東工大について
東工大について
現在、東京工業大学の英語名称はTokyo Institute of Technologyですが、当初は別の名称を使用していたということをご存知ですか?本学が、東京高等工業学校から東京工業大学へ、大学昇格を果たしたのが1929年で、この時の英語名称はTokyo University of Engineeringだったのです。
東工大における歴史的な研究のひとつに、古賀逸策らのグループによる水晶振動子の開発があります。水晶振動子なしには、スマートフォンも動きませんし、パソコンの心臓部であるCPUも動きません。現代の情報化社会を支える陰の立役者です。
この業績に関する論文では、古賀の所属が旧名称であるTokyo University of Engineeringと記載されていることが確認できます。
ほぼ同じ頃、1930年になされたフェライトの発明に関しても、東京工業大学加藤与五郎と武井武によって書かれたオリジナル論文の著者所属は、Tokyo University of Engineeringとなっています。
フェライトは、現代でも磁性材料として多方面で利用されています。一度強い磁界が加わると永久磁石になるハードフェライトは、スピーカー、ヘッドフォン、フロッピーディスクなどに、磁界に触れると磁石になり、磁界を取り去ると元に戻るソフトフェライトは、テレビ、ビデオ、パソコン、自動車、電子レンジなどに使われています。フェライトなしには現代社会は動きません。
この発明は、米国電気電子学会IEEE(アイ・トリプル・イー)によって歴史的偉業(Milestone)に認定され、本学が発祥の地として明記されていますが、丁寧にオリジナル論文に目を通した人は、Tokyo University of Engineeringで発明されたはずのフェライトが、なぜIEEE マイルストーンではTokyo Institute of Technologyで発明されたとなっているのだろうと不思議に思うかもしれません。
絶対零度(-273.15℃)の小数点以下2桁目を決め、度量衡の世界に大きな足跡を残した木下正雄と大石二郎のオリジナル論文の著者の所属は、Tokyo Kogyo Daigaku (Tokyo University of Engineering) となっています。
木下と大石の功績については、<絶対零度=-273.15度>への挑戦をご覧ください。
いつTokyo University of Engineering からTokyo Institute of Technologyへと名称変更されたかに関しては、残念ながら教授会記録等は残っていません。しかし、推測できる状況証拠があります。
東京工業大学博物館に収蔵されている終戦直後の文書綴りの中に、「昭和21年度文部省往復」があります。
その簿冊の中に、手書き原稿とそれを翻訳・タイプし文部省に提出したものが綴じ込んであるのが見つかりました。手書き原稿では、一旦Tokyo University of Engineeringと書いたものを横線で消し、Tokyo Institute of Technologyと書き直してあります。この文書は、GHQの求めに応じて文部省が各大学の学生用福利・厚生関係の調査をしたもので、英文での回答となっています。質問は3項目からなり、英文回答の方は3項目とも控え(計3枚)が残されていますが、手書きの日本語原稿の方は3項目目の1枚のみがファイルされていました。
この文書は、Tokyo University of Engineering からTokyo Institute of Technologyへと正式に英語名称を変えることにした直後に作成されたのではないかと推測できます。戦後の学制改革で新制大学に代わった1949年に英語名称を変えたのではないかという説もありましたが、実際にはそれ以前の1946年である可能性が高いと言えるでしょう。東京工業大学が、Tokyo University of Engineeringと名乗っていた時代があることを、ぜひ覚えておいてください。
本稿は、本学資史料館が発行したリーフレットの内容を再構成し、掲載しています。
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2015年11月掲載