東工大について
東工大について
大竹尚登
科学技術創成研究院長
山崎太郎
リベラルアーツ研究教育院長
三橋ゆう子
総務課長
三橋:科学技術創成研究院(IIR)とリベラルアーツ研究教育院(ILA)は一見対極にありますが、ILAの教員を中心とした「未来の人類研究センター」をIIRの中につくりました。それぞれどんな思いを持ちながらIIRとILAを運営されているのか興味があります。
大竹:IIRには、現在、常勤教員が約170名おり、4つの研究所があります。未来産業技術研究所、フロンティア材料研究所、化学生命科学研究所、そしてゼロカーボンエネルギー研究所。さらに4つのセンター、例えば大隅先生の細胞制御工学センターや先ほどの未来の人類研究センター、それに複数の研究ユニットなどがあります。研究分野は多岐に渡りますが、それぞれが「尖った研究をやっていく」ことが使命の1つでもあり、研究を通じた教育を重視しているところも特徴です。
IIRの元となっている4つの研究所は、遡れば日本の産業強化という国策のための研究所として設置されました。そういう意味では、産業のために必要なことを提供する、新たな技術を創出して課題を解決していくのは大切な役割の1つだと思っています。特に昨年、先導原子力研究所から改組したゼロカーボンエネルギー研究所は、まさに社会の流れと一致しています。国や現代社会、未来社会が求めるものに対して自らミッションを設定し、ラージスケールで研究をするのが我々の役目であり、存在意義だと思います。
一方、社会的関心が高くない研究やすぐに応用展開が見えにくい研究も重要であり、研究の裾野の広さを維持することも非常に大事です。IIRは、様々な研究のベクトルとミッションを設定し、未来の研究力を高めることができると思っています。
山崎:「科学技術創成研究院」に「創成」という一語が入っているのが重要で、研究分野そのものを創成していくという意味・意志がこの名称に含まれていると解釈しています。
ILAは東工大で唯一、全学の教育に責任を持つ組織だと思っています。学院ごとに縦割りの中で、それらを横に通した教育をしています。理工系最先端の専門知を究める、深めるということが教育改革の1本の柱だとすると、もう1本の柱として広く人文的な教養やコミュニケーション能力、すなわち人間力を培うということを当時の大学執行部が掲げたわけですよね。これは素晴らしい認識だと、敬服し感謝するところが大きいです。理工系大学の場合、文系教育をしていたのでは効率が悪いと切り捨てるという方向もあり得た中で、そうした方向に向ったことの意義は非常に大きかった。それだけ我々ILAが担う使命も大きいと認識しています。
また、ILAの教員は教育者というだけではなく、それぞれの分野の一流の研究者の集まりでもあるので、今後、個々の研究に加え、東工大の今そして今後を考える議論に言葉を与え、育み、フィロソフィーを問い詰めていくというミッションがあると思います。例えばダイバーシティやインクルージョンということが言われ、女性比率をどうするかも大きな問題なわけですよね。女性の学生や教員をどう増やすか、文科省からそう言われたから、社会的にそういう傾向にあるから、と突き進むのではなくて、なぜダイバーシティは大事なのか、なぜ女性を増やすことが大事なのかをきちんと考えていく必要があると思います。その土台づくりを我々文系研究者が先導していかなければならないと考えています。
山崎:私はもともと外国語の教員でしたが、文系教員は理系大学の中では特殊な立場というか、教養教育として別個にやっているというスタンスでした。2016年の教育改革以来、私たち自身の意識も含めて、こうした状況は大きく変わった気がします。近年は教育だけではなく研究でも文理共創が叫ばれるようになり、文理の行き来が非常に頻繁になって、教員同士の交流が生まれました。
大竹:現代は、排他主義がはびこり、分断が加速する時代です。だからこそ、本学はIIRの中に自分ではないもののために行動する「利他」を研究する「未来の人類研究センター」をつくりました。大学の中では一番離れているように見える2つの組織が一緒にセンターを運営することは画期的なことでした。
山崎:未来の人類研究センターをつくったのも、これからの研究の1つとして文理共創があるとの発想からです。もとはILAの中につくることを考えていましたが、さらに大きく文理共創を進めるためにILAではなくIIRの中につくられました。結果的にはこれが非常に良かったと思います。
学内外の文系教員・研究者と研究会をやるだけではなく、理系研究者を呼んで、利他という題目で話を聞く機会を設けました。すると、実はこの自然界全体の現象こそが利他なのではないか。理系の研究が我々の関心と結び付いていく道筋がどんどん見えてきて、理系の研究とどんなところでリンクできるかという関心が生まれました。
大竹:今、世の中が文理共創を求めているということもありますね。科学技術だけでいいものをつくれば良いのかというと、必ずしもそうではない。地球上の生きとし生けるものに対する環境をいかに維持していくのか、例えば地球温暖化問題への対応には、人文科学や社会科学的な視点が非常に重要だと考えられます。そうした状況の中で、未来の人類研究センターがつくられたのですね。
山崎:これは東工大だけの傾向ではありません。人類は数多くの問題に直面しており、文理のどちらかだけでは解決できないと世界中で考えられています。人類の進歩を支えてきたのは科学技術だと思うし、コロナ禍も科学技術の力がないと何も解決できません。一方で、貧困や戦争、自然破壊といった問題は全て人類がつくり出したものです。となると、人間とは何なのか。私達が築いてきた社会とは何なのか、これから社会全体としてどう歩むべきなのか。そうした問題は、人文・社会科学と科学技術がリンクして考えざるを得ないと思います。
大竹:皆さんは意外だと思われるかもしれませんが、IIRの教員から見てILAはとても魅力的で、未来の人類研究センターが来てくれたのはうれしいことなんです。理系研究者は悩んでいる人が多い。研究は突き詰めていくと答えがなかなか出なくて、例えば宇宙の始まりも終わりも完全には分かっていない。ほとんどは分かっているけれど、宇宙の始まる瞬間の10のマイナス36乗秒という、もの凄く短い時間はいまだにアンノウンですよね。
哲学の課題も、途中まではいけても最後の結論はなかなか出ない。本質の部分は自然も人も教えてくれない。そこに科学と哲学のアナロジーつまり共通点があって、その悩みを抱えている人が、ILAに救いを求め、共感を抱いているのだと僕は思っています。
山崎:もちろん我々が答えを与えられるわけではないけれど、「分からないという問題意識を共有できる」ということですよね。
大竹:そこは一緒なのです。
山崎:自然科学も哲学もそれぞれの問題突き詰めていくと「分からない」に行き着く。例えば、企業のプロジェクトで答えが出なかったら中止や打ち切りになります。しかし我々が目指しているのは、本当に答えが出ないところを突き進みながら、少しでも答えにつながるものを手探りで引き出していく、その道筋自体に意味があり面白さがあります。
大竹:アカデミアでは、すぐ答えが分かるようなことをやるな、と言われることがあるじゃないですか。実際、アンノウンで捉えどころがないけれど将来に期待して攻めていく、誰も手を出していないところを攻めていく、というのがアカデミアのやるべきことだし、社会からも期待されているところだと思います。それゆえに、研究者の評価は必要だとは思いますが、あまり細かい評価をすると小さい人材しか育たないわけで、評価にスケール感があってもいいと思います。
三橋:どうしても目先の、見えるものを出してくることが多いですよね。
大竹:評価しやすい数字でね。
三橋:それでは研究の本当の価値は測れないんじゃないのかな、と思います。
大竹:2、3年後も大事ですが、30年後はもっと大事だったりする。そこは考えるべきところだと思います。
大竹:文理共創と同じように「教職協働」も大学にとって重要です。大学が扱わなければならない分野がどんどん大きくなって複雑化してきているから、教員と職員が一緒にやっていく必要があります。一緒にやっていくということは、お互いの違いを認める、発見するところでもあるし、問題点も見えるかもしれない。
三橋:まさにそうだと思います。教員と職員は同じ大学の中で仕事をしているわけで、決して違う世界に住んでいるわけではありません。東工大は昔から「教」と「職」の垣根が低いと思います。国立大学の法人化は大きな節目でしたが、法人化前から、先生方と事務職員が一緒に仕事することがありました。例えば新しい仕組みが始まる時に、事務職員が会議で先生方の議論をまとめることもあって、それも協働であったと思います。
山崎:私は東工大に着任して来年で30年になります。その間、事務方にはとてもお世話になっています。授業運営をはじめ、事務方に聞かないとどうにもならないこともあるし、学生の問い合わせ窓口も事務ですよね。かつては、事務方は裏方で、教員が授業などの表舞台に立つのを黒子的に支えていただくという考え方でしたが、ここ数年は変わってきた。例えば、戦略統括会議で東工大の今とこれからについて事務方も教員も同じ目線で議論し意見を交わしていることが、私にとっては新しい驚きであり、東工大の強みではないかと実感しています。
三橋:戦略統括会議はまさに先生方と職員が同じテーブルで議論をする場ですが、実は以前から東工大ではそういう場面がありました。私自身の経験では、10年以上前に部局の事務改革をした時に、先生方も職員も同じ委員として議論を交わしながら進めていったことがあります。他大学に聞いても、そこまで一緒にやっているケースは少ないので、まさしくこれは東工大の強みと言っていいかと思います。理事や学長も、教員と職員の距離が近いのは東工大のいいところであり特長だ、とよくおっしゃっています。
大竹:まったく同感です。教育改革も教職協働じゃなかったら多分できていなかったでしょう。必要条件だったと思います。
山崎:教員と職員が共通の問題意識を持ちながら事に当たっていく。まずは同じテーブルに座ることが大事ですね。もう1つ大事なのは、それぞれ元の目線が違うことです。生物学で環世界という言葉がありますが、同じもの見ていても見えるものが全然違っていたりする。教員の目には見えないが職員の目からは見えている。それを言っていただくことで、これからどうするかがより肉付けされたり膨らんだりするわけです。
大竹:教育改革もそうですが、昔から教職協働しないとできないことが多かった。教員と職員というカテゴリーに分かれていますが、その重なる部分、例えばURA(リサーチ・アドミニストレーター)や専門職のような役割が今後さらに重要になります。
三橋:同じものをつくるのにいろいろな目線から意見を言い合う多様性ですね。それぞれ得意分野がありますから、持てる力を出し合うと。
山崎:職員の方がプロフェッショナルな意識が高いことは常に感じています。これはちょっと無理だろうなといったことも、連携して解決していこうとする場面をよく見てきました。
三橋:大学、それも国立大学には様々な制約があり、いろいろなルールがあります。その中で、こうすればできるかな、こうしようかなと、その範囲内でどうにかすることを考えるのがプロフェッショナルです。どうしてもそのルール内に収まらない場合、先生方の思いを受け止めて、ルールを変えてでもやるべきだとなれば、そのために一緒に取り組むこともできます。
山崎:事務方は数年に1回は異動がありますよね。教員から見ると、頼りにしていた人が異動してしまうショックは結構大きい。異動には、例えば風通しを良くする効果はあるとは思いますが、逆に頻繁に変わることでプロフェッショナルな部分がだんだん薄れていってしまうところもあって、そのバランスが難しい気がします。
三橋:大学職員のプロフェッショナルは、1つのスキルだけでは成り立たないと思っています。本当に多岐にわたる仕事があり、全てを網羅するのは難しいですが、きちんと下地をつくった上で専門に進んでいって欲しい。大学職員の専門つまりプロフェッショナルについては職員の間でも議論が続いていますが、ゼネラルにいろいろ知っていること、そしてそのゼネラルがプロフェッショナルにつながると考えています。
例えば、今だったらDXに強いとか、英語が得意で国際的な交渉ができるとか、人事関係の法令や制度に精通しているといった、個々の専門性はもちろん必要です。でも、東工大には他にも多岐にわたる仕事があり、様々な職種の人がいるわけで、そういうことも知った上で専門性のある仕事に臨めたら、それが一番いいプロフェッショナルな姿で、そのために異動が必要なのです。異動して力を付けた職員がまたその部局に戻れば、すごいプロフェッショナルが来てくれた、となりますよね。
山崎:確かにそうですよね。
大竹:4年前に人々が望む未来社会とはなにかを考えるDLab(未来社会DESIGN機構)ができましたが、未来の人類研究センターができたのも、いいタイミングだったと思います。これから地球とどう共生していくのか、科学技術と人間がどう進化していくのか。ILAから見ると、未来社会を考えるとはどういうことなのでしょうか。
山崎:非常に大きなテーマですね。人類は、常に進歩して何かを開発してきた発展史観で進んできました。しかし、果たしてそれが正解だったのだろうか、それだけでいいのだろうかという岐路に立っているのが、今の人類だと思います。科学技術の力は非常に大きく大事ですが、人類にとって本当に幸福な状態は何か、何かを増大させるだけの進歩でいいのか、という根本的な問いですね。
1人ひとりが思い描く幸福、人間にとっての幸せとは何だろうということとリンクして考えてなければいけない。正解が全然見えない、非常に微妙な難しい問題ではあると思います。
大竹:ウェルビーイングという言葉がずいぶん使われるようになってきて、日本語に訳そうとした時に幸福や幸せでいいのか、頭の中に、はてなマークが出てくるのですが、幸せの定義は個人によって違いますよね。
山崎:人によって違うでしょうね。価値観も違うだろうし。ある特定の個人や組織・社会のウェルビーイングが、他の社会や個人あるいは他の生き物全体のウェルビーイングを犠牲にして成り立つという競争的な関係があります。例えば、地球上の限られた資源というパイがあって、より多く取ってきた人や社会がウェルビーイングなのだ、となると立ち行かなくなってきます。
大竹:非常に本質的な議論ですね。
山崎:全体のウェルビーイングを活かす、他者のウェルビーイングが自分にとってのウェルビーイングでもあるような構造をどうやって見出していくか、という問題にもなってきます。
大竹:難しいですね。全体のウェルビーイングが個人のウェルビーイングを包摂し、全てが幸せになる、というのは簡単なことではないですよね。答えがない。
山崎:そこを追い求めていくことがDLabの最大のミッションなのかもしれません。
大竹:大学の最大の役割として、学生をどう育てるかということがあります。東工大の卒業生はこれまで基本的に製造業に進むことが多かった。今後は、政治家や国際機関に行く人がもっと出てきたり、輩出する人材のダイバーシティが進む方向にいってもいいのかな、と個人的には思っています。今ILAから見て、その素地はありますか。
山崎:理系の学問はもちろんしっかりやるけれど、外国語のスキルや社会的意識が高いなど文系のリテラシーもある学生は各学年の中に必ず出てきています。そういう学生達が様々な分野で活躍してくれればと常に思っているし、実際そうなりつつあります。
東工大の就職は大手企業志向が強かったのですが、今はベンチャーを自ら立ち上げる学生も増えているし、スタートアップ企業に参加したり、海外で就職するなど進路も多様になってきました。
大竹:政治や国家機関の中枢に理系の人材が多い国は結構ありますよね。日本は少ない気がします。これからの社会を考えた時、リーダーとなる人間には高い科学的リテラシーも求められることになるでしょうから、そういう役割を担う人材が出てきてもいいのではと思います。
三橋:そういう方向への教育もかなり充実してきていますよね。
大竹:ILAを中心としたリベラルアーツやアントレプレナーなどですね。また10年経つとさらに変わっているかもしれません。それを期待したい。
未来に向けての人材育成にはそういう方法がありますが、一方、未来に向けての研究は個人個人の集積です。大学として先を見据えた研究を進めることももちろん大切ですが、個々の研究はそんなに簡単に成果を出せるものではない。特に若手研究者については独自の研究の芽を潰さないように大切にしたいと強く思います。それが先ほどの大きなスケールの評価の話にもつながるのです。
三橋:評価を意識すると、萎縮してしまうこともありますよね。
大竹:若手研究者の元気がないとよく聞きますが、そんなことは全くない。私はIIRの中にある基礎研究機構で多くの若手を見ていますが、彼らはやる気も能力もあって全く心配は要らない。だから、若手がやりたいと思っていることを腰を落ち着けてやらせてあげることが、大学のマネジメントの最も大切な役割の1つだと思います。
三橋:以前、本学の研究所の先生に伺った話ですが、点描画は点々の1個1個に色があって、それが集まってきれいに見える。全部混ぜてしまうと暗い汚い色になってしまう。東工大はいつまでも美しい点描画のように、1人1人の教職員が1つ1つの色を作っていくのだと。
大竹:実にいい表現ですね!
三橋:そういう大学であって欲しいし、事務職員もそういう大学で先生方を支えたいと思います。
統合報告書 未来への「飛躍」 ―東工大から科学大へ―
学長や理事・副学長、研究者による対談・鼎談や、教育・研究、社会に対する取り組み、経営戦略などをご紹介します。
2022年7月取材