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ニュートリノの「CP位相角」を大きく制限

粒子と反粒子の振る舞いの違いの検証に大きく前進する成果をネイチャー誌で発表

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公開日:2020.05.11

要点

  • ニュートリノ振動現象において粒子と反粒子の対称性の破れの大きさを決める量であるCP位相角に大幅な制限を与えることに世界で初めて成功
  • ニュートリノに、粒子と反粒子の性質の違いがあるかどうかの問題に大きく迫る成果であり、今後の測定精度を高めた検証が期待される

概要

理学院物理学系の久世正弘教授の参加するT2K実験国際共同研究グループは、ニュートリノが空間を伝わるうちに別の種類のニュートリノに変化するニュートリノ振動という現象において「粒子と反粒子の振る舞いの違い」の大きさを決める量に、これまでで最も強い制限を与えることに成功しました。CP位相角と呼ばれるこの量は、ニュートリノの基本的性質を示す量の一つであり、理論的には-180度から180度の値を取り得ますが、これまで全く値がわかっていませんでした。今回の結果では、CP位相角の取り得る値の範囲の半分近くを99.7 %(3シグマ)の信頼度で排除することに成功しました(図1)。ニュートリノについての未解明の問題の一つである、粒子と反粒子が異なる振る舞いをするかどうかという問題に大きく迫る成果です。

この研究成果は、総合学術雑誌「ネイチャー」に4月16日掲載しました。
東工大の久世研究室は、約500名の研究者からなるT2K国際共同実験の遂行に大きく貢献しています。研究室の学生も携わっており、吉田朋世さん(研究当時・理学院物理学系博士後期課程3年)は、スーパーカミオカンデのデータからT2Kニュートリノ反応事象を選別する責任者を務めました。ベルンス・ルカスさん(理学院物理学系博士後期課程2年)はJ-PARC加速器で生成されるニュートリノビームの分布を精密に計算するチームの中核として活躍しています。

図1. 今回の観測結果と最も良く合うCP位相角の値(矢印)と99.7 %信頼度で値をとることが許された範囲(白抜き部分)。理論的に取り得る値の範囲の半分近くを排除しました。

図1. 今回の観測結果と最も良く合うCP位相角の値(矢印)と99.7 %信頼度で値をとることが許された範囲(白抜き部分)。理論的に取り得る値の範囲の半分近くを排除しました。

背景

物質を構成する素粒子には、電荷の正負が反対であるほかは全く同じ性質を持つ反粒子[用語1]が存在します。宇宙の始まりであるビッグバンでは、粒子と反粒子が同じ数だけ生成されたはずですが、我々の身の回りには粒子で構成された物質しか見当たりません。このように、現在の宇宙において物質と反物質の対称性は大きく破れています。宇宙に反物質が存在しないようになるためには、CP対称性[用語2]と呼ばれる電荷と空間に関わる基本的な対称性が破れている必要があります。CP対称性が成り立っていると、鏡の向こう側とこちら側の世界のように粒子と反粒子は同じように振る舞います。これまで、CP対称性の破れは陽子や中性子の構成要素であるクォークと呼ばれる素粒子で見つかっていましたが、その破れの大きさは現在の宇宙の物質の量を説明するには不十分です。そこで、電子の仲間であるニュートリノ[用語3]のCP対称性が大きく破れていることで宇宙の成り立ちの起源を説明できるという有力な仮説が提案され、ニュートリノのCP対称性の破れの測定が注目されています。T2K実験[用語4]は、ニュートリノと反ニュートリノのニュートリノ振動[用語5]現象を測定して、それらを比較することで、クォークで見つかったものとは別のCP対称性の破れを探索しています。

T2K実験は2009年度に実験を開始し、2013年にミュー型ニュートリノがニュートリノ振動によって電子型ニュートリノに変化する「電子型ニュートリノ出現現象」の存在を世界で初めて発見しました。2014年からは反ミュー型ニュートリノの測定を開始し、CP対称性の破れの検証を開始しました。2016年夏には、90 %の信頼度でCP対称性が破れている可能性を示しました。2018年夏には、その可能性を95 %(2シグマ)の信頼度に高めた結果をKEKで行ったセミナーで公表しました。T2K実験では、CP対称性の破れの探索とともに、CP位相角[用語6]と呼ばれる量の測定を行っています。CP位相角は、ニュートリノの基本的な性質の一つで、ニュートリノが粒子と反粒子とで異なる振る舞いをするかどうかもこの値に拠りますが、これまでその値は全くわかっていませんでした。今回、T2K実験では2018年までに取得した実験データを用いて解析を進め、CP位相角を大きく制限する結果を総合学術雑誌「ネイチャー」で公表しました。

研究成果

T2K実験では、茨城県東海村にある大強度陽子加速器施設J-PARCで大量のミュー型ニュートリノまたは反ミュー型ニュートリノを生成し、295キロメートル離れた岐阜県飛騨市神岡にあるスーパーカミオカンデ検出器で測定しています。ニュートリノの一部は、295キロメートルを飛行する間にニュートリノ振動現象によりミュー型から電子型に変化します。

ニュートリノ振動現象においてCP対称性が破れていると、ミュー型から電子型への変化確率に、ニュートリノと反ニュートリノで違いが生じます。破れの大きさを決める量はCP位相角と呼ばれ、-180度から180度の値を取り得ます。0度と180度であった場合はCP対称性が保存していることに、それ以外の角度であった場合にはCP対称性が破れていることになります。CP位相角が-90度の場合には、電子型ニュートリノへの変化確率が最大に、反電子型ニュートリノへの変化確率が最小になります。90度ではその逆です。

2018年までにT2K実験が取得したデータから、電子型のニュートリノが90個、反ニュートリノが15個観測されました。図2はスーパーカミオカンデで検出された電子型のニュートリノと反ニュートリノの例です。実際の測定では、測定器が物質でできていることなどから、ニュートリノの方が反ニュートリノよりも観測されやすいため、観測数から振動の確率を注意深く決める必要があります。観測された結果は、CP位相角が-90度である場合に予想される観測数(ニュートリノで82個、反ニュートリノで17個)に近く、CP位相角が90度の場合の予想観測数(ニュートリノで56個、反ニュートリノで22個)とは大きく異なりました(図3)。今回、CP位相角の値を推定するために必要な統計的手法を更新し、CP位相角の値として、-2度から165度の領域が99.7 %の信頼度で排除されることがわかりました。

図2. スーパーカミオカンデで検出された電子型のニュートリノ(左)と反ニュートリノ(右)の例。ニュートリノが水と反応してできた電子、または陽電子によるリング状の微弱光を、タンク内壁に設置された約11000本の光電子増倍管で観測しています。色のついた点は、その光電子増倍管で光を検出した時間を表しています。

図2. スーパーカミオカンデで検出された電子型のニュートリノ(左)と反ニュートリノ(右)の例。ニュートリノが水と反応してできた電子、または陽電子によるリング状の微弱光を、タンク内壁に設置された約11000本の光電子増倍管で観測しています。色のついた点は、その光電子増倍管で光を検出した時間を表しています。

図3. 今回得られたニュートリノのエネルギー分布。ニュートリノビームを用いて電子ニュートリノを測定した場合(左)の予想観測数は、CP位相角が-90度(赤破線)の方が90度(青破線)に比べて多くなります。反ニュートリノビームを用いて反電子ニュートリノを測定した場合(右)は、その逆です。CP対称性が保存する0度の場合の予想観測数は灰実線の分布になります。観測数の分布(黒点)は-90度での予想観測数の分布により近いことが分かります。下の表は、観測数とCP位相角が-90度または90度で予想される観測数をまとめたものです。

図3. 今回得られたニュートリノのエネルギー分布。ニュートリノビームを用いて電子ニュートリノを測定した場合(左)の予想観測数は、CP位相角が-90度(赤破線)の方が90度(青破線)に比べて多くなります。反ニュートリノビームを用いて反電子ニュートリノを測定した場合(右)は、その逆です。CP対称性が保存する0度の場合の予想観測数は灰実線の分布になります。観測数の分布(黒点)は-90度での予想観測数の分布により近いことが分かります。下の表は、観測数とCP位相角が-90度または90度で予想される観測数をまとめたものです。

本研究の意義、今後への期待

CP位相角は、小林-益川によってクォークにおけるCP対称性の破れを説明するために導入されたものです。素粒子の基本的な性質ですが、電子やニュートリノの仲間であるレプトンについては、その値は、全く未知でした。本研究により、世界で初めてニュートリノのCP位相角に強い制限がつけられました。また、得られた結果はCP対称性の破れを95 %の信頼度で示唆しています。さらに測定を続けることでCP位相角の取り得る範囲から0度と180度を99.7 %の信頼度で排除できると、CP対称性の破れを99.7 %の信頼度で示すことができます。今回の成果は、その目標にたどり着くための重要なステップとなりました。ニュートリノの未解明の性質のうちの一つであるCP位相角、そしてCP対称性が破れているか否かが明らかになりつつあると言えます。

T2K実験グループは、前置検出器を改良して測定精度を高めるとともに、さらにデータを蓄積することで、CP対称性の破れの検証を進めていきます。J-PARCでは、より大強度のニュートリノを生成するために、加速器およびニュートリノ実験施設の性能向上に着手しています。さらに次世代の実験として、スーパーカミオカンデの約10倍の有効体積を持つハイパーカミオカンデ実験が計画されています。ハイパーカミオカンデ実験では、増強されたJ-PARCニュートリノビームを測定することにより、CP対称性の破れの決定的証拠を捉えるとともにCP位相角の精密な測定が可能となります。これらの研究によって、素粒子の性質や、宇宙から反物質が消えた謎の理解が進むことが期待されます。

用語説明

[用語1] 反粒子 : 素粒子には、質量や寿命は同じだが、電気的に反対の性質を持つ反粒子とよばれるパートナーが存在します。例えば、電子の反粒子は陽電子、ニュートリノの反粒子は反ニュートリノと呼ばれます。宇宙の始まりであるビッグバンでは、粒子と反粒子が同じ数だけ生成されたはずです。粒子と反粒子が合わさると光子となって消滅しますが、現在の宇宙ではなぜか粒子で構成された物質だけが残り、反粒子で構成された反物質がほとんど存在しません。現在の宇宙の光子と物質を構成する粒子の割合から、宇宙初期に10億分の1だけ反粒子に比べて粒子を多くする何かがあったと考えられています。しかしながら、その理由はまだ解明されておらず、宇宙のなりたちの大きな謎の一つとなっています。

[用語2] CP対称性 : CP対称性の「C」とは、粒子と反粒子を入れ替える「C変換」のことです。CP対称性の「P」とは、鏡写しのように空間に対して上下左右の向きを入れ替える「P変換」のことです。この「C変換」と「P変換」をした場合に、同じ物理現象が同じ確率で起きることを「CP対称性」と呼びます。このCP対称性に従わない場合、「CP対称性が破れている」と言います。

[用語3] ニュートリノ : これ以上小さく分けることができないと考えられている素粒子の一つです。電子の100万分の1以下の重さしかもたないとても軽い粒子で、電気を帯びていません。そのため他の物質とほとんど反応せず、観測が非常に難しい粒子です。電子型、ミュー型、タウ型と呼ばれる3種類が存在するとわかっています。T2K実験では、J-PARCでミュー型のニュートリノを生成して、スーパーカミオカンデでミュー型と電子型のニュートリノを検出します。タウ型のニュートリノを検出するには高いエネルギーのニュートリノが必要なので、T2K実験の条件では検出されません。ミュー型からタウ型に変化するニュートリノ振動は、もともとあったミュー型のニュートリノの数の減少から測定できます。

[用語4] T2K実験 : 高エネルギー加速器研究機構(KEK)と日本原子力研究開発機構が共同で運営する大強度陽子加速器施設J-PARCで作り出したニュートリノビームを、295キロメートル離れた岐阜県飛騨市神岡町にある東京大学宇宙線研究所のニュートリノ検出器「スーパーカミオカンデ」で検出する長基線ニュートリノ振動実験です(図4)。J-PARCがある茨城県東海村と神岡町(Tokai to Kamioka)の頭文字を取って「T2K実験」と名付けられました。T2K実験はニュートリノの研究において世界をリードする感度をもち、アメリカ・イギリス・イタリア・カナダ・スイス・スペイン・ドイツ・日本・フランス・ベトナム・ポーランド・ロシアの12ヶ国・69の研究機関から約500人の研究者が参加する国際共同実験です。日本からは、大阪市立大学・岡山大学・京都大学・慶應義塾大学・高エネルギー加速器研究機構・神戸大学・首都大学東京・東京工業大学・東京大学・東京大学宇宙線研究所・東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構・東京理科大学・宮城教育大学の総勢114名の研究者と大学院生が参加しています。

図4. T2K実験の概要

図4. T2K実験の概要

[用語5] ニュートリノ振動 : ニュートリノが空間を伝わるうちに別の種類のニュートリノに周期的に変化する現象です。ニュートリノは「観測できる」状態で3種類(電子型、ミュー型、タウ型)に分類されますが、これらの種類は、同じく3種類の「質量」という別の状態のニュートリノの混ざり合いで決まっています。ニュートリノの質量の状態は、その質量に応じた振動数を持つ存在確率の波として振る舞います。その波の干渉効果によって、空間を伝わるうちに混ざり合う割合が変化する「うなり」が起こり、結果として観測できる状態の存在確率が周期的に変化します。この現象がニュートリノ振動です。この現象の発見によってニュートリノが質量を持つことが示され、2015年に梶田隆章教授がノーベル物理学賞を受賞しました。

[用語6] CP位相角 : 3種類のニュートリノが振動現象を起こす場合には、粒子と反粒子でうなり現象の振る舞いが異なる、つまりCP対称性が破れている可能性があります。そのCP対称性の破れの大きさを決める値がCP位相角で、ニュートリノの基本的性質の一つです。CP位相角は-180度から180度の値を取り得ます。CP位相角が0度と180度の場合はCP対称性が保存され、それ以外の場合はCP対称性が破れていることになります。CP対称性の破れは、現在の宇宙で反物質がほとんど存在していないことを説明する条件の一つです。しかしながら、これまでに見つかっているクォークのCP対称性の破れはとても小さく、現在の宇宙の物質の量を説明することができていません。一方で、ニュートリノのCP対称性は大きく破れている可能性がT2K実験により示唆されており、CP位相角の測定は、宇宙の根源的な謎を解明する手がかりになると期待されています。

論文情報

掲載誌 :
Nature Vol.580, pp.339-344, on April 16, 2020
論文タイトル :
Constraint on the Matter-Antimatter Symmetry-Violating Phase in Neutrino Oscillations
著者 :
K.Abe et al. (T2K Collaboration)
DOI :

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