派遣交換留学 アール・ゼ・メティエ 2017年8月29日~2018年2月7日

派遣交換留学 アール・ゼ・メティエ 2017年8月29日~2018年2月7日

留学時の学年:
修士課程2年
東工大での所属:
工学部 機械系学科
留学先国:
フランス共和国
留学先大学:
アール・ゼ・メティエ
留学期間:
2017年8月29日~2018年2月7日
プログラム名:

留学先大学(機関)の概略

Arts et Métiers Paris Tech(アールゼメティエ)

正式名称はÉcole National Supérieure d’Arts et Métiers (ENSAM)

フランス国立高等工芸学校でフランス独自の高等教育体制であるLes Grandes Écoles(グランゼコール)の一種。グランゼコールは19世紀初頭に設立されたもので、工学系、経営系、高等師範学校、国立獣医大学等がある。歴代大統領の多くもグランゼコール出身である。グランゼコールに入学するためには、バカロレア取得後2年間の準備コースが必要である。アールゼメティエでは、その後3年間でエンジニアリング資格を修得することができる。2年間のマスターコース、3年間のドクターコースも存在している。マスターコースには留学生だけで編成されたインターナショナルマスターコースが設置されており、英語の授業が開講されている。学年制度が日本と異なり複雑なため、配布された資料に記載されていた図を添付する。

マスターコースは①Biomedical Engineering、②Design, Industrialization, Risk & Decision、③Fluids & Energy Systems、④Mechanics, Materials & Processes、⑤Mechatronicsの5 つの分野に分かれている。1年次は分野に関わらず、共通の基幹学問を学ぶことが多い。またフランスの特徴として、前期(秋学期)は講義中心、後期(春学期)はインターン中心で進められる。

アールゼメティエはパリをはじめとして8つのキャンパスと3つの研究所を持つ。パリキャンパスはパリの左岸、13区に存在している。



留学前の準備

留学を決めた経緯

私の所属する学科は3年後期に必修授業が設定されておらず、2年の夏 頃から学科長が学生に留学を勧めていた。もともと長期留学をしたいという思いはあったが、理系学生は学部で留学する人が少なく、大学院で研究留学する人が多いと聞いていた。私も大学院に入学してから留学をするつもりでいた。

しかし、2年の夏にワシントン大学の英語学習プログラムに3週間程度参加し、長期留学したいという思いが高まった。このプログラム終了後、3年後期での派遣交換留学に強い関心を持ち、9月頃から準備を始めた。

教育改革により、3年後期にも重要な授業が入っていたが、3年前期までに4年次の学士論文研究に必要な単位は修得し、学年落ちすることなく無事留学することができた。留学期間を半年にするか1年にするか迷ったが、半年に決めた。私の学科は3年次3月末から学士論文研究のための研究室所属決めが始まる。半年間の留学であれば所属決め前に帰国して、留学しない場合と同じように研究室配属ができるとわかったからだ。

留学先の事前訪問

2年次3月に、グローバル理工人コースの超短期派遣プログラムで初めてパリへ行った。その際にアールゼメティエを訪問し、派遣交換留学するにあたって様々なことを質問した。このプログラムでアールゼメティエの先生方にお会いし、留学生活を少しイメージすることができた。

お世話になった機関

詳しい留学に関する情報は、留学情報館や留学生交流課に行って相談した。留学するならフランスに行きたいという思いは初めからあった。いくつかあるフランスの派遣協定校の中でどの大学にするか、留学情報館でアドバイスをいただいた。留学生交流課には、最終的に相手校に応募する前のやり取りをしていただいた。学外のアンスティテュフランセで行われている、フランス留学者対象のイベントや説明会に参加して、フランスで生活するために必要な手続きや準備について情報収集した。

語学

大学の授業と自習で、語学の準備は留学を決める前から少しずつ続けていた。フランス語の学習を始めたのは中学生の時で、大学に入ってからも第二外国語で選択した。また 、自由選択のフランス語会話の授業を週1回受講していた。以前からフランス語を話せるようになりたいという思いがあり、フランス語の学習は苦にならなかったが、専門分野が難しくなる中で十分な時間を割くことができなかった

渡航手続き

応募をしたのが第三次募集だったこともあり、様々な準備が遅かった。ビザを申請するには、Campus Franceとフランス大使館で2段階の手続きが必要だった。大使館はとても混雑していて、Campus Franceの手続きが終わるのを待っていたら、大使館の予約をとれる日が出発直前になってしまった。Campus Franceの手続きが終わる前から予約だけとっておくべきだった。学生留学者向けの予約不要な日があり、ビザ申請は間に合ったが、もっと早くにビザを取得できると焦らずに準備できると思う。健康診断書や銀行残高証明書、戸籍抄本の法定翻訳など準備する必要のある書類が多くあり、出発前はとても忙しかった。

住居の申し込み

寮は、アールゼメティエと東京工業大学の交流をずっと担当してくださっているMassouh先生(マッソー先生)が力になってくださった。最初に日本館とアールゼメティエ館という2つの寮にウェブから応募し、片方には予約金や保証金なども振り込んだ。なかなか決まらず、確定しないままパリへ立った。

数日間はホテルに滞在し、マッソ―先生に会いに行き、先生が寮に電話をしてくださったことで寮が決まった。無事決まって本当に良かった。

留学中の勉学・研究

授業の決め方

研究室には所属しておらず、研究は行わなかった。2年間のマスターコースを修了するためにはかなり多くの授業を受講する必要があるが、派遣交換留学は必要単位数が決まっておらず、自分の関心のある授業から自由に選ぶことができた。これは協定校間で決めていることであり、両方の担当指導員から許可がおりれば問題ないとのことだった。

出発前に、先生方から「日本と異なる生活に慣れ、英語の授業を十分に理解するのは大変なので、授業を詰めすぎない方がよい」という アドバイスをいただいていた。どの 授業を 受けるか日本で決めていかなければならず、授業名が載った表からいくつか決めていった。しかし、1つの授業が日本の大学のように1学期間続くわけではなく、その授業の頻度も期間も不規則に行われたため、予定通りには進まなかった。決めていた授業だけでは授業時間がかなり少なく、授業が1つもない期間ができてしまうことがわかって、変更しながら履修していった。授業が始まってからしばらくの間は、時間割を次の週までしかもらうことができず、見通しが立たなくて授業の選択が難しかった。その後も先の予定がわかるまでには時間がかかり、ある授業は3ヶ月ほど経ったクリスマスの頃、授業の一週間前に突然告知があり、短期間に凝縮して授業が行われた。

授業の内容

アールゼメティエでは英語で授業を受けた。マスタ―コースの1年目は基本的な内容が多く、専門ごとに科目を選択する授業は少なかった。5つの専攻からバイオメディカルエンジニアリングを選んでいる学生が1人しかおらず、バイオメディカルエンジニアリングに関する授業は開講されなかった。彼女は担当の先生と相談してプロジェクトを行っていた。フランス語で開講されている関連授業や、協定を結んでいるパリ近郊の他大学の授業を受講する選択肢もあるそうだ。様々な面で決まっていないことが多く、対応の柔軟性を感じた。一方で、曖昧なまま振り回されることも多かった。

私が半年間で受講した授業はCAD、Solid Mechanics、Product Design、Bibliography Technology、Project Management、Career Development、Communication in English、フランス語である。

CADの授業はCATIAを使った演習をした。時間外にも積極的に課題に取り組んで、十分に演習できた。Solid Mechanicsは難しかったが、先生の教え方がわかりやすく、きちんと理解できた。Product Designは短期間に集中した授業だった。グループワークを行い、期間の短さに対して想像以上の成果だと評価された。だが楽しみにしていた授業だけに、慌ただしく終わってしまったのが残念だ。

Bibliography Technologyは韓国と中国からの留学生と一緒に「アジアにおける自動運転自動車と音声支援システム」に関して調査し、ポスター発表を行った。先生方が私たちの発表に特に関心を持ってくださって 、満足のいく調査と発表ができたと感じている。Project Managementの授業では、プロジェクトを行う際に気をつけるべきことを学んだ。今まで習ったことのない内容で興味深かった。最終試験では、授業と離れた問題が難しい英語で問われ、よい成績は残せなかった。Career DevelopmentではCV(アメリカやフランスなどの履歴書)の書き方を学んだ。CVの課題は満足のいく形に仕上げられたが、授業中に発言することがあまりできなかったのが反省点である。同じ教員が担当したCommunication in Englishでは、fake paper と呼ばれる科学論文を書いた。インドネシア出身のクラスメイトとウェブアンケートを行い、「地理の知識とその他の知識、今までの経験にどのような関係があるか」をまとめて発表した。英語のプレゼンテーション能力をもっと磨きたい。

フランス語の授業は、クラスメイトの中でフランス語能力にレベル差があり、回数も少なかったため、予想していたものとは少し違った。フランス語で行われる企業説明のプレゼンテーションや研究発表を聞きに行った。授業も 発表も上級者に合わせた内容で、なかなか聞きとれず悲しかったが、必死に食らいついた。フランス語は今後も学習を続けていきたい。

日本祭り

私の前に 筑波大学からアールゼメティエに留学していた女性の紹介で、日本好きの先生が企画した日本祭りに参加した。これは、日本の非営利団体とパリ郊外のムードン市により2日間にわたり開催された、現代日本のアートや食、音楽を楽しめるイベントだ。私は急遽来られなくなった人の代わりに、折り紙のブースを担当した。最初はフランス語で話しかけられず、他の人が折り方を教えているのをただ見ているだけだった。少しずつ慣れて1人で教えられるようになり、最後にはフランス人の子供たちがたくさん集まって来た。大変貴重な経験になった。

旅行

Toussaintのバカンスとクリスマスのバカンスの間に、フランスのアルザス地方、ベルギー、ドイツ、スイス、スロベニア、イタリアを訪れた。ヨーロッパは陸続きで移動時間が短く、入国手続きが何もないため、他の国へ行きやすかった。他の国へ行くと、ヨーロッパの中でのフランスを客観的に見ることができておもしろかった。特にクリスマスの時期は様々な地域のクリスマスマーケットを訪れたが、地域によって雰囲気が大きく異なったのが印象的だった。旅行は主にヨーロッパ留学中の高校時代の友人としたが、一人で行ったところもあるし、年末にパリに来た家族とも旅行をした。

スポーツ

寮の地区に体育館があり、安価で様々なスポーツを登録することができた。私は時間割の様子が分かり、生活にも少しずつ慣れてきた11月頃からヨガとバレエをしていた。指示がフランス語で最初は聞き取れず見よう見まねだったが、だんだん言葉も覚えることができて楽しかった。

写真は日本祭りの折り紙ブースの様子と、パリに来てから初めて一人で旅行したベルギーのグランプラスの様子である。



留学を終えて、自分自身の成長を実感したエピソード

留学中様々な経験をしたが、マルシェでの経験が印象に残っている。私はパリで日曜日にマルシェに行って野菜などを買っていた。最初に行ったときは話すことが怖くて、店員さんと話さずに自分で選んで詰めて買えるお店に行った。2回目には、フランス語が通じなくて英語で会話して買い物をした。そのお店のお姉さんがとても親切だったため、また 同じお店に行って、少しずつ買いたいものをフランス語で伝えるように努力した。上手くいかなくて落ち込んでいるときもマルシェに買い物に行き、そのお姉さんと話すことが楽しみになった。私のことを覚えていつも話しかけてくださった。私が 知らないフランスの野菜の名前や調理法を聞いてみたりした。お姉さんはおまけで野菜をくださることもあった。名前も知らないが現地の人と知り合いになり、フランスの生活に触れて、フランス語で話すことができた。お姉さんの話をすべて理解はできなかったが、簡単な会話ができるようになって嬉しかった。日本へ帰る時には寂しいとも言ってくださり、とても貴重な経験だった。私が日本で外国の方に会った時に、そういった優しさを持ちたい。



留学費用

  • 往復の渡航費と最初の宿泊費:21万
  • 寮費:月605.01€(≒83000円)

パリはどこも家賃が高かった。寮ではなく同じ国から来ている人とシェアハウスをしている人が多かった。水道料金や光熱費、Wi-fiの費用も併せてこの値段は安い方だと聞いた。寮の登録時に保証金等で900€支払い、帰国後700€ほど返金された。

保険料:280€(≒40000円)

日本でも海外旅行保険に加入していたが、学校で社会保険、寮で住宅保険に加入しなければならなかった。

  • 奨学金:月10万円 JASSO協定派遣奨学金
  • 交通費:月72.5€(≒10000円)パリ市内を全て移動できる定期券NaviGo

26歳以下の学生は、半額程度に割引されたimagineRという定期券を購入することができるが、1年単位でしか買うことができず、最低1年滞在することが必要だった。銀行の引き落としが1か月ごとなっていて、半年間でも購入できると言っている友人もいた。駅員に聞いてもよくわかっておらず、仕組みが複雑である。

通信費:月19€

月19€のSIMカードを購入していた。SIMFreeのスマートフォンを日本から持参し、このSIMカードを入れることでテザリングを使って、外出先での連絡手段としていた。

食費:月5万円程度

パリはレストランで食べると最低でも15€(≒2000円)くらいと高価だったため、あまり外食はしなかった。お昼は学内のカフェテリアで食べることが多かった。朝はパンを買っておいて、夜は野菜のスープなどを作って食べていた。CROUSや寮にある学生向けのレストランはかなり安く食べることができた。(3.25€≒500円)

留学先での住居

パリの14区のCité Universitaire(国際大学都市)にあるMaison des Arts et Métiers という寮に滞在した。この寮はアールゼメティエに通う学生が住むことができる。留学生もいたが、フランス人学生が多いように感じた。

私は一人部屋だった。複数人の部屋もあったが、ルームメイトと仲良くなれなかった場合が心配で、一人部屋を希望した。一人でご飯を食べるのが寂しかったため、ルームメイトと過ごすのも良いのかなと後から思った。

寮を探していた時にマッソ―先生からMaison des Arts et Métiers(アールゼメティエ館)とMaison du Japon(日本館)に申し込むことを勧められた。この2つの建物は両方Cité Universitaireにあるが申し込みは別々であるため気を付けなければいけない。申し込みはまずインターネットで期日までに必要事項を入力する。私は両方に申し込んだが、日本館からは何の連絡も来なかったため諦めた。おそらく日本館は申し込み締め切りが早く、留学許可が正式に決まる前から準備をして申し込む必要があると思われる。アールゼメティエ館は申し込みの際に予約金や保証金を払わなければならなかった。私はインターネット経由で900€振り込んだ。「留学費用」で述べた通り、この保証金はほとんどが返金された。

日本を出発するまでにアールゼメティエ館から許可のメールが届かなかったため、寮が決まらないままパリへ発った。パリに着いてからマッソ―先生がアールゼメティエ館に電話をしてくださり、その日に滞在許可がおりた。ちなみにアールゼメティエ館はアールゼメティエとは別の団体が運営しているため、学校からの斡旋等はない。

セキュリティーは厳しく、部屋に入るまでにカードキーを3回かざす必要があり、管理人が1人は常駐していた。私がパリに着いたころ、ちょうど改築工事が終わりかけたところで、部屋は誰も使っていない、きれいな状態だった。キッチンとユニット型のシャワー、トイレ、洗面所が部屋の中にあり、ベッドと勉強机、折り畳みの机もあって、十分な広さだった。初めの1週間はWi-fiが利用できなかった。寮の建物内に設置された洗濯機も1ヶ月 程度は使えない状態で、私は洗濯物を手洗いしていた。洗面所の鏡も1ヶ月程つかないままだった。頻繁に寮の関係者や工事担当者が部屋に入って来て、落ち着かなかった。カーテンがついていた窓と何もついていなかった天窓に、ある日突然ブラインドのようなものがつき、帰宅したらベッドの上にネジがたくさん落ちていた時はショックだった。比較的快適に生活できたが困ったことは、私の部屋が地上階で、人が集まるラウンジと中庭に面しており、深夜までパーティーが行われるとなかなか眠れなかった。

留学先での語学状況

授業は英語で受講した。留学前TOEFL-iBTテストのスコアは72で、インターナショナルマスターコースに入学するために必要なスコアである80を満たしていなかった。最初はクラスメイトとの会話でもうまくできなかったが、話しているうちにだんだん思ったことを伝えられるようになった。授業中は先生にもよるが、聞き取りに苦戦した。また 聞き取り理解することで精一杯で、なかなか発言できなかった。ヨーロッパ出身のクラスメイトは英語 力が高く、大多数の中で自分の意見を発言することに慣れていて、その中で発言することが難しかった。専門科目の講義での発言は、わからない点の質問が多いが、英語を学ぶ授業では自分の考えを話せないと授業に参加できず、もっと英語力が必要だと感じた。

生活では フランス語を使った。フランス語は以前から勉強してはいたが、全く十分でなく、最初はとても大変だった。特に話す力が不足していて、日常生活で必要なことを伝えられずに困ることが多かった。週3回夕方からパリ市が行うフランス語講座に通ってフランス語の上達に努めた。帰国時には流暢にとは言えないが、困ったときに自分の意思を伝えられる程度には話せるようになった。語学に問題がなければ、留学中の不安は減ると思う。

単位認定(互換)、在学期間

卒業のための単位としては、留学中に修得した単位を認定(互換)する必要がない。私はJASSO協定派遣奨学金を受給したため、単位認定の必要があり、今後成績証明書が届き次第行う予定だ。在学期間の延長は行っていない。

就職活動

就職活動は全く行わなかった。派遣交換留学以外の留学生は春からインターンをする必要があったため、フランス語の授業の一環としてフランス企業の説明会を聞きに行ったり、英語やフランス語での履歴書やカバーレターの書き方を学んだりして、自分の将来を考えるきっかけになった。帰国後、短い時間ではあったが留学後の進路を考えた。学部就職も選択肢にはあったが、更に専門的な学習を進めたいため、院進学を考えている。強い気持ちがあれば、帰国後から就職活動をすることは、時期としては不可能ではないと思う。しかし、3年次の夏は留学前準備が忙しく、インターン等に参加する余力はなかった。就活をする学生は、秋冬に情報収集やインターンをするが、そういった余裕もなかった。院進学をする予定で、インターンに参加する人も周囲にある程度いたが、私は就職に関して考えることができなかったため、これから考えていきたい。

留学先で困ったこと(もしあれば)

大きなトラブルに巻き込まれるようなことはなかったが、文化の違いで困ったことは日常的にあった。例えば、日本では肉が薄切りで売っているが、塊や骨つきでしか売っていなかったため、どのように調理すればよいのか悩んだ。また、最初に生活の基盤をそろえることが大変だった。一人暮らしをしたことがなく、「どの鍋を買ったらよいのか」といった小さなことから苦戦した。IH対応でなければならなかったが、適当に違うタイプを買って焦げ付かせたり、コンロで火がつかないほど底が小さいフライパンを買ったりした。掃除用具も、クイックルワイパーのようなもののシートはどこにでも売っているのに、本体を見つけるのに1ヶ月ほどかかった。1番大変だったのはバスやメトロに乗るための定期を購入することだ。仕組みが複雑できちんと理解できていなかったのと、フランス語力の不足から、半月しか使えないにも関わらず1ヶ月分の金額を支払ってしまったこともあった。他にも住宅手当や数々の保険の申し込みが難しかった。他には、冷蔵庫の製氷機を冷凍庫と勘違いして使い、部屋に 水漏れしたり、セントラルヒーティングの暖房が故障し、自分で簡易暖房機を組み立てたりした。

留学を希望する後輩へアドバイス

東工大からは留学する学生が少ないと思います。また、理系で学部生の間に長期留学する人も少ないと思います。周りの理解を得づらいかもしれませんし、勇気のいることだと思います。でも私は今思い切って留学してよかったなと思っています。上手くいったことばかりではないですが、いろいろなことを経験することができました。いろいろな人に会っていろいろな話を聞くことができました。少しでも興味のある人は是非長期で留学してみてください。

お世話になったマッソ―先生と

お世話になったマッソ―先生と

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