東工大ニュース

シンプルで万能なカオス的振動回路を設計

小型で効率的なデバイスを実現

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公開日:2019.06.04

要点

  • シンプルながら万能なカオス信号を生成する手法を発見
  • アナログCMOS集積回路技術により小型なカオス信号生成回路を実現
  • 今後は応用技術の研究開発も推進

概要

東京工業大学WRHI[用語1]のルドビコ・ミナティ(Ludovico Minati)特任准教授、科学技術創成研究院 未来産業技術研究所の伊藤浩之准教授らの研究グループは、シンプルながら万能な「カオス信号[用語2]」を生成する手法を発見した。互いに接続された3つの「リング型発振器」を利用し、発振器間の接続強度が互いに競い合いながら制御されるように設計、小型で効率的なデバイスを実現した。センサー間の無線通信など新たな用途に応用が期待できる。

脳活動、動物の群れ、天気など自然界の現象を示す信号を再現できれば、それらの原理を理解する手がかりとなる。これらの信号は複雑で、究極的にはいわゆる「カオス信号」になる。カオスとはランダム性を意味するのではなく複雑な規則性を持つことを意味する。カオスシステムではわずかなパラメータの違いが大きな挙動変化をもたらす場合もある。またカオス信号は予測が難しいが、多様な局面に存在している。

だが、目的通りの特性を示すカオス信号の生成は難しい。デジタル信号を生成すると消費電力が多すぎる場合もあり、アナログ回路を用いる必要がある。そこで今回、カオス信号を生成する集積回路の作成法を新たに提案した。

この研究は東工大とイタリアのカターニャ大学、トレント大学、ポーランドの科学アカデミーが共同で、東工大WRHIからの一部資金支援により行った。

なお、本研究成果は米国電子電気学会(IEEE)のオープンアクセスジャーナル「IEEE Access」に2019年4月23日に掲載された。

研究成果

研究グループはまず異なる素数[用語3]を用いてサイクル数を設定すると、位相の関係を固定することができないという考えから、この手法の提案を始めた。驚くことに、この原則はいくつかのセミの種類の進化に見られており、それらのセミのライフサイクル年数は他の種や天敵の年数と同期しないような素数の間隔になっていることが知られている。この現象は互いに接続された3つの発振器の振動サイクルを小さい順に3つの素数(3、5、7)に設定すると、図1に示すような複雑なカオス信号が生成されることでも見ることができる。

この回路設計は集積回路の中でも最も古典的な「リング型発振器[用語4]」から始めた。このリング型発振器は小型でコンデンサやインダクタなどの受動素子を必要としない。この回路を3、5、7のサイクルをそれぞれ持つ3つのリング型発振器の強度が互いの接続強度によって独立して制御できるようにした。その結果、可聴周波数からラジオ波帯域(1 kHz~10 MHz)という幅広い周波数スペクトラムでカオス信号を生成することができた。この試作回路を設計した伊藤浩之准教授によると「カオス信号が100万分の1ワット以下のような低い消費電力で生成できる見通しがあることも大きな特徴だ」と説明している。

さらに特筆すべきなのは、個々の試作のわずかな特性の違いによって異なるタイプの信号が生成されることを発見したことである(図3)。ある時には生物の神経細胞で見られるのと類似したスパイク信号[用語5]が記録され、またある時は、それぞれのリング型発振器が互いに競い、ほぼ完全に活動を抑制するような現象も見られた。この抑制現象は「oscillation death: 発振停止[用語6]」と呼ばれる。

図1. 動作原理:今回の回路設計は例えば小さい順に3つの素数(3、5、7)の長さのリング型発振器を互いに接続させるというシンプルなアイデアで構成されている(上)。単純なサイン波を合成した場合でも複雑に見える信号が生成される(下)。実際の発振器を用いた場合には、さらに多くの相互作用がもたらされる。
図1.
動作原理:今回の回路設計は例えば小さい順に3つの素数(3、5、7)の長さのリング型発振器を互いに接続させるというシンプルなアイデアで構成されている(上)。単純なサイン波を合成した場合でも複雑に見える信号が生成される(下)。実際の発振器を用いた場合には、さらに多くの相互作用がもたらされる。
図2. カオス的振動回路図。リング型発振器とそれぞれの接続強度が独立して制御される様子とその試作におけるレイアウトが示されている(上)。異なる特性を持つ3つの信号例:振幅が周期的に振動する信号、神経細胞様のスパイク的信号、ノイズ信号(下)。
図2.
カオス的振動回路図。リング型発振器とそれぞれの接続強度が独立して制御される様子とその試作におけるレイアウトが示されている(上)。異なる特性を持つ3つの信号例:振幅が周期的に振動する信号、神経細胞様のスパイク的信号、ノイズ信号(下)。
図3. 図2の回路のCADレイアウトと回路基板の写真。この集積回路は約200×100 μm サイズの微小な「細胞」として設計され(左)、最初の試作では必要となる補足機能が備えられたテスト基板上に搭載された(右)。
図3.
図2の回路のCADレイアウトと回路基板の写真。この集積回路は約200×100 μm サイズの微小な「細胞」として設計され(左)、最初の試作では必要となる補足機能が備えられたテスト基板上に搭載された(右)。

今後の展開

研究の筆頭著者であるルドビコ・ミナティ特任准教授は「この回路には必要最低限の形と原理がつくり出す美しさが表現されており、シンプルであるが故に実際の回路に見られるわずかな違いや不完全さがスパイスとなり、調和的に作動する大きなシステムを実現できたことがポイントである」と述べている。

研究グループはこの回路で様々な用途に向けた基盤が作れる可能性があると考えている。今後はこの回路をセンサーなどと組み合わせて、例えば土壌の化学特性の測定などに応用していく計画である。さらに、生物の神経細胞回路を模して互いにこの回路を接続させてコンピューターチップに搭載する計画もある。これにより、これまでのコンピューターよりも大幅に消費電力を低下させながら何らかの処理ができる可能性があると期待している。

用語説明

[用語1] WRHI : World Research Hub Initiativeの略。東京工業大学は世界的な研究成果とイノベーションの創出により「世界トップ 10 に入るリサーチユニバーシティ」を目指し、研究所・センターなどの研究組織を集約した科学技術創成研究院を設置し、世界の研究者と学内の若手を魅了する環境整備を行う研究改革を実施している。その一環として、2016年4月、研究院内に「Tokyo Tech World Research Hub Initiative (WRHI)」を立ち上げた。海外の優秀な研究者を招へいし、国際共同研究を推進する6年間のプロジェクト。新たな研究領域の創出、人類が直面している課題の解決、そして、将来の産業基盤の育成を目標に掲げ、「世界の研究ハブ」になることを目指している。

[用語2] カオス信号 : 非線形な決定論※1的力学系※2から発生し、初期値鋭敏性※3を持つ有界な非周期軌道を有する信号

[用語3] 素数 : 1より大きく、かつ、正の約数が1と自分自身のみである自然数

[用語4] リング型発振器 : 負の利得を有する遅延要素を複数個リング状に結合した構成をもつ発振器

[用語5] スパイク信号 : 瞬間的に振幅が上昇あるいは下降する信号

[用語6] oscillation death: 発振停止 : 二つ以上の自立した振動系が結合したときに安定した静止状態になる現象

※1
あらゆる出来事が、それより先行する出来事のみによって決まっているとする考え方
※2
ある初期状態が与えられると、以後のあらゆる状態量の変化が決定される系
※3
初期状態の僅かな違いが、時間経過と共に大きな結果の差として生じる性質

論文情報

掲載誌 :
IEEE Access
論文タイトル :
Current-Starved Cross-Coupled CMOS Inverter Rings as Versatile Generators of Chaotic and Neural-Like Dynamics Over Multiple Frequency Decades
著者 :
Ludovico Minati1,2,3, Mattia Frasca4, Natsue Yoshimura5,6, Leonardo Ricci7, Pawel Oswiecimka2, Yasuharu Koike5, Kazuya Masu8, and Hiroyuki Ito5
所属 :

1 Tokyo Tech World Research Hub Initiative, Institute of Innovative Research, Tokyo Institute of Technology, Japan.

2 Complex Systems Theory Department, Institute of Nuclear Physics, Polish Academy of Sciences, Poland

3 Center for Mind/Brain Science, University of Trento, Italy

4 Department of Electrical Electronic and Computer Engineering (DIEEI), University of Catania, Italy

5 Laboratory for Future Interdisciplinary Research of Science and Technology (FIRST), Institute of Innovative Research, Tokyo Institute of Technology, Japan

6 PRESTO, JST, Japan

7 Department of Physics and Center for Mind/Brain Science, University of Trento, Italy

8 Tokyo Institute of Technology, Japan

DOI :

お問い合わせ先

東京工業大学 科学技術創成研究院 未来産業技術研究所

准教授 伊藤浩之

E-mail : ito@pi.titech.ac.jp
Tel : 045-924-5010 / Fax : 045-924-5022

取材申し込み先

東京工業大学 広報・社会連携本部 広報・地域連携部門

E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661

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