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超精密中性子集束ミラーによる電極界面のナノ構造解析技術の実用化

測定精度の劇的な向上に向けた大きなマイルストーン

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公開日:2020.10.26

要点

  • J-PARC MLFにおいて0.001度の精度を有する中性子集束ミラーを実用化
  • リチウムイオン電池の電極界面評価に適用し、測定時間の大幅な短縮に成功
  • 世界初の「多入射反射率法」実現に向けて複数の集束ミラーによる光学系を提案
  • 充放電過程の高時間・空間分解能リアルタイム計測に向けた計画が進行中

概要

高エネルギー加速器研究機構(KEK)物質構造科学研究所の山田悟史 助教、根本文也 特任助教(研究当時)、堀耕一郎 共同研究研究員らのグループは、理化学研究所 光量子工学研究センターの細畠拓也 研究員、山形豊 チームリーダー、京都大学 複合原子力科学研究所 日野正裕 准教授、東京工業大学 科学技術創成研究院 全固体電池研究ユニットの鈴木耕太 助教、平山雅章 教授、菅野了次 教授と共同で、大強度陽子加速器施設(J-PARC)物質・生命科学実験施設(MLF)[用語1]において表面・界面のナノ構造解析技術である中性子反射率法[用語2]による、リチウムイオン電池の電極界面の測定に要する時間を大幅に短縮することに成功しました。これは、超精密中性子集束ミラーを実用化することにより達成できた成果です。また、集束ミラーを複数組み合わせることにより、世界で例の無い新技術「多入射反射率法[用語3]」を既存の装置で実現するための光学系を提案しました。これが実現すれば、電池の充放電過程で生じる電極界面における分子スケールの変化を短時間かつ高精度でリアルタイム計測可能になると期待でき、現在その実現に向けた計画が進行中です。

この研究成果は、10月26日 Journal of Applied Crystallography(オンライン版)にてオープンアクセス出版されました。

背景

10年前、スマートフォンやノートパソコンのバッテリー不足は不満の上位に挙げられていました。それが今、これらの性能は大きく向上したにも関わらず、バッテリーに悩まされることは少なくなったのではないでしょうか?その大きな要因の一つが昨年のノーベル賞受賞で注目されたリチウムイオン電池の大容量化です。今も自動車や飛行機、ドローンなどリチウムイオン電池の活躍の場は増え続け、それに応えるべく研究開発が日夜行われています。そして、その性能向上の一つの鍵となると考えられているのが、電極と電解液の界面です。

リチウムイオン電池を充電・消費(放電)すると、電池の内部ではリチウムイオンが電解液を介して、正極と負極の間を行き来します(図1)。言うのは簡単ですが、実際には電極には被膜が形成されており、リチウムイオンが電解液の束縛から逃れて被膜を通り、電極を構成する原子のわずかな隙間に侵入していく必要があり、その全容は未だ解明されていません。また、電解液に溶けたイオンは電気的な力によって電極に引っ張られたり押し返されたり、電解液自体も電極と接触した際に分解されてしまったりと、電池の中で起こる現象は非常に複雑です。そのため、電池の開発現場では「充放電中に電極界面の様子を観察して何が起きているのかを知りたい」というニーズが高いのですが、残念ながら電極の界面だけを、しかも動作させながら観察できる実験手法は限られています。

図1. リチウムイオン電池の模式図

図1. リチウムイオン電池の模式図

電池の内部でリチウムイオンが電解液を介して、正極と負極の間を行き来することで電子が流れ、充電・放電が生じる。

中性子反射率法はその限られた実験の一つです。中性子線は透過力が高いため電極の内部まで深く浸透することができ、電解質との界面で反射を起こします。中性子は界面で反射する際、ナノメートル(100万分の1 mm、記号: nm)スケールの構造の影響を受け、反射した角度と中性子の波長に応じて強く反射したり弱く反射したりします(干渉と言います)。この干渉は界面にある膜が厚いほどすれすれの角度のビームでシグナルが生じることがわかっており、そこから逆算すると界面の構造がnmという分子のスケールで評価できるという仕組みです。しかも、中性子はリチウムに敏感なので、その分布がどうなっているのか評価するのに非常に適しています。

一方、中性子線は大量に作り出すことができないため反射のシグナルは弱く、測定に時間がかかるという問題があります。例えば、世界最高レベルの強度を誇るJ-PARCの中性子線では十秒オーダーでの測定が不可能ではありません。ただし、これは試料サイズが数cm程度と大きく、かつ膜が数十nmと厚い(厚い膜のシグナルは強い)などの好条件が揃った場合に限られた話です。最先端の材料のように作るのが難しい試料だと1cm程度の大きさでしか作れないこともあり、J-PARCでも測定に数時間ほど要することがしばしばあります。そのため、通常は測定時間中に充電が完了してしまうようなことを避けるために充放電を止めて測定を行っています。

ただし、この方法にも問題があります。例えば、急速な充放電は電池の性能劣化を招くことが知られていますが、このような現象の原因を調べるには充放電を止めること無く、その最中に起きている現象をつぶさに捉える必要があります。2016年、J-PARC MLFにおいてKEKが開発した中性子反射率計SOFIA[用語4]を用いて5分間の短時間測定を繰り返すリアルタイム計測により、充放電過程における電極とその界面におけるナノ構造の変化を世界で初めて捉えることに成功しました。これはJ-PARC MLFの大強度ビームに加えて、電極の材料として一般的かつ加工しやすい炭素を用いて比較的大面積の試料を作成、かつ厚い膜からの強いシグナルのみを観測するといった工夫をこらして実現したもので、海外の研究者からも注目を集め始めています。しかし、まだ電池材料全般に使えるものとは言えず、また厚い膜のシグナルのみを観測しているため、電解液の分解により生成した薄い膜のシグナルを十分に捉えられていないといった課題が残されています。

研究内容と成果

上記課題の解決を目指し、超精密中性子集束ミラーを用いた新手法の開発プロジェクトが立ち上がりました。本研究では、昨年開発した角度の精度がわずか0.001度の超精密楕円型中性子集束ミラーを中性子反射率計SOFIAにおいて実用化し、従来の方法と比べて中性子ビームをおよそ倍の強度で集束させることに成功しました。このミラーは1.5 cm角の微小電極試料にも適用可能で、データの質が変わらないこと、そして実際に測定時間が半減することを確認しました(図2)。これにより、リアルタイム計測においてより早い反応や、薄い膜からの弱いシグナルを捉えることが可能になります。

図2. 精密中性子集束ミラーの実験結果

図2. 精密中性子集束ミラーの実験結果

試料位置で集束ミラーの方が従来法のおよそ倍の強度となる一方、得られた反射率の解析結果は両者で一致。中性子反射率法でしか観測できない界面層の観測に成功した。

一方、評価できる膜の厚さは試料面に対するビームの角度に依存しており、装置の設定変更が必要となるため同時にリアルタイム計測することができません。そこで、厚い膜のシグナルと薄い膜のシグナルを同時に捉えるために、試料に対して同時に2つの異なる角度でビームを入射する新手法「多入射反射率法(図3)」の設計を検討し、集束ミラーを複数組み合わせることによって、既存の装置でも実現可能であることを示しました。この新手法は他国でも独立に提案されていますが実用化の例は無く、これが実現すればリアルタイム計測における日本発の技術革新になります。具体的には、これを電極界面に適用することで、今までは膜全体からの厚い膜の干渉しか捉えられなかったのに対し、電極表面の界面層やその内部構造に起因する薄い膜の干渉も捉えることができるようになり、今までおぼろげにしか見えていなかった界面構造が、より詳細に観測できるようになると期待できます。

図3. 多入射反射率法の模式図

図3. 多入射反射率法の模式図

従来の反射率測定では厚い膜の干渉と薄い膜の干渉は別々にしか測定できないため、同時にリアルタイム計測を行えない。多入射反射率法では、角度の異なるビームを同時に試料に入射することにより、厚い膜の干渉と薄い膜の干渉を一度に計測できるため、両方の条件で同時にリアルタイム計測が可能となる。

本研究の意義、今後への期待

中性子の光学素子はまだ発展途上にあり、本格利用している例は世界的に見ても多くありません。特に、本研究で実用化した超精密集束ミラーは世界最高レベルの性能を誇っており、電極試料はもちろん、燃料電池や有機ELといった様々なデバイスに対して中性子反射率法を用いたリアルタイム計測の活用が進むと期待できます。

J-PARC MLFは既に世界最高レベルの中性子ビームを供給していますが、実はその出力はまだ当初計画の約半分に到達したに過ぎません。中性子の数を数える検出器に関しても改良の余地が残されており、今回のミラーも含めて全体でさらに1/10程度まで測定時間を減少させる余地が残されています。そして、本研究で提案した新手法はデータを取得する速さだけでなく、その質を高める革新的な技術であると言えます。本グループでは、これを次世代のリチウムイオン電池と目されている全固体電池[用語5]へ適用することを計画しており、その成果が更なる電池の高性能化に繋がると期待しています。

現在、新手法に必要な集束ミラーの設計は最終段階にあり、また全固体電池の予備評価も始まっています。更なる報告にご期待ください。

用語説明

[用語1] 大強度陽子加速器施設(J-PARC)物質・生命科学実験施設(MLF) : J-PARCは高エネルギー加速器研究機構と日本原子力研究開発機構が茨城県東海村で共同運営している大型研究施設で、素粒子物理学、原子核物理学、物性物理学、化学、材料科学、生物学などの学術的な研究から産業分野への応用研究まで、広範囲の分野での世界最先端の研究が行われている。J-PARC内の物質・生命科学実験施設(MLF)では、世界最高強度のミュオン及び中性子ビームを用いた研究が行われ、世界中から研究者が集まる。

[用語2] 中性子反射率法 : 中性子を試料の表面・界面で反射させ、その反射強度を計測することによって反射面におけるナノ構造を解析する技術。具体的には、深さ方向に対して数nmから数百nmに渡って、表面・界面を構成する原子・分子の密度や組成を評価することができる。特に中性子を用いるメリットとして、電池の電極のように内部に埋もれた界面を測定できること、水素やリチウムなどの軽元素(原子番号が小さい元素)に敏感であること等が挙げられる。

[用語3] 多入射反射率法 : 試料に入射するビームを分岐させ、試料位置で合流することにより、異なる入射角の反射率を同時計測する新手法(図3)。厚い膜の干渉と薄い膜の干渉を同時に測定できるため、電池の充放電過程のようにリアルタイム計測が求められる測定対象において特に有用である。海外の中性子実験施設でも導入が計画されているが、まだ実現された例は無い。

[用語4] 中性子反射率計SOFIA : J-PARC MLFのBL16ビームラインに設置された試料水平型の中性子反射率計。JST ERATOの高原プロジェクトとの共同研究により開発された。液体の表面など、傾けることができない界面も測定ができるよう、ビームを下向きに入射できる光学系を採用している。固体試料に対しても大強度ビームによる短時間測定、低バックグラウンドによる高分解能測定、といった高いスペックを活用した実験が行える。また、温度ジャンプや溶媒接触後のリアルタイム計測を行うための試料環境が整備されており、リチウムイオン電池を含めた様々な材料研究に活用されている。

[用語5] 全固体電池 : 通常、正極と負極の間をイオンが行き来する際の媒質となるのは電解液で、電極からイオンが溶け出し、電解液の中を移動し、反対の電極に到達する。一方、特殊なセラミックスは固体であるにも関わらず内部をイオンが移動することが可能で、これを電極でサンドイッチすることによって電池として動作させることができる。この、セラミックスを用いた電池は電解液を用いないことから「全固体電池」と呼ばれており、高い安全性や高速充放電、劣化しにくいなどのメリットから次世代電池の有力候補として注目を集めている。

謝辞

本研究は文部科学省「光・量子融合連携研究開発プログラム」の研究課題「中性子とミュオンの連携による『摩擦』と『潤滑』の本質的理解(課題責任者: 瀬戸秀紀)」、および日本学術振興会「科学研究費助成事業 基盤研究(A)」の研究課題「多入射中性子反射率法の開発とそれによる全固体型リチウムイオン電池のオペランド計測(課題責任者: 山田悟史)」による支援を受けて行われました。

論文情報

掲載誌 :
Journal of Applied Crystallography12月号(オンライン版10月26日、オープンアクセス出版)
論文タイトル :
Application of Precise Neutron Focusing Mirrors for Neutron Reflectometry: Latest Results and Future Prospects (中性子反射率法に対する精密中性子集束ミラーの適用-最新の結果と将来の展望)
著者 :
山田悟史、細畠拓也、根本文也、堀耕一郎、日野正裕、和泉潤、鈴木耕太、平山雅章、菅野了次、山形豊
DOI :

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