東工大ニュース
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公開日:2021.03.18
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系の村橋哲郎教授、山本浩二助教、工藤瑛士大学院生、佐々木航汰大学院生と、分子科学研究所の川俣志織研究員のグループはトランス型1,3-ジエンから、より高エネルギー体のシス型1,3-ジエンへと異性化させる反応原理を提唱し、実証することに成功した。
オレフィン類は炭素の二重結合、すなわちC=C二重結合を含む有機化合物で、C=C結合に2つ以上の置換基が結合すると、トランス体とシス体の幾何異性体(幾何的な異性体)が生じることがある。トランス体とシス体では分子構造の違いに基づいて性質が異なり、この異性体構造を制御することは重要である。特に高エネルギー体のシス体をどのように効率的に合成するかが長年の課題となっている。
シス体を選択的に得るもっともシンプルな方法のひとつとしてトランス体からシス体への選択的な変換が考えられる。だが、光照射を使わずにトランス体から高エネルギー体であるシス体へ変換することは極めて困難とされてきた。
村橋教授らはトランス型1,3-ジエンからシス型1,3-ジエンへと異性化させる反応の開発に取り組み、金属-金属結合をもつ二核金属錯体[用語3]を用いる新しい異性化反応を開発し、光照射を使わない条件で、1,3-ジエンをトランス体からシス体へ選択的に変換することに成功した。
反応共役[用語4]の概念を適用し、吸エルゴン反応[用語5]であるトランス体からシス体への変換反応に必要なエネルギーを、別の化学反応から注入できることも明らかにし、二核金属錯体を再利用する合成サイクルも構築した。
研究成果は、英国の科学誌「Nature Communications(ネイチャーコミュニケーションズ)」誌に3月5日(現地時間)付けで掲載された。
C=C二重結合をもつ有機化合物は化学品や天然有機物に広くみられ、工業における合成中間体としても有用である。C=C結合に2つ以上の置換基が結合すると、トランス体とシス体の2つの異性体[用語6]が生じる可能性がある。これらの異性体同士の性質は異なるため、これらを選択的に作り分けることが必要である。
もっともシンプルな作り分け方法のひとつはトランス体とシス体を相互に変換させることである(異性化と呼ばれる)。しかし、シス体からトランス体へと異性化させることは容易であるが、トランス体からシス体へと逆方向に異性化させることは、光照射を使わない条件では困難とされてきた。これはシス体がトランス体に比べて熱力学的に不安定なためである(図1)。
研究グループは光照射を用いない条件では実現が難しいとされてきたトランス体からシス体への異性化に取り組むためには、新しい異性化反応機構に基づく反応開発が必要であると考えた。研究グループが着目したのは、金属錯体を用いてC=C結合をC-C単結合へと変換させ、C-C結合の結合回転を利用してトランス体とシス体の相互変換を促進する方法である。
しかし、金属錯体を用いた場合、通常はC=C結合からC-C結合へ変換した後、直ちにC=C結合に戻るため、シス体からトランス体(順方向)とトランス体からシス体(逆方向)の異性化の両方がすばやく進行し、平衡状態となり、結果として熱力学的に安定なトランス体が主生成物となってしまう問題がある。
そこで、研究グループは金属-金属結合をもつ金属錯体を新たに用いることにより、C-C結合の状態(反応中間体)を反応溶液中に保持できると考えた。この反応中間体からシス体だけを取り出すことができれば、トランス体からシス体へと逆方向異性化を実現することが可能になる(図2)。この考えに基づいて、研究グループが開発したパラジウム-パラジウム(Pd-Pd)結合をもつ二核金属錯体を異性化促進試薬として用いることで、C-C結合の状態にある反応中間体を溶液中で維持することに成功し、そこからシス体を選択的に取り出すことに成功した。
トランス体からシス体への変換は、原料に比べて生成物の方がより高エネルギー体となる吸エルゴン反応である。このような吸エルゴン反応を効率よく進行させるためには、エネルギーを外部から注入する必要がある。生体内では、このような吸エルゴン反応が数多くおこなわれて生命維持に関わっているが、体温下で効率的に吸エルゴン反応を進行させる仕組みとして、反応共役の概念が使われている。たとえば、ATP(アデノシン三リン酸)をADP(アデノシン二リン酸)に加水分解する反応により生じるエネルギーの一部を、吸エルゴン型反応に注入する仕組みがある。
研究グループはこの反応共役の概念を適用することで、別の有機反応によるエネルギーの一部をトランス体からシス体への異性化反応に注入できることを明らかにした。トランス体からシス体への異性化を促進させるために用いる二核金属錯体を別の有機反応とやりとりすることによって2つの反応を共役させ、二核錯体を回収・再利用する合成サイクルを構築している。
本研究成果は光照射を用いることなくC=C結合の幾何構造をトランス体からシス体へと変換する新たな反応原理をもたらす。この反応原理を発展させることにより、簡便にトランス体からシス体を得ることができるようになると期待される。また、外部反応とのエネルギーの授受のもとに高エネルギー化学種を合成する反応の開発はエネルギー貯蔵システムにも貢献する可能性がある。
付記
この研究は文部科学省科学研究費助成事業(JP20H04805、JP18H01993、JP17KT0102、JP19H04565)、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 CREST(JPMJCR20B6)の支援を受けて実施した。
用語説明
[用語1] 1,3-ジエン : 分子内にC=C-C=C構造をもつ有機化合物の総称であり、基本有機骨格のひとつ。
[用語2a] トランス体 : C=C二重結合は通常の条件では回転しないため、C=C二重結合の置換基の相対的配置によって2つの幾何異性体が存在することがある。2つの置換基が二重結合を軸として、互いに反対側にあるものをトランス体(トランス型)、同じ側にあるものをシス体(シス型)という。
[用語2b] シス体 : [用語2a] を参照のこと。
[用語3] 金属錯体 : 金属イオンまたは金属原子に対し、原子あるいは分子が結合した化合物。
[用語4] 反応共役 : エネルギーの授受を伴って進行する2つの反応の組み合わせ。
[用語5] 吸エルゴン反応 : 系のギブスエネルギーの増加をともなう反応。
[用語6] 異性体 : 分子式が同じで構造が異なる化合物のこと。C=C二重結合上の2つの置換基の相対的配置によって生じるシス体、トランス体は異性体の関係にある。
論文情報
掲載誌 : |
Nature Communications |
論文タイトル : |
Selective E to Z Isomerization of 1,3-Dienes Enabled by A Dinuclear Mechanism |
著者 : |
Eiji Kudo, Kota Sasaki, Shiori Kawamata, Koji Yamamoto, Tetsuro Murahashi |
DOI : |
お問い合わせ先
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系
教授 村橋哲郎
E-mail : mura@apc.titech.ac.jp
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