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らせん径の大きい拡張ヘリセン分子の合成に成功

芳香環の重なりに起因する独自の発光特性を発見

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公開日:2021.02.10

要点

  • 複数のアントラセンを縮合することで、らせん径の大きい拡張ヘリセン分子の合成に成功
  • らせん径を大きくすることで、分子のねじれが緩やかで柔軟ならせん形構造を実現
  • 巻き数が1を超える拡張ヘリセン分子において、芳香環の重なりに起因する独自の発光特性を発見

概要

東京工業大学 理学院 化学系の豊田真司教授、鶴巻英治助教、藤瀬圭大学院生(当時修士課程2年)らの研究グループは、複数のベンゼン環がらせん形に連結するヘリセン分子のらせん径を拡張することで、独自の性質を持つ新しい拡張ヘリセン分子の合成に成功した。

多環式芳香族炭化水素[用語1]の一つであるヘリセン[用語2]は、らせん形分子の代表例であり、キラル光学特性[用語3]があることで知られている。本研究では、このヘリセンにベンゼン環を規則的に挿入することで、らせんの外径が1.2ナノメートルを超える拡張ヘリセン分子を設計し、金属触媒反応を利用して合成した。この分子は、らせん径の拡張により、ヘリセンに比べてらせんねじれが緩やかで、柔軟ならせん構造になった。またらせんの巻き数[用語4]が1を超えると、芳香環[用語5]の広い領域で重なりが生じ、芳香環の間の相互作用により独自の発光特性が発現した。さらに、詳細な量子化学計算を行うことで、発光特性やらせん反転の動的挙動に関する解析を行った。

本研究で得られた拡張ヘリセン分子の構造や性質に関する知見は、高効率な3Dディスプレイやホログラムを実現するキラル光学材料の設計指針に活かされる。また、さらに巻き数の多い分子を合成できれば、炭化水素からなる新しい分子ばねの設計にもつながると期待される。

この研究成果は岡山理科大学理学部化学科の若松寛准教授との共同研究によるもので、1月15日付でEuropean Chemical Society(欧州化学会)の学術雑誌 「Chemistry ― A European Journal(ケミストリーヨーロピアンジャーナル)」オンライン版に注目論文として掲載された。

背景

複数の芳香環を連結または縮合して作られる化合物は、多環式芳香族炭化水素(Polycyclic Aromatic Hydrocarbons, PAH)と呼ばれ、近年の有機合成研究における標的化合物群として注目されている。組み合わせる芳香環の数や種類、つなぎ方の違いによって大きく性質が変化するという特徴があり、中には非常に効率的な発光性や高い半導体特性を示すものもある。そこで、新しい形のPAHを精密有機合成の手法で合成し、その性質を調べることで、PAHの構造と性質の関係を探る基礎研究が世界中の多くの研究者によって進められている。

複数のベンゼン環がらせん形に連結されたヘリセンは、その特徴的な構造で注目されているPAHの一つである[参考文献1](図1)。らせん形にねじれることで、右巻きと左巻きの2種類のエナンチオマー[用語6]が存在し、これによるキラル光学特性を持つ。この性質を利用するキラル光学材料としての応用を目指して、ヘリセンやその関連化合物の合成が盛んに進められている。しかし、ヘリセンのらせん径を拡大した拡張ヘリセンの合成例は少なく、特にらせんの巻き数が1を大きく超えるものは報告例がなかった[参考文献2]

図1. ヘリセンの分子構造と三次元構造

図1. ヘリセンの分子構造と三次元構造

研究成果

本研究グループは、ヘリセンに対して、らせんの巻く方向にベンゼン環を規則的に挿入することで、大きならせん径を持つ新規拡張ヘリセンを設計した(図2)。この分子構造に見られる、3つのベンゼン環が直線状に並んだ部分構造をアントラセン[用語7]といい、この新しい拡張ヘリセンは複数のアントラセンをらせん状に縮合した構造であるともいえる。そこで、これらの拡張ヘリセンをらせん形縮合アントラセン(Helical fused Anthracenes, [n]HA)と命名した。(nは縮合するアントラセンの数。)

図2. ヘリセンと拡張ヘリセン(らせん形縮合アントラセン)の分子構造

図2. ヘリセンと拡張ヘリセン(らせん形縮合アントラセン)の分子構造

研究グループは、入手が容易なアントラセン誘導体を出発原料とし、鈴木-宮浦クロスカップリング[用語8]と塩化白金(II)触媒によるアルキンの環化異性化反応[用語9]を段階的に行うことで、アントラセンが最大5枚まで縮合した一連のらせん形縮合アントラセン([2]HAから[5]HA)を合成することに成功した(図3)。

図3. アントラセンと合成したらせん形縮合アントラセン[n]HAの分子構造

図3. アントラセンと合成したらせん形縮合アントラセン[n]HAの分子構造

この合成したらせん形縮合アントラセンについて、それぞれの分子の3次元構造を、単結晶X線回折測定と量子化学計算を用いて解析した。アントラセンが4枚以上の[4]HAと[5]HAは、らせんの巻き数が1を超える明確ならせん形であり、それぞれ1枚および2枚のアントラセンの大部分が重なり合った構造であることが分かった(図4左)。計算から見積もった[5]HAの巻き数は約1.5と、既存の拡張ヘリセン分子の中では最も多く、これまでにないユニークならせん分子を合成することができたといえる。また、重なり合うアントラセン間の距離は0.36-0.37ナノメートルと、一般的に芳香環が積層する距離であり、アントラセン環同士が広い面で接触していることが分かった。さらに、量子化学計算による非結合相互作用(Non-Covalent Interaction, NCI)[用語10]プロット解析により、芳香環の間で弱い相互作用の存在が示唆された(図4右)。

図4. [5]HAの立体構造(左)とNCIプロット(右)。NCIプロットにおける緑の領域は、芳香環の間に弱い相互作用が働くことを意味する。

図4. [5]HAの立体構造(左)とNCIプロット(右)。NCIプロットにおける緑の領域は、芳香環の間に弱い相互作用が働くことを意味する。

一方、分光測定を行うと、[2]HAから[5]HAまでらせん構造が伸びていくにつれて、光の吸収や発光の色調が段階的に変化することが分かった。特に、巻き数が1を超える [4]HAと[5]HAになると、[3]HAまでには見られない幅広かつ長波長シフトした発光を示した。この発光現象について量子化学計算によって詳細に解析すると、[4]HAと[5]HAは重なり合ったアントラセン環同士の相互作用により励起状態が安定化されるため、独特な発光現象を発現することが分かった。これは、巻き数が1を超えるらせん分子独自の性質と考えられる。

さらに、今回合成された拡張ヘリセン分子のらせん反転挙動[用語11]を量子化学計算により解析すると、同程度の巻き数を持つヘリセンと比べてらせん反転が容易になることが分かった。これは、らせん径が大きいため、らせんねじれが緩やかになり、分子の構造の自由度が増していることが理由と考えられる。このことから、らせん径を拡大することで、より柔軟ならせん分子を作ることができるという知見が得られた。

研究の経緯

研究グループは、本研究の前報で[3]HAとその誘導体の合成を行った[参考文献3]。らせん反転を遅くするための工夫を施した誘導体で光学分割に成功し、その物性を調べた結果、らせん形のキラリティを持つ有機分子の中ではトップクラスに高いキラル光学特性を示すことを発見した。一方、[3]HAはらせんの巻き数が1未満であり、π電子が重なっている部分が小さいため、芳香環の重なりによるらせん分子独自の性質については検討できなかった。そこで今回の研究では、より巻き数が多い[4]HA、[5]HAの合成を行い、π電子の重なりと分子の性質に着目した解析を行った。

今後の展開

本研究により、らせん径の大きい拡張ヘリセン分子は、柔軟な構造を持ち、芳香環の重なりによる独自の分光学的性質を示すことが明らかになった。これらの知見は、キラル光学材料の設計指針に生かすことができ、3Dディスプレイやホログラムといった新しい映像媒体の素子の開発に応用される。さらに、巻き数の多い分子を合成することができれば、炭化水素からなる新しい分子ばねの設計にもつながると期待される。豊田研究室では現在、さらに構造が拡張されたヘリセンや、よりらせんねじれの大きい構造を持つ拡張ヘリセン分子の合成を進めている。

付記

本研究は日本学術振興会の科学研究費(課題番号 JP20H02721)、長瀬科学技術振興財団の助成を受けて実施された。

用語説明

[用語1] 多環式芳香族炭化水素(Polycyclic Aromatic Hydrocarbons, PAH) : 複数の芳香環が縮合してできる炭化水素。アントラセン、ピレン、ペリレンなど。

[用語2] ヘリセン : 複数のベンゼン環がらせん形に連結された分子。らせんの巻き方により、左巻きと右巻きの2種類の鏡像異性体が存在する。

[用語3] キラル光学特性 : エナンチオマーが存在する光学活性な分子において発現する独自の光学的性質。具体的には、左右円偏光の吸収の差が生じる円二色性や、発光に左右円偏光の差が生じる円偏光発光など。

[用語4] らせんの巻き数 : らせんが1周する(位相が360°進む)毎に巻き数を1とする。これまでに合成された最大のヘリセンでは巻き数が2.5を超える。

[用語5] 芳香環 : 芳香族性を示す環。環状の分子構造において、4n+2個のπ電子が共役を通じて環状に非局在化される場合、その環に芳香族性が発現する。6つのπ電子が非局在化されるベンゼン環がその代表例。

[用語6] エナンチオマー : 2つの分子が鏡像の関係にあり、3次元的に回転しても互いに重ね合わせることができない場合、それらを互いのエナンチオマーと呼ぶ。旋光に対する応答が真逆だが、それ以外の物理的な性質は全く同じである。右手と左手の関係とよく表現される。

[用語7] アントラセン : 3つのベンゼン環が縮環した長方形の平面状構造の有機分子。

[用語8] 鈴木-宮浦クロスカップリング : パラジウム触媒により、有機ホウ素化合物と有機ハロゲン化合物をカップリングする反応。多環式芳香族化合物の合成に多用される。発見者の鈴木章博士が2010年にノーベル化学賞を受賞。

[用語9] アルキンの環化異性化 : ビアリール化合物で、一方のアリール基のオルト位に置換されたアルキン置換基が、ルイス酸触媒によりもう一方のアリール基と結合を作り、環を作る反応。

[用語10] 非結合相互作用 : 共有結合によらない分子間または原子間に働く相互作用。水素結合、ファンデルワールス力、疎水性相互作用、π-π相互作用など。

[用語11] らせん反転挙動 : 右巻きのらせん構造と左巻きのらせん構造が動的に入れ替わる現象。

参考文献

[1] C.-F. Chen, Y. Shen, Helicene Chemistry: From Synthesis to Applications Springer, Berlin, 2017

[2] G. R. Kiel, S. C. Patel, P. W. Smith, D. S. Levine, T. D. Tilley, J. Am. Chem. Soc. 2017, 139, 18456−18459.

[3] K. Fujise, E. Tsurumaki, G. Fukuhara, N. Hara, Y. Imai, S. Toyota, Chem. Asian J. 2020, 15, 2456.

論文情報

掲載誌 :
Chemistry - A European Journal
論文タイトル :
Construction of helical structures with multiple fused anthracenes: structures and properties of long expanded helicenes
(複数のアントラセン縮環によるらせん形構造の構築:長鎖拡張ヘリセンの構造と性質)
著者 :
Kei Fujise, Eiji Tsurumaki, Kan Wakamatsu, Shinji Toyota*
(藤瀬 圭、鶴巻 英治、若松 寛、豊田 真司*
DOI :

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