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未来のコンピュータが見えてきた 量子コンピュータ開発の“今”と“これから”

工学院 小寺哲夫 准教授

未来のコンピュータが見えてきた 量子コンピュータ開発の“今”と“これから”

量子コンピュータにつながる基盤技術を求めて

量子コンピュータにつながる基盤技術を求めて

2019年度中を目途に、量子コンピュータが日本初上陸する。東工大と東北大が形成する研究拠点に量子コンピュータ「D-Wave」本体が設置されるのだ。これまでは海外に設置されたマシンにクラウド経由で接続していたが、格段に使いやすさが向上することで、民間企業と連携しながら、東工大の基礎研究と東北大の応用研究を掛け合わせた世界的な研究拠点への発展が期待されている。

世界規模で目覚ましい研究開発が進む量子コンピュータ分野において、半導体のシリコンを用いた基盤技術の開発に取り組んでいる小寺哲夫准教授。量子コンピュータのさらなる進化に向けた研究の現状と展望を小寺准教授と学生2名にうかがった。

そもそも量子コンピュータとはどういうものなのか

小寺哲夫

小寺哲夫

工学院 准教授
電気電子系 電気電子コース/エネルギーコース
量子コンピューティング研究ユニット

研究室(External site)

研究者情報(External site)

2002年、東京大学 理学部 物理学科卒業。2004年、東京大学 理学系研究科 物理学専攻修士課程修了。2007年、東京大学 理学系研究科 物理学専攻博士課程修了。2007年より東京大学 ナノ量子情報エレクトロニクス研究機構特任助教、2009年より東京工業大学 量子ナノエレクトロニクス研究センター助教、2014年より東京工業大学 大学院理工学研究科 電子物理工学専攻准教授を経て、2016年より現職。博士(理学)。

お薦め
『木に学べ 法隆寺・薬師寺の美』 (西岡常一著)
「木の癖を見抜いて適材適所に使え、木を知るには土を知れ、木を組むには人の心を組め」 千年もつ木造建築のための棟梁としての心得は、先端科学技術者としての心得に通じる。

現在のスーパーコンピュータで数千年もかかる計算が、わずか数十秒で解ける──。そう期待される量子コンピュータは、ナノサイズ(1 mmの100万分の1)、あるいはそれより小さなミクロの世界で働く物理法則である「量子力学」を原理とする全く新しいコンピュータだ。

なぜそこまで計算が速くなるのか。運動の法則を基礎として構築された古典物理学を用いた従来の計算機はビットという単位を使い、情報は0と1の2進数で表される。古典情報と呼ばれ、表裏が白黒の石でたとえると白か黒かの2通りの状態のみ存在する。その情報を一つ一つ順番に処理していくため、情報が多くなれば計算に時間がかかってしまう。一方、量子力学では白か黒かわからない重ね合わせ(両方の状態を同時に持っている)状態をつくることができる。量子情報と呼ばれ、量子ビット※1という単位で0と1の2つの情報を同時に内包するため、無限通りの状態が存在し、情報が多くなっても全てを同時に処理することで圧倒的な計算速度を実現する(図1)。

※1
量子ビットは、量子コンピュータに使われるビットのことで、様々な物理系で実現されており、その一つが量子ドット中の電子スピンや正孔スピン。

従来のコンピュータ

量子コンピュータ

図1. たとえば8個の情報を処理する場合、古典情報だと000から111まで3ビットのデータを8回計算する必要がある。
量子情報は8個の情報をひとつにまとめることができ、1回の計算で全て同時に処理することができる。

「従来型コンピュータの進化は限界に近く、ここ2~3年で急速に量子コンピュータへの期待が高まっていると感じます。IBM QやD-Waveといったある種の量子コンピュータは実際に使われはじめていて、アプリケーションなどを考えるフェーズになっています」(小寺准教授)

研究開発が過熱する量子コンピュータの量子の材料として一歩リードしているのは超伝導体。GoogleやNASAなどが材料に用いている。ほかにフォトン(光子)、コールドアトム(冷却原子)、イオントラップなどが候補に挙がる中、小寺准教授が研究しているのが、超伝導体に迫る期待を集めている半導体のシリコンだ。

半導体シリコンで量子ビットをつくる理由

量子ドット※2は大きさ数十ナノメートルの半導体で、電子を一つずつ閉じ込め、操ることのできる箱のようなもので、人工原子とも呼ばれている。

小寺准教授は早くから材料にシリコンを用いて量子ドットのデバイス開発を進めてきた。研究しているシリコン量子ドットデバイスは、MOS(Metal〈金属〉、Oxide〈酸化膜〉、Semiconductor〈半導体〉)構造を利用している(図2)。「既存のシリコンテクノロジーとの相性がよく、基本的なMOS型トランジスタを模しているため集積化に向いているんです。シリコン量子ドットの種類は主に3種類あって、初期に開発が進んだドーパント型からSi/SiGe(シリコン/シリコンゲルマニウム)ヘテロ型へ移行し、近年はこのMOS型への期待が大きく高まっています」と小寺准教授は言う。

量子ドットの作製方法として、まず熱酸化でSOI(Silicon-On-Insulator 絶縁体上のシリコン)層の厚みを制御する。次に電子線描画と反応性イオンエッチング※3で量子ドット部とゲート構造を形成し、さらに熱酸化とLPCVD※4でゲート酸化膜を形成する。続けてLPCVDとフォトリソグラフィ※5およびプラズマエッチング※6でポリシリコンのトップゲートを作り、最後にソースとドレインを形成する。この手順で作製した二次元配置のシリコン量子ドットに関する論文が、2019年2月に米国物理学協会発行の学術雑誌で採用された(図3)。

※2
量子ドットは、半導体を微細加工することによって、電子や正孔(せいこう:電子不足でできる孔)を一つ一つ閉じ込めることのできる構造のこと。
※3
微細加工技術の一つ。ガスに高周波をかけてプラズマ化し、イオンやラジカルで半導体を加工すること。
※4
LP=減圧、CVD=化学気相成長の意味。目的とする膜の成分を含む原料ガスを供給して半導体薄膜などを成長させる方法。
※5
感光性の物質を塗布して光を当て、露光された部分とされていない部分のパターンを生成する技術。
※6
低温ガスプラズマを用いてエッチングを行うこと。同時かつ大量に処理でき、工程が簡易になる。

MOS構造を利用したシリコン量子ドットデバイス
図2. MOS構造を利用したシリコン量子ドットデバイス

二次元配置のシリコン三重量子ドット Accepted by Applied Physics Letters, to appear in 2019
図3. 二次元配置のシリコン三重量子ドット
Accepted by Applied Physics Letters,
to appear in 2019

量子ドットでは電子や正孔のスピンの状態を操作することができ、スピンの上向きか下向きを情報の0か1として使う。その重ね合わせ状態をつくることが量子ビットの開発となる。

情報を担う電子スピンや正孔スピンは、材料そのものが持つ核スピンとの相互作用で乱されやすく、状態を維持するのが難しい。半導体スピン量子ビットの研究は15年ほど前からGaAs(ガリウムヒ素)系を主流として進んできたが、GaAs系は100%核スピンを持つためスピン量子ビットに影響を及ぼすことが明らかになった。そうした背景から近年シリコンが注目され、多くの研究者が移行してきている。
「私も学生時代はGaAs系を使っていましたが、その問題が生じるのは明らかだったので卒業後はすぐにシリコンに取り組みました。なぜかというと、シリコンの95%は核スピンを持たないからです。核スピンに情報が乱されないというアイデアで一歩先んじたつもりです」(小寺准教授)

量子情報を維持できる時間(コヒーレンス時間)を長く保つことは大きなテーマの一つ。スピンを乱す磁気的なノイズ、電気的なノイズ、熱雑音など低減すべきものはたくさんある。材料、デバイス作製、測定、それぞれの部分でノイズを減らし、量子を保つための取り組みは多岐にわたる。その中でシリコンは材料そのものの特性から磁気的なノイズが少ないというだけでなく、良質な酸化膜形成技術や微細加工技術等の既存技術が成熟しており、他の材料と比べてデバイス内の電気的なノイズも小さくできる。また、微細な加工を行うことができるため、将来的な実用を考えれば大規模に量子ビットを集積しても冷凍機に入るサイズにできるというのは明確な強みだと言える。

極低温(絶対零度に近い極めて低い温度)に量子ドットをセットし、熱雑音を軽減した環境で測定を行う無冷媒冷凍機
極低温(絶対零度に近い極めて低い温度)に
量子ドットをセットし、熱雑音を軽減した環境で
測定を行う無冷媒冷凍機

極低温状態において量子ビットの評価を行う実験の準備にとりかかる小寺准教授、田所さん、溝口さん(写真右から)。大きな磁場が必要となる実験では、こちらの大型(地下2メートル)の冷凍機を使用する。
極低温状態において量子ビットの評価を行う実験の準備にとりかかる
小寺准教授、田所さん、溝口さん(写真右から)。大きな磁場が必要となる実験では、
こちらの大型(地下2メートル)の冷凍機を使用する。

東工大のこの研究室を中心にタッグを組んで

小寺哲夫

量子コンピュータの開発は一研究室のテーマに収まらない広がりを持つ。「得意な分野を持っているグループとの共同研究が重要」と考える小寺研究室の特色として、国内外のグループと長く築いてきた信頼関係がある。国内では東京大学、理化学研究所、産業技術総合研究所、海外ではイギリスの日立ケンブリッジ研究所、オランダのデルフト工科大学などさまざまだ。

「たとえばオーストラリアのニューサウスウェールズ大学はシリコンの量子コンピュータに昔から大型の投資をしていて、近年本当に素晴らしい成果が出てきているグループです。そうした突出した研究者と議論させていただいたり、意見を出し合う中で新しいアイデアが生まれたり。一人の研究ではできないことなので、丁寧に人間関係をつくって、これまで継続してきたことを今後も公明正大にやっていきたいですね」(小寺准教授)

材料やデバイスだけでなく、回路、システム、ソフトウェアといったより幅広い分野の理解と連携もキーになる。
「研究を進める上で東工大の工学院 電気電子系にはそうした各分野に長けた先生が揃っていて相談がしやすいんです。一つの系にこれほど多くの研究分野が揃っている大学は他にないかも知れません。また、量子コンピュータは近年の大企業参入によって、基礎学術的な物理学のフェーズから産業化を見据えた工学のフェーズに入ってきています。工学から産業化につなげるというのは東工大が最も得意とするところで、そこに長けた先生方も多くいらっしゃるという研究環境の良さを感じます」(小寺准教授)

さらに西森秀稔教授がいることも東工大で研究を進めることの大きな追い風になっている。西森教授は量子コンピュータにおける量子アニーリング方式の提唱者。西森教授率いる量子アニーリングのプロジェクトにも参画し、D-Waveという量子アニーリングマシンを実際に使える環境があり、情報や問題点の共有が直接できることで、小寺准教授は自身が開発してきた量子ゲート方式に適した量子ビットを、量子アニーリング方式にも使えないかと思考が広がった。さらに量子ビットの材料についても半導体だけでなく超伝導体も含めたテーマに取り組んでいく。小寺准教授は「昨年度までは人工光合成やパワーデバイスなどエネルギー関係の研究をしていましたが、今は量子コンピュータに専念して研究室全員でこのテーマに取り組んでいます。周りの研究開発のスピードも速いので、一点集中して加速して進めたいなと思いますね」と展望を語る。

運命の出会いから未来につながっていく

東大での学部時代に、量子力学の応用の授業で量子コンピュータという言葉を耳にしたのが小寺准教授の研究のはじまり。「この難解な量子力学が実際に役立って、今のコンピュータを超えるものがつくれるんだ、と驚くと同時に面白そうだなって思いました」と当時を振り返る。NTT物性科学基礎研究所へ見学に行き、そこで紹介された東大の樽茶清悟教授(当時)の研究室に入るため修士へ進学。1人の外国人ポストドクターと量子ビットグループをつくって研究をはじめた。博士号を取得して卒業した後、東大生産技術研究所の荒川泰彦教授(当時)の研究室で4月から特任助教となり、5月からイギリスに派遣されることになる。その派遣先が日立ケンブリッジ研究所だった。
「そこでシリコンに出会って、シリコンとスピンを使った量子ビット開発をしようと思いついたんです。樽茶教授のもとで学んで、荒川教授に派遣してもらったという流れがなかったら、今のテーマになっていないかも知れません。まさに運命的な出会いでした」(小寺准教授)

さらに赤い糸に導かれるように、日立ケンブリッジ研究所に来ていた東工大の小田俊理研究室の学生2人と出会い、次に助教として採用される小田研究室を知ることになる。シリコン量子デバイスの研究をしていた小田教授(当時)から声を掛けてもらったおかげで、その後も東大、日立ケンブリッジと連携しながら研究を継続できたという小寺准教授は「本当に全部偶然」とはにかむ。
「そして昨年度までは波多野睦子教授の研究室でお世話になりました。波多野教授は民間企業で精力的に研究を推進されてから東工大にいらっしゃった教授。工学的な視点を持って研究を進めるやり方を指導いただきました。これからの量子コンピュータ研究にとって必要不可欠な視点でした」(小寺准教授)

小寺哲夫

小寺研究室の学生は現在10人。准教授と学生との関係や学生同士の風通しの良さを支えるのが、全体ミーティングと、週1回行われる1対1で何でも相談できる個別ミーティングだ。小寺准教授自身が30年以上続けているバドミントンでの交流や、懇親会、研究室旅行も行う。コミュニケーションをとれる研究室にしたいという想いからだ。

「外部との共同研究も、卒業後の進路で多いメーカーでの開発に携わるときも、すべて人間関係・信頼関係が大事だと思うので。そこが至らないときだけは注意や指摘をするようにしています」(小寺准教授)

それは自身のモットーでもあり、学生時代から様々な出会いに支えられてきたことがバックグラウンドになっている。また、「研究でも新しいことに挑むこと自体を楽しんでほしいし、そのための基礎学力や教養を学ぶことももちろん大切です」とも言う。

「母校の高校生に向けて講演したとき、高校生たちは予定時間を大幅に超過するほど質問をしてくれて、同席した修士の学生もこんなに興味を持ってくれることに刺激を受けたそうです。量子コンピュータの進化は日進月歩ですが、私もさらに研究を進めて、まずは精度の高いシリコン量子ビットを実現したいと思っています。それと同時に、シリコンの分野で未だ判明していない集積化に適したデザインをいち早く提案したい。研究室としてはデバイスに重点を置いていますが、配線、回路、システムといった分野の方々とも連携して、議論を重ねて、もっと上のレイヤーまで自分の研究室を持って行くことで、量子コンピュータに関わるすべてをテーマとしたいですね」(小寺准教授)
そう語る小寺准教授の目には、「量子コンピュータをつくりたい」という強い意志が映っていた。これからの時代を切り拓く未来のコンピュータは、その視線の先にきっとある。

VOICE

田所雅大

田所雅大 Masahiro Tadokoro

工学部 電気電子工学科

学士課程4年

お薦め
『量子コンピュータとは何か』
(ジョージ・ジョンソン著、水谷淳訳)

時代や世界を変えうる新しいものを自分の手でつくりたい

私が高校生の頃に使いはじめたスマートフォンの便利さに衝撃を受けて電気電子工学科※7に入学し、新しいもの=量子コンピュータを研究したいと小寺研究室を志しました。学部の授業で扱わない分野なのでわからないことは多いですが、先輩や小寺先生は丁寧に教えてくださいます。小寺先生は実験をどう進めるかのプロセスを大事にされる方。英語でコミュニケーションをとる機会も多く、自分の可能性を広げられるように思います。今は量子ドットが三角形状に3つ並んだデバイスを測定し、電流特性を評価する研究をしています。今後は修士課程に進んでさらに研究を進めていきたいです。

※7
2015年度以前の入学者の所属です。2016年度以降の入学者は、工学院 電気電子系になります。

溝口聖也

溝口聖也 Seiya Mizoguchi

工学院 電気電子系

電気電子コース 修士課程2年

お薦め
『量子コンピュータが人工知能を加速する』
(西森秀稔著、大関真之著)

次世代を担う技術に触れて最先端の流れを感じとれる研究室

量子ビットの実現に向けた、量子ドット中での電荷のスピン操作の研究を行っています。高周波信号印加※8による温度の上昇や微小な信号を検知するための測定系の構築といった課題があるため、まだ実現できていませんが、自分で知識を集めたり、他の人と議論しながら成し遂げていくというのがこの研究の面白いところです。量子力学という新しい学問に非常に興味があり、量子コンピュータという言葉に惹かれて小寺研究室を志望しました。もともとバドミントンを介して知っていた小寺先生は、コミュニケーションをとても大事にされます。就職のため来年度から社会に出ますが、この研究室で培った知見や力をこれからも活かしたいと思っています。

※8
回路に電圧や信号を与えること。

Tech Tech ~テクテク~

本インタビューは東京工業大学のリアルを伝える情報誌「Tech Tech ~テクテク~ 35号(2019年3月)」に掲載されています。広報誌outerページから過去に発行されたTech Techをご覧いただけます。

(2018年取材)

お問い合わせ先

東京工業大学 総務部 広報課

Email pr@jim.titech.ac.jp