東工大ニュース
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公開日:2016.01.15
国立大学法人筑波大学 体育系 高木英樹教授、国立大学法人東京工業大学 大学院情報理工学研究科 中島求教授らの研究グループは、最先端の流体計測解析技術をヒトの水泳運動、特にクロール泳に適用し、最適なクロール泳法の探究とそのメカニズムの解明に取り組みました。
競泳界では長年にわたって、曲線的に水をかく(S字)のと、直線的に水をかく(I字)のとでは、どちらが速く泳げるのか、論争が続いてきました。本研究では、水泳の流体力学に関する、国内外の最新の計測・解析データから、最適なクロール泳法について多角的に議論しました。
結果として、中長距離で効率(より少ない身体発揮パワーで推進力を得る)が求められる状況では、S字でかいた方が良く、短距離で効率より速度が重視される場合にはI字でかいた方が良いとする見解が得られました。また、2つの泳法は推進力発揮メカニズムが異なり、S字ストロークでは手の向きが変わる局面において、渦対の発生により非定常揚力が発揮され、I字ストロークでは、直線的に移動する局面において、カルマン渦の放出により抗力が発生することが明らかとなりました。
本研究により、2つのストロークパターンに関して、特に渦の発生過程の違いがそれぞれの推進力発生メカニズムに大きく影響していることが世界で初めて明らかになりました。渦の発生等により瞬間的に発生する力は非定常流体力と呼ばれ、昆虫や鳥類の飛翔研究においてそのメカニズムが解明されてきましたが、ヒトの水泳運動においても同様の現象が出現することは、これまでの準定常状態を想定した推進理論と大きく異なるもので、重要な発見と位置づけられます。
なお、本論文は、高木英樹(筑波大学)、中島求(東京工業大学)、佐藤陽平(ポール・シェレール研究所・スイス)、松内一雄(筑波大学名誉教授)、ロス・サンダース(シドニー大学・オーストラリア)の共同執筆論文であり、2015年12月23日付「Journal of Sports Sciences」でオンライン公開されました。
2016年開催のリオ・デ・ジャネイロ五輪に向けて、各種目で予選競技会が開催されています。中でも競泳は日本のお家芸とも言え、オリンピックや世界水泳においてこれまでに多くのメダルを獲得しています。体格やパワーに劣る日本人が、なぜ海外の大型スイマーと伍して戦えるのかについては、水中という特殊な環境要因が影響しています。陸上では地面をある力で蹴ると、その力とほぼ同様の反作用が働き、身体を動かす原動力となりますが、水中では、どんなに力強く水をかいても、かき方が悪いと、いわゆる「のれんに腕押し」状態となり、思うような反力が得られません。そのため、身長や筋力で劣っていても、「水をつかむ」技術が優れていれば、日本人が海外の大型スイマーに勝てる可能性があるのです。
しかし、どうやって水をかけば効率よく推進力が得られるのでしょうか?長年に渡る研究にも関わらず、未だ結論は出ていません。特に、S字を描くように曲線的に水をかくのと、I字を描くように直線的に水をかくのとではどちらが有利なのか、現在でも論争が続いています。
そこで本研究では、水泳の流体力学的分野において、それぞれに先端的手法を用いて研究に取り組む以下の5名の研究者が最新の研究成果を持ち寄り、論議を重ねることによって、最適泳法の探求とそのメカニズムの解明に取り組みました。1)高木英樹(筑波大学):人体圧力分布計測、2)中島求(東京工業大学):ロボットおよび人体シミュレーション、3)佐藤陽平(ポール・シェレール研究所・スイス):数値流体力学、4)松内一雄(筑波大学名誉教授):粒子イメージ流速計測法、5)ロス・サンダース(シドニー大学・オーストラリア):水中泳法分析
水泳人体シミュレーションモデル(SWUM)を用いて、ヒトの筋出力特性を考慮した最適泳法シミュレーションを行った結果、最も少ない身体発揮パワーで効率よく推進力が得られる泳ぎ方は、肘を曲げて、指先が曲線を描く、S字ストロークに類似した泳法でした。一方、最も速度が高くなる泳ぎ方は、肘をあまり曲げずに、指先が直線的に移動するI字ストロークに類似した泳法です(Nakashima et al., 2012)。実際の競泳レースにおいても、400m自由形以上の中長距離種目では、S字を描くように水をかいて好成績を上げるスイマーが多く、50~100m自由形のように短距離種目においては、ほぼまっすぐにかくI字ストロークを採用するスイマーが多数です。なぜこのようにS字とI字に分かれるのでしょうか?泳速度はストローク頻度に比例するため、泳速度を上げるためには、腕を速く回す必要が生じます。本来は肘を曲げて、S字をかいた方が効率が良いのですが、ストローク頻度が一定程度以上に高まると、肩まわりの筋力特性が制限因子となって、曲線的にかくことができなくなります。そこで、あえて効率を犠牲にしてでも腕の回転数を上げるために、肘をあまり曲げないで、まっすぐかくようになると推察されます。
ではS字にかいた場合と、I字でかいた場合で、推進力発揮メカニズムは異なるのでしょうか?ヒトの泳動作を再現できる水泳ロボットを用い、手部における流体力、圧力分布、流れ場の計測を行った研究成果(Takagi et al., 2014)をもとに検証を行いました。その結果、S字のように曲線を描いて水をかくと、図1上に示すように、手の進行方向が変わる局面において渦が放出され、その渦の影響によって手部周りの循環渦の向きが逆転し、手背側の圧力が急激に低下して、瞬間的に大きな揚力が発生することが明らかとなりました。一方、I字のように直線的に水をかくと、図1下に示すように、手部の両サイドから交互に渦(カルマン渦)が放出され、手背側の圧力が低下するとともに、手掌側は水が当たって圧力が上昇するので、結果的に手掌と手背で圧力差が生じ、抗力が発生することが分かりました。
さらに実際のスイマーがクロール泳を行った場合の手部周りの流れの可視化結果(Matsuuchi et al., 2009)によると、ロボットの実験同様に、手の進行方向が変わる局面において、時計回りの渦が放出され、それと対をなす反時計回りの渦が手背側に発生していました。これらの渦の影響により、非定常な揚力が手部に作用したと考えられます。(図2、3参照)
図3.
以上のように、最適な泳法を探っていくと、S字かI字という二者択一ではなく、種目の長短によってどちらかが主に用いられたり、あるいは両方の要素を取り入れるのが良いと考えられます。そして2つのストロークパターンでは、推進力の発生メカニズムが異なることが明らかとなり、特に渦の発生過程の違いが大きく影響していることが世界で初めて解明されました。このような渦の発生等により瞬間的に発生する力は非定常流体力と呼ばれ、昆虫や鳥類の飛翔研究によりそのメカニズムが解明されてきましたが、ヒトの水泳運動においても同様の現象が出現することは、これまでの準定常状態を想定した推進理論と大きく異なり、重要な発見と位置づけられます。
今後、さらに本研究を発展させ、個人差(体格、筋力、テクニック)を考慮し、あるスイマーにとって本当に最適な泳法はどうあるべきか、テーラーメイドで対応できるよう、検討を進めます。同時に、ヒトの水泳運動という、非定常でたいへん複雑な流体現象について、最新の流体計測・解析技術を用いて、メカニズムのさらなる解明に取り組む予定です。
用語説明
[用語1] インスウィープ : インスウィープとは、クロール泳において泳者が入水後、手のひらが体幹の中心軸方向に向き、手先の位置がだんだん深くなるストロークの局面を指す。
[用語2] アップスウィープ : インスウィープ局面の後、手のひらの方向が内から外へ変換し、水面近くまでかき上げるストローク局面を指す。
参考文献
論文情報
掲載誌 : |
Journal of Sports Sciences |
論文タイトル : |
Numerical and experimental investigations of human swimming motions (和訳)水泳運動を対象とした数値的・実験的解析結果についての考察 |
著者 : |
Hideki Takagi, Motomu Nakashima, Yohei Sato, Kazuo Matsuuchi and Ross Sanders
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DOI : |
問い合わせ先
筑波大学 体育系
教授 高木英樹
Email : takagi@taiiku.tsukuba.ac.jp
Tel : 029-853-6330
東京工業大学 大学院情報理工学研究科
教授 中島求
Email : motomu@mei.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2586
(取材・報道に関すること)
筑波大学 広報室
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