エネの導入が欠かせない。しかしそのためには、発電した電気を蓄えたり、輸送する技術が不可欠だ。そこで、伊原が2つ目のテーマとして注力しているのが水素エネルギー活用技術の開発だ。
「長期間にわたり、大量のエネルギーを蓄えるという点で水素は最適な物質です。また、電気エネルギーを水素に変換することで、生産地から消費地へのエネルギーの輸送が可能となります。電気エネルギーから水素を製造する方法としては、水の電気分解セル(水電解セル)があり、そして高効率に水素から電気エネルギーに変換する方法に燃料電池があります。しかしそれらの社会実装には、高効率化などによる低コスト化が必要です。それに対し、私の研究室では、高温で動作し、反応速度やイオン伝導が速い固体酸化物、電極や電解質、そして独自の運転方法を開発。それにより、水素の製造コストや発電コストを総合的に低減することを目指しています」
そして、3つ目の新たなスマートエネルギーシステムの開発では、エネスワローに代わる次世代エネスワローとして、「系統協調/分散リアルタイムエネルギーシステム」を開発中だ。後述する東工大インフォシナジー研究/教育コンソーシアムの教員、企業と協力して5年後の完成を目指す。
現在、EEI棟では、エネスワローにより、1秒~1分の間に約8,000ものデータを取得している。今後はEEI棟だけでなく、大岡山キャンパス全体に次世代エネスワローを導入し、そこに、燃料電池や電気自動車など様々なエネルギーデバイスを接続できるようにし、データを取得していく。そのビッグデータをAIを使って解析することで、各機器の高精度な制御や、電力の高精度需要予測を実現しようというのだ。再エネの導入拡大には、このシステム開発と社会実装によって、再エネの変動を調整できる信頼性の高い調整電力を、現在整備の進む電力市場に供給することが不可欠だと伊原は語る。さらに、このシステムを使ったエネルギー研究者がデータを共通化できる「エネルギー情報プラットフォーム」も構築する計画だ。
「エネルギーシステムは、産業や市民生活に直結しています。次世代エネルギーシステムの設計に当たっては、我々は今後、どのような社会を目指すべきか、そのためにはどのようなステップを踏んで、どのような課題をクリアしていかなければならないのかを明確化し、それを広く社会と共有していく必要があります。また、地球温暖化防止と経済性の両立(アンビエント・エネルギー社会)は1つの大学や1つの企業、1つの国だけで解決できる問題ではありません。世界中の大学や研究機関、企業と強固に連携していくことが重要です」
そこで、2019年11月、伊原が中心となり東工大内に新たな組織を設置した。研究と教育のコンソーシアム「インフォシナジー」だ。現在、コンソーシアムには、東工大の全学からエネルギー関連の70名以上の教授/准教授が参画しているほか、国内外から16大学、25社の企業などが連携しており、学生も含めると約1,000人が9つの研究テーマに取り組んでいることになる。
コンソーシアムの目指すべき未来社会として、伊原は「アンビエント・エネルギー社会」を提唱する。これは、再エネを中心とするエネルギーを、IoT、ICTおよびビッグデータのAI解析などによって賢く利用したり、多彩なサービスを創出したりすることで、エネルギーコストやCO2排出といったエネルギー利用の制約から解放された人間中心のエネルギー社会と定義している。すなわち過剰な意識やストレスを感じずにエネルギーをごく自然に使える(=アンビエント)社会のことだ。
「次世代エネルギー社会を実現する上では、CO2排出量削減と経済活動の両立が不可欠です。AIを使ったビッグデータ解析によるシステムの様々なスケールの最適化技術(マルチスケール-エネルギー最適化技術)と高精度かつ汎用的なエネルギー予測(知識の構造化/AI融合エネルギー予測)によるエネルギーマネジメントにより、分散エネルギーシステムの経済的優位性を高めつつ、電力市場に系統を安定化させる調整電力を供給することで、自律・分散・協調的なエネルギー社会へのボトムアップな転換を推進できます。さらに、収集したデータを基に、画期的なサービスが生まれれば、新たな価値によって、エネルギーシステム転換の社会的コストの創出も期待できます。例えば、宅急便の荷物を配送する際に、エネルギーコストが最も低い経路を算出できれば、そのデータはビジネスになります。すなわち、エネルギー利用の最適化を図るデータには、省エネという観点だけではなく、ビジネスとして大きなチャンスがあると言っても過言ではありません。これが本当の意味での持続可能性だと思います。このような社会を実現するまでには、まだ時間がかかりますが、強い信念をもって挑戦していきたいですね。そのために、今まさに、研究者や技術者は最善を尽くすべきときなのです」
東工大インフォシナジー研究/教育コンソーシアムと協業して、人材育成にも注力している。本学では、修士/博士一貫でエネルギー人材を育成する文科省プログラムの一環として「エネルギー・情報卓越教育院」を2020年12月1日に創設し、伊原は教育院長を務めている。その狙いは、多元的にエネルギー分野を見ることができる「マルチスコープ・エネルギー卓越人材」の育成だ。具体的には専門分野を効率良く、横断的に学習するための「多元的エネルギー学理スコープ」、ビッグデータの規則性から学理を導く「ビッグデータ科学スコープ」、未来のエネルギー社会をデザインできる「社会構想スコープ」の3つのスコープ力を養っていく。伊原は「マルチスコープ人材の輩出は、世界トップレベルの総合理工系大学を目指す東工大の役割であると考えています」と語る。
そんな伊原が、未来を担う若者たちに向けメッセージを送る。「私は博士課程修了後、地球環境工学講座の助手(現在の助教)となったことをきっかけに、特に地球温暖化を抑制する「エネルギー変換研究」に興味と重要性を感じ、自分が取り組むべき一生の研究テーマにすることを決めました。当時、社会は地球温暖化には懐疑的でしたが、私は自身の考察とその直感を信じたのです。ですから、未来を担う若い人たちには、勇気を持って、新しい研究分野を開拓する研究を目指してほしいと思います。分野を開拓する研究の推進には、学理に基づく論理的考察と情熱が必要です。特に研究者を目指す若い人には、学理の習得とともに、心底楽しい、必要だ、と思えるような研究テーマを見つけてほしいと願っています」
伊原学(Manabu Ihara)
物質理工学院 応用化学系 教授
エネルギー・情報卓越教育院 教育院長
スペシャルトピックスでは本学の教育研究の取組や人物、ニュース、イベントなど旬な話題を定期的な読み物としてピックアップしています。SPECIAL TOPICS GALLERY から過去のすべての記事をご覧いただけます。
2021年2月掲載