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世界最高速で試料回転を行う固体NMRプローブを開発

超微量の生体試料を高感度で検出

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公開日:2023.07.24

概要

東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系の石井佳誉教授(理化学研究所(理研) 生命機能科学研究センター 先端NMR開発・応用研究チーム チームリーダー)と松永達弥助教(理研 同研究チーム 客員研究員)、日本電子株式会社NM事業ユニットNM開発部 第2グループの遠藤由宇生副主査、根本貴宏グループ長、同第1グループの蜂谷健一グループ長、科学技術振興機構 未来社会創造事業 大規模プロジェクト型の小野通隆プログラムマネージャー(理研 生命機能科学研究センター センター長室 高度研究支援専門職)らの共同研究グループは、固体核磁気共鳴(NMR)法[用語1a]において、世界最高速となる180 kHzの回転速度による超高速マジック角回転(MAS)[用語2]が可能な検出器(プローブ[用語1b])を開発しました。

本研究成果により、超微量の生体試料やナノ材料の高感度[用語3a]検出、アルツハイマー病に関わる脳由来の微量なアミロイドβペプチド[用語4]の解析など、先端研究の進展が期待できます。

超高速MASはNMRプローブ中の固体試料を高速回転させ、その分子構造や物性を高分解能[用語3b]・高感度で観測する手法です。

今回、共同研究グループは、直径約0.4 mmの微小な試料管を高速の気流で回転させるMAS装置を備えたNMRプローブを開発し、従来の世界記録(160 kHz)を上回る180 kHzの高速回転における固体NMR測定を成功させました。180 kHzは毎秒18万回転に相当し、試料管外周の速度は813 km/hと新幹線の2.5倍以上に達します。この超高速回転により、従来比で2倍程度の感度向上が得られ、微量タンパク質試料の2次元NMR[用語5]測定にも160 kHz条件下で成功しました。

本研究は、2023年7月9日より英国グラスゴーで開催された国際会議『Euromar 2023』の講演で発表されました。

背景

核磁気共鳴(NMR)法は、強い磁場中に置かれた試料中の原子核の核スピンの電磁場に対する共鳴現象(核磁気共鳴現象)により、物質の分子構造や物性を解析する方法です。固体NMR法は固体状態の材料や難溶性の生体試料などの構造解析のために、生命科学、医薬、有機化学、食品、材料科学といった幅広い分野で利用されています。固体NMR法では、磁場に対し54.73度傾けた軸に沿って試料を回転させるマジック角回転(MAS)と呼ばれる方法で高分解能NMRを達成します。

タンパク質など炭素(C)と水素(H)を含む試料では、天然存在比約99%の12Cを観測できないため、安定同位体である13Cを試料に取り込ませて観測する方法がこれまで主流でした。しかし、近年の高速MAS技術の発展に伴い、1Hの計測性能が向上したため、13Cの観測よりも1Hを観測する方がより高感度・高分解能で測定できるようになりました。1Hの固体NMRの測定性能は、MASで試料を回転させるときの回転速度が速くなるほど向上し、より微量の試料に対する測定が可能になります。このため、より高速で試料回転する固体NMR装置の開発が数十年にわたって進められてきました。

100 kHz(毎秒10万回転に相当)超の高速MASを達成するNMRプローブは、2012年に、株式会社JEOL RESONANCE(現:日本電子株式会社)が初めて開発に成功しました。その後、日米欧を中心に、より速い速度で回転するMAS装置の開発が進められ、現在は欧州に拠点を置く研究グループが150 kHzの高速MAS装置の商用化に成功しています。また2022年には、欧州に拠点を置く企業が160 kHzの高速MAS装置の開発を発表しました。

研究手法と成果

共同研究グループは超高速MAS技術をさらに高度化し、世界初の180 kHz(毎秒18万回転に相当)の回転速度を実現しました。微細加工により、一般的なシャープペンシルの芯より細い直径約0.4 mmの中空のセラミック製の試料管(ローター)を開発しました(図1)。この試料管に試料を詰め、音速(約340 m/s)に近い速度の圧縮ガスを試料管の両端にあるキャップの一方に取り付けた羽根に吹き付けることで、超高速回転を実現します。試料管全体は圧縮ガスを使ったエアベアリング[用語6]で浮いた状態になっており、周囲の壁との摩擦なく回転します。

図1 今回開発したプローブ(左)と直径0.4 mm MASローター(試料管)(右) 左は、180 kHzの回転速度を実現したプローブ。右の一番上は、微細加工により作製した180 kHz用の直径約0.4 mmのMASローター。上から二番目は2012年に初めて100 kHzを越えて開発に成功した直径0.75 mmのMASローター。上から三番目は直径2.5 mmのMASローター。

図1. 今回開発したプローブ(左)と直径0.4 mm MASローター(試料管)(右)

左は、180 kHzの回転速度を実現したプローブ。右の一番上は、微細加工により作製した180 kHz用の直径約0.4 mmのMASローター。上から二番目は2012年に初めて100 kHzを越えて開発に成功した直径0.75 mmのMASローター。上から三番目は直径2.5 mmのMASローター。

このプローブを用いた固体NMR実験を理研の共鳴周波数900 MHz(メガヘルツ)[用語7a]のNMR装置で行い、回転速度に比例する感度と分解能の大幅な向上が示されました。図2に、MASの回転速度を24 kHzから180 kHzまで上げたときのアミノ酸試料(L-アラニン)の1H固体NMRスペクトルを示します。L-アラニンに含まれる水素は異なる3種類の分子内環境(NH3+、CH、CH3)にあり、NMRスペクトルではこの違いは分離した3つのピークとして示されます。

24 kHzのスペクトル(紫)は、1H-1H間の強い磁気的相互作用のために信号の線幅が非常に広くなり、CHのピークが確認できません。100 kHzで得たスペクトル(緑)は、この相互作用が超高速回転により取り除かれるため、線幅が狭くなり、信号強度が向上して3種類全ての水素の信号が得られています。180 kHzのスペクトル(赤)では、さらに感度と分解能が大幅に向上し、100 kHzの2倍程度の信号強度が得られています。また、測定の速度は感度の2乗に比例するため、180 kHzでの測定は100 kHzの4分の1の時間で可能になります。

図2 L-アラニンの1H MAS固体NMRスペクトルの回転速度依存性 縦軸は信号強度、横軸は線幅を示す。右の数字はMAS回転数(kHz)。スペクトルは、回転数によって色付けされている。ピークは左より、NH3+、CH、CH3の3種類の水素核からの固体NMRの信号を示している。

図2. L-アラニンの1H MAS固体NMRスペクトルの回転速度依存性

縦軸は信号強度、横軸は線幅を示す。右の数字はMAS回転数(kHz)。スペクトルは、回転数によって色付けされている。ピークは左より、NH3+、CH、CH3の3種類の水素核からの固体NMRの信号を示している。

また、160 kHzの超高速MAS条件下において、タンパク質試料の2次元NMRの測定にも成功しました。さらに、モデルタンパク質であるGB1試料の固体NMR測定にも初めて成功しました(図3右)。タンパク質試料の場合は変性を防ぐために冷却が必要なことから、冷却ガスの影響で安定して超高速回転させることがより難しいにもかかわらず、このスペクトルも80 kHzのMASを用いたスペクトル(図3左)に比べて分解能の大幅な向上が確認されました。測定時間は18分間であり、微量のタンパク質試料を短時間で測定できることも示されました。

図3 モデルタンパク質GB1試料の固体NMR測定結果 固体状態(微結晶状態)のGB1タンパク質(56アミノ酸)に対して、80 kHz(左)、160 kHz(右)の回転速度のMASで得られた1H-13C 2次元NMRスペクトル。試料は有機溶媒を含んだ微量の水溶液に浸されており、溶液内のタンパク質と同等な構造が固体状態で保持されている。スペクトルは、タンパク質の主鎖を構成する13Cαとそれに結合する1Hαの化学シフトを紐づけており、これによって両者の帰属を明確にできる。一般的に、固体NMRの1Hスペクトルは線幅が数十ppmを超える非常に幅広なスペクトルとなるが、本実験では、直径0.4 mmの細径試料管に詰めた固体試料を毎秒16万回転させることで線幅を大幅に細くし、溶液NMRスペクトルに近いスペクトルを得ている(右)。右側の矢印の帯状のピークは、溶媒信号の消え残りである。

図3. モデルタンパク質GB1試料の固体NMR測定結果

固体状態(微結晶状態)のGB1タンパク質(56アミノ酸)に対して、80 kHz(左)、160 kHz(右)の回転速度のMASで得られた1H-13C 2次元NMRスペクトル。試料は有機溶媒を含んだ微量の水溶液に浸されており、溶液内のタンパク質と同等な構造が固体状態で保持されている。スペクトルは、タンパク質の主鎖を構成する13Cαとそれに結合する1Hαの化学シフトを紐づけており、これによって両者の帰属を明確にできる。一般的に、固体NMRの1Hスペクトルは線幅が数十ppmを超える非常に幅広なスペクトルとなるが、本実験では、直径0.4 mmの細径試料管に詰めた固体試料を毎秒16万回転させることで線幅を大幅に細くし、溶液NMRスペクトルに近いスペクトルを得ている(右)。右側の矢印の帯状のピークは、溶媒信号の消え残りである。

今後の期待

共同研究グループは、今回開発した超高速MAS技術を用いて、アルツハイマー病に関わるアミロイドβペプチドの超微量試料による構造解析などの先進研究を進めていきます。
また、今回の開発で得られた超高速MASプローブと、最近開発したアジア最高磁場の1.01 GHz(ギガヘルツ)[用語7b](23.7テスラ)NMR装置や現在世界最高磁場を目指して開発中である1.3 GHz(30.5テスラ)NMR装置を組み合わせて利用する予定です。

2022年10月25日プレスリリース「世界一コンパクトな超1GHzのNMR装置の開発に成功

発表者

  • 東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系 教授/
    理化学研究所 生命機能科学研究センター 先端NMR開発・応用研究チーム チームリーダー
    石井佳誉
  • 東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系 助教/
    理化学研究所 生命機能科学研究センター 先端NMR開発・応用研究チーム 客員研究員
    松永達弥
  • 日本電子株式会社 NM事業ユニット NM開発部 第2グループ 副主査
    遠藤由宇生
  • 日本電子株式会社 NM事業ユニット NM開発部 第2グループ グループ長
    根本貴宏
  • 日本電子株式会社 NM事業ユニット NM開発部 第1グループ グループ長
    蜂谷健一
  • 科学技術振興機構 未来社会創造事業 大規模プロジェクト型プログラムマネージャー/
    理化学研究所 生命機能科学研究センター センター長室 高度研究支援専門職
    小野通隆

研究支援

本研究は科学技術振興機構(JST)未来社会創造事業大規模プロジェクト型「エネルギー損失の革新的な低減化につながる高温超電導線材接合技術」研究領域の研究課題「高温超電導線材接合技術の超高磁場NMRと鉄道き電線への社会実装(研究代表者:小野通隆)」(JPMJMI17A2)の助成を受けて行われました。

用語説明

[用語1a] 固体核磁気共鳴(NMR)法 : 核磁気共鳴(NMR)法は、磁場中に置かれた原子核の核スピンの共鳴現象(核磁気共鳴現象)により、物質の分子構造や物性を解析する方法。分子の相互作用などの情報も得られるため、生命科学、医薬、化学、食品、材料物性といった幅広い分野で利用されている。磁気共鳴画像(MRI)法でもこの共鳴現象が用いられている。測定対象となる物質を溶媒に溶かす溶液NMR法に対し、固体状態の物質を測定するNMR法を固体NMR法と呼ぶ。プローブはNMR信号を得るための検出器で、感度や分解能を左右するNMR装置の心臓部と考えられている。NMRはNuclear Magnetic Resonanceの略。

[用語1b] プローブ : 固体核磁気共鳴(NMR)法[用語1a]を参照。

[用語2] マジック角回転(MAS) : 磁場に対し54.73度傾けた軸に沿って試料を回転させること。54.73度はマジック角と呼ばれ、3cos2θ – 1 = 0を満たす角度θである。固体NMR法において、この角度で試料を回転させると、固体試料に特有な異方的なスピン相互作用を取り除くことができ、溶液NMR法と同様の高分解能スペクトルが得られる。MASはmagic angle spinningの略。

[用語3a] 感度 : 感度は装置や測定法の敏感さを比較するための指標で、一定の実験時間でどのくらい強い信号が測定できるかを表す。NMRでは、信号強度(s)をノイズ信号強度(N)の2乗平均の平方根の値(σN)の2倍で割った値(s/2σN)を信号雑音比(S/N比)と呼び、S/N比を測定時間(t)の平方根で割った値(s/{2σN t1/2})を感度と定義している。従って、S/N比を2倍にするためには測定時間が4倍かかるため、NMRの感度が2倍になることは測定時間が1/4になるのと同義である。分解能は、周波数の近い信号をどれだけ分離できるかの指標であり、L-アラニンなどの標準試料の線幅を得ることで見積もることができる。線幅が狭いほど数多くの信号を分離できるため、分解能が高い。

[用語3b] 分解能 : 感度[用語3a]を参照。

[用語4] アミロイドβペプチド : アミロイドβ前駆体タンパク質からプロテアーゼにより切断されて産生される生理的ペプチド。アルツハイマー病で見られるアミロイド斑(老人斑)の構成成分として発見されたことから、この過剰な蓄積が発症の引き金と考えられている。Aβはアミノ酸の数で種類が分類され、40アミノ酸残基からなるAβ1-40、42アミノ酸残基からなるAβ1-42が同定されている。そのうち、Aβ1-42が最も神経毒性が高いと考えらえている。

[用語5] 2次元NMR : 通常の1次元NMRでは、横軸が周波数、縦軸が共鳴強度のスペクトルとして表される。2次元NMRは、隣接する官能基や互いに作用し合う官能基などの相互作用を2つの周波数の相関として表すことで測定する手法である。高分解能のC-H相関2次元NMRでは、隣接した炭素と水素の周波数の情報を得ることで、C-Hのつながりなど化合物の構造解析が可能となる。スペクトルの情報は2次元に展開される。

[用語6] エアベアリング : 回転軸を支持する仕組み。軸受に圧縮空気を送り込み、回転子を浮上させる。

[用語7a] MHz(メガヘルツ) : ヘルツは周波数の単位であり、核磁気共鳴現象においては電磁場の共鳴周波数を指す。共鳴周波数は磁場強度に比例し、例えば2.35テスラの磁場において、水素核は100 MHzの周波数で共鳴する。1テスラは、ネオジム系などの強力永久磁石の表面磁場と同等の強さである。NMR装置では、慣習的に磁場の強さをメガヘルツ(=100万Hz)で表現するが、近年の高磁場化に伴い、1,000 MHz以上の装置に対してギガヘルツ(=10億Hz)の表現もしばしば用いられる。

[用語7b] GHz(ギガヘルツ) : MHz(メガヘルツ)[用語7a]を参照。

学会発表情報

学会名 :
Euromar 2023(July 9-13, 2023, Scottish Events Campus, Glasgow, United Kingdom)
論文タイトル :
New advances toward development of a 1.3 GHz NMR system: 1.01 GHz NMR system and MAS beyond 150 kHz
著者 :
Y. Yanagisawa, Y. Suetomi, R. Piao, T. Yamazaki, M. Ono, M. Yoshikawa, M. Hamada, K. Saito, H. Maeda, T. Matsunaga, J. Hamatsu, Y. Endo, T. Nemoto, K. Hachitani, and Y. Ishii

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理化学研究所 生命機能科学研究センター 先端NMR開発・応用研究チーム チームリーダー
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東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系 助教
松永達弥

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