大学院で学びたい方
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世界を創るテクノロジー
多種多様な生理活性[用語1]をもつペプチド。ペプチドが特定の機能をもつよう探索・設計し、それをセンサとして利用する、ペプチドを用いたバイオセンシングが、その高感度性と特異性から世界中で活発に研究されている。これまで、さまざまな機能性ペプチドの探索を中心に、センサ化のための応用にも取り組んできた大河内美奈教授。無数の選択肢から目的の機能を導き出す、可能性に満ちたテクノロジーの世界へようこそ。
生体分子の相互作用や生体反応を識別のための素子に利用して、特定の分子の検知・定量を可能にした化学センサがバイオセンサです。特定の分子や活性を見分けることができ、1960年代以降徐々に発展してきました。さらに1990年代頃からは、ペプチドを識別に用いる技術が注目を浴びるようになります。ペプチドは、アミノ酸の配列によって多様な物質を識別できる素子となり得るため、バイオセンサの応用範囲を大きく拡げました。
私は2004年から、機能性ペプチドの探索に関する研究を進めてきました。ペプチドに欲しい機能を持たせるための特定の配列は、アミノ酸の結合による途方もない組み合わせから探索することが必要です。そこで、効率よく試行を進めるため、多数のペプチドを体系的に組み合わせて固相合成[用語2]した「ペプチドアレイ」という手法を用います。目当ての配列を見つけた後も、何度も検証を重ねつつ、識別素子にするための適切な設計を検討していきます。この一連の流れが「ペプチドの探索」です。近年特に力を入れているのが、匂い分子の検出ができる機能性ペプチドの探索と、それを応用した匂いセンサの開発。匂いのもとである揮発性有機化合物を検出するために、材料系の教授と共同で、2023年2月、ついにペプチドを利用した高感度のグラフェン匂いセンサの開発に成功しました。本研究において、私は主にリモネンの匂いを検出するプローブ、つまり生化学における「ある物質を検出するために用いる物質」となるペプチドを設計しています。
ペプチドを利用した匂いセンサは、ヘルスケア、環境モニタリング、食品、化粧品など幅広い分野への応用の可能性を秘めています。従来、哺乳類がもつ嗅覚受容体[用語3]をバイオセンサ化し、電気的に匂いを検出するバイオエレクトロニックノーズ(電子鼻)を開発する挑戦が多くなされてきましたが、受容体作製や配置の難易度の高さや安定性の低さなどが障壁となってきました。しかし、ペプチドであれば任意のアミノ酸配列で合成でき、安定性も高いため、種々の匂い分子に応答可能なセンサの開発が期待できます。
博士取得後、20年以上研究者としてのキャリアを重ねてきましたが、実は学生の頃にはバイオエレクトロニクスでも異なる方面の研究をしていました。ペプチドを対象とするようになったのは、私の大学時代に世界で進行していた「ヒトゲノム計画」が一因です。大学院を卒業する頃、ちょうど大方のゲノム解析が完了したという発表があり、生物系の研究が大きく変動する期待に胸が高鳴りました。研究は、どのような道に進んでも常に新しい展開があります。「やりたい!」の気持ちに忠実に、今ある限界を超えたセンシングを追い求めていきたいと思います。
炭水化物・脂質とあわせて三大栄養素と呼ばれ、皮ふや髪、爪、内臓、筋肉などの材料となるタンパク質。50個程度以上のアミノ酸から構成され、人間が生きる上で不可欠な物質だが、そのままでは分子が大きすぎて人体に吸収できない。そこで人体は、消化酵素でタンパク質を分解し、アミノ酸や、アミノ酸が2~50個程度鎖状に結合したペプチドへと分子を小さくするのだ。
タンパク質・ペプチドの両者を構成するアミノ酸は20種類あるが、ペプチドには膨大なパターンがある。ペプチドは、2つのアミノ酸の組み合わせであれば20×20で400種類、3つのアミノ酸であれば20×20×20で8,000種類と、非常に多様だ。ペプチドは生命活動においてさまざまな機能を担っており、現在解明されているだけでも、その機能は実にバラエティー豊かである。菌から体を守る抗菌機能や血圧を降下させる機能、血糖を制御する機能、炎症反応を抑制する機能、酸化ストレスから細胞を保護する機能などがよく知られており、既に創薬や化粧品開発の分野で広く活用されている。
ペプチドは、その機能性と小ささを活かし、工学に応用することが可能だ。例えば、ペプチドの特定の分子への結合を機械が取り扱うことのできる信号に変換すれば、検出対象となる目に見えない分子の有無・量を測定するセンサができる。他にも、ナノ粒子の形状やサイズを制御してナノ粒子の合成を助ける、細胞膜を透過する特性をもつものを用いて薬物が標的の組織へ届くのを助ける、医療や歯科の分野で使われるバイオマテリアルの構成要素として用いるなど、工学的な応用は多岐にわたる。
バイオセンサとは、生物のもつ優れた分子認識の機能を利用し、特定の分子の定量的な情報を取得する化学センサのことで、大きく3つの要素で構成されている。まず、ターゲット分子を認識する生物素子「バイオレセプター」、次にその素子で認識した信号を光や電気などの測定可能な信号へと変換する「トランスデューサー(変換器)」、そして、トランスデューサーにより変換した信号を処理し、適宜増幅、数値化する「アンプリファイアー」だ。バイオセンサの開発には古くから多くの科学者や研究者が関与してきたが、1962年、アメリカの科学者リーランドC.クラークが考案したグルコース酵素電極がバイオセンサの初めだと考えられている。以降、タンパク質、DNA、微生物、細胞、組織などの素材をバイオレセプターとして、多くのバイオセンサが今日に至るまで作られてきた。
レセプターとしてペプチドが用いられだしたのは1990年代頃からと言われているが、ペプチドがレセプターとして優れているのは、その高い特異性にある。ペプチドは、アミノ酸が結合することによって特定のタンパク質や分子とピンポイントに作用できる分子で、ターゲットを正確に検出・認識することが可能だ。また、数十から数千ものアミノ酸から成り、構造が複雑で人工合成が難しいタンパク質とは異なり、ペプチドは構造がシンプルで比較的容易に合成でき、安定性を持たせられる。この性質を利用し何度も試行を繰り返しながら、検出したい分子に対して特異的に結合し、レセプターになり得る機能性ペプチドのスクリーニング(ふるい分け)を進めるのである。ペプチドを用いたバイオセンサ開発の歴史は、このペプチド探索の発展の軌跡が密接に関わっていると言えよう。
大河内教授は、ペプチドアレイを用いてこれまで何種類もの機能性ペプチドの探索に取り組み、バイオセンシングの新たな可能性を絶えず模索してきた。その中でも最新の研究が、植物由来の匂い分子であるリモネンを検出・識別する機能性ペプチドの設計だ。
過去、哺乳類のもつ匂いを感じる仕組みを模倣し、嗅覚受容体をレセプターに用いる「バイオエレクトロニックノーズ(電子鼻)」開発が各国で進められてきたが、いくつもの課題がその実用化を阻んできた。その理由は、嗅覚受容体の入手経路にある。嗅覚受容体は生体や酵素の関与を用いて行う生合成が一般的だが、生合成の際に専門的な技能や設備を要するため、コストがかかるのだ。また当然、生合成するため、数が限られてしまう。さらに、生体内では機能しても、生体外に取り出すことによって安定性を失ってしまう問題もあった。これらの弱点を補い得る代替物質こそ、ペプチドである。近年までペプチドを用いた匂いセンサの開発は世界でもあまり進んでいなかったが、2023年に大河内教授らが発表した「グラフェン匂いセンサ」は、特定の匂い分子と相互作用するアミノ酸配列を追加したペプチドを用いて、検出が難しい匂い分子を高感度で検出することに成功した。加えて、センサの電気応答を主成分分析することで、複雑な匂い情報からの、異なる匂いの「嗅ぎ分け」も成し遂げた。
「匂いをテーマとして機能性ペプチドの探索に挑戦したきっかけは、空港で導入されている動植物検疫探知犬の役割を化学センサで代わりに担えないかと考えたことです。リモネンの匂いにたどり着く前は、爆薬であるTNT(トリニトロトルエン)を検出するセンシングに取り組んでいました。バイオセンサの実用化によって、人や動物による定性的な検知では難しい、匂いの客観視が可能になります。今後本研究を足掛かりに、生物の嗅覚に匹敵する新たなセンサが実現すれば、異物検知だけでなく病気の検知や環境のモニタリング、製品の品質管理など、活用の範囲が次々に拡がっていくでしょう」(大河内教授)
バイオセンサでは、特定の反応を電流変化などに変換してシグナルとして捉える仕組みが必要だ。2023年に早水裕平准教授らと共同で発表した「グラフェン匂いセンサ」の場合、2次元炭素材料であるグラフェン上に、匂い分子である揮発性有機化合物がペプチドに結合することによって生じたペプチド構造の変化をシグナルとして計測している。
ペプチドアレイを用いたペプチド解析は、バイオセンサとしての用法だけには限らない。食物アレルギーに苦しむ人の検査や治療を支える技術としてペプチドの解析が役立っている。2021年、大河内教授はミルクアレルギーに対する低抗原性生理活性ペプチドの研究で、日本生物工学会の「生物工学技術賞」を共同研究者らとともに受賞した。
「食物アレルギーでは、食物に含まれる特定のタンパク質(抗原)に対して免疫機能が過剰に反応することで、アレルギー症状を起こしてしまいます。現在ミルクアレルギー治療用として、牛乳タンパク質を高度に酵素で消化した乳ペプチドが世界中で使用されています。乳ペプチド中にはさまざまなペプチド配列が混在することから、よりアレルギー反応を抑える精度を高めるため、抗原性ペプチドの配列を特定し、高感度に検出・定量する技術を食品企業と共同で開発しました」(大河内教授)
大河内研究室ではペプチドの多面的な機能性を探究し、応用の形を想像しながら目当てのペプチドの探索を進めている。研究室に集う学生たちもまた、各々が色とりどりの可能性に満ちた研究に日夜情熱を注いでいるのだ。機能性ペプチドがひらく、輝かしい未来をその先に見据えて。
ペプチド探索の効率化を図るためには、異なるアミノ酸を順番に結合してペプチドを自動的に合成するペプチド合成機が欠かせない。大河内研究室のペプチド合成機は3~4日程度の時間をかけ、一度に2,400種類ものペプチドをアレイに合成することが可能だ。
用語説明
[用語1] 生理活性 : 生体内の化学物質が生体の特定の生理的な調節機能に対して起こす作用のこと。
[用語2] 固相合成 : ペプチドやタンパク質の合成方法の一つで、分子を固体の支持体上に固定して、その支持体上で試薬と化学反応させる手法。
[用語3] 受容体 : 外部からのさまざまなシグナルを受信・伝達する分子を指す。嗅覚受容体は環境中の匂い分子と結合する性質を持つ。
本インタビューは東京工業大学のリアルを伝える情報誌「TechTech ~テクテク~ 43号(2023年9月)」に掲載されています。広報誌ページから過去に発行されたTechTechをご覧いただけます。
(2023年取材)