大学院で学びたい方
大学院で学びたい方
暮らしの中に、当たり前に存在している「音」。楽器を用いた演奏や歌声、自然の音、騒音、そして超音波など、その種類は多岐にわたる。今回は「音」を題材に、声楽家として数々のオペラの舞台に立つ高橋淳さんと、最先端の超音波研究に取り組む中村健太郎教授が対談。異分野の知見から、「音」がもつ可能性を紐解く。
高橋私は声楽家として日々活動していますが、今回は科学的見地から「音」について語っていただけるということで非常に楽しみです。改めて、先生のご専門である「超音波」とは何か教えてください。
中村まず、「音」は空気の振動現象であり、その振動数(周波数)は人が感じる音の高さに対応します。人間が聞き取れる周波数は20~20,000ヘルツ。それ以上の周波数の音を「超音波」と呼びます。超音波の活用の範囲は広く、自動車のセンサーや医用診断装置、その他にも工業の分野で、洗浄や切断、接合など、さまざまな用途に使用されています。身近な場所でいうと、眼鏡店にある洗浄機がいい例ですね。
高橋声楽家としての活動の中でも、音波の存在を意識する場面は多々あります。音楽大学では「音響学」の授業でドップラー効果を教わりましたし、音階を学ぶうちに倍音※1の仕組みを理解しました。また、CDを制作する際、人間が感知できない音は省かれてしまうのですが、生の演奏ではそういった音が残るため、より豊かに聞こえるという話もあります。
音を発したときに基本となる周波数のほかに生じる、その整数倍の周波数の音のこと。倍音の生じ方がその音の印象を決めている。
中村それは面白い観点ですね。私が研究を通して実感しているのが、計測結果と人の感覚にはズレがあるということです。例えば、測定値で音の大きさが2倍になったとしても、人間はその違いを2倍には感じない。デジタルオーディオではそのような性質を利用して記録し、容量を減らすことが可能なのです。あらゆる音を含めた生の演奏がより豊かだというのは、音楽家の方ならではの視点かもしれません。ところで、日々感覚を磨いておられる高橋さんにとって、演奏しやすいホールとはどのようなものですか?
高橋ホールの音響設計には長い歴史があって、中でも株式会社永田音響設計を立ち上げた永田穂さんの作ったホールが有名です。彼が手掛けたサントリーホールでは演奏会に最適な残響時間2.1秒が実現され、話題を呼びました。私自身、このように注意深く作られたホールでは、空間の広さを意識せずのびのびと歌えます。良いホールとは、舞台上のどこでも奏者が力まず演奏し、響かせることができ、繊細なニュアンスまで客席に届けられる場所ですね。また、音をよく響かせるには、自分の身体をどう使うかも重要です。喉だけではなく、身体も音を響かせる空間の1つだと捉えることで、表現が大きく変わります。
中村なるほど、身体の延長線としてホールを使い、音を響かせているんですね。超音波の研究でも、強い音波を出すときにはやはり「響かせ方」がポイントになります。その目安となるのが寸法です。音波を受けて振動する物体や空間の大きさを変えることで、音の響きを調整します。
高橋数値によって音の響きを把握できるという感覚は、音楽と異なる部分ですね。演奏の場合、音の強弱が完璧なだけでは聞き手に物足りない印象を与えてしまいます。正確な演奏技術はもちろん必要ですが、より大切なのは、表現したいイメージを持つこと。それにより、人の心に響く豊かな音楽となります。
高橋音はさまざまな形で社会に恵みをもたらしますが、音楽の分野では、精神的な豊かさへの貢献が大きいと感じます。良い音楽は人を癒すだけでなく、奏者の感情や呼吸、さらに、人間の根本にある心理まで伝えます。音楽を生活の一部として取り入れるヨーロッパでは、戦時下でも演奏会が開かれてきました。人の心の平安を大切にするヨーロッパの文化からもこの事実が読み取れるのではないでしょうか。一方で、中村先生が扱われる音は、社会での実用を見据えて研ぎ澄まされたものですよね。
中村そうですね。スーパーでよく見かける、惣菜が入ったプラスチック容器の接合や、洋菓子工場でのケーキの切断、さらに、白内障や前立腺がんの手術には、超音波技術が使われています。私たちの暮らしの至る所で、超音波は重要な役割を果たしているのです。また、その効果を十分に発揮するためには、緻密な計測作業が必要です。超音波は周波数が高く波長が短いため、通常のマイクロフォンでは正しく測ることができません。そこで、髪の毛ほどの細さのマイクロフォンや光を新たに開発し、計測に取り組んでいます。
高橋良い結果を得るための確認作業の大切さは、私も身に染みて感じます。音楽では「測る」ではなく「聞く」ことにあたりますが、その技術を向上させるには修練が欠かせません。一例として「ソルフェージュ」と呼ばれる基礎訓練があり、楽譜を読んで実際に音を奏でる、音を聞いて楽譜に書き起こすといった体験を通じて、少しずつ鋭い感覚を身につけていきます。
中村音楽は奏でる・聞く・評価するという過程のすべてに人が関わっていますし、画一的な判断は難しいですよね。騒音問題が起こったとき、物理的な対策に加えて関係者間のコミュニケーションを促すことが効果的だという話も聞きます。
高橋確かに、音を出している相手への印象が変われば、不満や怒りを抱きにくくなるかもしれません。私たちが創り出す音楽はもちろん、先生の研究が取り入れられた工業製品の数々も、最終的には人に届きますよね。どの領域においても、どうやって人に寄り添い、貢献するかという視点は欠かせないものだと感じます。
中村人に届ける※2という点でいえば、高橋さんは声楽家の活動以外にも、東京音楽大学の講師として学生と接する場面がありますよね。指導される際、注意していることはありますか?
高橋私自身が教えるときには、実演だけでなく、言葉で伝えることも意識しています。歌の場合、教師が実際に歌ってみせたとしても、性別や体格の異なる学生がその手本どおりに再現できるとは限りません。感覚的な事柄を理解してもらうには、言葉を通して具体的なイメージを伝える必要があると感じます。また、オペラには先人たちから受け継いできた「様式」がありますから、いろいろな演奏に触れることも重要です。音楽の歴史を知って自分の中に落とし込み、新しい表現としてアウトプットする。その過程で育まれる自立心や挑戦心が、社会で活躍する素地になるのではないでしょうか。
中村教育者として、高橋さんのおっしゃる内容に大変共感します。私の研究室の学生に再三伝えているのが、実際に物理現象を観測し、自分の感覚を通して理解を深めてほしいということ。教科書や論文を読み込んで勉強してきたとしても、その知識を目の前の現象と結び付けられなければ意味がありません。さまざまな体験※3を通して、将来のものづくりに役立つ感覚を養っていってほしいと思っています。
声を出すときのイメージは
実は「球技」に近い
無理に大きな声を出そうとすると喉に負担がかかるため自らの身体で音を共鳴させるように歌うことがポイント。 「ベルカント唱法」とも言い、音を飛ばす、投げるといった表現で伝えることも多い。
中村研究室で重視される
「知識」と紐づいた実体験
研究室には学生が試行錯誤し研究を進める機器が並ぶ。音波で部屋の中の人の有無を判断する実験装置や、超音波でガラス面の汚れや雨粒を除く技術など、アイデアと工夫に満ちあふれている。
高橋そうした取り組みの成果を世に出すには、チームワークも大切ですよね。音楽の場合、特に合唱やオーケストラでは「聞く」力がチームワークの形成に不可欠です。耳を澄まして音程や発音を合わせるとともに、アイコンタクトなどの気配りをすることで、より良い演奏が実現します。実は、指揮者には指揮棒を振る技術よりも人の心をつかむ力の方が必要だと言われるくらいなんですよ。
中村そうなんですね。工学系の研究では、個人の発想や頑張りが起点になることも多々ありますが、実際に世の中の役に立つものに仕上げる過程は団体戦になります。社会に出てからは組織の一員として物事を成し遂げることがほとんどでしょう。違う価値観を持った人間同士が歩み寄り息が合わさったときに、人の心や暮らしを支える価値あるものが生まれるんでしょうね。
高橋まさにその通りで、私たち声楽家の使命は、生身の人間が生身の人間に伝えることの価値の追求にあると考えています。昨今、音声合成技術やオンライン配信が急速に普及しましたが、人間だけを介したアナログな表現にもまだまだ成長の余地が残っています。その魅力を十分に引き出せれば、より素晴らしい表現になるはずです。
中村それは楽しみですね。高橋さんが携わる音楽を含め、そもそも「音」のもつ情報量は非常に豊かですよね。世間では視覚メディアが重視されがちですが、音にはそれに勝るとも劣らない、豊富な情報が含まれていると思います。例えば、ディスプレイの画素数はどんどん増えていますが、基本の構成要素は赤・緑・青の三原色のみ。逆に音では、スピーカーの数は画素数ほど多くないものの、周波数や大小に視覚とは桁違いの広がりがあります。また、視覚情報は目を閉じれば遮断できますが、音は耳を塞いでもある程度聞こえてしまう。その不自由さも含めて、音には無限の可能性が秘められていると感じます。
高橋独自の特性をもった音と、それを奏でる人間の感情。2つをリンクさせることは、私の永遠のテーマでもあります。お互い、研究のタネは尽きませんね。
超音波のエネルギーを生かし、多様な試みが行われている。音波の節に、液体や小物体を浮かせる技術(写真)もあれば、超音波の微小な振動により金属の表面をまるで泥のようにヌルっとさせることも実現可能だ。聞こえない・見えない「超音波」が起こすさまざまな事象に注目だ。
声を響かせるには、身体全体を共鳴させることが重要だ。特にオペラを中心とするクラシックの発声では、頭や胸を1つの部屋あるいはホールと考えて(頭声、胸声)、各々の人体構造の中にある空間を意識することで、喉の負担軽減にもつながる。また、声を面ではなく線として捉え、観客一人一人に届ける意識を持つことが、表現力の向上にもつながるという。
「生の演奏ならではのさまざまな音の波。その存在が、不思議と音楽そのものの色彩を豊かにします」
高橋 淳
声楽家(テノール)
埼玉県出身。東京音楽大学を卒業し、同大学院を修了。圧倒的な美声と高い表現力が評価され、数々のオペラ作品で世界初演・日本初演の舞台に立つ。現在は東京音楽大学の講師としても活躍している。(声楽家グループ)二期会会員。
「機械による測定の結果と、人間の感覚は違う。その差が音波を研究する難しさであり、醍醐味です」
中村 健太郎
教授 科学技術創成研究院 未来産業技術研究所
東京都出身。東京工業大学卒業、同大学院修了。博士(工学)。超音波の応用や光ファイバを使った音響計測の研究を進める一方、聞こえの不自由を解消する技術の社会実装を目指した学会活動を行っている。また、硬式野球部部長として学生の活動をサポートしている。
本インタビューは東京工業大学のリアルを伝える情報誌「Tech Tech ~テクテク~ 40号(2022年3月)」に掲載されています。広報誌ページから過去に発行されたTech Techをご覧いただけます。
スペシャルトピックスでは本学の教育研究の取組や人物、ニュース、イベントなど旬な話題を定期的な読み物としてピックアップしています。SPECIAL TOPICS GALLERY から過去のすべての記事をご覧いただけます。
(対談日:2021年12月10日/すずかけ台キャンパスにて)