派遣交換留学 デラサール大学 2017年9月1日~2018年8月30日

派遣交換留学 デラサール大学 2017年9月1日~2018年8月30日

留学時の学年:
修士課程1年
東工大での所属:
工学院 機械系 ライフエンジニアリングコース
留学先国:
フィリピン共和国
留学先大学:
デラサール大学
留学期間:
2017年9月1日~2018年8月30日
プログラム名:

留学先大学(機関)の概略

デラサール大学はフィリピン最高峰の大学の一つです。マニラにキャンパスを持ち、文系から理系まで幅広く教育を行っている綜合大学で、単科大学の東工大とは学生の雰囲気が少し違います。生徒数は学部がおよそ11000人、大学院はおよそ5000人となっています。留学生の人数はそれほど多くなく、学部で400人程、大学院では200人程です。国籍としては韓国や中国からの留学生が多いように感じました。その他にも中東や他の東南アジアの国からきている人たちもおり、日本人留学生も1年を通して10人前後が在籍していました。

留学前の準備

留学前の準備は事務手続きがほとんどで、研究室の作業や授業の忙しさから、語学や留学先で学ぶ予定の分野の予習はしていませんでした。ただ、私はそのせいか渡航後に英語を再学習する羽目になったので、現地での時間を自由に使いたいという人はきちんと準備をしてから渡航することをお勧めします。まず初めに行ったのは住居の契約で、これはデラサール大学から送られてきた資料を元に選びました。Wi-Fiの有無や冷蔵庫等の電化製品が揃っているかどうかについて確認し、あまり現地で物を買わずに済むよう注意していたと思います。
その後、研究室の教授と、自身の研究の進め方について話し合いました。元々1年留年するつもりだったので特に話し合いに時間はかかりませんでしたが、留年するために卒業が遅れること、いつごろまで留学するのか等学業のスケジュールについては一通り教授に確認し、承認をもらっていました。一番面倒だったのがビザの取得でした。私は手続きにお金がかからないという理由から日本でビザを取得したのですが、日本でビザを取得しようとすると、かなりの数の書類をそろえなくてはいけない上、受け取るまでに数日かかり、在日フィリピン大使館まで2度往復しなくてはいけなかったのでとても苦労しました。フィリピンで取得する場合、お金はかかりますが、必要書類はパスポートと写真だけで、時間も最短数時間なので、今思うと現地で取得したほうが楽だったかもしれません。ただフィリピンで取得する場合は、デラサールの学生について行ってもらって、安全に気を付けながら手続きをする必要があります。最後に留学先の大学までの移動について記述します。

マニラの国際空港まではANAやJAL、フィリピンエアライン、セブパシフィック等で行くことができますが、最も安いのはセブパシフィックです。ただ、セブパシフィックは手荷物の重量制限が厳しく、少し超過するだけでかなりの額を取られてしまうので、家で測るなどしてから空港に行っていました。空港からデラサール大学までは大学の手配してくれた車で送ってもらいました。渡航前に何時頃着くかを大学側に伝えて置き、その時間帯に合わせて迎えに来てもらいました。

留学中の勉学・研究

私は1年で計5つの授業を取りました。最初の1学期に3つ、2学期と3学期に1ずつ取りました。デラサール大学の大学院では、学生が1学期にとれる授業の上限は3つまでで、東工大に比べるとかなり少ないです。そのため1学期には上限いっぱいまで受講していたのですが、その後は研究室に所属したため、授業は交換留学生に求められる最低限の数しかとりませんでした。

デラサールでの研究について

デラサールでは外科手術用のデバイスに関する研究をさせてもらいました。東工大とは違い、グループワークでの作業だったので、個人個人で研究を進める東工大とは違い、生徒間で進捗について話し合うなどメンバー間のすり合わせが重要でした。ですが、私自身が話し合いに参加する機会はあまりありませんでした。グループ間には上下関係があり、主に上司と部下に分かれていました。私は部下的な存在だったのですが、グループの基本方針を決めるのは上司的な立場の学生たちで、私たちはそれに沿って作業をしていくという感じでした。そのため、作業は基本的に一人で黙々と行い、その結果を報告するというのが基本的な流れでした。

具体的な活動内容は3つほどあり、1つ目が解析ソフトを利用したデバイスの強度確認でした。デラサールでは私が来る前にデバイスの開発がひと段落していたのですが、そのデバイスの強度に不安がありました。そこで、デラサールで一般的に使用されているCATIAというソフトを使用して強度解析を行い、実際に使用可能であるかどうか確認を行いました。次に行ったのが、すでに開発したデバイスの改良です。開発されたデバイスは部品の着脱が難しく、手術中にパーツを交換することが困難でした。そこで、部品をすぐに取り換えられるよう再設計しました。元々開発されていたデバイスを参考にできたので、そこまで時間はかかりませんでしたが、外科手術には使用できるスペースに制限があるので、それらと折り合いをつけながら設計を変えていくのには苦労しました。最後に外科手術を支援するためのロボットアームの設計をしました。このロボットアームは将来的には手術用具を持ちながら動き、医師の補助をする予定です。人間の腕のように複雑な動きを可能とし、なおかつ十分なパワーを与えるのが難しい点でした。その上ロボットアームの設計は初めてだったので、モーターの選定方法等のロボットの基本から勉強しなくてはならず、さらに作業が難航しました。

留学中に行った勉学・研究以外の活動

研究以外に行った主なことは旅行などの娯楽でした。近場ではマカティという町へよく行き、そこで日本料理を食べたり、射撃やボーリング等をして遊びました。特に日本料理店には何度も通い、胃の調子が悪い時や、おいしいものが食べたいときは必ず行っていました。射撃は1度しかやりませんでしたが、日本では銃を撃つ機会はまれなので、とても面白かったです。値段も手ごろで、3000円程で50発も撃てました。その他の娯楽としてはボーリングやカラオケです。ボーリングは日本とほぼ変わらない設備ででき、値段は日本より安い印象でした。カラオケは主に英語とタガログ語の歌で構成され、日本語の曲も少数ながらありました。こちらも日本よりは安く、英語の曲が歌えるという方にはお勧めです。旅行は一度だけバギオに友人たちと共に行きました。バギオはマニラのあるルソン島の北の方にあり、標高の高い地域なので、長そでがないと肌寒い思いをしました。現地では観光名所を回ったり、買い物をしたりしましたが、最も印象的だったのはナイトマーケットでした。様々な露店が道に沿って並んでおり、そこでフィリピン特有の料理勝手食べたりしました。

留学を終えて、自分自身の成長を実感したエピソード

最も自分の成長を実感したのは研究室探しの時でした。前述したようにデラサール大学には研究室が少なく、インターネットで情報が公開されているということもありませんでした。そのため、研究室の状況は実際に訪問しなければ何も分からず、自分の求める研究室を探すのにかなりの時間がかかりました。自分から能動的に動かなければ情報は手に入らず、そこからアポを取ったりして訪問することを繰り返してやっと目的の研究室を見つけることができました。

上記のように、デラサール大学で研究室を探す際には多くの人と話をしなければならず、人と会話することが苦手な私にとってはつらいものでした。しかもそれをすべて英語で行わなくてはならなかったので、労力は倍くらいになっていたと思います。ですが、そういった困難な状況でも、自分の拙い英語力で何とか切り抜けようとした経験は、慣れない土地でも生きていけるたくましさを持つことができたという自信につながりました。勿論、研究室を見つける過程では本当に多くの方々にご協力頂きましたが、それでも自身が海外でも生活していけるかもしれないという自信を持つことができたきっかけとなったエピソードでした。

留学費用

渡航前にかかった費用は渡航費、保険料を含めて20万円前後だったと思います。
特に保険料が高く、一番安いプランでも12万円程でした。そのため、予防接種は受けず、何かあったらすぐに病院に行くという方針で渡航しました。
ただ、現地で日本人留学生が病気により死亡したこともあるようなので、お金に余裕があればやったほうが良いでしょう。留学中は1月10万円程で生活していました。寮の家賃は4万円程で、残りは食費や交通費等で消費していました。私は一人部屋でしたが、ルームシェアをする場合は家賃が半分以下になっていました。帰国時は飛行機代のみだったので、一番安いセブパシフィックを利用して料金を2万以下に抑えました。ただ、飛行機代を安くするためには2、3ヵ月前から予約する必要があり、スケジュール管理が難しかったです。

奨学金は日本学生支援機構から毎月7万もらっていました。それに加え、親から3万円程仕送りをしてもらっていました。送金方法にはセブン銀行の海外送金サービスを利用していました。

留学先での住居

私はデラサールと提携している寮(the providence tower)に住んでいました。毎月の家賃は4万円程で、あまり安くはありませんでしたが、非常に広いスペースに加え、必要な家具(冷蔵庫、電子レンジ、炊飯器、IHコンロ、机、椅子、ベッド等)はすべて揃っていたので、値段相応かと思います。ですが、電気代がかなり高く、私の場合日本の倍くらいの料金がかかりました。周りに相談したところ設備が古すぎるせいだろうといわれました。もう1つの問題は虫でした。アリとゴキブリの出現率が高く、アリは出入り口の穴をテープで塞ぐことで、ゴキブリは殺虫スプレーと毒餌で対応していました。これ は他の寮でもよくあることのようで、他の留学生たちも多かれ少なかれゴキブリに苦しめられていました。

留学先での語学状況

デラサール大学の授業は基本的には英語で開講されています。また、研究においても参考にする資料はすべて英語のものでした。ですが、学生同士は基本タガログ語で会話をし、英語を使うのは授業の時と留学生と話す時だけという感じでした。また、先生によっては授業にタガログ語を混ぜてくることもあるようで、他の留学生の話では理解不能だったということでした。

研究室においても、最も使用されている言語はタガログ語で、ミーティングもタガログ語で行われていました。そのため、研究室の中には英語で話すことに若干の抵抗を感じる人もおり、フィリピン人は皆英語が話せると思っていた自分には衝撃的でした。これが大学外になると英語の使用頻度はさらに下がります。一応英語は通じますが、コンビニなどで英語を使っていると、タガログ語は使えないのかと聞かれることがありました。そのため、少しでもタガログ語を覚えていると皆非常に喜んでくれました。基本的な挨拶だけでも言えるようにしておくと、現地の人と仲良くなりやすいかもしれません。

英会話については最初の半年間はかなり窮屈な思いをしました。最初の3か月間は取り敢えず他の学生と交流していれば十分だろうと考え、特に英語の勉強はしていなかったのですが、しばらくして先ずは座学をしっかり行う必要があると感じ、1日1時間の音読を始めました。書店で小学生から中学生向けの短めの小説を買い、発音に注意しながら読んでいました。すらすら読めるようになってきたところで、別の本を買い、さらに読むということを続けたところ、3ヵ月程でリンスニング力とスピーキング力がかなり上達したように思います。その人の才能や性格にもよると思いますが、語学を上達させるためには、座学と実際に会話をバランスよくこなすことが重要なのかもしれません。

単位認定(互換)、在学期間

単位の互換は大学に復帰後に行う予定です。1年間留学したので、その分だけ在学期間を延長しました。

就職活動

就職活動に関しては、1年在学期間が延びるので特に何もしていません。

留学先で困ったこと(もしあれば)

まず、寮について言うと暖かいシャワーが流れないことが挙げられます。基本的にはぬるま湯のような感じで、ひどいときは冷水が出てきました。1日の疲れを暖かいシャワーで癒すことができないため、留学初期は少しつらかったです。また、食べ物が口に合わないことがあり、そうなると十分に栄養を取れないため慢性的に体調を崩していました。普段は特に問題なく食べられるのですが、体調が悪くなったりすると、本格的な日本料理店の食べ物以外喉を通らないことすらありました。大学で困ったことは手続きの遅さです。最初家賃の支払い方法が分からず、大 学に問い合わせたのですが、あとでメールで伝えると言われて全く連絡が来なかったことが3、4回ありました。全員が遅いというわけではありませんでしたが、基本的に遅れるので、手続きをするときには余裕を持って行うよう心掛けました。

最後に身の回りで起きる可能性のある犯罪について記述します。直接巻き込まれたわけではありませんが、私の滞在中に銃を使用した強盗が大学のすぐ近くで起きました。デラサールの学生も巻き込まれており、一歩間違えば自分も危なかったと思うとかなり怖かったです。かなり治安はよくなったという話ですが、まだまだ注意が必要な状況なようです。特に、女性がフィリピンで生活する場合には十分な注意をする必要があります。

留学を希望する後輩へアドバイス

留学に行きたいと思っているなら、理由はどうあれ挑戦してみると良いと思います。留学先でどんな体験をし、何を得られるかは正直誰にも予想ができないと思うので、運試しくらいの感覚でもっと気軽に考えて行動して良いと思います。お金の問題以外は。

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