退職に寄せて(2023年3月定年退職者からのメッセージ)

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公開日:2023.03.27

2023年3月をもって定年退職となる教職員から寄せられたメッセージをご紹介します。

6年+37年の回想

物質理工学院 教授(材料系) 須佐匡裕

私は学生として6年間、教員として37年間東京工業大学にお世話になりました。心より感謝しております。
私が金属工学専攻の修士課程を修了した1982年頃、まだ業種によっては第2次オイルショックの余波が残っていました。その頃、鉄に代わり「産業のコメ」と言われ始めていた半導体産業に就職しました。一からの勉強でしたが、ダイナミックに技術が進化する業界に関われたことを嬉しく思いました。当時の半導体業界は、64kbitのDRAMが世界最高の技術レベルでした。私が関わったデバイスは固体撮像素子で、当時の日本のテレビを映すのに最低限必要な20万画素(200k相当)のカメラを作ろうとしていました。最近では、地デジでも200万画素相当、スマートフォンには5,000万画素のカメラが搭載されているものもあります。この40年間の技術進歩の大きさを感じています。日本ではその後コメは不作になりましたが、会社ではいろいろと学ぶことがありました。「研究するなら博士号は取らなきゃ」ということも実感しました。
その頃、大学の恩師である永田和宏先生から「助手になって博士を取らないか」というオファーをいただきました。今ではあり得ない話です。1986年3月に会社を退職、4月に助手として着任しました。4年半かけて博士号を取得し、1992~1993年には英国National Physical Laboratory(国立物理学研究所)のK.C. Mills先生の下に文部省在外研究員と日本学術振興会特定国派遣研究者として留学させていただきました。この留学中の経験やネットワークが、私がその後たまたま業務命令で行った大学および部局の国際連携活動に役立ったことは間違いありません。

大学ではグローバル理工人育成コースの、また部局では国際大学院プログラム、SERPAOTULEの立ち上げ・運営に携わりました。AOTULEには国際連携室長、副学系長あるいは副学院長として、2009年の国立台湾大学(台湾)をはじめ、バンドン工科大学(インドネシア)、清華大学(中国)、マラヤ大学(マレーシア)、チュラーロンコーン大学(タイ)、メルボルン大学(オーストラリア)、南洋理工大学(シンガポール)、香港科技大学(中国)、ハノイ工科大学(ベトナム)の年次大会に参加しましたが、学院長としては対面参加できなかったのが唯一の心残りです。一方で、大連理工大学(中国)との間に転入学制度を作ったのは本当に良い仕事だったと思います。

最近、バックキャストという考え方の重要性が説かれています。自分の人生はそれとは真逆で、その場その場でベクトルを変えたように思います。ただ、得た経験はその後にうまく活用できたように思っています。いずれの場合も、プラス思考が重要ですかね。

2014年にメルボルン大学で行われたAOTULE年次大会の集合写真

2014年にメルボルン大学で行われたAOTULE年次大会の集合写真

東工大での29年間

物質理工学院 教授(材料系) 森健彦

有機材料工学科の助教授として岡崎の分子科学研究所から桜吹雪の中、石川台地区に引っ越してきた29年前の光景を今でもよく覚えています。当時はまだ桜が咲くのは4月上旬だったことになります。その後しばらく、2類のバスゼミは桜とともにありましたが、類主任として2回バスゼミに参加した頃には桜の後になっていたように思います。

最初は有機超伝導の研究をしていましたので化学にしろ物理にしろ、かなり理学寄りの研究者でしたが、学生さん達が工夫して有機トランジスタの研究を立ち上げてくれたおかげで、主に出ていく学会も応用物理学会になりました。学会の所属を変えてもあまり得をすることは何もありませんが、最後まで新鮮な気分で研究をすることができ、ほとんど2人分の研究者人生を楽しめたような気がします。

さまざまなプロジェクトに参加させてもらったのも楽しい思い出ですが、なかでも若手研究者インターナショナル・トレーニング・プログラム(ITP)の間は、1年に1回レンヌ(フランス)、シカゴ(アメリカ)、ダーラム(イギリス)などで国際会議を開催していたことになります。東日本大震災の翌々日には帰れなくなるのを覚悟の上でシカゴに飛びました。

このような機会を与えていただいた学生諸氏を含む東工大の関係者の皆様に深く感謝申し上げます。

2011年3月、アルゴンヌ国立研究所(アメリカ)でのITP

2011年3月、アルゴンヌ国立研究所(アメリカ)でのITP

定年退職にあたって

生命理工学院 教授(生命理工学系) 占部弘和

生命理工学院 教授(生命理工学系) 占部弘和占部教授

本学の第1類に入学させていただいたのが47年前で、学部、修士、博士と進み、そのまま教員に採用していただき、休職・研修で2年間米国スタンフォード大学に抜けたのを除くと、ずっと本学にどっぷり浸かり、お世話になりました。入学当初は、まだ学生運動のきな臭さが漂うキャンパスで、移動電話やメールシステムはごく一部の話で、文書作成もやっと電動のタイプライターで・・・と、いちいち挙げているとキリがありませんが、50年後の今の研究環境など当時は想像もしようがなく、振り返るとこの間の生活や社会の進歩には、今更ながら驚きしかありません。

高校時代から、化学、特に有機化学に魅せられ、本学では入学から授業、実習、そして研究と、やりたいことを存分にやらせていただいて、本当に感謝しております。もちろん、恩師、先輩方、同僚、たいへんお世話になりました事務方の諸氏、そして数多くの素晴らしい学生さんのおかげさまがあってのことで、御礼しかございません。教育の側面は別として、自分の研究は面白いことを進められたことは満足ですが、一方で、その時々のほんの少しの科学の流れを紡いだだけとの、定年退職するサラリーマン研究者の割り切った思いがよぎるのも、微妙なところでしょうか。

ともあれ、研究室の学生さんの卒業式は年ごとに感慨深いものがありますが、遂に今回は自分が卒業する当事者との実感です。東工大の新大学への躍動の前に、愛する本学をちょうど退職することになりますが、新大学でのさらなるご発展をお祈りする次第です。
皆様には、長年にわたり、ありがとうございました。

"Rolling stone"と苔(コケ)

生命理工学院 教授(生命理工学系) 近藤科江

理工系最高峰の大学である東工大の一員として、知識にあふれ経験に富んだ多くの教職員の皆さまと交流させていただき、優秀な学生たちと一緒に学ばせていただいた日々に、感謝の気持ちでいっぱいです。大学で女性がポジションを得ることがとても難しく、ポジションを得なければ研究を続けることが困難であった時代を綱渡りのように乗り越え、やっと13年前に東工大で居を得ました。教育研究の場を与えていただいただけでなく、定年間近になって、評議員、生命理工学院長、すずかけ台図書館長として、大学の運営の一端を担う貴重な経験もさせていただきました。

東工大は長い歴史と伝統があり、「苔(コケ)」をしっかり蓄え、皆が誇りを持って教育研究に取り組んでいるという印象を持っています。一方で、"Rolling stone"に例えられる「改革・革新」マインドも十分に持っていて、着任して間もなく始まった組織改革・教育改革に、教職員が抵抗しながらも、良い方向を探って前進する姿を見てきました。「転がりながらも『苔』を育てて大きくなる石」を想像しました。

10年後、50年後の大学、日本の状況を俯瞰(ふかん)すれば、すぐにでも改革に取りかからなければ深刻な事態に陥ることは明白です。現在、東工大が取り組んでいるさまざまな改革:入試改革、東京医科歯科大学との統合、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)社会の実現に向けた改革など、賛否両論が学内外で聞かれます。社会に「改革の必要性」を議論するための一石を投じた意義は極めて大きく、東工大が率先して行った功績を称えたいと思います。

問題の核心は、当然のことながら「改革の成果をどのように世に示せるか」、今後の皆様の取り組みに委ねられております。例えば、女子枠を設け、女性限定公募を実施して、女性の学生や教員を増員できると確信しています。そうして増えた学生や教員に対して、D&I社会が目指す「多様性や個性を認識して、受け入れ、尊重することによって個人の力が発揮できる環境を整備したり、働きかけたりする仕組み作り」をいかに構築して、「個の力を結集し、組織の活性化につなげるロールモデル」を見せられるかが問われております。これまでの「優先順位」を一から見直し、「個」から出てくる「不安・要望」をわがままと思わずに耳を傾け、「自信・希望」が持てる未来を示していただくことを期待します。
大学名が変わっても、変わらず「転がりながらも『苔』を育てて大きくなる石」であり続けてほしいと願っております。

2023年2月 研究室同窓会(前列中央が近藤教授)

2023年2月 研究室同窓会(前列中央が近藤教授)

東工大生活の始まりと終わり

科学技術創成研究院 教授(化学生命科学研究所) 久堀徹

研究室の恒例行事となった久堀教授の誕生日祝い
研究室の恒例行事となった久堀教授の誕生日祝い

1995年1月に資源化学研究所の吉田賢右教授の研究室に助教授として着任してから、早いもので28年が経過しました。着任してすぐに阪神淡路大震災が発生し、ちょうど大阪に出張していた吉田教授とはしばらく連絡がつかず、とても心配しました。こうして始まった東工大での14年間は、吉田教授の方針で極めてユニークな共同運営体制という得難い経験をしました。対外的に研究室から出す文書には、いつも互いに朱筆を加えあっていました。まれに、「久堀さんが反対すると思うからこれは事後承諾ですが」と断りを入れられることもありましたが、研究室の運営は基本的にスタッフの話し合いで決めました。着任して2年後には吉田教授が慶應義塾大学の木下一彦教授のグループとの共同研究でATP合成酵素の回転を世界で初めてビデオ撮影するという大きな成果をあげ、ノーベル賞科学者が何度も来学するなど貴重な体験ができました。吉田教授はノーベル賞こそ逃したものの、その後、JST(科学技術振興機構)のERATOプロジェクトを立ち上げ、研究面では大成功だったと思います。当時の私は、吉田教授の配慮で、自分自身の植物生化学の研究に真剣に向き合うことができました。

2013年夏 久堀教授のロゴを花火で描く研究室の仲間たち

2013年夏 久堀教授のロゴを花火で描く研究室の仲間たち

後半の14年間は、教授として自分の研究の世界の確立に力を尽くしてきました。幸い、素晴らしい同僚と若手研究員、やる気にあふれる数多くの学生に恵まれて、順風満帆な研究室運営ができて、今日を迎えられたことをとてもありがたく思っています。私自身は生化学の基礎科学どっぷりの研究をしてきたと思っていますが、学外の人からは「久堀研の研究って、どこか東工大的だよね」と評価されることも多く、なんともこそばゆく感じていました。

東工大で教授として退職する機会は、皆さん等しく一度限りで、まだ経験されていない方がほとんどと思いますので、自戒を込めてひとつ書き残しておきます。以前は退職された教授が手続きなしでそのまま居室で仕事を続けている、などというのどかな時代がありました。しかし、今はスペース管理が厳密になり、私もこの数ヵ月、研究室の片付けに追われています。辞める私はこれが当然と思う反面、3月修了の学生が巻き添えを食って、年度の終盤には研究にも支障が出てくるという状況は、本当にかわいそうです。今年、私の研究室で博士後期課程と修士課程を終える3人の学生は、論文審査が終わっても、それぞれ次の学術論文を書き上げる意気込みで、今も片付けの合間に実験をしています。こうした向学心の塊のような学生を指導することができたことに心から感謝するとともに、もう少し彼らにしてやれることはなかったのかと考えながら、カレンダーをにらむ毎日です。

2024年には新しい大学に生まれ変わりますね。これから大学がますます発展して、「この研究、東京科学大学的だね」と言われるようになる日が早く来ることを祈念しています。

お問い合わせ先

東京工業大学 総務部 広報課

Email media@jim.titech.ac.jp

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