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大規模分子シミュレーションによる環状ペプチドの細胞膜透過性予測法を開発

スパコンを活用して中分子創薬を加速

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公開日:2021.07.13

要点

  • 医薬品に適した環状ペプチドの探索に資する予測手法を開発
  • 提案手法による細胞膜透過性の予測値は実験値と良好な相関(相関係数0.63)
  • 環状ペプチド原子と細胞膜や水との静電相互作用が、細胞膜透過現象と強く関係する性質が明らかに

概要

東京工業大学 情報理工学院 情報工学系の秋山泰教授らは、環状ペプチド[用語1]細胞膜透過性[用語2]をスパコンの大規模活用による最新鋭の分子動力学シミュレーション[用語3]技術に基づいて計算する、新たな予測手法を開発した。

多様な標的に対して高い結合親和性を持つ環状ペプチドは創薬において注目されているが、適切な設計を見つける(予測する)ことが困難という課題があった。秋山教授らの研究グループは分子シミュレーションによるペプチド設計の予測手法を開発し、156個の環状ペプチドを対象とした検証実験を通じて評価した。その結果、提案手法による細胞膜透過性の予測値は実験値との良好な相関が見られ、十分に実用的な予測性能をもつことが実証された。さらにシミュレーションによる動態解析の結果、環状ペプチドを構成する原子と細胞膜や水との間の静電相互作用[用語4]が、細胞膜透過性と強く関係することが明らかになった。この知見は膜透過メカニズムの解明や膜透過性を有する分子を設計するための指針に繋がり、ペプチド創薬技術の確立に大きく貢献するものである。

研究成果は2021年7月8日(現地時間)付で米国化学会Journal of Chemical Information and Modeling(ケミカル・インフォメーション・アンド・モデリング)誌のオンライン速報版で公開され、掲載号のカバーピクチャーに採用された。

背景

従来の低分子創薬[用語5]に替わり世界各国で急速に開発が進む環状ペプチド創薬は、これまで狙うことのできなかった細胞内の標的をターゲットとすることが可能であることから次世代の医薬品開発の対象として注目されている。その一方、一般的に細胞膜透過性が低いという問題点があり、創薬に適した細胞膜透過性を持つペプチド設計を見つける方法は試行錯誤的な手法しかないため、適切な設計を探索する過程が開発のボトルネックとなっている。東京工業大学 中分子IT創薬研究推進体(MIDL)[用語6]では、このボトルネックを解消すべく、分子動力学シミュレーションや深層機械学習[用語7]に基づく細胞膜透過性予測法の開発を進めてきた。

研究の経緯

秋山教授らは2017年にMIDLを設立、川崎市と共同で「IT創薬技術と化学合成技術の融合による革新的な中分子創薬フローの事業化」(平成29年度 文部科学省「地域イノベーション・エコシステム形成プログラム」に採択)に取り組んできた。ペプチド創薬のIT技術開発は、本事業における「事業化プロジェクト1」として実施された。

研究成果

本研究では分子動力学シミュレーションに基づいた環状ペプチドの細胞膜透過性予測プロトコルを開発し、創薬研究の過程で検討された156種類の環状ペプチドの細胞膜透過性予測を実施した。ペプチド医薬品として検討されることの多い8残基以上の環状ペプチドに対する細胞膜透過予測を行うには、1回のシミュレーションですら膨大な時間がかかり、156種類の異なる環状ペプチドに対して網羅的にシミュレーションを実施した研究は世界的に前例がなかった。本プロトコルのシミュレーションではペプチド1種類当たりの計算に約70時間を要した(東京工業大学のスパコン「TSUBAME 3.0」を用い、GPU28基を割り当てて計算した場合)。

本研究の結果、提案手法に基づく細胞膜透過性の予測値と、事前に得られていた実験値との間で、最良となる条件下では相関係数が R = 0.63 となる良好な相関性が確認された。さらに、分子動力学シミュレーションの軌跡データから得られたペプチドの立体配座やエネルギー値を詳しく解析した結果、環状ペプチドを構成する原子と細胞膜や水との間の静電相互作用の強さが、細胞膜透過性の値に強く関係していることが初めて明らかになった。本成果は細胞膜透過メカニズムの解明や、医薬品に適した細胞膜透過性を有する分子を設計するための指針に繋がり、次世代のペプチド創薬に大きく貢献するものである。

図. 脂質二重膜を透過する環状ペプチド。左側のグラフは、静電相互作用(横軸)と膜中央部付近での透過性(Pflip、縦軸)が相関している様子を示す。右側のグラフは、膜透過性の実験値(横軸)と提案手法による予測値(縦軸)が相関している様子を示す。
© 2021 Sugita M, et al. Published by American Chemical Society (Licensed under CC BY 4.0).

今後の展開

今回発表した手法を改善し、さらに正確な予測が可能となるシミュレーションプロトコルの開発がすでに進行しており、予測精度の大きな改善が達成される見通しである。それと同時にAI(深層機械学習)による膜透過性予測技術との連携も進めており、より正確かつ高速な予測法の確立を目指している。

付記

本研究は以下の事業の支援を受けて実施された。

  • 文部科学省 イノベーションシステム整備事業 地域イノベーション・エコシステム形成プログラム「IT創薬技術と化学合成技術の融合による革新的な中分子創薬フローの事業化」(国立大学法人東京工業大学、川崎市、平成29年度採択地域)
  • 科学研究費助成事業 基盤研究(B)「中分子創薬に適した特性を有する環状ペプチド分子設計手法の開発」(研究代表者 秋山泰 東京工業大学 教授)
  • 科学研究費助成事業 基盤研究(B)「タンパク質間相互作用を標的とする薬剤分子設計技術の開発」(研究代表者 大上雅史 東京工業大学 助教)
  • 科学技術振興機構(JST) 研究成果展開事業 リサーチコンプレックス推進プログラム「世界に誇る社会システムと技術の革新で新産業を創るWellbeing Research Campus」(中核機関 慶應義塾大学)
  • 国立研究開発法人産業技術総合研究所 産総研・東工大 実社会ビッグデータ活用 オープンイノベーションラボラトリ
  • 国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED) 創薬等ライフサイエンス研究支援基盤事業 創薬等先端技術支援基盤プラットフォーム(BINDS)(JP20am0101112)

用語説明

[用語1] 環状ペプチド : 複数のアミノ酸が連なったポリペプチドの両末端が何らかの結合で結ばれて環状になった分子。

[用語2] 細胞膜透過性 : 細胞の内外を隔てる脂質二重膜に対し、ある物質がどの程度通過しやすいかを示す指標。通常、単位時間・単位面積あたりに膜を隔てて物質が移動した量を膜の内外の物質の濃度差で割った値で評価される。

[用語3] 分子動力学シミュレーション : ニュートンの運動方程式を短い時間間隔で逐次的に解くことにより原子や分子の運動を予測・再現する手法。

[用語4] 静電相互作用 : 各原子の電荷(電気量)に関する相互作用。分子間に働く相互作用の一種である。正電荷と負電荷があり、同符号の電荷の間には斥力、異符号の電荷の間には引力が働く。

[用語5] 低分子創薬 : 分子量500以下程度の分子から成る医薬品の開発過程。低分子医薬品は人工的な大量合成や経口投与が可能という利点を持つ分子が多いが、ターゲット以外の分子とも強く相互作用し、それが副作用に結びつくことがある。

[用語6] 中分子IT創薬研究推進体(MIDL) : 東京工業大学における独自の組織である「研究推進体」の一つとして、2017年9月に設置された組織。本推進体では、新たな中分子シミュレーション技術や設計手法を開拓し、計算と実験の研究者が密接に協力して、中分子創薬の開発現場における実証評価を進めている。また、本学が保持するペプチドや核酸の優れた合成技術に対して、情報技術からの支援を行い、中分子創薬における実用化を目指す。

[用語7] 深層機械学習 : ニューラルネットワークに基づいた機械学習アルゴリズムの一種であり、ネットワークを多層化させることで高い予測性能を得ることが可能である。

論文情報

掲載誌 :
Journal of Chemical Information and Modeling
論文タイトル :
Large-scale membrane permeability prediction of cyclic peptides crossing a lipid bilayer based on enhanced sampling molecular dynamics simulations
著者 :
Masatake Sugita, Satoshi Sugiyama, Takuya Fujie, Yasushi Yoshikawa, Keisuke Yanagisawa, Masahito Ohue, Yutaka Akiyama
( equally contributed)
DOI :

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