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金属錯体が生まれ変わる分子のカゴ

金属錯体がタンパク質カゴに取り込まれ不斉反応を触媒

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公開日:2022.01.31

要点

  • 金属錯体がタンパク質のカゴに自発的に入り込み特定の部位に結合
  • タンパク質カゴ内で金属錯体が高活性の不斉触媒となる
  • タンパク質カゴを反応場とするクリーンな分子触媒の作成技術につながる

概要

東京工業大学 生命理工学院のMazumdar, Shyamalava(マズムダール・シャマラバ)特任教授(Tokyo Tech World Research Hub Initiative(WRHI)特任教授)と上野隆史教授らのグループは、金属錯体がナノサイズのタンパク質カゴへ自発的に集積して触媒として機能することを利用し、水中で不斉合成[用語1]を実現するクリーンな人工金属酵素[用語2]を開発した。

タンパク質集合体[用語3]はナノマテリアルや生体内ではたらく分子材料の素材として注目されている。本研究では内部に直径8 nmの空間を有するタンパク質カゴ「フェリチン[用語4]」に着目し、その内部へ自発的に金属錯体が集積することを利用し、水中では低活性な金属錯体をカゴ内で高活性な触媒として駆動させることに成功した。したがって、これまで有機溶媒中でのみ行われていた化学反応を、水中でも進行させられる可能性が広がった。さらに、タンパク質からなる分子カゴは光学活性な環境を作り出すことから、カゴ内の反応は高いエナンチオ選択性を示す。

今回用いたタンパク質カゴはpHや温度に対する安定性も高いことから、生体親和性触媒として体内の分子変換への利用や、環境調和型触媒としてさらなる応用が期待される。

今回の成果は、総合化学分野において最も権威のある学術誌のひとつである「アンゲヴァンテ・ケミー国際版(Angewandte Chemie International Edition、ドイツ化学会誌)」のオンライン版で1月10日に公開された。

背景

自然界では、タンパク質が集合することでカゴやファイバー、リング、シートなどの構造体をつくりあげ、さまざまな生体機能を発揮している。近年では、コンピュータ手法や構造解析技術の発展にともない、さまざまなタンパク質構造体が合成されてきた。なかでもタンパク質カゴはさまざまな機能性分子を内部に取り込むことができ、その特徴を生かして「ナノサイズのフラスコ」としての応用が期待されている。すなわち化学反応を促進する触媒を取り込んだタンパク質構造体(人工金属酵素)をつくることで、カゴの中を化学反応場とすることが可能と考えられる。

しかしながら触媒となる金属化合物をタンパク質カゴの中に固定化し、かつその反応性を制御する分子設計は非常に複雑であり、触媒材料としての利用は困難とされてきた。

研究成果

マズムダール特任教授と上野教授らのグループは、熱的・化学的に安定なタンパク質カゴであるフェリチンに着目した。同グループは、さまざまな金属化合物がフェリチンに取り込まれることを先行研究で明らかにしており、フェリチンのカゴ内部のアミノ酸置換により金属化合物の結合部位を合理的に設計することで高い反応性とエナンチオ選択性を有する人工金属酵素が構築できると考えた。

具体的には、フェリチンの直径8 nmのカゴ内に触媒となるイリジウム錯体を取り込む手法の開発を試みた。フェリチンを構成するアミノ酸残基のうち、ヒスチジン残基(His)は金属イオンと配位結合しやすいことが知られている。本研究では、もともとフェリチンが持つHisによってイリジウム錯体を捕捉するとともに、アルギニン残基(Arg52)あるいはアスパラギン酸残基(Asp38)をヒスチジン残基(His52、 His38)に置換した変異体を作成して、イリジウム錯体の取り込みや化学反応への影響を検討した(図1)。

図1. タンパク質カゴ「フェリチン」の金属錯体結合サイト設計。 フェリチン外部(a)、フェリチン内部(b)とフェリチン単量体(c)。
図1.
タンパク質カゴ「フェリチン」の金属錯体結合サイト設計。 フェリチン外部(a)、フェリチン内部(b)とフェリチン単量体(c)。

次に、水溶液中でイリジウム錯体とフェリチン変異体を混和させ、複合体形成における残基置換の影響を調べた。Arg52をHis52に置換した場合、Asp38をHis38に置換した場合のいずれにおいても、イリジウム錯体の配位結合状態が、通常のフェリチンとは大きく異なることがX線結晶構造解析によって明らかとなった(図2)。

図2. イリジウム錯体がHis38に配位した複合体1とHis52に 配位した複合体2の全体構造(a、b)と結合サイト(c、d)。
図2.
イリジウム錯体がHis38に配位した複合体1とHis52に 配位した複合体2の全体構造(a、b)と結合サイト(c、d)。

同研究グループはさらに、これらのフェリチン変異体-イリジウム錯体複合体を用いて、置換アセトフェノンからアルコールを合成する不斉水素移動反応を行い、変換率やエナンチオ選択性を評価した。その結果、最大88%の変換率や70%のエナンチオ選択性で対応するキラルアルコールを生成することを見いだした。

分子ドッキング計算の結果、これらの変異体では基質がカゴ内部の活性部位で異なる向きで結合していることが示唆された。

今後の展開

今回報告したタンパク質カゴ複合体は非常に安定であるばかりでなく、エナンチオ選択性の高い人工金属酵素触媒として利用できることが示され、産業応用への可能性が期待される。特に、水溶液中での化学反応ができるようになるため、これまでより使用する有機溶媒の量や、廃液として排出される量を削減することができる。また、ナノサイズのタンパク質カゴに複数の金属錯体が取り込まれることを利用して、異なる金属錯体を固定化することもできる。これが実現できれば、複数の反応を連続的に進行させる分子レベルでの化学工場の構築も実現する。

付記

本研究は、科学研究費助成事業 新学術領域研究(研究領域提案型)「発動分子科学」ならびに東京工業大学Tokyo Tech World Research Hub Initiative(WRHI)の支援によって実施された。

用語説明

[用語1] 不斉合成 : 光学活性な物質を作る化学反応。エナンチオ選択的反応では、一方のエナンチオマー(鏡像体)を優先的に生成する。医薬品においては、鏡像体のうち片方は薬剤成分、片方は人体に害がある成分になることもあり、双方をつくり分ける技術の確立は非常に重要な意味合いを持つ。

[用語2] 人工金属酵素 : 人工的に造られた金属化合物や金属イオンと結合することによって酵素活性を示すタンパク質の総称。近年、クリーンな化学合成の触媒として注目されている。

[用語3] タンパク質集合体 : 複数のタンパク質が集合して機能を発揮する構造体。数nmから数百nmにも達する。代表的なものとしてウイルスなどが知られている。

[用語4] フェリチン : 24個の単量体から構成される外径8 nmのカゴ状のたんぱく質であり、天然では、そのカゴの内部に細胞内の鉄を貯蔵する役割を果たしている。一般にはタンパク質は熱やpH変化に弱いとされているが、フェリチンは100℃程度の温度や2-10のpH帯でも構造や機能が大きく変化しない安定な物質である。近年、フェリチンのカゴを用いて、鉄以外の天然に存在しない金属化合物を集積させ、化学反応に利用する研究が進められている。

論文情報

掲載誌 :
Angewandte Chemie International Edition
論文タイトル :
Controlled Uptake of an Iridium Complex inside Engineered apo-Ferritin Nanocages: Study of Structure and Catalysis
著者 :
M. Taher1, B. Maity2, T. Nakane2, S. Abe2, T. Ueno2,3, S. Mazumdar1,2,3
所属 :
1TATA基礎研究所
2東京工業大学 生命理工学院
3東京工業大学 World Research Hub Initiative
DOI :

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