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最速のクロール泳法

最速のクロール泳法

数々の記録と感動を残して閉幕したリオ・デ・ジャネイロ・オリンピック。

4年後には大岡山キャンパスがあるここ東京で、オリンピックが開催される。

日本もメダルを期待される水泳競技は、そのオリンピック競技の中でも世界的に人気が高い。特にもっともスピードが出るクロールで戦う競泳自由形は花形種目といえるだろう。

クロールは、かねてからどのような泳法が最速なのかという議論が交わされていた。

その議論への一つの解となる研究結果が、今年1月に発表され話題となった。

その研究の重要な一翼を担っているのが東工大「中島求研究室」だ。

SWUMANOID Swimming Humanoid Robot

中島教授が准教授時代に大学院生とともに開発した水泳ヒューマノイド。

従来の水泳の研究は、実際の選手による実験測定をするしかなかった。しかし体調やコンディションに左右される人間の動作の再現性に問題があった。

ロボットを用いると、微妙な動作の違いによる推進力の変化をとらえることが可能となり、泳ぎのメカニズム解明が大きく進むことになった。

実在する競泳選手の体格を三次元ボディスキャナでデータ化し、1/2スケールで再現したロボット「SWUMANOID(スワマノイド)」

S字ストロークか?I字ストロークか?

中島求

中島求

工学院 教授
システム制御系 システム制御コース

研究室(External site)

研究者情報(External site)

1990年、東京工業大学 工学部 機械工学科卒業。1995年、同大学院 理工学研究科 機械工学専攻 博士後期課程修了。同年、博士(工学)号取得。本学工学部助手、米国モントレー海軍大学院客員研究員、本学大学院 情報理工学研究科 助教授を経て現職。

競泳の自由形では、選手はほぼ例外なくクロールで泳ぐ。クロールは現在もっともスピードが出る泳法と考えられているからだ。一方で学校体育やスイミングスクールでも採用されている、私たちにもっとも身近な泳法でもある。しかし本気でスピードを追求してクロールの練習をすると、これが一筋縄ではいかない。一流の水泳選手とビギナーのクロールを映像で比較してみると、その違いは一目瞭然だ。特に「ストローク」と呼ばれる左右の腕で交互に水をかく動作の滑らかさには格段の差がある。

このストロークと両脚のキック(バタ足)を組み合わせて泳ぐのがクロールの基本だ。スピードに関しては主にストロークによって決まるとされている。そしてクロールのストロークには大きく分類して「S字ストローク」と「I字ストローク」の2種類がある。

「I字ストローク」は水中で直線的に水をかく動作。かつて競泳のクロールと言えばこのスタイルが主流だった。その常識が覆されたのが1972年に西ドイツ(現ドイツ)で開催されたミュンヘン・オリンピックの時だった。米国代表のマーク・スピッツ選手が世界新記録を連発し、自由形とバタフライの7種目で金メダルを獲得する(当時、獲得数オリンピック記録)。「水の申し子」とも呼ばれたこのスピッツ選手のクロール泳法が、身体の下でS字を描くように水をかく「S字ストローク」で、このあと競泳界はすっかり「S字ストローク」に塗り替えられていく。

S字ストローク I字ストローク

再び常識を覆したのが、2000年のシドニー・オリンピック(豪州)と2004年のアテネ・オリンピック(ギリシャ)で多くの金メダルを獲得したオーストラリアのイアン・ソープ選手だった。ソープ選手のストロークはストレートな「I字」で、彼の活躍により「S字か?I字か?」という論争が再燃することになった。

「どちらが速く泳げるのか…そんな論争とは別に、私は長らく力学的なアプローチで泳ぎのメカニズムを研究してきました」と語る中島求教授。「クロール自体、現在のスタイルになったのはたかだか100年前に過ぎません。泳法としてまだ完成していないから、論争も起きるのでしょう。私は腕が水をどうやってかき、スイマーの身体をどのように水が流れていくかを研究していけば、最速の泳法が見つかるのでは?と考えていました」

「S字」と「I字」の違いは手の周囲に発生する“渦”

実際の水泳選手の身体形状を詳細にコピーしたSWUMANOIDは、全身の関節が動いてリアルな泳ぎを再現!
実際の水泳選手の身体形状を詳細にコピーしたSWUMANOIDは、全身の関節が動いてリアルな泳ぎを再現!

そこで中島教授は、筑波大学の高木英樹教授ら国内外5人の研究者との共同研究に参加し、最先端の流体計測解析技術や“泳ぐロボット”を使ったシミュレーション研究などにより最速のクロール泳法への多角的なアプローチを試みた。

2016年1月、待望の研究結果が発表された。それによると「S字」はより少ないパワーで推進力が得られるため、効率が重要になる400 m以上の中長距離種目に有利だが、効率より絶対的なスピードが求められる50~100 mの短距離種目では直線的に水をかく「I字」が有利になる。

この違いは、それぞれの泳法で水をかく手の周囲に発生する渦からも裏付けられるという。「S字」の場合は、掌を返した時に発生する渦が瞬間的に大きな揚力(浮き上がる力)となっていることがわかった。一方、「I字」の場合、掌の両面で発生する渦が抗力(進む力)を生んでいる。…こうした渦の発生がクロールの推進力メカニズムに大きな影響を及ぼしているという事実は、今回世界で初めて明らかにされたことだ。

今回の結論は、最速を目指すスイマーは「S字」か「I字」かという二者択一ではなく、レースの距離やスイマーの体格・筋力に応じてそれぞれの泳法を使い分けるべきことを示唆している。

「人間の水泳運動は、非定常でたいへん複雑な流体現象ですから、まだまだわからないことが多い。メカニズムのさらなる解明が必要です。今後は、体格、筋力、水泳技術などの個人差を考慮した泳法の研究に取り組むことになるでしょう」

実験中の中島教授と学生たち

泳ぎのシミュレーションと泳ぐヒューマノイド

水泳のエキスパートが肌身で感じる“感覚”を、実験やシミュレーションで得られる“データ”で誰もが納得する原理やメカニズムとして明らかにしたい。それが中島教授の水泳の研究に対するモチベーションだという。

「従来から、手だけなど、部分的な研究はありましたが、全身の研究は初めて。これまで誰も取り組んでいない分野だからこそ、それだけ苦労はありますが面白い。ただ私自身は特に優れたスイマーではありませんので、水泳の研究に取り組み始めた当初から体育系の研究者と一緒にやりたいと思っていました」

そのため中島教授は、日本機械学会だけでなく日本水泳・水中運動学会などに所属し、水泳競技の専門家たちとの交流を深めた。

共同研究者の筑波大学・高木教授も、学生時代に水球選手として活躍し、現在は筑波大学水泳部水球部門監督を務め、男子日本代表チーム監督の実績を持つ泳ぎのエキスパート。研ぎ澄まされた水泳の感覚を生かして、水泳や水球競技に関わるバイオメカニクスや流体力学分野の実践的な研究を手がけており、まさにこの共同研究にとっての力強いストロークの役割を果たしたと言えるだろう。

そしてその力強いストロークを補強しつつ、安定したフォームで研究のゴールに導いたのが、中島研究室が長年にわたって技術を磨き、進化させてきたシミュレーションモデルと水泳 ロボットだった。

中島教授が開発した水泳人体シミュレーションモデル「SWUM(スワム)」とその実装ソフトウェア「Swumsuit(スワムスーツ)」は、泳ぎのフォームの違いにより生じる身体各部に働く流体力や運動の変化など、水泳におけるさまざまな力学的問題の解析ができる。

「クロールだけでなく、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライの4泳法のシミュレーションが可能です。最新型のSWUMでは、運動だけでなく人体の各部分の筋力がどのように発揮されているかがわかる筋骨格シミュレーション機能も搭載されています」

研究グループのもうひとつの秘密兵器は、水泳ヒューマノイド「SWUMANOID(スワマノイド)」。実在する競泳選手の体格を三次元ボディスキャナでデータ化し、1/2スケールで再現したロボットだ。合計20個の防水処理をしたモーターをコンピュータ制御して全身の関節を動かし、実際の泳ぎを想定した複雑な運動が可能となっている。前述した「S字」「I字」それぞれの“渦”の発生メカニズムは、このSWUMANOIDのような水中ロボットを筑波大学にある大型回流水槽で泳がせることによって突き止められた。

水泳人体シミュレーションモデルSWUMによるクロールの解析図。身体から出ている赤い線が、身体各部に働く流体力を表している。水泳人体シミュレーションモデルSWUMによるクロールの解析図。身体から出ている赤い線が、身体各部に働く流体力を表している。

SWUMを使えば、水泳の全身筋骨格シミュレーションも可能。クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライの4泳法に対応している。SWUMを使えば、水泳の全身筋骨格シミュレーションも可能。クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライの4泳法に対応している。

人間への興味が研究に向かうエネルギー

中島研究室を一言で説明するのは難しい。水泳の研究も工学の視点からスポーツを研究する「スポーツ工学」、機械力学の方法論を人の身体に応用する「バイオメカニクス」、そしてSWUMANOIDを生んだ「バイオロボティクス」といった分野に分かれている。

「従来の機械工学を応用しつつ、また情報という視点を加味しながら、人間に関するさまざまな謎を解き明かしていこうというのが本研究室のスタンスです」

中島教授は東工大OBでもある。学部時代に魚やイルカの遊泳メカニズムの研究に着手し、15年ほど前から人間の水泳を研究対象とするようになった。

「高校生の時は物理や数学が好きでしたが、大学では物理と数学そのものではなく、それらを使って世の中に役立てるような研究をしたいと考え、機械力学を専攻しました。卒業研究にあたって教授から『魚とイルカの泳ぎを研究してみないか?』と誘われて、『やってみます』と即答しました。なにか面白そうだ!と直感したんですよ」

その学部時代の卒業研究が、現在の水泳の研究のルーツとなり、大きな成果を生んだ。中島研究室では現在、水球選手の投球動作の研究、義足など障害者の水泳の研究や泳ぎが不得意な人のための水着の研究など、水泳関係だけでも多岐にわたる研究テーマに取り組んでいる。また、浴槽メーカーとの共同研究として、入浴中の人間が浴槽内でどのように力を込めているかという面白いテーマの研究も行っているという。入浴中、人間は完全にリラックスしているわけではない。溺れないように無意識に筋肉に力を入れている。

「その力の入り方をSWUMによるシミュレーションなどによって調べています。この研究成果は、やがて安全で心地よい浴槽の開発につながるのかもしれません」

もっともっと人間の原理・理屈を知りたいという好奇心が研究に向かうエネルギー。そう目を輝かせて語る中島教授の回りには、自然とテクノロジーと人間の関係に興味を抱く学生が集まってくるようだ。

Student Interview

Student Interview

根本千恵
根本千恵

根本千恵 (大学院理工学研究科 機械制御システム専攻 修士課程 2年

学部時代は人工衛星の研究をしていたのですが、大学院進学に際して人間に関する身近なテーマの研究に取り組みたくなり、中島研究室を選びました。研究テーマは、身体障害者スイマーのストロークについて。私自身は水泳についてはほとんど知識がなかったのですが、中島先生とともに実際のパラリンピック選手とコーチとのミーティングを重ねながら研究を進め、人の役に立つ研究を手がけているという実感があります。

中島教授について

学生の面倒見がとても良く、何でも相談できる先生です。そして研究が大好き!

伊藤翔大
伊藤翔大

伊藤翔大 (工学部 機械科学科 4年

高校まで水泳をやっていました。大学ではスポーツに関わる研究をしたいと考えていた時に、東工大のパンフレットで「スポーツ工学」を発見!その結果、この研究室にいます(笑)。現在、特定のスポーツはやっていませんが、筋トレは欠かさず行っています。研究室では、カナディアンカヌーの漕ぎ方のシミュレーション研究を手がけています。大学院修了後は、ぜひ、東京オリンピックに関わる仕事がしたいですね。

中島教授について

毎週の個人ミーティングで学生一人ひとりにしっかり向き合ってくれる先生です。

2015年度以前の所属です。2016年度以降の入学者は学院・系で学びます。詳細は学院・類・系・コースの関係をご覧ください。

Tech Tech ~テクテク~

本インタビューは東京工業大学のリアルを伝える情報誌「Tech Tech ~テクテク~ 30号(2016年9月)」に掲載されています。広報誌ページから過去に発行されたTech Techをご覧いただけます。

(2016年取材)

お問い合わせ先

東京工業大学 総務部 広報課

Email pr@jim.titech.ac.jp