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ペプチド修飾グラフェン電界効果トランジスタを用いた 匂い分子の高感度センシング

グラフェン匂いセンサの実用化に大きな弾み

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公開日:2023.02.02

要点

  • 匂い分子と相互作用するアミノ酸配列を追加したペプチドで、グラフェンセンサ表面を修飾。
  • 検出が難しい匂い分子を高感度に検出することに成功。
  • 各種匂い分子に対するグラフェン匂いセンサの電気応答を主成分分析し、匂い分子の判別に成功。
  • ペプチドを複数配列したペプチドアレイセンサによる、より選択性の高い匂いセンシングシステムの実現に期待。

概要

東京工業大学 物質理工学院 材料系の本間千柊大学院生(博士後期課程2年)、大河内美奈教授、および早水裕平准教授らは、ペプチド[用語1]自己組織化[用語2]膜を利用したグラフェン匂いセンサで、複数の匂い分子を高感度で検出することに成功した。

人間の臭覚と同等の機能を持つ匂いセンサの開発は、人間の五感の中でも実現が難しく、さまざまな匂い分子に選択的かつ高感度に反応するセンサの開発が期待されてきた。グラフェン電界効果トランジスタ(GFET)[用語3]を用いたセンシングは、その高い感度から匂いセンサとしての応用が注目されているが、高感度で匂いを嗅ぎ分けられる実用的な匂いセンサの実現には、グラフェン表面の分子感応膜の開発が課題とされてきた。

本研究では、標的分子に特異的に反応する新規ペプチドを設計し、ペプチドを修飾したグラフェンセンサの特性解析を行った。3種類のペプチドでGFETを修飾し、植物由来の匂い分子であるリモネン、サリチル酸メチル、メントールへの応答を解析したところ、電気伝導度の時間変化から、それぞれのGFETが匂い分子に対して特異的な応答を示すことがわかった。さらに、主成分分析[用語4]によってそれぞれの匂いの判別に成功した。

今回の研究で、ペプチドを用いたグラフェン匂いセンサを実証したことにより、将来的にペプチドを複数配列したペプチドアレイセンサを構築し、より多様な匂いに対して選択的な感度を持つセンシングシステムを実現するための道が開かれた。

この研究成果は「Biosensors and Bioelectronics」のオンライン版にて、現地時間2022年12月23日に掲載された。

背景

グラフェン電界効果トランジスタ(GFET)を用いたガスセンシングは、その高い感度から、ヘルスケア、環境モニタリング、食品、化粧品などの分野でさまざまな匂い分子を検出するシステムとして期待が広がっている。実用的な匂いセンサの実現にはまず、高感度で特定の匂い分子を判別できる標的選択性の高いセンサの実現が必要となるが、同時に安価で安定に動作するシステムの構築も必須である。これまで、生物の嗅覚受容体タンパク質を使用して、匂い分子を高感度かつ高選択に検出するグラフェンセンサが実現されている[参考文献1]。一方で、タンパク質を使用した場合には、センサを安価で安定動作させることが困難になるという問題が残されていた。この問題を克服する手段としては、タンパク質の機能を模倣した合成分子を用いたグラフェンの機能化技術の開発が考えられる。

早水准教授らのグループではこれまでの研究で、グラファイトなどの層状物質の表面で稠密な秩序構造へと自己組織化するペプチドの開発とその評価を行ってきた[参考文献2-4]。これらのペプチドは、水溶液中で分散した状態から、自発的にグラファイト表面に吸着し、表面での拡散やペプチド間の相互作用を経て、秩序構造へと自己組織化していくことが知られている。なかでも絹糸タンパク質を模倣したペプチドは、βシート構造を形成し、グラファイト表面で構造安定な自己組織化膜を形成する[参考文献2]。このペプチドに匂い分子と相互作用するアミノ酸配列を追加したペプチドを、単層物質であるグラフェン表面に固定化することにより、匂い分子に対して感度を持つグラフェンセンサの実現が期待できる。

研究成果

1. ペプチドの電極表面での自己組織化

本研究では、グラフェンを機能化するペプチドとして、1種類の分子足場ペプチドと、2種類のプローブペプチド(P1、P2)の合計3種類のペプチドを設計した(図1a)。これらのペプチドを用いて、植物の香りを特徴づける3種類の匂い分子(図1b)をグラフェン電界効果トランジスタ(GFET)によって検出することを目指した。設計されたペプチドは、グリシン(G)およびアラニン(A)の繰り返しアミノ酸配列を含む分子足場ドメインを有する。この足場ドメインは、分子間水素結合によってβシート構造を形成し、グラファイト表面上の分子膜を安定化させることが報告されている[参考文献3]。本研究では、この分子足場配列に匂い分子と結合するプローブドメイン配列を共役させることで、匂い分子と特異的に相互作用する感応膜をグラフェン上に構築した。これらのペプチドは、共通する足場ドメインを使って、グラフェン表面で共自己組織化する。すなわち水溶液中でグラフェンに自発的に吸着・拡散し、単分子膜厚の秩序構造へと姿を変える(図1c)。

図1. (a)本研究で用いた3種類のペプチドのアミノ酸配列。(b)標的匂い分子の構造。 (c)グラフェン表面でのペプチドの共自己組織化過程の模式図。
図1.
(a)本研究で用いた3種類のペプチドのアミノ酸配列。(b)標的匂い分子の構造。 (c)グラフェン表面でのペプチドの共自己組織化過程の模式図。

本研究で使用したペプチドは、グラフェン表面で秩序ある均一なナノ構造を形成した(図2a)。それぞれのペプチドで修飾されたGFETで、ペプチド修飾前後の電気伝導特性を調べたところ、これらのペプチドによってグラフェン中の電子濃度が増加していることがわかった(図2b)。さらに、トランジスタのセンサ感度を決定づける相互コンダクタンスのペプチド修飾による減少は8 %未満であり、ペプチド薄膜がバイオセンシングに向けたトランジスタの性能を低下させないことが証明された。これは、他の自己組織化ペプチドを用いた最近の報告と一致する[参考文献4]

図2. (a)グラフェン電界効果トランジスタ(GFET)の模式図とグラフェン電極表面におけるペプチドの自己組織化構造。(b)ペプチドの吸着によるGFETのゲート特性の変化。
図2.
(a)グラフェン電界効果トランジスタ(GFET)の模式図とグラフェン電極表面におけるペプチドの自己組織化構造。(b)ペプチドの吸着によるGFETのゲート特性の変化。

2. 標的分子に対する電気信号の評価

次に、標的分子に対するペプチド修飾GFETの感度を、リモネンの濃度変化に対する電気伝導度の時間変化から評価した(図3a)。リモネンの濃度は10 pMから10 nMと非常に低濃度であったが、どの濃度においても電気伝導度の変化は非常に早く、センサ表面が短時間で平衡状態に達したことを示した。また電気伝導度の変化は、全てのペプチドにおいて、リモネン濃度の増加とともに単調に変化した。さらに、電気伝導度変化の絶対値を濃度に対してプロットすると、特に低濃度領域において、ペプチド間に絶対値の明らかな差がみられたことから(図3b)、ペプチドのアミノ酸配列によって、リモネンへの時間応答が如実に変化することが明らかになった。

図3. (a)リモネンの吸着に対する電気伝導度の変化。縦軸は電流の変化率、横軸は時間。(b)各濃度のリモネンにおけるGFETの電気伝導度の変化とHillの式によるフィッティング。
図3.
(a)リモネンの吸着に対する電気伝導度の変化。縦軸は電流の変化率、横軸は時間。(b)各濃度のリモネンにおけるGFETの電気伝導度の変化とHillの式によるフィッティング。

3. 主成分分析(PCA)を用いた各標的分子の分類

さらに、各ペプチド感応膜の標的分子に対する電気応答の特徴を区別するために、ペプチドの標的分子に対する吸着および脱離過程における電気伝導度の変化を調べ、主成分分析(PCA)を行った(図4a)。PCA の入力パラメータには、吸脱着速度に関する情報を与える電気信号を用いた。このPCAの結果をプロットしたところ、それぞれの匂い分子がプロット内の異なる位置に分布した(図4b)。このことから、各ペプチドを用いたグラフェン匂いセンサが3種類の匂い分子を認識していることが明らかとなった。

図4 主成分分析(PCA)によるクラスター分類。

図4. 主成分分析(PCA)によるクラスター分類。

社会的インパクト

哺乳類は、嗅神経細胞上に発現する嗅覚受容体(OR)によって匂い分子を検出する。さまざまな匂いを感知するために、ヒトとマウスはそれぞれ約400種と1,200種のORを持つとされており、ORとセンシングデバイスを組み合わせたバイオエレクトロニックノーズ(電子鼻)[用語5]の開発に向けて、これまでさまざまな挑戦がなされてきた。しかし、ORの入手が困難であることや、長期的な安定性が低いことなどが開発の障害となっている。また、任意のORを作り出して応用することはそう簡単ではなく、その結果、ほとんどのバイオエレクトロニックノーズは、ラット、ヒト、昆虫などで知られている数少ないORを使用して開発されてきた。

一方、本研究で使用するペプチドの場合は、匂い分子に対して特有の応答を示すペプチドを、化学合成によって任意のアミノ酸配列で合成できることから、多種多様な匂い分子に応答可能なセンサの開発が期待できる。さらに、タンパク質受容体に比べてペプチドの長期安定性が高いと考えられるため、匂いセンサとしての用途が広がることが期待できる。

こうしたペプチドの利用によって、生物の嗅覚を司る新たなセンサが実現すれば、ヘルスケア、環境モニタリング、食品、化粧品などさまざまな分野での活用が見込まれる。

今後の展開

本研究では、GFETを自己組織化ペプチドで機能化することで、匂い分子に対して選択的に電気的応答を検出することを実証した。ペプチドは天然のタンパク質と比較して、アミノ酸配列が圧倒的に短く、取り扱いが簡便なことから、グラフェンを用いた匂いセンサの実用化に大きく貢献すると期待される。さらにペプチドは設計性が高く、化学合成できることから、多種多様な匂い分子に対する感応膜を形成可能である。将来的には、複数種の設計されたペプチドが1つのチップに搭載されたGFETアレイを用いることで、多様な匂い分子を高い選択性で多次元的に分析することが可能になると期待される。

付記

本研究は、内閣府の戦略的イノベーション創造プログラム (第2期「フィジカル空間デジタルデータ処理基盤」研究推進法人:NEDO)の支援を受けて実施された。

参考文献

[1] Dai, Changhao, Yunqi Liu, and Dacheng Wei. "Two-Dimensional Field-Effect Transistor Sensors: The Road toward Commercialization." Chemical Reviews (2022): 122, 11, 10319–10392.
DOI: 10.1021/acs.chemrev.1c00924

[2] Li, Peiying, et al. "Fibroin-like peptides self-assembling on two-dimensional materials as a molecular scaffold for potential biosensing." ACS applied materials & interfaces 11.23 (2019): 20670-20677.
DOI: 10.1021/acsami.9b04079

[3] Sun, Linhao, et al. "Water stability of self-assembled peptide nanostructures for sequential formation of two-dimensional interstitial patterns on layered materials." RSC advances 6.99 (2016): 96889-96897.
DOI: 10.1039/C6RA21244A

[4] Hayamizu, Yuhei, et al. "Bioelectronic interfaces by spontaneously organized peptides on 2D atomic single layer materials." Scientific reports 6.1 (2016): 1-9.
DOI: 10.1038/srep33778

用語説明

[用語1] ペプチド : アミノ酸がペプチド結合によって短い鎖状に連なった分子。一般にアミノ酸の数が50未満のものをペプチド、50以上のものをタンパク質と呼ぶ。

[用語2] 自己組織化 : 分子や原子などの物質が、秩序を持つ大きな構造を自発的に作り出す現象。

[用語3] グラフェン電界効果トランジスタ(GFET) : 炭素原子一層からなるグラフェンをシリコン基板上に設置し、その両端の電極からグラフェンの電気伝導を計測できるトランジスタ。溶液中に設置した参照電極に電圧を印加することで、グラフェンの電気伝導を制御できる。

[用語4] 主成分分析 : 多次元データのもつ情報をできるだけ失わずに、低次元空間に情報を集約する多変数解析の一種。

[用語5] バイオエレクトロニックノーズ(電子鼻) : 匂い分子に反応する物質とセンシングデバイスを組み合わせて電気的に匂いを検出する装置。

論文情報

掲載誌 :
Biosensors and Bioelectronics
論文タイトル :
Designable peptides on graphene field-effect transistors for selective detection of odor molecules
著者 :
Chishu Homma, Mirano Tsukiiwa, Hironaga Noguchi, Mina Okochi, Hideyuki Tomizawa, Yoshiaki Sugizaki, Atsunobu Isobayashi, Yuhei Hayamizu
DOI :

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