社会連携

世界で活躍する同窓生 建築家 迫 慶一郎

中国で次々と巨大プロジェクトを成功 日本人建築家 迫 慶一郎 建築家 (SAKO建築設計工社)

国内外を飛び回る多忙な日々

近年、北京では、ランドマークとなる建築が続々と出現している。その中の1つに、地元でも人気の「北京バンプス」がある。白と黒のユニットを上下左右に市松状に配置した奇抜なデザインが目を引く超高層ビルで、デパートと集合住宅の複合施設になっている。この建築設計を手掛けたのが、東京工業大学大学院出身の建築家、迫慶一郎氏である。

北京バンプス

北京バンプス 2008 複合集合住宅
- SAKO建築設計工社HPより

彼は他にも、中国全土で数多くの巨大プロジェクトを成功させてきた。現在は、北京に加え、東京、福岡の3ヶ所に事務所を構え、国内外を飛び回る多忙な日々を送っている。

坂本研究室が建築家としての原点

迫氏が建築家を目指したのは小学5年生の時だった。家の近所でたった数人の大工が立派な木造住宅を建てていく姿に感動し、大工に憧れた。その後、小学校の同級生から「建築家は大工よりも大きな建物をつくる人だ」と教わり、建築家になることを決意。以来、その決意が揺らぐことはなく、高校卒業後、東工大第6類に進学した。

迫 慶一郎

「東工大には、入学直後の一大イベントとして、新入生セミナーがあるのですが、その時の第6類の類主任のスピーチは、今でも忘れられません。建築家を目指して入学してきた夢と希望に満ち溢れる新入生に向かって、『建築家になるのはとても難しいことで、ここにいる全員のうち、1人なれるかなれないかの狭き門だ』と言われたのです。その時はショックを受けましたが、同時に、自分はその1人になってやるぞ、と気持ちを新たにしました。」

学部時代は体育会ヨット部に所属し、ヨットと学業の両立に尽力した。特に、建築デザインを志向していたことから、設計製図の課題にはことさら熱心に取り組み、いつも高い評価を受けていた。そういった努力が報われ、大学4年のとき、建築デザインを目指す学生が当時最も憧れる、坂本一成教授の研究室へ所属することができた。

「坂本研究室に入ってくる学生は、自分も含めて皆、建築デザインに自信を持っているんです。ところが入った初日に、自分たちが今までに取り組んだ設計課題についてプレゼンテーションをさせられ、そこで坂本教授や先輩方から容赦のない批評に遭い、自分のコンセプトや考えの浅はかさを思い知らされます。それによって根拠のない自信が完全にリセットされ、基礎から謙虚な気持ちで学んでいくわけです。」

ニューヨークに憧れた修士課程時代

そんな迫氏が、世界を舞台に活躍したいと思ったのも、坂本研究室での経験が大きかった。修士課程の時、自分以外の同級生3人のうち2人が海外に留学したほか、残る1人も帰国子女だった。自分だけが英語も満足に話せない海外未経験者であることに、居心地の悪さを感じていた。

「米国に留学した同級生の1人が在籍していたのが、ニューヨークのコロンビア大学でした。当時、コロンビア大学の建築学部は、世界で最も輝いていました。同級生が留学中、そこを訪問したのですが、コンピュータを駆使したデザインにカルチャーショックを受け、いずれは自分もニューヨークに行きたいと強く思うようになりました。」

迫 慶一郎

そういった熱い思いを秘めたまま、迫氏は大学院を卒業し、1996年に山本理顕設計工場に就職した。当時、山本理顕設計工場は大きなプロジェクトをいくつも抱えており、新たなコンペ(建築設計競技)の準備をする要員がいなかった。そこで、いきなり新人の迫氏がコンペを任されたのだ。案件は、広島市西消防署の建築プロジェクトで、結果は見事、勝利。

「この時も、大学院時代の経験が直接役立ちましたね。坂本研究室の魅力のひとつは、実際に建築設計をしていることにありました。建築家の実施設計を間近で見られ、しかも手伝わせてもらえることは学生にとって得難い経験です。私も研究室時代にはコンペは何度も参加させてもらいました。」

そして、2000年9月、迫氏は、中国・北京市での70万平米という巨大プロジェクトのコンペを担当することになった。それは「建外SOHO」というプロジェクトで、日本で言えば、六本木ヒルズと同じ規模だ。コンペを勝ち取った山本理顕設計工場は、そのまま迫氏にプロジェクトリーダーを任せた。このプロジェクトが、のちに迫氏の人生を大きく変えることとなった。

広島西消防署 2000

広島西消防署 2000

建外SOHO 2004

建外SOHO 2004
共同住宅、店舗、事務所、駐車場

時代の大きなうねりに乗った10年

「建外SOHOが、私にとっては中国での初プロジェクトでした。中国でのプロジェクトマネジメントは試行錯誤の連続でしたが、交渉にあたる粘り強さには自信がありました。それは、学生時代にヨット部で養ったものだと思います。」

プロジェクトは2003年末までに、2期工事が成功裏に完了した。建外SOHOには現在、20棟の高層ビルが建ち並び、そのうち18棟がSOHO棟、2棟がオフィス棟で、低層棟には約300軒の店舗が入り、日中は数万人が利用している。

迫氏はプロジェクトの推進中、プロジェクト終了後に山本理顕設計工場を退職し、その半年後から長年の憧れだったコロンビア大学で1年間、客員研究員として勤務する準備を整えていた。

ところが、中国人の建築評論家からの1本の電話で計画が一変した。彼は、迫氏にある地方都市の1万平米を超える公共建築のプロジェクトを紹介してきたのである。

「当時、まだ建築事務所のスタッフであった私に、いきなり公共建築を依頼してきたのには驚きました。彼とは、彼が建外SOHOの建設中に取材に来た際に知り合いになりました。彼はその時、こんなに若い人間が70万平米もの大型プロジェクトをマネジメントしているとはすごいことだと思ったらしく、ならば1万平米くらい朝飯前だろうと判断したようです。」

金華キューブチューブ 2010

金華キューブチューブ 2010 オフィス、レストラン
- SAKO建築設計工社HPより

好奇心とチャレンジ精神が旺盛な迫氏は、建築評論家が紹介してくれたプロジェクトを引き受けることにし、コロンビア大学での任期が始まる前に目処をつけ、無事ニューヨークに旅立った。これが、中国地方都市の交通局のオフィスビルである「金華キューブチューブ」である。

コロンビア大学での生活は、迫氏に建築家として新たな広がりを与えた。

「ニューヨークでは、建築という枠組みにとらわれず、もっと自由にさまざまな領域からデザインを取り入れて構わないのだということに気付かされ、自分の凝り固まった考えから解放されるのを感じました。」

そして、コロンビア大学での任期を終えた後は、北京を拠点に、建築家としての活動を本格的に開始した。

「最初は、建外SOHOや金華キューブチューブという、言わば偶然が重なったようなプロジェクトから始まったわけですが、今になって振り返れば、私は時代の大きなうねりに、知らず知らずのうちに乗っていた、つまり必然であったとも言えます。その中で、経済成長著しい今の中国でしかつくり得ない、オリジナリティの高いものをいかにつくるかに、全精力を傾けてきた10年間だったと思います。また外国人であっても、世界における中国のプレゼンスを高めるような建築をつくっていくことに貢献できるのだということをアピールし、理解していただいてきた充実の10年間でもありました。」と迫氏は振り返る。

建築家は社会を直接良くしていくことができる恵まれた職業

そんな中国での活躍が日本にも伝わり、現在は日本でも様々なプロジェクトを依頼されるようになった。しかも仕事の範囲は、既存の建築家の枠組みをどんどん超えてきている。都市計画、インテリアデザインはもとより、最近では企業のブランディングやトータルプロデュースを手掛けるなど、マルチな才能を開花させ始めている。

迫 慶一郎

そして現在、迫氏が最も注力しているのが、宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区で進めている震災復興プロジェクト「東北スカイビレッジ」と、四川大地震の被災地に幼稚園を寄贈するプロジェクトだ。東北スカイビレッジは、高い防潮堤に頼らずとも海と共存できる住み方を迫氏ならではの視点で考え、提案したものだ。四川でのプロジェクトについては、何度も軌道修正を強いられた状況からようやく脱し、実現の芽が出てきたという。中国で仕事に携わる日本人建築家として行動することを通し、日中間の架け橋になるという迫氏の意思の表明でもある。

「最近、建築家は、社会を直接良くしていくことができるすばらしい職業だと感じています。この職業に就いていることを存分に生かして、常識にとらわれることなく、社会に貢献できることには何にでも挑戦していこうと思っています。」

四川省 幼稚園

四川省 幼稚園 - SAKO建築設計工社HPより

東北スカイビレッジ

東北スカイビレッジ

最後に、迫氏は、未来に希望を抱く学生たちにこんなアドバイスをしてくれた。

「日本の中だけで安定した生活を送っていられる時代はもはや終わりました。今後は世界を舞台に競っていかなければならない時代です。その中で求められるのは、バイタリティです。そしてバイタリティを身に付けるためには、若いうちから海外に出て、自分を厳しい環境に置き、たくさんの失敗を経験することです。私も数多くの失敗と修羅場を経験してきましたが、すべて財産になっていると胸を張って言えます。また、仮に失敗したとしても、常に真剣に取り組んでさえいれば、『これは、自分にはまだこの点が足りなかったのだと気付かせてくれるための経験だったのだな』など、物事をすべてポジティブにとらえることができるようになります。ですから皆さんも失敗を恐れず、どんどん世界に向かって、挑戦していってほしいですね。」

迫 慶一郎

迫 慶一郎 (Sako Keiichiro)

プロフィール

1970
福岡県生まれ
1996
東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻修了
1996
山本理顕設計工場入社
2004
SAKO建築設計工社設立
2004~2005
米国コロンビア大学客員研究員、文化庁派遣芸術家在外研修員

現在、北京、東京、福岡の3拠点に事務所を構え、中国、日本、韓国、モンゴル、スペインなどで90を超えるプロジェクトを手掛ける。
建築設計に加え、都市計画、インテリアデザイン、企業のトータルプロデューサーなど従来の建築家の枠組みを超えた幅広い活動でも注目を集める。

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2013年11月取材当時

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東京工業大学 総務部 広報課

Email pr@jim.titech.ac.jp