教育

2015年春、退職教員インタビュー

2015年春、退職教員インタビュー

2015年3月末をもって、東京工業大学で教育・研究、大学運営に尽力した30名の教員が定年退職を迎えます。退職の日を前に、本学を退職する2名の教授に、教員生活を振り返って、心に残るエピソードや大学への思い、これからの展望について話を聞きました。

太陽光発電が日本の基幹エネルギーになる日を夢見て 小長井 誠(こながい まこと)大学院理工学研究科 教授 環境エネルギー機構長

石油エネルギーに代わる非常に重要な次世代エネルギーの一翼として、太陽電池がどのような進展を経て今に至っているのかについてお聞かせください。

私が太陽電池の研究を始めたのは1972年、学部を卒業して本学の修士課程の1年目のことです。当時私は半導体でトランジスタの研究に携わっていたのですが、ある時指導教員であった高橋清先生から「これからは太陽電池の時代だ。小長井君、太陽電池の研究をやりなさい。」と言われたんですね。高橋先生は非常に先見の明に長けた方でしたので、なんだか面白そうだなと、素直にその一言に従って始めたのがきっかけだったんです。

1990年10月、JICAオラン大学支援事業のためアルジェリアに滞在。週末は砂漠での自然環境調査
1990年10月、JICAオラン大学支援事業のためアルジェリアに滞在。週末は砂漠での自然環境調査

2年後の1974年にはサンシャイン計画という日本の新エネルギー技術研究開発についての長期計画が始まり、我々も背中を押されるように研究に没頭してきました。特に重要なのは、1980年に発足したNEDO(独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)と呼ばれる経済産業省所管の組織で、これがまさに産学連携の先駆けとして動き出したんですね。そのプロジェクトに最初から関わることができたことが、これまでのあらゆる成果につながっていると言っても過言ではありません。

現在は太陽電池開発の全体像の中ではどの段階まで来ていると捉えていますか?

私は、太陽電池がこの国の基幹エネルギーとなるのは2040年から2050年頃であろうと考えています。まだ30年から40年先です。そういう観点で考えると、研究成果が実を結んで本格的に応用されることを一つのゴールと捉えるならば、現在は真ん中を少し過ぎたところです。

これまで我々が太陽電池の開発に携わってきた時代というのは、どちらかというと「いかにコストを下げて、高効率な製品をたくさん作るか」ということに焦点を置いていました。次のステージではそれをさらにシステム化し、太陽電池を日本の電力の10%、あるいは20%を担える基幹エネルギー源に育て上げていく必要があります。そしてまさに、今それが始まろうとしているところです。

他のエネルギーとの供給バランスや今後の展望についてどうお考えですか?

私は基本的に、エネルギーはいろいろ組み合わせてまかなえば良いと思っています。ただ、資源の問題や環境汚染などの危険性を考慮すれば、徐々に石油や原子力から自然エネルギーへとシェアを移行していくことが、日本の未来を決める重要なポイントであることは明らかです。

太陽電池の例

現在、太陽光発電による売電の申込みの総量はすでに7,000万キロワットを超えており、2015年末までに太陽光発電システムの導入量は3,000万キロワットに達する見込みです。将来的には1億キロワットも視野に入れています。日本の発電設備は全部で2億キロワット強ですので、そう考えると、十数年内に太陽光発電が日本国内において基幹エネルギーの仲間入りをすることは間違いないと言っていいでしょう。

太陽電池の今後の開発のポイントについてお話しください。

太陽電池の大きな課題は、やはりコストです。パネルを屋根の上に乗せようとした場合、たとえ効率が上がったとしても、高額だと躊躇しますよね。そこで今考えているのは、「低倍率集光型太陽電池」です。いろいろ種類があるのですが、仕組みとしてはミラーに太陽光を当てると10倍くらい集光してここに太陽の光が集まる。そこで得られたエネルギーを電力に変換するというものです。日本は雲が多いので、1000倍など高倍率で集光するには、2軸追尾といって常に太陽を高精度で追いかけていく必要があるのですが、低倍率集光では1軸追尾で十分です。次は、低倍率集光の研究に着手します。

「研究の場」としての東工大について、どのような感想をお持ちですか?

小長井 誠(こながい まこと)大学院理工学研究科 教授 環境エネルギー機構長

研究設備に関しては、目に見えない部分も含めて、感謝しきれないほどの支援をしていただいたと実感しています。大岡山南地区の超高速エレクトロニクス研究棟や南9号館ができたときもそうでしたが、今研究室のある環境エネルギーイノベーション棟にも、他では見られないくらいのスペースと予算をかけて、最高の環境を設えていただきました。おかげで、現在に至るまで最先端の研究を推し進めることができています。

まだまだ、志半ばというところでしょうか。

できることなら、太陽光発電が10テラワット、20テラワットというエネルギーを生産できるようになるであろう2050年までは、なんとかして生き延びて、その世界をこの目で見てみたいと思っています。そうすると100歳を超えてしまうのですが(笑)

可能なかぎり、環境エネルギー分野発展の一助になれればと願っています。まだまだ、休むつもりはありません。

未来を担う東工大の学生にエールをお願いします。

世界中の研究者と撮った写真を大切に飾っている
世界中の研究者と撮った写真を大切に飾っている

私は、学生には常々次のようなことを伝えています。

<世界をリードする研究者となるための条件>その1

  1. (1)常にパッションをもって
  2. (2)ブレないで信念を貫く
  3. (3)単細胞にならず、他分野の技術を融合
  4. (4)最初はデバイスでも、最後はシステムまで

なかでも重要なのは、「他分野の技術融合」です。自分の分野だけ見ていてはだめです。例えば太陽光発電だけやっていても、やはりエネルギー源として見ると不足しています。風力も原子力も勉強して、いろいろ融合させていく必要があります。

<世界をリードする研究者となるための条件>その2

  1. (1)国籍・宗教・人種に関わらず世界の人と仲良くできること
  2. (2)どこの国に行ってもその国の習慣・食べ物に文句を言わず何でも好きになる
  3. (3)何でも、誘われたら断らない
  4. (4)世界中、どこに行ってもよく眠れる

最後の(4)ですが、私はこれだけはなかなかうまくいきませんでした(笑)でも、どこでもよく眠れるということは、それだけ度胸が座っているということの裏返しだと考えます。どうか胸を張って、世界に飛び出してください。

「生命と地球の歴史」に科学者としての誇りと尊厳をかけて挑む 丸山 茂徳(まるやま しげのり)地球生命研究所 教授

まず、先生の専門のご研究について、これまでを振り返っていただきながら、お話をいただけますか。

私の専門は地質学で、これまで「生命と地球の歴史」にまつわるさまざまな研究に携わってきました。最初に取り組んだのが、日本列島の地質学です。日本列島がどのような環境のもとでどのように形成されていったのかということについてさまざまな仮説を立て、高圧実験により地球深部の環境に存在し得る物質を再現するといった研究活動に、富山大学とアメリカのスタンフォード大学とを行き来しながら、約20年にわたり携わってきました。

1993年、グリーンランド・イスアでの地質調査風景。右が丸山教授
1993年、グリーンランド・イスアでの地質調査風景。
右が丸山教授

その後20年ほど前から東工大に移り、前述の研究を続けつつ、地球の歴史、さらには生命の歴史の謎を解明すべく、地球上に残るさまざまな試料を集め、世界30カ国、約50から60の研究機関と共同研究を続けています。人類の祖先がチンパンジーなどの類人猿から分かれたのが700万年から600万年前と言われています。アフリカの赤道地域で誕生し、瞬く間に地球上に拡散した私たちの祖先は、それまでとは次元の異なる進化を遂げている。こうした高度な能力を備えた人類誕生の条件を体系化し、チャールズ・ダーウィンの進化論を含め、ゲノムから天文学までを一体化した壮大な理論の構築・整理を行ってきました。

現在は関連するもう一つの大きなプロジェクトにも携わっていますね。

丸山 茂徳(まるやま しげのり)地球生命研究所 教授

はい。文部科学省のWPIプログラム※1の支援を受けて設立された地球生命研究所(ELSI)での活動です。「生命と地球の謎を解き明かす」を命題に、「地球科学」「生命科学」「惑星科学」の分野を融合させた地球規模の壮大な計画として、2014年より本格的に進行しています。

生命活動を行うためには「水」「大気」「岩石」の3要素が必須です。そして、何よりも海と陸地がなければ、持続可能な生命は存在し得ません。幸い地球上には、実に1万以上の異なる表層環境が存在しています。そこで、こうした異なる環境同士を試験管上で合わせることにより原始地球の表層環境の復元を試みるという、いわば「ボトムアップ型のアプローチ」を行っています。さらに、オーストラリアやアフリカなど、原始地球の表層環境と似た場所に足を運び、その環境に適応した冥王代※2類似環境微生物のゲノム解析を進める「トップダウン型のアプローチ」を併行して行い、融合することで、人類最大の謎である生命の起源に必ずやたどり着くことができると確信しています。

先生はご専門の地学はもちろんのこと、さまざまな分野でも影響力のある議論を展開されてきました。その知識はどのようにして獲得されるのですか?

私の科学の進め方は、いわば「俯瞰科学」とでもいうべきものです。高台から俯瞰的に科学全般という平野を見渡すイメージですね。これまでの多くの研究者は、自身の専門の分野のみを掘り下げてきました。ですが、それでは異分野の専門家たちと意見交換や議論をするにはどうにも歯が立ちません。そこで、時代の流れとともに専門外に裾野を広げた研究者も現れ始めたのですが、「広く、浅く」の域を出ず、やはり自身の専門以外で戦うだけの土台を築くのに苦労していたんですね。そこで、私は専門の地学以外の分野について、独学で「広く、深く」学ぶことを実践してきたんです。そうはいっても、言うは易し、行うは難しでしたが(笑)

では、どのようにしてマスターしていったのかを簡潔にお話ししましょう。例えば、生物学になると、有機分子の名前だけで6,000種類もあるんです。重要なことは、それを一つひとつ拾って覚えているのではなく、その中で最もキーになるものは何かを専門書や文献をあたって自分で調べ、しっかりインプットするのです。それが1つ目の学習法。2つ目は、どの分野にもわずかですがその分野に精通するプロがいます。そのキーマンと友達になるのです。そして自分の家庭教師になってもらい、徹底的に基本をマスターする。私はこれらの学習法をそれぞれ「書斎科学」、「耳学問」と呼んでいます。この方法を実践に移すことで、これまで50以上の分野の知識を獲得し、さまざまな専門家と交流を図ったり、時には議論を交わしてきたということです。

東工大で研究生活を続けてこられた中で、最も思い出に残るエピソードについてお聞かせください。

丸山 茂徳(まるやま しげのり)地球生命研究所 教授

今から5、6年ほど前になりますが、岡眞教授が理学部長をされていたときに、毎年1回年末に理学部主催でクリスマス談話会という催しを始めることになったんです。その1回目の講師に私が指名を受けまして。当時、地球温暖化に関する私の主張に対して、理解を示してくださる方々がいる一方で、批判も甘んじて受けていたのですが、その談話会で話し終えた後、私が純粋に科学者としての誇りと尊厳をもって取り組んでいる姿勢を理学部長はじめみなさんが共鳴してくださったんです。「科学者の社会的責任として、そういう姿勢を私たちは支持する」。一端の学者として、これ以上にありがたい言葉はありません。一生涯の宝物として、大切にしていきます。

今後のご予定と、東工大の学生に一言メッセージをお願いします。

教員としては、ここで退職しますが、引き続き自分自身の研究の総括をしていく予定です。この他にも、太陽系の惑星形成論に則った小惑星成分分析に関わるオファーも受けており、今後の動きをいろいろと計画しているところです。

学生の皆さんには、もっと粘り強い探究心をもって勉学や研究に臨んでほしいと切望します。ものごとを理解するには、新聞を読むようなレベルでわかったつもりになっていては駄目です。たとえ1行の文章でも真意がつかめなかったら、例えば複数の文献とにらめっこをしながら、1ヶ月、悶えながら考える。そこまで没頭すれば、その1行を理解できたという達成感は、生涯頭の中に残ります。真面目に一生懸命自分の研究を突き詰め、本気で世の中の役に立とうと考えている学生がいる一方で、残念ながら、そこを履き違えている若者が年々増えていることも事実です。早くそのことに気がついて、自らの"真の生きがい"を見出してほしいと願っています。

※1 WPIプログラム

世界トップレベル研究拠点プログラム。平成19年度から文部科学省の事業として開始されたもので、第一線の研究者が是非そこで研究したいと世界から多数集まってくるような、優れた研究環境ときわめて高い研究水準を誇る「目に見える研究拠点」の形成を目指している。

※2 冥王代

地球誕生から、40億年前までの約5億年間を指す地質時代。地殻と海が形成され、最初の生命が誕生したと考えられている。

小長井 誠 (Makoto Konagai)

小長井 誠 (Makoto Konagai)

  • 1949 静岡県掛川市生まれ
  • 1972 東京工業大学 工学部電子工学科 卒業
  • 1977 東京工業大学 大学院理工学研究科電子工学専攻 博士課程修了
  • 1977 東京工業大学 大学院理工学研究科 助手
  • 1981 東京工業大学 大学院理工学研究科 助教授
  • 1991 東京工業大学 大学院理工学研究科 教授

丸山 茂徳 (Shigenori Maruyama)

丸山 茂徳 (Shigenori Maruyama)

  • 1949 徳島県阿南市生まれ
  • 1972 徳島大学 教育学部 卒業
  • 1974 金沢大学大学院理学部地学科 修士課程修了
  • 1977 名古屋大学大学院 理学研究科 博士課程修了
  • 1977 富山大学 助手
  • 1981 スタンフォード大学 非常勤研究員
  • 1989 東京大学 助教授
  • 1993 東京工業大学 理学部 教授
  • 2004 東京工業大学 大学院理工学研究科 教授
  • 2013 地球生命研究所 教授

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2015年3月掲載

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東京工業大学 総務部 広報課

Email pr@jim.titech.ac.jp