派遣交換留学 パリ建築ラヴィレット校 2022年8月29日~ 2023年8月26日

派遣交換留学 パリ建築ラヴィレット校 2022年8月29日~ 2023年8月26日

留学時の学年:
修士2年
東工大での所属:
環境・社会理工学院 建築学系建築コース
留学先国:
フランス
留学先大学:
パリ建築大学ヴィレット校
留学期間:
2022年8月29日~ 2023年8月26日
プログラム名:

留学先大学(機関)の概略

パリ・ラ・ヴィレット建築大学は、1969年に設立された建築の高等教育を行う国立大学である。
ラヴィレット公園の近くの元工場を利用した小さな校舎であるにも関わらず、学生数は2,000人を超え、フランス国内にある20余の建築学校の中でも最大規模。ヨーロッパだけではなくアジア圏からも留学生を多く受け入れている。都市計画・意匠設計・アート・哲学・エンジニアリングなど建築の分野に留まらない多岐に渡った授業を受けることができる。

留学前の準備

最終年度に1年かけて修士論文を書くため、そこから逆算して留学計画を決定した。就職活動も日本で行う予定だったため、ゆとりをもって大学院4年間で卒業する計画とした。
【留学計画】
M2夏―M3夏 留学
M3秋―M4春 インターン、就職活動
M4春―卒業 修士論文執筆

留学中の勉学・研究

授業登録有り。前期は授業メイン、後期はインターンをする計画だったためほとんどの授業は前期に履修した。

設計スタジオはセノグラフィーのコースを選択した。実際に行われる舞台の台本を読み解き、舞台セットに落とし込む課題だった。もちろん台本はフランス語で、内容もフランス人が読んでも理解が難しいものであったので苦労した。M2の授業だったからか周りの学生のレベルも高く、手描きのデッサンなど参考になるものも多かった。実際の脚本家や演出家による講演会とワークショップ、舞台の技術さんによるテクニカルエスキスなど日本の普通の建築学科にいたら受けられない授業だったと思う。私のグループは優秀作品にも選ばれ、舞台の公演期間に劇場のホワイエで展示され多くの人に見てもらう機会を得られた。

また、春季集中講座で学校のアトリウムに段ボールで作った橋をかける授業も印象に残っている。11mもの橋を段ボールで作るのは想像以上に大変で、心身ともにヘトヘトになった。4人で制作の方向性を一つにまとめるのにも苦労した。結果、アトリウムにかけた後渡る前に崩壊してしまいとても悔しい思いをした。梁を作る際に一気に巻かなかったことが失敗の原因であったと考察する。

後期は写真の授業をメインに履修した。最終的に完全オリジナルの写真集を作成した。この授業は上記二つとは異なり、個人での作業であった。私がヨーロッパを旅行した際に撮り溜めていた写真を写真集にしたので、この一年の集大成のような作品ができたと思う。

総じて、フランス語がもっと流暢であればより多くのことを学べたなと少し後悔しているが、これらの授業を受ける中でフランス語も成長できたので、授業の内容だけでない成果を得られたと思う。

留学中に行った勉学・研究以外の活動

学校から有志のメンバーでヴェネチアの手漕ぎボートレースに参加

留学生がたったの3人しかいない中、30人で夜行バスでパリからヴェネチアまで18時間かけて向かい1週間キャンプした。学校で学生が設計から制作まで行ったボートをキャンプ場から漕いで毎日ベネチアをまわった。最終日はベネチアの運河が手漕ぎボートで埋め尽くされ、お祭りのような雰囲気だった。6時間かけてベネチアを一周し、制限時間内に無事ゴールできた。一生できない体験でした!



ヨーロッパ中を旅行(友人と、一人旅)

半分はパリで出会った友人や、東工大の留学している学生と集まってヨーロッパ中を旅行した。残り半分はリュック一つで一人旅をした。フランス国内はもちろん東はギリシャ、アテネ・サントリーニ島、西はスペイン、ビルバオに行った。イギリス、イタリア、スイス、ベルギー、オランダ、デンマーク、フィンランドなどなど、、、。本当にたくさんの場所を訪れた。たまたま出会った人と旅したり、飛行機を何度も乗り逃したりトラブルも旅の醍醐味だった。

パリの建築家の事務所でインターン

結局学校との契約の関係でインターンは断念した。残念だった。

留学を終えて、自分自身の成長を実感したエピソード

語学面

はじめはスーパーの店員さんとの会話もままならず苦労したが、帰国直前にはシードル屋さんに行った時フランス語でおすすめの種類を聞き、味の説明を理解できるようにまで成長した。

語学面以外

旅先などで人に話しかけることを恐れなくなった。様々な価値観の人と触れ合う機会があったため、グループワークなどで意見が食い違っても妥協点を探せるようになった。

留学費用

総額 380〜450万円程度
【内訳】
渡航費 往復23万円
保険料 13万円
住居費 €411/月 →4ヶ月目から€170/月の家賃補助
定期代 €350/年 パリの電車乗り放題
生活費 7―11万円/月
他 衣料品、本、旅行代など

奨学金→JASSO 10万円/月×10ヶ月分

留学先での住居

CROUSというパリに多くある留学生用の学生寮に学校からの案内を通して入居した。
一人一室の完全分離型で、部屋にキッチンやシャワーも完備されていた。日本でのワンルームでの一人暮らしとほぼ同じ環境だった。ランドリーのみ1階に共用のものがあり、それを利用していた。(1回€4,5)

留学先での語学状況

授業、生活は基本フランス語だった。設計の授業はエスキスの際は英語で対応してもらい、質問があればメールを送っていた。その他の授業は現地の学生と仲良くなり、課題や授業の概要を英語で聞いていた。それに加え、授業中はボイスレコーダーで録音し文字起こしアプリを使って翻訳などできる限り理解できるように努めた。
友人との会話は英語を使っていた。半年ほど経つと慣れてきて、お店の人などと簡単なやり取りはフランス語で行えるようになった。
しかし、現地語ができないことの弊害は多くあったためフランス語検定3級レベルではかなり不足していると感じた。一方、英語は現地の先生や学生も苦手としている人が多かったので、伝え方や気持ち次第であると感じた。
[渡航時スコア:IELTS 6.0、フランス語検定 未受験(推定3級レベル)]



単位認定(互換)、在学期間

単位認定は行う予定だ。期間延長はせず、1年で帰国した。

就職活動

留学中、帰国後のサマーインターンのためにエントリーシートを書いたり、オンラインで選考を受けていた。結果、帰国3日後に1DAYのインターンに参加できた。
帰国後は国内での就職を目指して就職活動を行う予定だ。

留学先で困ったこと

やはり、フランス語ができないことが全ての大きな壁になった。住宅補助の申請がうまくいかなかったのだが、問い合わせ窓口の担当者が英語を話せず手続きにとても苦労した。結果、留学開始から半年以上経ってからようやく受給開始となった。手続きは不備なく行ったはずだが、友人も何人か同じ状況になっていたので運要素が強いと感じた。
また、パリ(フランス)では日本でも報道されるような大規模なストライキや暴動が頻発していたので、デモや暴動に遭遇しないように外出の際は気を配る必要があった。私は大丈夫だったが、友人は旅行の日とストライキが重なり大変そうだった。

留学を希望する後輩へアドバイス

大変なこともたくさんあったけど、それも今となってはいい経験だったと思えるので迷っているならぜひ留学してほしいです。留学を考え始めたら準備は早めにすることをお勧めします。(私は年明けてから留学準備を始めたので、最後の方はかなりバタバタでした。)フランスは言語の問題で諦めてしまう人も多いと思いますが、行ってしまえばやるしかないので意外となんとかなります!パリでしか経験できない美しい建物や美術館に囲まれた暮らしや、ヨーロッパ中を旅した経験は一生物になると感じています。頑張ってください!



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