大学院で学びたい方

身体にもとづいた人間科学を追い求めて- 田中彰吾

田中彰吾

田中彰吾さん
Shogo Tanaka

東海大学 現代教養センター
主任教授(心理学)
博士(学術)

学部時代に法学から心理学への道を歩み出し、今日まで導いてくれた恩師との出会いをきっかけに、東工大大学院の門を叩いた田中彰吾さん。

現在は東海大学の教授として教養教育に取り組みながら、哲学・心理学・認知科学の境界領域において身体性をベースとした人間科学を研究し続けている。

現在まで変わらない研究テーマ「身体」との出会い

弁護士だった父の影響もあり漠然と法学部に進みましたが、「将来何がしたいんだろう」と悩んだ時期がありました。当時、興味がある本をひたすら読んで行き着いたのは心理学か哲学。そこで、専門を変えて本格的に心理学を学ぼうとしましたが、自身の関心に合った研究室が見つかりませんでした。そのタイミングで友人に誘われ参加した研究会で、文化人類学が専門の東工大の上田紀行教授が講演をされて。社会と人間の根源に迫るような話を聞き、この先生のもとで学びたいと東工大大学院への進学を決めたのです。

上田研究室は前年に立ち上がったばかり。2期生で入り、夏休み前には「身体」を研究テーマにしようと決めました。計算主義にもとづく認知科学の講義を聞き、「これとは全く逆のアプローチで心の科学を立ち上げないと」と直感したのです。心理学は、人間全体から身体という要因を切り離すことで近代的な実験科学に脱皮したという背景があります。私は身体を議論することで「本来あるべき心理学」を構想できるのではないかと考えました。この着想は現在まで全く変わっていません。

計算主義とは、基本的には身体は無視し、我々が知覚している世界は心の中で再現された表象で、心はそれを計算する機械という立場をとる考え方のこと。

博士論文は身体から少し離れたテーマでした。身体論は近代哲学の深い歴史が背景にあり、博士後期課程だけでは時間が足りない。そこで浮かび上がってきたのが偶然論です。心理学者C・G・ユングが提唱した「意味のある偶然の一致(シンクロニシティ)」という概念があります。たとえば予知夢のように、身内の方が亡くなる数日前に夢に出てきてお別れをするシーンを見たという場合、それは偶然なんだけど何らかの意味の世界があり、心理学的に探求すべき問いだとユングは説いた。そして私自身、インタビューを通じて同様の事象を調べていくと、どうやら感情が引き金になっているらしいことに気付きました。予知夢に登場する身内は感情的な結びつきが深い人。その方が亡くなることを、身体がある種のセンサーとなって感情を通じて暗黙的に体感しているかもしれないとすれば、例外的ですが身体を読み解く上で重要な現象ではないかと考えたのです。

また、博士論文の執筆にあたって哲学者である湯浅泰雄教授のもとにも哲学を学びに通っていました。湯浅教授は日本でユング心理学を最初に研究した権威で、心と身体の関係を捉え直すことをライフワークにされていた、私にとって学問的な先祖のような存在です。その方が心身論を手がけるだけではなく、シンクロニシティについても論文に書かれていて興味を引かれました。そういう意味で、博士論文は一見すると身体と全く関係ないように見えて、根底ではつながっています。当時、東工大という日本の理工系を代表する場所で、科学の限界に関係するテーマで論文を書けることは誇りに思えました。

今もまだ冷めやらぬ上田研究室で感じた熱量

田中彰吾

実験心理学や臨床心理学では扱えない研究ができたのは、上田教授の懐の深さの賜物です。全ての学生に研究したいことを徹底させる指導方針で、分野や垣根を超えて切磋琢磨するのは刺激的でした。毎年度末のゼミ旅行は人類学のフィールドワークも兼ねていて、現地で感じたことを皆で語り合いました。単に専門分野の知識を学ぶだけではない人とのつながりが印象に残っています。

私が現在の現代教養センターに着任することになったのも、東海大の関係者から上田教授のもとに候補者の照会があったからです。当時は総合教育センターという名称で、創立者の理念である文理融合型の教養教育を東海大学全体に提供する組織でした。文理融合型科目を担当できる人材を輩出する大学院は東工大のほか日本国内でも数が限られ、ここでも教養教育に重きを置く東工大の繋がりの広さを実感しました。

思えば、私が上田研究室に入った当時は新しい専攻ができたばかりで、先生方の熱意やエネルギーが渦巻いていました。その熱にあてられ、そして今も半分浮かされるように自分の研究を一生懸命やっている感覚です。様々な人と様々な方法で出会うたびに、自分の原点を見つめ返し、それが新たな熱になることを繰り返していますね。

現在は主に学部1~2年生向けに文理共通科目の「生命と環境」「文化と自然」「アイデンティティと共生」と基礎教養科目の「社会科学」を、文学研究科の大学院生向けに「文明研究法」「科学論・技術論」「神経心理学特論」を担当しています。たとえば「生命と環境」は、身体から脳科学、心理学、体育、建築など分野が非常に広い。各分野の違いを尊重しつつも幹の部分は一貫してしないといけません。教養科目の先生方は科学哲学的な素養があるからこそ、多様な分野を有機的につなげられます。これは学部の専門的な教育ではなかなか難しい。私が幅広い大学院科目を持っているのは、方法論を突き詰め自分の研究に活かしてきた経緯があるからだと思います。

もともと研究を続けたくて大学にいますが、教育は違った意味で生きがいになっています。人文系の研究では価値の問題は避けて通れません。たとえば近年盛んな脳科学の研究で、脳で何が起きているかがわかったとして、心がどこまでわかったと言えるか。私たちの知の世界や社会にどういう意味や価値を生み出すかを視野に入れないといけない。その自分が探究している「価値がある」事柄を、教育の現場で学生に伝えられるのはとても幸せなことだと思います。

専門分野の研究では、修士から始めた「身体性を取り戻した心理学」を今なお構想し続けています。身体性を基盤に自己を論じ直す研究は、昨年出版した単著『生きられた〈私〉をもとめて―身体・意識・他者』にまとめました。2000年前後を境に、身体と自己の関係は多くの部分が脳科学ベースで解明されてきています。身体性の情報処理が脳の中でどう行われているのかが、「私は私である」という起源と深い結びつきがあることがわかってきていて、その身体研究を哲学的な議論と結びつける作業が一つの成果となりました。

東工大で学んだものをこれからの研究に展開

東工大は私に大きな影響を与えてくれました。世界で一流の研究者の仕事を体感できるのは他では得がたい経験です。受け取るエネルギーは当時は気づかなくても、後で振り返って自分が講義をする側になると痛感します。あのレベルの教育ができるまで妥協せず取り組みたいと決意させられます。

また、たとえばノーベル賞を受賞された教授が学内にいらっしゃったり、他のノーベル賞受賞者が来日した際、東工大で講演を聞ける機会があるということも学生には刺激になりますよね。世界レベルの成果を生み出す先生方がたくさんいらっしゃることの証でしょう。国外からの評価が高い大学なので、世界に羽ばたく力を磨けるのは非常に魅力的だと思います。私自身、論文を英語で書くこと、国際的な共同研究を推進すること、外部資金を多く獲得すること、その「世界標準」を心がけるスタイルが身についたことは東工大で学んだ最大の収穫です。

東工大は国内では今なお地味な印象が強いですが、上田教授が長をされているリベラルアーツ研究教育院には著名な方々が名を連ねていて、同じ大学業界に身を置く私から見ると、メディアを通して少しずつソフトで華やかなイメージに変わってきていると感じます。学生主体のプロジェクトや少人数でのディスカッションを中心とする教育が当時よりも増えていて、こういう取り組みは素晴らしいと思います。学士課程1年目から博士後期課程まで一貫して教養教育が残る仕組みを変えていないのは東工大ならではの強みですね。

博士後期課程への進学は、最も簡潔に言うと「博士の学位を取得する」いうこと。学位を取った自分が理想に近いのかそうでないのか、一度思い切ってシンプルに考えることも一つの手です。

私の今後の研究としては、身体が他の身体と出会うことで自己はどう変化するのかという構想に進んでいます。たとえば、鏡に映った自分を認識するまで生後2年間ほどを要します。しかし生まれたての赤ちゃんは、自分の顔がどこかもわかっていない状態でも、こちらの顔の動きを自然に真似ようとする。私たちの身体は生まれつき他者の身体と共鳴する関係にあるらしいということになります。これを無視して自分の身体だけをベースに自己の議論をしても限界があるので、他者の身体も視野に入れた科学的データをベースに哲学的な議論を組み立てようと思っています。「身体性人間科学」「身体化された人間科学」と呼んでいて、身体をベースに自己と他者に主眼を置いた研究を進めています。さらに言語や物語性の次元を取り入れ、文系・理系・医療系の知識が統合できるような人間研究の枠組みをつくることと、それを組織的に展開できるような研究・教育施設をつくることが目標です。

田中さんのキャリアパス

  • 1997
    早稲田大学 法学部 卒業
    東京工業大学 大学院社会理工学研究科 価値システム専攻(修士課程) 入学

    「理系の東工大への入学にあたり、専攻の1期生の先輩から数学の手ほどきを受けたので授業はそれほど苦労しませんでした」
  • 1999
    東京工業大学 大学院社会理工学研究科 価値システム専攻 (博士後期課程) 進学
    「修士に入った時点で留学も考えていましたが、博士号を取得するまで上田教授のもとで研究を深めたいという思いから博士後期課程に進みました」
  • 2003
    東京工業大学 大学院社会理工学研究科 価値システム専攻 (博士後期課程) 修了
    「フィールドワークを兼ねたゼミ旅行では台湾、沖縄など色々な場所に行き、専門知識に加え人とのつながりの大切さを学びました」
  • 2004
    東京理科大学 非常勤講師
  • 2005
    東海大学 開発工学部 沼津教養教育センター 専任講師
    「最初の配属先は沼津キャンパス。組織改編でキャンパスの閉鎖が決まり、新たな配属が決まるまで大変でした」
  • 2011
    東海大学 総合教育センター 准教授
    「教授職を選んだというより、研究者になりたかったので大学に残りました」
  • 2014
    東海大学 文明研究所 所員
  • 2015
    東海大学 総合教育センター 教授
  • 2016
    東海大学 現代教養センター 教授
    「授業運営、教員の事務手続き、人事など、主任としての事務仕事も多くあります」
  • 2018
    著書『生きられた<私>をもとめて-身体・意識・他者』が第12回湯浅泰雄著作賞を受賞
    「湯浅教授の名を冠した賞をいただき、学恩にようやく少し報いることができたかなと感じます」

田中彰吾

田中彰吾
たなか しょうご

Profile

1997年、早稲田大学法学部法律学科卒業。1997年、東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻修士課程入学。2003年、同博士後期課程修了。2004年の東京理科大学非常勤講師を経て、2005年より東海大学に着任、2016年より現職。2018年12月に著書『生きられた〈私〉をもとめて―身体・意識・他者』で第12回湯浅泰雄著作賞を受賞。

Tech Tech ~テクテク~

本インタビューは東京工業大学のリアルを伝える情報誌「Tech Tech ~テクテク~ 35号(2019年3月)」に掲載されています。広報誌outerページから過去に発行されたTech Techをご覧いただけます。

(2018年取材)