大学院で学びたい方
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世界を創るテクノロジーGEEK
私たちが存在するこの宇宙はどのようにして生まれたのか。その壮大な謎を解き明かす鍵と言われるのが、物質を構成する素粒子の1つ「ニュートリノ」だ。解明の糸口であるニュートリノにおける「CP対称性の破れ[用語1]」を証明すべく、最先端の高エネルギー加速器による国際共同研究に取り組む久世正弘教授。宇宙誕生後の1秒間に迫る、そのダイナミックなGEEKの世界へようこそ。
人類は古代ギリシアの時代から、物質の最小単位を追い続けています。かつては原子、それが電子・陽子・中性子に分解され、そして現在は陽子と中性子がさらに小さなクォークという3つの素粒子から成ることが明らかになっています。素粒子物理学は、このような最小単位を追求し、解明していくことから始まりました。
私の研究活動も、陽子の内部構造を解明するためドイツの研究所で加速器を用いた研究に携わったことから始まります。2009年からはスイスのCERN(欧州原子核研究機構)にある世界最高エネルギーのLHC(大型ハドロン衝突型加速器)を使ったATLAS実験に参画し、素粒子の質量の起源となる「ヒッグス粒子」の発見に貢献。並行してニュートリノ実験にも研究分野を広げ、岐阜県にあるスーパーカミオカンデ検出器を用いて、ニュートリノが姿を変えながら飛行する「ニュートリノ振動」と呼ばれる現象を捉える研究に取り組んでいます。
ニュートリノ研究が面白いのは、宇宙の根源である「誕生の謎」に迫るというダイナミックさ。誕生後の1秒間に起こったことが徐々に明らかになるプロセスは、ある意味、タイムマシンでビッグバンまで遡り、ミニチュアの実験を繰り返しているようなものです。
素粒子研究は、多額の費用がかかるため多くの国々が資金を出し合う国際共同研究を行います。年齢も国籍も違う人々が集い、宇宙の謎を解き明かすという1つの目標に挑んでいるのです。その結果、人類が初めて手にしたデータを見た瞬間の喜びは、他には代え難いものです。
思い返せば、私のルーツは高校生の頃に見た宇宙を題材とするテレビ番組です。地球外生命体の可能性や人類の情報を収めたレコードを積むボイジャー1号の存在を知って、宇宙に対する興味が大きく湧いたのです。研究者たちの寝食を忘れて実験に没頭する姿を見ていると、やはり子どもの頃に抱いた純粋な好奇心を皆が持ち続けていると感じます。それがあれば、境遇が違っても心が通い合うこともありますし、実験が上手くいかない時も乗り越えられます。純粋な好奇心を大事にしながら、これからも宇宙の謎に迫っていきたいと思います。
138億年前、ビッグバンによる宇宙誕生の直後、物質と反物質が生まれた。理論上、両者は対消滅を起こし消え去るはずだったが、相互作用によりわずかな非対称が生じることで物質が残り(CP対称性の破れ)、今の宇宙を形成したと考えられる。
素粒子物理学における標準模型ではニュートリノの質量は「0」とされてきたが、スーパーカミオカンデでの研究により質量を持つことを発見。宇宙から降り注ぐ大気ニュートリノを観測し、地球の裏側からの数と上方からの数の比較からその証拠が得られた。
宇宙には天体として見えている物質の質量をはるかに越える質量が存在することは、銀河の回転速度・重力レンズ効果などの宇宙観測から明らかであり、その質量を担うとされるのが「暗黒物質(ダークマター)」だ。宇宙の約27%を占めている重要な物質だが、素粒子物理で現在知られている粒子では説明できず、その正体の解明が待たれる。
素粒子物理学の世界には「標準模型」と呼ばれる理論体系が存在する。素粒子間に働く3つの力である電磁気力・強い力・弱い力が、どのように相互作用するかを記述したもので、たった1つの数式で素粒子に関する物理現象のほとんどを説明可能だ。
しかし「標準模型」は完璧なものではなく、それだけでは説明できない現象がいくつか存在する。その1つがニュートリノの質量の存在だ。実は、標準模型におけるニュートリノは完全に質量をもたない。しかし、ニュートリノの種類が時間の経過により変化する「ニュートリノ振動」の発見から、わずかな質量を持つことが確実となったのだ。
久世教授は語る。「そうした標準模型の“綻び”は、より大きな理論体系を確立するための足がかりになります。ニュートリノが質量をもつことは、現在唯一実証された“綻び”です。これが世界中の研究者たちがニュートリノに注目し、盛んに国際共同研究が進められている理由です」
日本の岐阜県飛騨市神岡鉱山内にあるスーパーカミオカンデ検出器を用いて日本が主導で進める『T2K実験』もその1つであり、数ある共同研究の中でも世界を牽引する存在だ。
茨城県東海村のJ-PARC(大強度陽子加速器施設)で、人工的に発生させたニュートリノビームを約300km離れたスーパーカミオカンデへ打ち込み、ニュートリノ振動を詳細に測定することを目的とする。加速器では、ニュートリノだけでなく、それと対になる反ニュートリノのビームを発生させることが可能。両者のニュートリノ振動を測定し挙動の違いが現れれば、「CP対称性の破れ」が生じていることの証拠となる。「T2K実験は順調に進捗しており、2020年には、ニュートリノと反ニュートリノの挙動の違いの大きさを決める量である『CP位相角[用語2]』が取り得る値の範囲を半分近くまで絞り込むことができました。この結果、CP対称性の破れを95%の信頼度で示すことができました」(久世教授)
素粒子は、物質を形作る素粒子「クォーク」と「レプトン」、力を伝える「ゲージ粒子」、そして素粒子に質量を与える「ヒッグス粒子」から成る。「ニュートリノ」は、レプトンの一種であり電子ニュートリノ・ミューニュートリノ・タウニュートリノの3種類が存在する。
素粒子物理学の世界では、99.7%の確率で「証拠」、99.9999%の確率で「発見」とされる。今後もT2K実験を通じてCP対称性の破れの証明を追求する一方、研究を加速させる新たなプロジェクトもある。2027年から実験開始を予定される「ハイパーカミオカンデ」だ。
スーパーカミオカンデの約10倍の有効体積を備えた施設を建設し、東海村からのビームも増強することで、これまでの約20倍のスピートでデータを取得することを目指している。ハイパーカミオカンデを使った実験には、20ヵ国、約500名の研究者が参加予定で、日本はまさに素粒子研究のメッカとなっている。
地球すら貫通するニュートリノの性質を生かし、東海村の加速器で発生させたニュートリノを飛騨市のスーパーカミオカンデまでビーム発射し、検出するという壮大な実験が「T2K実験」。 これまでに見つかっているクォークの「CP対称性の破れ」は小さく、宇宙の物質の量を説明できない。しかしT2K実験ではニュートリノのCP対称性が大きく破れている可能性を示唆。CP位相角の測定が、宇宙の根源的な謎を解明する手がかりになると期待されている。
日本が素粒子物理学を牽引する理由を久世教授はこのように語る。「世界で唯一の実験施設カミオカンデの存在は大きい。ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊博士の『奇抜なアイデア』から生まれたカミオカンデが、多くの研究者を育み、日本を素粒子研究大国へと成長させたのです」
「幽霊粒子」と呼ばれる程、ニュートリノは検出が難しい。原子炉や南極の氷等を用いた手法が複数存在するが、宇宙線のノイズが少ない地下深い鉱山跡地に巨大な空間を作り、最も安価に入手できる純水[用語3]に満ちた巨大なタンクを設置するという独特な発想をとったのがカミオカンデだ。このような「奇抜なアイデア」が、実は日本の今の躍進を支えている。「難易度が非常に高いからこそ、個人の奇抜なアイデアが生きる。それがニュートリノ研究の醍醐味です」(久世教授)
加速器やハイパーカミオカンデを使った大規模な研究は、ビッグサイエンスと呼ばれ、世界中の多数の研究者が参加する。それぞれの研究者が観測装置の開発やデータ分析など役割を分担し、10年単位でデータを蓄積しながら結果に結び付けていくのだ。
学生が携わるのはプロジェクトの一部に限られるが、ビッグサイエンスに関わる意義は大きいと久世教授は言う。「宇宙の謎に迫るという大きなテーマのもと、みんなで1つの目標に向かい協力すること自体、かけがえのない経験です。また、他の研究者と議論を交わすことで広い視野が身に付くでしょう」
脈々と受け継がれてきた日本の素粒子物理学の系譜。久世研究室に集う学生もまた志を胸に、日々研究に没頭している。そう、宇宙誕生後の1秒間へのタイムトラベルが、一刻一刻近づいているのだ。
ハイパーカミオカンデは2027年の実験開始を目指して現在、建設進行中だ。久世研究室の学生は、光センサーのシグナルを処理する電子回路の開発を担当。純水の中に沈めるという課題に向き合い、故障の防止や安定性、エネルギー効率等を考慮し、設計が進められている。
用語説明
[用語1] CP対称性の破れ : CP対称性の「C」は粒子と反粒子を入れ替える「C変換」、「P」は鏡写しのように空間に対して上下左右の向きを入れ替える「P変換」を表す。この「C変換」と「P変換」をした場合に、同じ物理現象が同じ確率で起きることを「CP対称性」、そしてこれに従わない場合「CP対称性が破れている」と呼ぶ。
[用語2] CP位相角 : CP対称性の破れの大きさを決める値であり、ニュートリノの基本的性質の1つ。CP位相角は-180度から180度の値を取り得る。CP位相角が0度と180度の場合はCP対称性が保存され、それ以外の場合は「CP対称性が破れている」ことを示す。
[用語3] 純水 : ニュートリノは微弱な光を観測する必要があるため、汚れや不純物が極力少ない純水が必要となる。岐阜県神岡町(当時)は豊富な水の調達が可能であり、カミオカンデの設置場所として選ばれた理由の1つ。
本インタビューは東京工業大学のリアルを伝える情報誌「Tech Tech ~テクテク~ 40号(2022年3月)」に掲載されています。広報誌ページから過去に発行されたTech Techをご覧いただけます。
(2021年取材)