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空想×現実の狭間で生まれる物語

多久和理実講師 リベラルアーツ研究教育院・未来の人類研究センター× 蛇蔵 コピーライター・漫画家・原作者

空想×現実の狭間で生まれる物語 - 多久和理実講師 リベラルアーツ研究教育院・未来の人類研究センター× 蛇蔵 コピーライター・漫画家・原作者

科学を始めとした多彩なテーマで漫画を制作する蛇蔵さんと、科学史の研究に取り組む多久和理実講師。2人は漫画家・監修者としてタッグを組み、ユニークな空想と現実の知識を織り交ぜた作品を世に送り出してきた。それぞれの専門性を生かしながら幅広いターゲットに共感される物語を描く秘訣とは何か。対話を通して創作の裏側に迫る。

奥深い「科学史」に魅了された2人。共創によって広がる無限の可能性

多久和 科学上のさまざまな概念や実験の方法など、科学にまつわる事柄が歴史的にどう変化したのかを解き明かす学問が「科学史」です。私はアイザック・ニュートンの生涯や彼が考案した光の実験に魅せられて、学士課程の物理学科で学んだのち、修士課程へ進んで科学史を本格的に学修し始めました。漫画の監修を始めたのは、当時所属していた研究室に蛇蔵さんから依頼が舞い込んだことがきっかけです。蛇蔵さんはこれまで多様なテーマを作品に取り入れていますが、中でも科学史に関心を持たれたのはなぜでしょうか?

蛇蔵 興味に火をつけたのは、友人に勧められて読んだ、科学技術の基盤を築いた研究者についての小説です。私たちが何気なく過ごしている日常生活が、科学者たちの並々ならぬ苦労と発見に支えられていたことに衝撃を受け、そのドラマを作品にしたいと思い立ちました。とはいえ、伝記には後世の脚色がつきものです。史実と伝説を混同しないよう、専門家の指南が必要だと感じました。そこで東工大の教授を訪ねて監修の相談をしたところ、多久和先生を紹介いただいたんです。

多久和最初に担当した『決してマネしないでください。』では、数多くの科学者やその業績が取り上げられており、監修のために資料を読みあさる日々でした。次に監修した『天地創造デザイン部』は生物学の話題が中心だったので、分野を超えてますます調査の対象が広がりましたね。キリンの首をさらに伸ばしたらどうなるのか考えるために、首が長い恐竜に関する文献を読んだこともあります。蛇蔵さんの物語とともに未知の領域に踏み出すのは、新鮮でかけがえのない体験でした。

※1 読者を納得させる「指摘」

監修の中では間違いの訂正だけでなく、蛇足かもしれないが注意すべき関連情報を伝えます。周辺知識を事前に共有しておけば、読者から質問を受けた場合も作者が自身の理解に基づいて的確な答えを返すことができ、物語の信頼性につながります。

読者を納得させる「指摘」

蛇蔵漫画は読者に対する分かりやすさを優先するため不十分な説明も許容せざるを得ず、専門家にとっては本意でないことも多々あったと思います。多久和先生はそうした事情も酌んだ上で間違っている箇所とその理由を丁寧に説明し、ストーリーを成立させる代案をいくつも出してくださいました。一つ一つの言葉に対する指摘※1も的確で、研究領域にとどまらない「センサー」に驚かされましたね。特に印象に残っているのが、『天地創造デザイン部』でケンタウロスを取り上げた回。「ケンタウロスは人間と馬の体を併せ持つが、心臓などの内臓器官は人間と馬のどちらの部分に入れるべきか」という問いに対して、「心臓は循環器なので内臓とは表記しない」と訂正があり、細かな部分まで徹底的に調べる姿勢に感動しました。

多久和 もちろん、監修者として物語に説得力を持たせる努力は最大限したつもりです。その過程で直面した壁が、科学コミュニケーションの難しさ。相対性理論や量子力学といった専門知識を中学校の理科で習うレベルの用語で解説するには、大変な労力がかかります。私が数式を手書きして送ったところ、物理量をギリシャ文字で表すという習慣を共有していなかったため、「ρ(ロー)」が似た活字の「p」と印刷されそうになったこともありました。普段は理工系の学生と接することが多く意識していませんでしたが、蛇蔵さんとのやりとりの中で、科学の専門知識や慣例を知らない方々に対するコミュニケーションを模索できました。

「面白い」物語と「正確な」知識。双方を兼ね備えた作品を読者に届ける

多久和理実講師 リベラルアーツ研究教育院・未来の人類研究センター× 蛇蔵 コピーライター・漫画家・原作者

蛇蔵 創作の世界も研究も、他者と一線を画した発想や独自性が強みを持つことが多い分野です。多久和先生ならではの個性は研究にどう取り入れられているのでしょうか?

多久和 科学史研究の多くは、当時の実験ノートや学会の記録といった文字資料を参照する歴史学的手法で行われます。しかし、それだけでは理論と実験結果が合わなかったり、実験そのものが失敗したりして、「文字に残らなかった部分」を見いだせません。文献にはない試行錯誤の過程を知る手段として私が取り入れているのが再現実験です。例えば、ガリレオ・ガリレイが唱えた、物体の重さにかかわらず落下速度は等しくなるという「落体の法則」。彼はピサの斜塔から重さの異なる2つの球を落とし、どちらも同時に地面に着いたことからこの理論を証明したといわれています。ところが同じ実験をやってみると、空気抵抗を受けるため重い球から先に地面に到達することが分かります。このように、歴史上の実験結果は主張する学説に合わせて再構成されていることが少なくありません。行間にある新たな事実を知るのは楽しいですし、大学時代に物理学科で実験に取り組んだ経験も生かせています。

蛇蔵 強みを発揮できるニッチな領域を切り開く姿勢は、漫画制作にも通じますね。一方で、独自性だけでなく多くの読者が共感できる「王道」の魅力も兼ね備えないといけないのがエンターテインメントの難しいところです。自分にとって「面白い」かどうかを基準にしつつ、判断に迷ったときは周囲の反応も見て取捨選択をしています。

多久和 私は教養科目の「科学史」を担当しているのですが、学生に真剣に学んでもらうためにも「面白さ」への気付きが重要だと感じます。そこで、授業冒頭では毎回「ガリレオ・ガリレイは本当に『それでも地球は回っている』と言ったのか」「なぜ日本人は虹が七色だと思うのか」といった問いを投げかけ、歴史資料に基づく解説を行っています。当たり前だと思われていた言説の裏にある意外な事実を知れば、学ぶ意欲が湧き上がるのではないでしょうか。

※2 面白い作品の「方程式」

映画などの作品を鑑賞したら、面白さの理由を徹底的に分析。導入や登場人物紹介に割く時間、伏線を回収するタイミングなど、事細かにメモを取ります。世間で愛される作品の「方程式」を見いだし、独自の数値に置き換えることが、魅力ある作品づくりに欠かせません。

面白い作品の「方程式」

蛇蔵 人々が普段見過ごしている「面白さ」を紹介したいという気持ちは、私が作品を生む原動力でもありますね。それを漫画に落とし込んで最初の4ページで読者の心をつかむには、人気作品に共通する方程式※2を取り入れるなど、さまざまな工夫を凝らさなければなりません。特に配慮しているのは、適度に脚色を加えつつも誤解は招かない、エンターテインメントと事実のバランス感覚です。

多久和 蛇蔵さんの作品はどれも、物語の「面白さ」と知識の「正確さ」を絶妙な案配で両立されていると感じます。これまで監修者として発信のお手伝いをしてきましたが、今後は私自身でニュートンの人生や実験の魅力を伝える書籍を出版するつもりです。蛇蔵さんとの協働によって学んだ知見を生かしつつ、「面白さ」と「正確さ」に橋を架ける自分なりの基準を作り上げたいですね。

漫画家と専門家の強みを生かした協働が、人々に学問の魅力を伝える鍵となる

多久和 監修に携わる中で感銘を受けたのが、自分の知識や経験が及ばない範囲を把握し、専門家の意見を尊重してくださる蛇蔵さんの姿勢です。また、どの作品も各話で取り上げた事柄に対して丁寧な補足が付けられており、あらゆる専門分野に対する敬意も感じました。例えば、『決してマネしないでください。』には脚注や参考文献が付いているほか、特別インタビューとして研究者のコメントも掲載されています。『天地創造デザイン部』では登場した生物の詳しい生態が「生きもの図鑑」にまとめられています。読者の興味を呼び起こし、より正確な知識へいざなっていく構成が巧みですよね。

蛇蔵 そう言っていただけてうれしいです。私は、専門家が学問研究に打ち込む空間、いわゆる「象牙の塔」にのぞき穴を開けるつもりで漫画を描いています。のぞき穴からの景色は誰もが背伸びせず眺められますが、それが全体像だと思い込ませてはいけません。そこで、作品内では人々の関心を引くユニークな事例を取り上げると同時に、専門分野の知識につながる道筋も示すようにしています。こうした前提を守った上で、学問の奥深い魅力を読者に伝えることが重要なのです。

※3 共感を呼ぶ「理工系あるある」

共感を呼ぶ「理工系あるある」

理工系の専門知識を持つ学生が共感するだけでなく、それ以外の読者もクスッと笑える小ネタが満載。実験器具の拭き取りなどに重宝される産業用ワイパー「キムワイプ」(日本製紙クレシア製品)のパッケージデザインを取り入れたTシャツは、作品内の登場人物も着用しています。

多久和 科学史を取り上げた漫画を制作されると知ったとき、実は一般の読者にとって面白いものになるか不安だったんです。ですが、『決してマネしないでください。』の監修を経て杞憂だったと気付きました。この作品は理工系の学生たちが送る日常生活とその中で語られる科学者のエピソードの二重構造になっていて、知識の有無にかかわらず誰もが楽しめます。むしろ、私が世間には通用しないと思い込んでいた「理工系あるある」※3が面白おかしく描かれ、それが幅広い層の読者に愛されていると知り、東工大の学生生活の素晴らしさを実感する機会にもなりました。

蛇蔵 東工大生が過ごしている日常の面白さを伝えたかったので、そう言っていただけて感無量です。私の生涯のテーマは「学習をエンターテインメントにする」こと。今後も多くの人々に学問の魅力を広めるべく、メディアミックスなどを視野に入れた漫画制作に取り組んでいきます。そのためにも、多久和先生のような科学の専門知識を持った監修者の協力は欠かせません。漫画に限らず、エンターテインメント業界には専門家の知見を必要とする作品が数多く存在します。研究・教育活動はもちろん、監修も仕事の選択肢に加えてもらえたらありがたいですね。

多久和 私も科学者やその歴史を題材にした作品を通して興味を広げてきたので、エンターテインメントの重要性は強く感じます。専門家は研究領域を詳しく解説できますが、誰もが楽しめる魅力的な「入口」を作るには、漫画家・原作者を始めとするクリエイターの協力が不可欠ではないでしょうか。科学の裾野を広げるために、これからより一層連携の輪が広がることを願っています。

まだまだ深める知的好奇心

虹

日本で一般的な「七色の虹」という表現は、ニュートンの学説に影響を受けている。彼は白色光(太陽光)をプリズムに当て、分散させることで、七つの基本色に分けられると主張した。しかし、再現実験を行うと分散した光の色は連続的に変化するため、七色を明確に区別するのが難しい。実験結果を注意深く見ると、学校で習うような理論とその証明が実はそれほど単純ではないことが分かってくる。

せりふ

せりふ

専門知識を分かりやすく伝えるには、登場人物のせりふが重要になる。その工夫の一つが、事実からかけ離れない範囲でインパクトある比喩や表現を用いることだ。例えば、アイザック・ニュートンを紹介するなら「ニュートンは心の狭い引きこもり」と前置きした方が読者の関心を得やすい。ただし、万人が理解できる表現でない場合は、ターゲットを考えて言葉を選ぶ姿勢も必要だ。

蛇蔵

「日常生活を陰で支える科学者たちの功績。専門家の知見を借り、彼らの軌跡を示す漫画を読者に届けます」

蛇蔵
Hebizo

コピーライター・漫画家・原作者(元東京工業大学非常勤講師)

ゲーム会社でコピーライターとして勤務後、独立。コミックエッセイ『日本人の知らない日本語』(蛇蔵・海野凪子、KADOKAWA)がベストセラーに。東工大をモデルにした漫画『決してマネしないでください。』(蛇蔵、講談社)が2019年にNHK総合でドラマ化、『天地創造デザイン部』(蛇蔵・鈴木ツタ・たら子、講談社)が2021年にアニメ化された。

多久和 理実

「科学者の実験や生涯に惹かれ研究の道へ。監修を通じて多彩な分野と出会い関心が広がりました」

多久和 理実
Yoshimi Takuwa

講師 リベラルアーツ研究教育院・未来の人類研究センター

東京工業大学大学院社会理工学研究科博士後期課程修了。博士(学術)。専門は科学史で、中でも物理学史について豊富な知見を持つ。物理学・科学史にまたがる幅広い知識を生かして、漫画やテレビ番組の監修・企画協力なども多数手掛けている。

Tech Tech ~テクテク~

本インタビューは東京工業大学のリアルを伝える情報誌「Tech Tech ~テクテク~ 42号(2023年3月)」に掲載されています。広報誌ページから過去に発行されたTech Techをご覧いただけます。

SPECIAL TOPICS

スペシャルトピックスでは本学の教育研究の取組や人物、ニュース、イベントなど旬な話題を定期的な読み物としてピックアップしています。SPECIAL TOPICS GALLERY から過去のすべての記事をご覧いただけます。

(対談日:2022年12月15日/大岡山キャンパスにて)

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東京工業大学 総務部 広報課

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