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本学名誉教授が平成29年秋の叙勲を受章

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公開日:2017.12.04

平成29年秋の叙勲において、中村良夫名誉教授、入戸野修名誉教授、野中勉名誉教授、吉田裕名誉教授が、教育研究の功労に対して瑞宝中綬章を受章しました。また、衣笠善博名誉教授が、瑞宝小綬章を受章しました。

中村良夫名誉教授

経歴

中村良夫名誉教授
中村良夫名誉教授

中村良夫名誉教授(1999年4月称号付与)は1976年3月に本学 工学部 助教授に着任し、1982年8月に教授に昇任、社会工学科、ならびに大学院総合理工学研究科の社会開発工学専攻を併任しました。

道路線形透視形態の微分幾何学、土木構造物の画像工学、都市イメージ分析など、景観工学の基礎理論に関する研究と教育にたずさわる一方、仮想行動理論、景観記号学などを提唱しました。太田川元町護岸(広島広島市)、上谷戸橋(東京都稲城市)、古河総合公園(茨城県古河市)などのデザイン実務にかかわり、学生・院生の実践、教育の場として活用してきました。

また土木学会において土木計画学委員会、土木史委員会、環境システム委員会など新分野の運営に参加するとともに、景観・デザイン委員会の初代委員長として、景観・デザイン賞の創設にかかわりました。これらの教育研究への多大な業績が評価されました。

中村良夫名誉教授のコメント

1976年春に本学の社会工学科へ赴任するにあたり、3月1日付けで着任するよう担当教授から厳命をうけました。4月1日から全力疾走できるように助走期間を持て、というご趣旨でした。

生産学が工学の主流であったころ、人間の歓びや美意識など生の充実を目指す景観工学を、内外の優秀な学生諸君とともに学問の荒野の一角に切り開くことが出来ました。また、市民のまちづくり参画に繋がる風景学を構想できたのも、文理融合を目指す社会工学科の自由で闊達な学風のお陰です。

大岡山駅に面した正門前はすっかり面目を一新し、工学の府の光芒が街の賑わいに射し込んでいます。その溌剌とした姿をみれば今昔の感にたえません。駅名が「大岡山東工大前」になれば、とおもったりもしますが・・・。懐の深い工学知の世界を授けてくださった本学の皆様に、あらためて敬意と感謝を表しますとともに、ますますのご発展を祈ります。

入戸野修名誉教授

経歴

入戸野修名誉教授
入戸野修名誉教授

入戸野修名誉教授(2002年4月称号授与)は、1970 年3月に本学 大学院理工学研究科 博士課程を修了後、本学助手となり、1年半のフランス・バリ第6大学(フランス給費研究留学)でその後の研究の骨子になる研究手法を身につけました。1974年8月に本学 工学部 助教授、1987年2月に教授となりました。その間、留学生教育センター長、東京工業大学工学部附属工業高等学校校長(6年間)を兼務し、また学外において文部科学省高等教育局の工学視学委員として協力しました。2002年4月に福島大学 自然科学系学域設置準備室長に就任し、2004年10月に新学類「共生システム理工学類」を設置しました。2010年3月まで福島大学同学類の教授、学類長、学群長を勤め、2010年4 月から2014年3月まで学長を務めました。2014年3月に学長を任期満了退職し、名誉教授を授与されました。その後1年間にわたって大学評価・学位授与機構の認証評価委員として協力し、2016年3月から福島市教育委員会「子どもの夢を育てる施設・こむこむ館」館長を勤めるなど、研究・教育分野において多大な貢献を果たしています。

入戸野修名誉教授のコメント

「地域住民から福島大学に自然科学系学域の設置を望む強い要望があるが、具体的な動きがない」ということで、東工大在籍中に当時の木村孟学長の口利きもあり、2002年4月に私が福島大学自然科学系学域調査準備室長となりました。東北大・東大・東工大の3教授が室員となって福島大学の教員とともに、創設構想の検討を進めました。私が2002年4月に教育学部 教授として福島大学に赴任し、構想の具体化を文部科学省の指導下で推進しました。その結果、2004年10月 に自然科学系学域の設置が認められ、2005年4月から2学群・4学類に再編成し、新入生を受け入れました。また、2010年4月には福島大学学長に選出されました。就任1年目は、「顔の見える大学」を目指して教職員の顔写真入り冊子を刊行して学生・地域住民に公開し、さらに、毎月2回定例記者会見を実施して学生・教職員の諸活動を公開するなど、開かれた大学のイメージ作りに専念しました。こうした姿勢は、2011年3月11日の「東日本大震災と東京電力原発事故」の際に、大学が地域住民への支援活動を相互理解の上で効果的に実施するための基盤として、大きな役割を果たしたと思っています。大学は学問の拠点であると同時に、地域住民とともに友好的に連携しながら大学が行う復興を始めとする様々な活動が円滑に継承されている様子を見られるのは嬉しい限りです。

野中勉名誉教授

経歴

野中勉名誉教授
野中勉名誉教授

野中勉名誉教授(2001年4月称号授与)は、本学 理工学部 化学工学課程を経て、1969年に大学院博士課程を修了し工学部助手に採用されました。1973年助教授となり、大学院総合理工学研究科への配置換えを経て、1986年に教授に昇任しました。その後、1993年から1999年までの間には大学院総合理工学研究科長(1期)および評議員(2期)を併任し、学部がない学際大学院から博士課程中心の創造大学院への抜本的な改組拡充構想の実現に研究科の総力をあげ、20世紀中に何とか成就しました。

2000年、鶴岡工業高等専門学校長に転任し、共に理工系高等教育研究機関である本学と鶴岡高専の連携を目指しましたが、4年後の独立行政法人化に備えて外的連携より内的整備強化が急務となりました。2006年に定年退職し、鶴岡高専から名誉教授の称号を授与されました。

2008年からの2年間、本学 グローバルエッジ研究院シニアマネージャー(特任教授)として、テニュアトラック制度の運用に携わるなど、39年に亘り、理工系高等教育研究機関の発展に寄与したことが今回の受章に繋がりました。

野中勉名誉教授のコメント

大学院総合理工学研究科における博士課程中心の創造大学院は、原理的には何かを修士課程で減らし博士課程で増やせば実現したはずですが、種々の有形無形の素材投入も必要でした。先達による設計図は先見性に富む魅力的なもので、絶対不可欠な素材として大幅な「教授」定員増を示唆していました。そして気が付いたら、短期間、集中的に多数の教授定員が獲得され、一挙に創造大学院の目的にマッチした人事も完成していました。教員の本務(教育と研究)などは私の念頭から吹っ飛び、本学事務部の「強引な後押し」と文科省現場の「旺盛なやる気」に煽られたガムシャラ・無我夢中の数年の後、気が付いたら鶴岡高専の校長室にいました。校庭ではギフチョウが乱舞していました。

高専は2004年の独法化に備え、外交より内政面の整備拡充強化が急務でした。

グローバルエッジ研究院を1年余で辞めたのは、レンタカー旅行に憑かれたためではなく、世界一混む東急田園都市線での朝の通勤に疲れたためでした。

吉田裕名誉教授

経歴

吉田裕名誉教授
吉田裕名誉教授

吉田裕名誉教授(1998年4月称号授与)は、1963年3月に東京大学 土木工学専門課程修士課程を修了した後、同年4月東京大学 生産技術研究所 助手となり、1970年4月には助教授として、学生の指導、研究に従事しました。

その後、1971年6月に本学 工学部 助教授、1981年11月に教授に昇任し、1998年3月に本学を定年退職するまで、構造力学、力学モデルの数値解析、有限要素法などの教育研究に努め、数多の人材を育成してきました。

1998年10月に関東学院大学 教授となり、土木工学、情報ネット・メディア工学の分野において教育環境の充実に努め、2008年3月に定年退職しました。

研究面では、特に、有限要素法を核とするコンピュータによる科学技術計算、力学現象解析の普及、発展に大きく貢献してきました。日本鋼構造協会技術委員会構造解析小委員会において、1984年から91年まで委員長を務め、研究会の企画実施などに寄与しました。当該分野における日米間の研究協力事業にも尽力した他、土木学会、日本機械学会、日本応用数理学会など、学会の枠を超えた広い領域において長年にわたり精力的に活動した成果が認められました。

吉田裕名誉教授のコメント

私が助教授として本学に着任した1971年は、大学紛争の後遺症が色濃く残っている時代でした。だからこそと言うべきか、設立間もない東工大土木教室には、教育や研究に掛ける熱情というか、希望と活気に溢れておりました。山口先生と吉川先生が連携して、血気盛んな若手のやる気を上手に引き出していた、というのが実状だったかもしれません。

技術の進展に伴って、教えるべきと考えられる教育内容は多様化します。カリキュラムの限られた時間数の中で、どの学科目をどのように割り当てるか、学生の自覚をどのように促すかなど、よく議論されたことを思い出します。学生の就職は総じて順調でしたが、毎年、研究室全員の進路が決着するまでの間は、心が休まらなかったことを思い出すのですが、卒業生の多くが一流の職場で重責を担って活躍しておられる姿に接することができる幸せは、東工大に籍を置いていたからこそと、深く感謝しています。優秀な学生と苦労を共にし、喜びを分ち合った日々は、掛替えの無い、幸せに満ちたものでした。

その間、多くの卒業生や関係の皆様方から頂いた励ましのメッセージは、有難く、心の支えになりました。皆様のご繁栄を心から祈念しております。ありがとうございました。

衣笠善博名誉教授

経歴

衣笠善博名誉教授
衣笠善博名誉教授

衣笠善博名誉教授(2010年4月称号授与)は、1999年4月に、工業技術院地質調査所(産業技術総合研究地質調査総合センターの前身)の首席研究官から、本学 大学院総合理工学研究科 環境理工学創造専攻の教授として着任しました。

本学においても、地質調査所時代と同様に、地震学と地質学の境界領域である地震地質学の研究に従事されると共に、原子力施設等の重要構造物の耐震安全性確保のために尽力しました。

2010年3月に定年退職し、名誉教授の称号を授与された後は、公益財団法人 地震予知総合研究振興会の副主席研究員として研究を続けています。このたびの受章はこれらの実績が認められたものです。

衣笠善博名誉教授のコメント

東工大の定年退職に当たっては、教授歴に加えて、地質調査所首席研究官としての前歴を加算した合わせ技で名誉教授の称号をいただきました。今回の叙勲に当たっても、“現東工大 名誉教授 元工業技術院地質調査所首席研究官”との合わせ技の経歴が評価されたようです。特別なご配慮を頂いた関係者に厚く御礼申し上げます。

合わせ技となった2つの組織に所属しましたが、その2つは全く性格の異なるものでした。工業技術院地質調査所は、地質学を中心とする200人以上の研究者を擁する研究組織で、互いに協力・切磋琢磨して研究を進めてきました。一方、大学院 総合理工学研究科、特に環境理工学創造専攻は、専門の異なる教授陣からなる組織で、視野を大いに広げることが出来ました。

このように性格の異なる2つの組織に属することが出来たのは研究者として全くの幸運で、今後とも、自然災害や地球環境問題を、幅広い視野で関心を持ち続けたいと思っています。

お問い合わせ先

広報・社会連携本部 広報・地域連携部門

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975

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