派遣交換留学 ストラスブール大学 2016年8月13日~2017年5月16日

派遣交換留学 ストラスブール大学 2016年8月13日~2017年5月16日

留学時の学年:
修士課程2年
東工大での所属:
大学院 社会理工学研究科 社会工学専攻
留学先国:
フランス共和国
留学先大学:
ストラスブール大学
留学期間:
2016年8月13日~2017年5月16日
プログラム名:

留学先大学(機関)の概略

1538年に元となる学校が創立され、1621年から大学となりました。1971年以降3大学に分かれていましたが、2009年に再統合。2017年現在46000人以上の学生が在籍し、約20%が留学生です。また研究者は約4600人在籍しています。ちょうど留学中に、つまり東工大と同じ2016年にノーベル賞受賞者が出て話題になっていました。

留学前の準備

全体の計画としては、修士2年の8月からの留学なので、留年していわゆる修士3年の6月中に帰ってくる予定を組んでいました。就活時期が被ってしまうため、民間就職は難しいと判断し、国家公務員試験を留学前に受験し、合格から3年間有効な制度を利用してその間に留学しました 。そして7月の官庁訪問前に帰国して、準備をして官庁訪問に望み、就活後の8月以降に修士論文に集中し、翌年3月に卒業するという予定を組みました。

ストラスブール大学を選んだ理由は、そもそもフランスに語学留学以外の留学をしたいと考えていて、ちょうど研究に関わる人口学の知識が東工大では得られないことから、東工大が交換留学協定を結んでいるフランスの大学の一覧から、ストラスブール大学を選びました。具体的には、もともとフランス語を中学から勉強していたため、大学のリストを参考に自分で各大学のホームページをフランス語で見て、人口学の講義があるか、あれば充実しているかを確かめました。結果的にストラスブール大学しか人口学の講義はなかったので、ストラスブール大学を選びました。

専門知識に関しては、東工大では社会工学専攻、つまり経済学が専門のため、人口学の知識には疎く、それを解消するのが留学の目的でしたので、日本語の教科書を少しだけ読んだだけで、現地での教育に任せました。

語学に関しては、学部3年の後期に、フランスのディジョンにあるブルゴーニュ大学付属の語学学校に私費で語学留学していて、そのお陰でDALF C1を持っていたため、十分な語学力があると判断していました。

ビザの取得に関しては、既に前回の語学留学で経験済みだったのでスムーズに行えました。具体的な方法は、在日フランス大使館のホームページで必要事項を全て記入し、大使館訪問の予約を取り(2週間先まで埋まっているので要注意、水曜日の午前だけ交換留学者のみ予約無しで受け付けていますが 、予約者が全て終わった後に呼ばれるのでものすごく待たされる覚悟が必要です)、必要書類を提出して写真をその場で撮られ、後日パスポートにビザが貼り付けられて郵送されてきます。フランス到着後にそのビザを滞在証明書にする手続きがあり、これがとても面倒なうえに自分で出頭する日を選べないのに健康診断が強制されて半日消えます。

住居に関しては、交換留学だったのでストラスブール大学の寮の新しい良い部屋に優先的に配属されました。当時はシステムの不調で、全て書類に記入してメールで提出しましたが、今年からはビザの申請と同様に必要事項を全て指定されたホームページで記入して申請する方法が取られているそうです。

留学中の勉学・研究

社会科学部に留学という形でしたが、受講したかったのはその中の人口学科の講義だけでした ので、人口学科の講義を全て履修登録し、最終的に興味のわいた講義だけ最後まで出席してテストを受験した。興味があったのは出生や死亡に関する分析手法で、移民や難民に関しては興味が無かったので、前期は全講義のうち半分ほどしか受講しませんでしたが、後期は主に出生や死亡に関する講義で、さらに情報実習の講義が増えたためほぼ全ての講義を受講しました。

留学中に行った勉学・研究以外の活動

8月の語学研修と新学期の間の休みに、リールとパリへ。10月の諸聖人の日の休暇に、パリ、ヴェルサイユ、モン・サン・ミシェル、レンヌへ。12月のクリスマス休暇に、ドイツ巡り(フランクフルト、ハイデルベルク、ケルン、ライプニッツ、ベルリン、ドレスデン、ニュルンベルク、ローテンブルク、ミュンヘン、フュッセン、ノイシュバンシュタイン城)。2月の冬期休暇には、ルツェルン(スイス)、ディジョン、リヨンへ。4月のイースターの休暇には、ボルドー、バイヨンヌ(フランス南西部からスペイン北西部にかけてのバスク地方のフランス側)、サン・セバスチャン(バスク地方スペイン側)、バルセロナへ。そして最後に期末テスト後の4月末から、パリ、マルセイユ、ニース、ミラノ、ヴェローナ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマ、ナポリ(カプリ島とポンペイも)、バーリ、アルベロベッロ、ドゥブロヴニク、パリとイタリア方面一周。

それ以外にも、日帰りで、ワインツアーでストラスブールのあるアルザス地方を一周したり、ストラスブールの近くのアグノーという街に行ったり、スイスのバーゼルに行ったりしました。

留学を終えて、自分自身の成長を実感したエピソード

DALF C1を持っているので、フランス語は余裕だろうと最初は舐めていました が、フランス語のみの専門の授業はそう易しいものではありませんでした。もちろん他のフランス語が出来ないで留学に来ている日本人学生とは違い、殆どの内容は理解できました が、100%完璧に理解し、テストで高得点を取ろうとするのは大変でした。そのために、全ての講義を録音し、中間テスト前には一字一句分からない部分がないように何度も 聞き直してノートを作りました。一つあたり12〜24時間の講義が行われたので、当然その数倍の時間がかかり、テスト前の1〜2週間は朝から晩まで録音を聞き続けていました。それでも最初は20点中10点しかとれず辛かったですが、前期の期末では15点前後取れ、そのお陰でフランス語力がもっと伸びて、後期は普通にノートを取るだけで完璧に内容が分かるようになり、後期の期末では幾つかの科目で満点を取ることが出来るようになりました。

留学費用

渡航費、保険料ともに20万弱。
生活費は食費が月に4万、日用品などの雑貨が月に1.5万ほど。
住居費(寮費)は月に3.5万。
奨学金は月に15万いただきました。

留学先での住居

大学付属の寮に入れていただきました。たまたま所属学科の講義等が一番寮の近くであったので、徒歩5分以内の距離でした。

申込は、私の時はシステムトラブルで書類手続きでしたが、今は交換留学を申し込む画面でまとめて申請するシステムだと聞きました。また、老朽化から改築が一気に進み、不便な寮に配属されがちな様です(旧市街から外れた大学からは遠いですが、逆に旧市街には近くなり、利便性はずっと良くなっている様です)。

個人部屋のためルームメイトは居ませんでしたが、留学生が優先して良い寮に配置されるため、自然とアジア人が集まり、共通のキッチンなどを通じて交流が進みました。

フランスの国立大学の寮は基本的にどこもCROUSという団体が運営していて、基本的には風呂トイレもキッチンも共同の最安プラン(150€前後)から、キッチンだけ共同の中堅プラン(250€前後)、そして全て部屋にある最上位プラン(400€前後)があります。私は中堅プランにしました。共同スペースはどうしても荒れ果てるので、値段とあわせ、何処まで許容できるかよく考 えてから選択してください。

留学先での語学状況

ストラスブール大学の普通の学科に留学することを希望するのであれば、フランス語が必須です。経営学科のEcole de management(通称EM)だけは英語で授業が行われています。留学前にDALF C1を持っていましたので、日常生活には苦労しませんでしたが、専門用語には最初の1ヶ月は本当に苦労しました。そこの壁を越えればあとはひたすら勉強するだけという自分の土俵に持ち込めたのでなんとかなりました。

単位認定(互換)、在学期間

指導教官とも相談しましたが、専門が違う学科の講義を受けに行ったため、対応するものが全くないので互換できませんでした。

修士2年の夏から留学したため、帰国時に自動で留年しました。帰国後すぐに休学し、修士論文の審査申請を出す直前に復学する予定です。

就職活動

パリで開催された就活向けのイベントに参加しましたが、それ以外には現地では特に活動しませんでした。

留学先で困ったこと(もしあれば)

海外で一人暮らしをすると食事がいい加減になり、風邪をひいて何日も高熱で寝込んだので、食事は何人かで持ち寄り型にすることを強く勧めます。

留学を希望する後輩へアドバイス

最近の欧米はテロで恐れられていますが、ストラスブールは東京よりも安全なぐらいでした。これはフランス人視点でも驚きのようです。ストラスブールは、交易都市としてとても豊かで、かつ今は地方都市のため物価も低く、美味しいワイン、美味しい食事、そしてとても安全な街、と留学するならストラスブールしかないといえるぐらいとても良い街です。是非オススメです。日本の総領事館もあり、日本語ができる人も多いので、語学に不安な人でも何の問題もありません。勉強もクラスの友達が必ず教えてくれます(どの学科の日本人も助けられていました)。

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