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タンパク質に潜むフラクタル構造がもたらす挙動をテラヘルツ光で視る

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公開日:2020.09.08

ポイント

  • 生物の構成要素であるタンパク質[用語1]に内在するフラクタル[用語2]性がもたらす挙動(ダイナミクス)を、テラヘルツ光[用語3]で捉えることに成功しました。
  • ナノスケール[用語4]のフラクタル構造体とテラヘルツ光がいかに相互作用するかを明らかにし、振動スペクトルからフラクタル次元の情報を抽出することに成功しました。
  • テラヘルツ光に限らず、フラクタル物質における光(電磁波)吸収を、定量的に理解することが可能となりました。

概要

筑波大学 数理物質系の森龍也助教、小島誠治名誉教授、山本洋平教授、所裕子教授、白木賢太郎教授、立命館大学理工学部の藤井康裕講師、是枝聡肇教授、東京工業大学 科学技術創成研究院 フロンティア材料研究所の気谷卓助教、および東京大学大学院総合文化研究科の水野英如助教らは、生物の構成要素であるタンパク質に内在するフラクタル構造に起因した挙動(ダイナミクス)を、テラヘルツ光で検出・評価することに成功しました。

ガラス[用語5]高分子[用語6]、タンパク質分子など、不規則構造を有する物質のナノスケールダイナミクスは、物質の硬さなどの弾性特性を支配しますが、これを分子レベルから解明することは未だ挑戦的な課題です。また、そのナノスケール領域において物質が自己相似性[用語7]に起因したフラクタル性を有する場合、どのようなダイナミクスが現れ、それが光(電磁波)でいかに検出されるかについてはこれまで知られていませんでした。

今回、本共同研究グループは、光(電磁波)とフラクタル構造体の相互作用について、まず理論定式化を行い、光吸収スペクトルにフラクタルの情報がどのように含まれるかを明らかにしました。さらにフラクタルダイナミクスが現れる候補のタンパク質に対してテラヘルツ分光を行い、その実験スペクトルからフラクタル性の情報を抽出することに成功しました。これは、タンパク質や高分子ガラスなどについて、テラヘルツ光を用いてナノスケールフラクタル構造の情報評価を非破壊・非接触に行うことができることを意味し、テラヘルツ光技術の応用利用上も重要です。

本研究の成果は、2020年8月27日付の米国物理学会誌「Physical Review E」で公開されました。

本研究は、科学研究費補助金(JP17K14318, JP18H04476, JP17K18765, JP19K14670, JP16H02081)、日本板硝子材料工学助成会・研究助成、及び、旭硝子財団・研究助成の支援を受けて実施されました。

背景

生物の構成要素の一つであるタンパク質は、アミノ酸の分子が多数結合してできた巨大分子です(図1)。また、プラスチック製品などにも用いられる高分子は、小さい分子(モノマー)が連なった鎖で構成されます。両者の共通点は、モノマーが繰り返し結合して大きな分子を作っていることですが、このような巨大分子は自己相似性を内部構造に有し、結晶ともモノマー分子とも異なる特徴を持っています。

図1. タンパク質リゾチーム分子。プロテインデータバンクの構造情報を用いて描画している。

図1. タンパク質リゾチーム分子。プロテインデータバンクの構造情報を用いて描画している。

自己相似性を持つ構造体(図形)は、フラクタルとして知られており、シェルピンスキーのギャスケット(図2)などが有名です。フラクタル構造体は、3次元空間に存在していても、例えば通常の物質のように、質量がRの3乗 (R :物質の重心からの距離) に比例する振る舞いとは異なり、整数値ではないフラクタル次元Dを用いて、質量がRD乗に比例するなどフラクタル特有の性質を持ちます(図3)。

図2. シェルピンスキーのギャスケット(Wikipediaより転載)。フラクタル図形の1つであり、自己相似的な無数の三角形からなる。ポーランドの数学者ヴァツワフ・シェルピンスキにちなんで名づけられた。

図2.
シェルピンスキーのギャスケット(Wikipediaより転載[参考文献1])。フラクタル図形の1つであり、自己相似的な無数の三角形からなる。ポーランドの数学者ヴァツワフ・シェルピンスキにちなんで名づけられた。

図3. タンパク質リゾチームに対する、(左)質量フラクタルの概念図と、(右)質量フラクタルの計算図。研究対象のリゾチームの質量フラクタル次元は2.75である。

図3.
タンパク質リゾチームに対する、(左)質量フラクタルの概念図と、(右)質量フラクタルの計算図。研究対象のリゾチームの質量フラクタル次元は2.75である。

このように、空間に対して通常と異なるパッキングの仕方で存在しているフラクタル構造体の挙動、すなわちフラクタルダイナミクスは、1980年代に盛んに理論研究がなされ[参考文献2]、通常の3次元物質と異なることが知られていました。理論が先行したこのフラクタルダイナミクスは、タンパク質や高分子のモノマーの自己相似性に起因する場合、その存在周波数はテラヘルツ帯となります。ところが、1980年代当時は、テラヘルツ光技術が発達していなかったためか、テラヘルツ光がフラクタル構造体に吸収される仕組みについての理解は進んでいませんでした。

研究内容と成果

本研究では、物質と光の相互作用を理論的に解釈する際に用いられる理論(線形応答理論)の手法を、フラクタルダイナミクスの理論と組み合わせることによって、テラヘルツ光がフラクタル構造体に吸収される際の挙動を予測することに初めて成功しました。さらに、その理論定式化に基づき、フラクタル構造体の候補であるタンパク質リゾチーム分子に対しテラヘルツ分光を行い、実験スペクトルからフラクタル次元などのフラクタルの性質を抽出することにも成功しました(図3)。これにより、実験スペクトルの傾きにフラクタル次元の情報が現れ、テラヘルツ帯の吸収の挙動が決定されていることがわかりました(図4)。

図4. テラヘルツ分光で得たタンパク質リゾチームの誘電(吸収)スペクトル(赤丸)の対数表示。青丸のデータは同一試料に対するラマンスペクトル。スペクトルの傾き(オレンジ破線)にフラクタル次元の情報が含まれる。

図4.
テラヘルツ分光で得たタンパク質リゾチームの誘電(吸収)スペクトル(赤丸)の対数表示。青丸のデータは同一試料に対するラマンスペクトル。スペクトルの傾き(オレンジ破線)にフラクタル次元の情報が含まれる。

今回明らかにされた、タンパク質や高分子ガラスのフラクタル性をテラヘルツ光で検出可能であるという結果は、ナノスケール領域におけるフラクタルダイナミクスを理解するための基礎知見となり、さらに非接触にフラクタル次元を決定するなどセンシング手法の応用にも利用できます。そして、本研究で得たフラクタルダイナミクスの光吸収の理論定式化は、テラヘルツ帯に限らず、携帯電話で用いられるギガヘルツ帯や、可視光域など、フラクタルダイナミクスが存在する構造体に一般に適用が可能です。

今後の展開

従来、解釈が困難であったタンパク質や高分子ガラスなどのテラヘルツ帯の光吸収について、内在するフラクタル次元の情報を抽出する手法が本研究によって初めて明らかにされました。これにより、不規則系のテラヘルツ帯ダイナミクスの理解が深まるとともに、技術進展が著しいテラヘルツ光技術の新しい応用につながる可能性があります。また、過去に見過ごされてきたフラクタル構造体の光吸収について再考するきっかけとなることが期待されます。

用語説明

[用語1] タンパク質 : アミノ酸分子が多数鎖状につながった高分子化合物。生物の重要な構成要素の一つである。

[用語2] フラクタル : フランスの数学者ブノワ・マンデルブロが提案した幾何学の概念。図形の部分と全体が自己相似になっているものをいう場合が多い。

[用語3] テラヘルツ光 : 10の12乗ヘルツの振動数を持つ電磁波のこと。携帯電話などに用いられるギガヘルツ帯の電波と可視光の中間領域にあり、電波が物質を透過する性質と可視光の物体識別の性質を併せ持つ。近年、空港のセキュリティ技術や建造物・美術品等の非破壊内部検査などへの応用が進んでいる。

[用語4] ナノスケール : ナノメートルとは、10のマイナス9乗メートルのこと。一般に、分子のサイズはナノメートルのオーダーになる。

[用語5] ガラス : 物質が冷却され、結晶のように規則正しく分子を配列するのではなく、不規則な分子配列のまま固体的な状態に達したもの。

[用語6] 高分子 : 分子量が大きい分子であり、分子量が小さいモノマー分子が多数連結して構成されている。

[用語7] 自己相似性 : 図形における自己相似とは、その図形のある断片を取り出したとき、それより小さな部分の形状と図形全体の形状とが相似であることを指す。

参考文献

[参考文献1] Wikipedia, シェルピンスキーのギャスケットouter, Sierpiński triangleouter(いずれも2020年8月26日参照)

[参考文献2] S. Alexander and R. Orbach, J. Phys. (Paris) 43, 625 (1982).

論文情報

掲載誌 :
Physical Review E
論文タイトル :
Detection of boson peak and fractal dynamics of disordered systems using terahertz spectroscopy(テラヘルツ分光を用いた不規則系のボゾンピークとフラクタルダイナミクスの検出)
著者 :
Tatsuya Mori, Yue Jiang, Yasuhiro Fujii, Suguru Kitani, Hideyuki Mizuno, Akitoshi Koreeda, Leona Motoji, Hiroko Tokoro, Kentaro Shiraki, Yohei Yamamoto, Seiji Kojima
DOI :

お問い合わせ先

筑波大学 数理物質系 物質工学域

助教 森龍也

E-mail : mori@ims.tsukuba.ac.jp
Tel : 029-853-5304

立命館大学 理工学部 物理科学科

講師 藤井康裕

E-mail : yfujii@fc.ritsumei.ac.jp
Tel : 077-561-3086

東京工業大学 科学技術創成研究院 フロンティア材料研究所

助教 気谷卓

E-mail : kitani.s.aa@m.titech.ac.jp
Tel : 045-924-5370

東京大学 大学院総合文化研究科

助教 水野英如

E-mail : hideyuki.mizuno@phys.c.u-tokyo.ac.jp
Tel : 03-5454-4376

取材申し込み先

東京工業大学 総務部 広報課

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