東工大ニュース
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公開日:2022.11.07
東京工業大学 科学技術創成研究院 化学生命科学研究所の吉田啓亮准教授と久堀徹教授らの研究チームは、植物に光が当たった時に光合成反応を支える酵素群が活性化されるしくみを明らかにした。
植物の光合成機能は、光環境の変化に合わせて柔軟かつ精密に調整されており、そのメカニズムの解明は今日の植物生理科学の中心的課題のひとつである。吉田准教授らは、この光合成の制御メカニズムの解明に向けて、光合成反応を支える酵素(タンパク質)の酸化還元制御に注目した。この酸化還元制御システムの情報伝達経路については、半世紀近く前に具体的な経路が提案されていたが、この経路が植物体内で実際に作用していることを示す明確な証拠はなく、植物にとってどれほど重要なのかも明らかにされていなかった。
今回の研究では、ゲノム編集技術CRISPR/Cas9[用語1]を活用して、この情報伝達経路の機能を抑制した変異株植物を作成することで、酸化還元制御システムが光に応答して酵素を活性化させる分子メカニズムを解明した。さらに、この経路を含めた酸化還元制御システムが実際に、植物の光合成や生育に極めて重要な役割を果たしていることを明らかにした。この成果は、農作物の光合成機能や生産性の向上といった今後の応用展開のための重要な指針になると期待される。
本研究成果は、10月27日付の「Journal of Biological Chemistry」に掲載された。
植物の葉緑体[用語2]で行われる光合成は、地球上の生命活動を根底から支えている壮大なエネルギー変換反応である。光合成反応を駆動するには太陽の光エネルギーが必須であるが、光合成に利用可能な光エネルギーは植物のまわりで常に変動している。移動能力を持たない植物にとって、光環境の変化にあわせて自身の光合成機能を柔軟かつ精密に調節することは極めて重要である。植物はそうした調節をどのようにして行っているのだろうか。変動する光環境に対して応答するメカニズムの解明は、今日の植物生理科学にとって中心的課題のひとつである。
植物での光合成反応において、葉緑体が吸収した光エネルギーを酸化還元シグナルに変換し、標的となる葉緑体内の酵素に伝達してその機能を制御する(多くの場合は活性化する)のが「酸化還元制御システム」である(図1)。カルビン・ベンソン回路[用語3]の酵素やATP合成酵素[用語4]など、光合成反応に直接的あるいは間接的に関与する複数の酵素が酸化還元制御を受けている。すなわち、この制御システムによって、光に応答した一連の光合成反応の活性化が可能になる。酸化還元制御システムのための情報伝達経路は、半世紀近く前にアメリカ・UCバークレーのブキャナン教授らの研究グループによって報告された。その経路ではまず、光合成の電子伝達反応によって生産された還元力の一部が、電子伝達系の構成成分であるフェレドキシン(Fd)[用語5]から、酸化還元制御の鍵因子であるチオレドキシン(Trx)[用語6]を介して、標的となる酵素に伝達される。標的の酵素が還元力を受け取ると、酵素分子自身が持っているジスルフィド結合が還元反応によって開裂し、酵素分子自身が構造変化して活性化する。この「Fd/Trx経路」という還元力伝達経路は酸化還元制御システムの基本骨格であり、現在の植物生理学や植物生化学の教科書にも記載されている。
ところが、Fd/Trx経路が本当に植物内で働いているのか、また光合成の調節や植物の生育にどのくらい重要なのかといった問いについては、現在に至るまで実験的に検証されていなかった。さらに近年、Fd/Trx経路とは独立して働く別の還元力伝達経路(NTRC経路[用語7])が葉緑体内に見出されており、この経路もまた光に応答した酸化還元制御を担うことが提案されている。このように、Fd/Trx経路の反応経路自体は古くから知られているにも関わらず、その生物学的な重要性や必須性については不明のままなのである。
Fd/Trx経路の重要性に関する理解が進んでいない主な要因は、この経路の機能を完全に抑制した変異株植物がこれまで得られていなかったことである。吉田准教授らはこの問題を克服するために、ゲノム編集技術CRISPR/Cas9を活用した。モデル植物であるシロイヌナズナを用いて、Fd/Trx経路の中心で還元力伝達を担うFd-Trx還元酵素(Fd-Trx reductase; FTR)[用語8]の完全ノックアウト株を作出した。このFTR変異株では、生育が著しく阻害され(図2A)、光合成効率の低下や葉緑体の発達異常も観察された。
次に吉田准教授らは、光合成反応に関連する酵素の酸化還元状態が、光環境の変化に応じてどのように変化するかを網羅的に調べた。野生株では、これらの酵素群は光の照射に応答して還元(活性化)された。ところがFTR変異株では、後述するただひとつの酵素を除いて、光依存的な還元がまったく起こらなかった(図2B)。
これらの結果は、(1)Fd/Trx経路が光に応じた光合成酵素の還元・活性化に必須であること、(2)この経路の機能は植物が光合成に依存して生育するために重要であることを直接的に示している。
今回の研究によって、長年不明瞭であった酸化還元制御システムの実体や重要性を明らかにすることができた。この成果は、「植物は変動する光環境の中で光合成をどのように制御して、持続的なバイオマス生産を成し遂げているのか」ということへの理解を、基礎科学の観点から確実に推し進めたものと言える。この知見は、光合成機能の強化による農作物の収量増加といった応用研究への展開のためにも、重要な情報を提供するものである。
興味深いことに、光合成反応に関連する酵素群のうち、葉緑体チラコイド膜に局在するATP合成酵素だけは、FTR変異株においても例外的に光依存的な還元応答を示していた。この酵素は、もうひとつの還元力伝達経路であるNTRC経路を同時に欠損させた場合でも還元能を保持していた。これらの事実は、私たちがまだ知らない還元力伝達経路が葉緑体の中に潜んでいることを示している。酸化還元制御システムの全貌を明らかにするためには、さらに継続的な研究が必要である。また、今回の研究で得られた結果をベースにして酸化還元制御システムの機能を改変することで、光合成バイオマス生産性の向上の可能性を探っていくことも重要な課題である。
付記
本研究は、日本学術振興会・科研費・基盤研究B(19H03241, 21H02502)および挑戦的研究(萌芽)(20K21268)の支援を受けて実施された。
用語説明
[用語1] CRISPR/Cas9 : 目的とする遺伝子を高効率で改変するためのゲノム編集技術のひとつ。2020年ノーベル化学賞の対象となった。
[用語2] 葉緑体 : 植物固有の細胞内小器官。最も主要な機能は光合成であるが、脂肪酸合成やアミノ酸合成など他の重要な機能も担っている。その構造は、電子伝達反応が行われるチラコイド膜と、炭素固定反応が行われるストロマの2つの区画に大別される。
[用語3] カルビン・ベンソン回路 : 葉緑体ストロマにおいて、ATPとNADPHを用いて炭素固定反応を行う代謝経路。発見者にちなんでこのように呼ばれているが、還元的ペントースリン酸回路とも称される。
[用語4] ATP合成酵素 : 生体膜を介したプロトンの電気化学的勾配を利用して、ADPと無機リン酸からATPを合成する酵素。葉緑体のチラコイド膜やミトコンドリアの内膜などに存在する。葉緑体のATP合成酵素のみが、回転軸であるγサブユニットにジスルフィド結合の形成/開裂を行うシステイン(Cys)のペアを持ち、特異的に酸化還元制御を受ける。
[用語5] フェレドキシン(Fd) : 電子伝達体として機能する鉄硫黄タンパク質。光合成電子伝達系においてはNADP+の還元が主な役割であるが、その他にも様々な反応に電子を分配している。
[用語6] チオレドキシン(Trx) : 酸化還元制御に中心的な役割を果たす小さなタンパク質。活性部位にTrp-Cys-Gly-Pro-Cysという保存されたアミノ酸配列を持ち、この2つのCysのチオール基の酸化還元によって還元力伝達を行う。すべての生物が共通に持っているが、植物の葉緑体にはf, m, x, y, z型という5つの分子種が存在する。
[用語7] NTRC経路 : 2004年にはじめて報告された還元力伝達経路。NTRC(NADPH-Trx reductase C)は、NTRドメインとTrxドメインが連結したハイブリッド構造を持つ。NADPHを還元力源として用いるが、その機能の詳細にはまだ不明な部分が多い。
[用語8] Fd-Trx還元酵素(Fd-Trx reductase; FTR) : FdとTrxの間で還元力伝達のハブとして働く鉄硫黄タンパク質。
論文情報
掲載誌 : |
Journal of Biological Chemistry |
論文タイトル : |
The ferredoxin/thioredoxin pathway constitutes an indispensable redox-signaling cascade for light-dependent reduction of chloroplast stromal proteins |
著者 : |
Keisuke Yoshida, Yuichi Yokochi, Kan Tanaka, Toru Hisabori |
DOI : |
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