東工大ニュース
東工大ニュース
公開日:2020.06.17
東京工業大学 物質理工学院応用化学系の小西玄一准教授、京都大学福井謙一記念センターの鈴木聡博士、フランス・ナント大学ジャン・ルエル材料科学研究所の佐々木俊輔博士、香港科学技術大学のBen Zhong Tang(唐本忠)教授らの研究グループは、現象論的に定義されてきた凝集誘起発光(AIE)[用語1]について1分子で働く理想的な分子系を発見した。光物理過程の実験・理論的解析によりAIE現象の本質を明らかにし、新分子探索法や機能開発の指針を提案した。
今回の研究成果はAIE色素の理解を深めるだけでなく、新しいAIE色素の開発や性能向上への応用が期待される。
同グループは2015年に大きく捻じれたジアルキルアミノ基[用語2]を持つ芳香族炭化水素類が1分子でAIE挙動を示す理想的な分子群であることを発見し、実験と理論の両面から発光・消光メカニズムを解明、AIE現象の本質は溶液中での失活経路[用語3]にあることを明らかにした。
AIE色素は希薄溶液状態では発光せず、固体・凝集状態で強発光する蛍光色素で、一般的な蛍光色素と反対の挙動を示す。この性質を利用し、固体発光材料や生体分子観察などへの応用が進んでいる。しかしAIEは現象につけられた名前で、様々な発光メカニズムや分子集合体の効果が混在しており、その原理を統一的に理解し新しい分子の設計や機能の開発を行うための基礎研究が必ずしも十分であるとは言えなかった。
研究成果はドイツ化学会Wiley-VCH(ワイリー社)の総合化学雑誌Angewandte Chemie(アンゲヴァンテ・ケミー)Web版に5月18日付で公開された。
溶液中で消光し、固体状態で強く発光する凝集誘起発光(AIE)色素は、生体分子分析や固体発光材料への多彩な応用への期待から、大きな注目を集めている。しかし、AIEは現象につけられた名前であり、様々な発光メカニズムや分子集合体の効果が混在しているため、その原理を統一的に理解して新しい分子の設計や機能の開発を行う基礎研究が不十分だった。
研究グループは2015年に偶然発見したAIE色素(図1、文献1)および類似の構造である大きく捻じれたジアルキルアミノ基を持つ芳香族炭化水素類が1分子でAIE挙動を示す理想的な分子群であることを発見した(代表的なAIE色素は構造もメカニズムも複雑である)。そして、実験と理論の両面からこれらの色素の発光・消光メカニズムの解明に挑戦した。
AIE現象の特徴である溶液中の消光は光励起後に極めて短いスケール内で起こる内部転換(内部変換)領域で起こる。したがって、実験的手法で解析することが困難なため、発光・消光メカニズムを実証することが難しいとされてきた。研究グループは、量子化学をベースに、ポテンシャル曲面[用語4]、すなわち化学反応の経路を算出し、消光が起こる際の分子の構造変化を可視化することに成功した(図2)。
これらの議論から、AIE現象の本質は溶液中での無輻射失活経路[用語6]にあることを明らかにした。このことは、分子集合体の性質により蛍光強度が増加する系でも成り立つ。また、これらの知見をもとに、溶液中で励起された分子が、大きな構造変化を伴う失活経路により消光する分子系が新しいAIE色素の候補となることを指摘した。
一般的な蛍光色素は希薄溶液中で強発光し、固体状態になると蛍光が弱くなるか消光する。それに対して、2001年に香港科技大のBen Zhong Tang教授(京大工博・高分子化学専攻1988)は溶液中でほとんど発光せず、凝集すると可視領域に強発光を示す凝集誘起発光(AIE)色素を発見し、材料科学や分析化学への応用を展開してきた。
概念の提唱から20年、AIEは化学・材料分野の中で最もエキサイティングな領域の1つに成長した。しかしながら、AIEは発光現象につけられた名前であり、さらに発光メカニズムも分子系ごとに異なると考えられるため、光化学の中での定義が不明確だった。また、AIE色素はサイズが大きく複雑な構造のものが多く、さらに合理的な分子設計法が確立されていなかった。
研究グループは2015年に偶然、新しいAIE色素である9,10-ビス(ジアルキルアミノ)アントラセン[用語7]を発見した[文献1]。しかし、実験的な光物理過程の解析では発光・消光メカニズムを解明することができなかった。その後、理論計算により、AIEは分光学的に観測が難しい時間領域で起こる現象であることを明らかにした[文献2]。その方法は福井謙一博士が創始し、諸熊奎治博士が発展させた化学反応経路の探索法である。以下にその歴史的背景を説明する。
複雑な化学反応を紙と鉛筆で理解するフロンティア軌道理論[用語8]は、1981年に日本人として初めてノーベル化学賞を受賞した福井博士(京大名誉教授)が切り拓いた分野である。福井博士が発見したもう一つの重要な理論として、IRC(intrinsic reaction coordinate: 固有反応座標、1970年)がある。反応速度論と分子軌道法を融合した理論で、複雑な化学反応の経路を探索することができる。ノーベル賞を受賞した翌年、福井博士は次のように記している。
「この化学反応の経路に関する理論によれば、化学反応にともなう分子の形の変化が自動的に計算される。それに従来のフロンティア軌道理論の計算を加えることによって化学反応をまさしく映画のように、視覚的に表現し得る可能性が生じたのである(『学問の創造』1982)」。
福井博士の弟子である諸熊奎治博士(エモリー大学名誉教授、元・京大福井センター、2017年逝去)はその考え方を発展させ様々な化学反応のメカニズムを明らかにした。光化学反応におけるポテンシャル面の円錐交差に着目した研究でも世界を先導した。研究グループは、諸熊博士とともに実験と理論の両面からAIE色素の光物理過程の解明と新たな分子の設計を開始した。
研究グループでは理論計算を駆使して、AIE色素に限らず、様々な発光材料の設計や光物理過程の予測・解析を行っている。計算機の性能の大幅な向上により、福井博士の期待通り、化学反応や発光現象をまるで映画を見るように計算により可視化できるようになった。実際の化学反応はもう少し複雑だが、反応の進行や発光の予測に十分な情報が得られるようになっている。実験的な解析が難しく、未開だった分子系の光機能の開発が期待される。
用語説明
[用語1] 凝集誘起発光(AIE=Aggregation-Induced Emission) : 希薄溶液状態では発光せず、固体・凝集状態で強発光する蛍光色素で、一般的な蛍光色素と反対の挙動を示す。
[用語2] ジアルキルアミノ基 : -NR2で表される。[用語7]に示す構造の場合、立体障害によりRが平面に対して上下に捻じれた配置になる。
[用語3] 失活経路 : 光励起された分子がエネルギー的に安定な状態に移ることを失活と言う。蛍光またはりん光を発光して基底状態に戻る輻射(ふくしゃ)失活、内部転換や項間交差による無輻射失活がある。
[用語4] ポテンシャルエネルギー曲面(反応経路) : 特定のパラメータに対して系のエネルギーを表したものであり、化学反応の速度や分子のエネルギーを最小化する場合の形状を求めることに利用される。
[用語5] 励起一重項と基底一重項 : スピンが対になった状態が一重項であり、基底状態と、光を吸収して電子がより不安定な軌道に遷移した励起状態がある。
[用語6] 無輻射失活経路 : [用語3]に示した状態の遷移において熱的に失活する経路。
[用語7] 9,10-ビス(ジアルキルアミノ)アントラセン : 溶液中では発光せず、固体状態で強く発光する色素。かつては合成が難しかったが、現在はパラジウム触媒を用いた方法で大量合成も可能である。
[用語8] フロンティア軌道理論 : 化学反応の経路が、ある特定の分子軌道=フロンティア軌道によって制御されるという量子化学の理論。今日では、化学反応や物質の状態のみならず、半導体の性質の解明にも用いられる普遍性の高い理論として、幅広く使用されている。
参考文献
本論文は、アメリカ化学会の発行の学術雑誌に発表されたAIE色素の重要論文30選に選定された。
論文情報
掲載誌 : |
Angewandte Chemie International Edition |
論文タイトル : |
Principles of Aggregation-Induced Emission: Design of Deactivation Pathways for Advanced AIEgens and Applications(凝集誘起発光の原理:失活経路のデザインによる新しい凝集誘起発光色素の開発とその応用) |
著者 : |
Satoshi Suzuki, Shunsuke Sasaki, Amir Sharidan Sairi, Riki Iwai, Ben Zhong Tang, Gen-ichi Konishi |
DOI : |
10.1002/anie.202000940 (全文を無償でご覧になれます) |
お問い合わせ先
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系
准教授 小西玄一
E-mail : konishi.g.aa@m.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2321 / Fax : 03-5734-2888
京都大学 福井謙一記念研究センター
博士 鈴木聡
E-mail : suzuki.satoshi.8v@kyoto-u.ac.jp
Tel : 075-711-7708 / Fax : 075-781-4757
取材申し込み先
東京工業大学 総務部 広報・社会連携課
E-mail : media@jim.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2975 / Fax : 03-5734-3661
京都大学 総務部 広報課 国際広報室
E-mail : comms@mail2.adm.kyoto-u.ac.jp
Tel : 075-753-5729 / Fax : 075-753-2094