社会連携

世界で活躍する同窓生 駐カタール特命全権大使 津田愼悟

世界で活躍する同窓生 駐カタール特命全権大使 津田愼悟

本学出身の津田愼悟氏は、商社での経験を経て、2013年10月から駐カタール特命全権大使を務めています。現在に至るまでの津田大使の経験を中心に、発展著しいカタールの現状と将来のビジョンについて聞きました。

国交40年を数える親日国カタール

着任されて1年が経過しましたが、現在の心境と状況をお聞かせください。

駐カタール特命全権大使 津田愼悟

2013年10月28日に首都ドーハに大使として着任して以降、現在までほんとうにあっという間だったなという感があります。

カタール国は1971年にイギリスから独立を果たし、秋田県ほどの面積に人口は約220万人と小規模ながら、石油とLNG(液化天然ガス)の生産で急成長を遂げている、中東の主要な国の一つです。

先の東日本大震災の際には、カタール政府は支援金として日本に対し1億米ドルの復興資金を設立、さらにLNG供給量を増やすなど、資金面に加え不足するエネルギー供給にも大いに貢献してくれています。
日本はカタールと国交を樹立して2012年で40年を迎えましたが、両国の関係は経済・ビジネスでの協力関係にとどまらず、文化、教育、医療、サイエンス、インフラストラクチャーの整備など多方面にわたり良好な関係を築き上げています。こうした基盤を礎に、より一層活発な交流のための橋渡しをしていくのが、私の役目と認識しております。

大学時代は「建築色彩」を学ぶ

東工大在籍時には建築学を学ばれていたとのことですが。

駐カタール特命全権大使 津田愼悟

私は1975年に東工大を卒業しましたが、在学中は乾研究室に所属していました。乾先生(乾正雄・現東工大名誉教授)は、都市・建築の照明や街並・インテリアの色彩、景観、環境などを専門とされ、当時から、例えばビルの色が人間にどのような作用をもたらすかとか、あるいは建物に光をどう当てたらきれいに見えるか、建物内の照明をどう使ったらいいかということを日々研究されていました。あの頃は一般色彩に比べて建築色彩の専門家が圧倒的に少ない時代でしたので、色彩設計がいかに困難で、かつ重要であるということを、私たちに教示してくださった、ある意味パイオニアと言える存在であったと思います。部類としては、環境建築学、あるいは環境都市計画になるかと思いますが、そのなかで、私は都市の高層ビルディングの外壁の色が与える心理的影響について研究し、卒業論文としました。

商社に入ったからには海外で仕事がしたい

その後商社に入社したと伺いましたが、建築との接点はあるのでしょうか。

駐カタール特命全権大使 津田愼悟

実は、本当は修士課程に進学したいと考えていたんです。ところが、親に「早く働け!」と断られてしまい、やむなく就職口を探しました。私は、就職すると決めたら大学で勉強したことと仕事とは切り離して考えようと割り切っていましたので、この段階で建築に執着することは全くなかったです。
就職活動の時期はとっくに過ぎていたのですが、運良く、丸紅株式会社に入社することができました。

海外配属をつかんだきっかけと、初めて訪れた国についてお話しください。

入社して最初は「鉄構建材課」という部署に配属となりました。でも私は、せっかく商社に入ったのだから、海外で仕事がしてみたいという気持ちを強く持っていたんです。「石の上にも3年」ということわざがありますが、鉄構建材課には4年間在籍しました。
しかし、黙っていても希望は叶いませんので、当時海外部署への転機となる社内の海外研修生制度に応募したんです。私は国内の部署にいた関係でこの試験をなかなか受けさせてもらえず、苦労したのを覚えています。
ようやく希望が叶い、私は行き先にブラジルを志望しました。ところがブラジルには先約があり、代わりにオファーされたのが、ダマスカス(シリア)でした。1979年のことです。

カタール初のLNG共同開発事業に参加

カタールとかかわりを持つようになったきっかけについてお話しください。

駐カタール特命全権大使 津田愼悟

1983年に、海外で工場を建設するプラント部門に異動になりました。カタールを初めて訪れたのは1987年のことです。このときはカタールで最初のLNG生産事業である「カタールガス」のFSの完成と開発が目的でした。「カタールガス」は日本を含む国際コンソーシアムが運営するLNG生産事業で、1996年末にプラントが完成し、年間生産量600万トンでスタートしました。これが、現在のカタール発展の原点と言えるでしょう。その後、カタールでのLNG生産は順調に拡大し、2010年には年間生産量7,700万トンと世界一のLNG生産国となりました。

FS(feasibility study)

フィージビリティ・スタディ(企業化事前調査、事業化可能性調査)。

当時のカタールはどんな印象でしたか。

石油を細々と輸出していましたが、小国でもあり、まだほとんど開発はされていませんでした。カタールはペルシャ湾に突き出た小さな半島で、その首都であるドーハには今でこそ近代建築物があちこちに林立していますが、その頃は日本大使館のあるウェストベイ地区でさえも、目立った建物といえばシェラトンホテルくらいだったと思います。

カタール大使のオファーを引き受けられた理由をお聞かせください。

大使就任の打診をいただいた当時は、丸紅の関連会社の社長に就任していました。会社のほうは1,000人ほどの規模で、そちらもやりがいを感じており、かなり悩みました。しかしながら、やはり民間の立場でありながらこうして指名いただけることは非常に光栄なことであり、お役に立ちたいという気持ちもあり、会社の従業員には申し訳なかったのですが、わがままを言わせていただき、お引き受けしました。

真のリーダーとなるための課題は「人材育成」

未来に向けカタールがめざしていること、および課題についてお話しください。

駐カタール特命全権大使 津田愼悟

現在カタールは、アジアと西欧諸国との中間に位置するという地の利と、天然資源がもたらした豊かな資本力を活用し、多方面でその力を発揮しています。さらには、将来を見据え、石油やLNGなどのエネルギーに依存しない国づくりにも目を向け、「カタール ナショナルビジョン2030」を掲げて経済・社会の多角化を推進しています。また、2022年には中東で初めてのFIFAワールドカップも開催されることが決まっています。
しかしながら、カタールが地域的にも国際的にもそのプレゼンスをより強固なものにしていくためには、人材育成及び教育が極めて重要です。現在カタールでは、政府出資によるカタール財団が主体となり、カタール・アカデミーの設立や外国大学の誘致、コンピュータ教育導入など教育関連施設の整備を積極的に行っています。ドーハの教育都市にはジョージタウン大学やカーネギーメロン大学など多くの大学分校が開校し、世界各地から留学生が集まっています。ぜひ、世界に誇れる東工大の技術力がカタールを中心とした中東諸国でも華開くよう、人材面での交流を積極的に推し進められればと思います。

日本大使公邸で主催した天皇誕生日レセプションにて、主賓のカタール文化相とケーキカットを行う津田大使(2014年12月)
日本大使公邸で主催した天皇誕生日レセプションにて、
主賓のカタール文化相とケーキカットを行う津田大使(2014年12月)

同レセプションにて挨拶を行う津田大使
同レセプションにて挨拶を行う津田大使

ドーハで開催された「FIG(国際体操連盟)チャレンジカップシリーズ」にて、ゆか競技で優勝した白井健三選手の表彰式に参加(2014年3月)
ドーハで開催された「FIG(国際体操連盟)チャレンジカップシリーズ」
にて、ゆか競技で優勝した白井健三選手の表彰式に参加(2014年3月)

ドーハの男子高校に日本関連図書を寄贈(2014年4月)
ドーハの男子高校に日本関連図書を寄贈(2014年4月)

最後に、後輩である東工大の学生に向けて、世界で活躍するためのメッセージをお願いします。

どんな状況に置かれても、つねに何事も前向きに考えることに尽きると思います。まず、自分の置かれた立場や環境をしっかり受け止めた上で、次にどうしたらそこから自分の目標にアプローチできるかを考え、そして行動する。自分を信じて積極的に前に進んでください。

津田大使と三島学長(当時) 津田大使と三島学長(当時)

津田 愼悟(Tsuda Shingo)

プロフィール

1951年生まれ。
福岡県立修猷館高等学校を経て、1975年東京工業大学工学部建築学科を卒業し、丸紅株式会社入社。常務執行役員、欧州支配人、中東・北アフリカ支配人等を経て、2013年4月に退社。同年6月に丸紅情報システムズ株式会社代表取締役社長に就任。
2013年10月より駐カタール特命全権大使。

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2014年8月取材当時

お問い合わせ先

東京工業大学 総務部 広報課

Email pr@jim.titech.ac.jp