研究
研究
vol. 13
大学院理工学研究科 物性物理学専攻 教授
理学博士
西森秀稔(Hidetoshi Nishimori)
「量子力学は、実に理解しきれない分野です。ノーベル物理学賞受賞者で量子電磁力学の創始者の一人としても名高いリチャード・P・ファインマン[用語1]も『量子力学を理解しているという人がいたら、その人は嘘つきだ』というコメントを残しているほどですから。」
従来型のコンピュータよりずっと速い可能性を秘めたコンピュータとして近年注目を浴びている量子コンピュータ。そのしくみと可能性について説明するにあたり、西森はその前置きとしてこう話した。
原子より大きな世界では、例えば川や海の水という「物質」が、流れや風によって波やうねりという「状態」を引き起こす。ところが、電子や陽子といった、原子レベルよりも小さな「量子の世界」では、物質と状態を明確に区別することができない。代わりに、物質の性質である粒子性と、状態の性質である波動性の双方が備わっている。さらに言えば、私たちになじみ深い物理法則である「ニュートン力学」は、量子の世界では通用しない。これら「量子」の性質に基づいた、なんとも不思議な物理が「量子力学」であり、それをうまく活用したものが「量子コンピュータ」なのである。
コンピュータは、突き詰めていくと「0」「1」、あるいは「オン」「オフ」といった2種類の状態しか取り得ないスイッチの集合体のようなものと考えられる。個々のスイッチは「ビット」という単位で数えられ、CPU(中央演算装置)などの処理能力を示す指標の1つとして活用される。現在、一般的に使用されているコンピュータでは、1つのビットが一度に示せるのは先の「0」か「1」のどちらかである。これに対し量子コンピュータでは同時に「0」と「1」の両方の状態を表すことができるのだ。
これにより何が起きるのか。一般的なコンピュータではNビットの00…00から11…11まで一つひとつ、全部で2のN乗回の計算を行う必要がある。つまり、Nの数が多くなればなるほど、莫大な時間がかかることになる。一方、同じ計算を量子コンピュータで行うと、個別計算ではなく、全て重なり合った状態で何度か演算すれば同等の解答が導き出せる。つまり、同じ計算を行うにあたり大幅な時間短縮が図れるのである。
「現在、私たちが使っているコンピュータにも、CPUなどの半導体製品に量子力学が活用されていますが、それはあくまで部品レベルの話です。量子コンピュータはソフト面、計算の方法そのものに量子力学の原理を導入するものです。膨大な数を短時間で計算処理できるという点で、従来のコンピュータとは異なる魅力を備えていると言えるでしょう。」
その量子コンピュータも、二つのモデルに大別される。一つは、一般に「ゲート方式」と呼ばれる量子回路モデルで、膨大な研究の蓄積があるものの、環境の影響(ノイズ)に極めて弱く、また実用化には数千万量子ビット以上の集積と精密な制御が必要になることから、本格的な実用化は数十年以上先の話になるといわれている。
もう一つは、1998年に西森が当時指導学生であった門脇正史と共同で提唱した「量子アニーリング」だ。このモデルは、与えられた条件を満たすような組合せ集合の中から最もよい組合せを探す問題(組み合わせ最適化問題)を解く手法の一つで、アルゴリズムを必要とせずに解を得ることができるという利点がある。量子コンピュータの実用化を大きくたぐり寄せた理論として、今では広く認知されている。
組み合わせ最適化問題を理解するには、「巡回セールスマン問題」という事例がわかりやすい。「巡回セールスマン問題」とは、一人のセールスマンが幾つかの都市を一度ずつ巡回訪問して出発点に戻ってくる際に、移動距離が最短となる経路を求めるというものだ。量子アニーリングでは「各都市を必ず一度訪れて帰ってくる」という条件を組み込んだ量子力学の式で問題を表して、並列計算で解を求める。その実用範囲は、例えば陸路や空路など輸送面での最短経路計算や、医療面では画像診断のスピードアップなど、実社会での応用範囲が実に幅広く、ノイズにも比較的強い。
加えて実装状況も数千量子ビットで済むことから、実用品としての普及についても視野に入ってきている。
「コンピュータの中にソフト的に変えられる部分を作っておいて、言語や画像に対して正しい反応が出ていくようにいろいろ例を教える。そういう『機械学習』と言われる分野にも役立つのが、最適化問題のすごいところです。」
今でこそ量子コンピュータ研究の最先端をいく西森も、高校の頃までは、物理については暗記科目のような印象が拭えず、好きだった数学のようにはなかなかのめり込めなかったという。その西森が東大理科一類から理学部に進学して選択した研究室は、同じ物理ではあるものの量子力学ではなかった。
「統計力学の授業を担当していた鈴木増雄先生が、自分が何を面白いと思っているかを、ものすごく情熱をかけて面白そうに話すんです。そこにまんまとはまってしまいました(笑)。」
研究そのものもあるが、それにも増して鈴木の人柄に惹かれ統計力学という分野に飛び込んだ西森は、当時流行っていた「スピングラス」の問題と出合う。これは、スピンと呼ばれるミクロな磁石が多数集まることで発生する磁性に関する問題であるのだが、結果的にこの研究に携わっていたことが、後の「量子アニーリング」理論形成へとつながっていくこととなった。きっかけは90年代に入ってからのこと。1982年に米国の物理学者ジョン・ホップフィールドが発表していた脳の神経回路の働きを数式で示した理論と、「スピングラス理論」との共通点を見出して量子力学の適用を思いついたことで、道が開けた。
「ちょっとしたヒントで、覚えていることがぱっと全部思い浮かんでくるということがありますよね。この脳の神経回路メカニズムの一端を数式で表すと、実に不思議なことに、スピングラスと非常に似ていたんです。」
その思い出すメカニズムを解明する手段のひとつが、アニーリング(材料開発のプロセスとして用いられる「焼きなまし」の意)であった。アニーリングの研究者は多数いたが、量子力学と組み合わせて研究している者は皆無だった。そこに西森は目をつけたことが、結果的に今につながっているのだ。
量子コンピュータをめぐる研究・開発は、ここにきてめまぐるしく動いている。2013年にはアメリカのGoogleとNASAがカナダのD-Waveシステムズによる世界初の市販量子コンピュータ「D-Wave2」を購入、2014年9月にはGoogleが自らハード開発に着手すると発表した。実は、これらの量子コンピュータ開発の根本的なアイディアが西森と門脇の理論に基づいていることが、近年世界的に認識されるようになっている。
「最適化問題の社会的なインパクトは、ものすごく広範です。現在のD-Wave 2というマシーンは、512キュービット。0と1が同時にある状態が512個並んでいるわけです。開発がうまく進めば、3、4年後にはある種の最適化問題に関しては現在のスーパーコンピュータでも解けない問題が量子アニーリングマシーンで解けるようになるかもしれません。」
最後に、学生たちに向けて、新しい知見や発明と出合う可能性を切り開いていくにはどのように取り組めば良いか、メッセージをもらった。
「まず、問題に出合ったら知っている方法で素直に解くことも大切ですが、接点のなさそうな視点から解答を導き出そうとしてみるといった具合に、過去問の解答集からは得られない自由な発想を持ち込んでみる。新しい発見とは、そういうところから生まれてくると考えています。研究でも、勉強でも、そういう観点で臨んでみてください。」
用語説明
[用語1] リチャード・フィリップス・ファインマン(Richard Phillips Feynman, 1918-1988) : アメリカ合衆国出身の物理学者。1965年、量子電磁力学の発展に寄与したことにより、ジュリアン・S・シュウィンガー、朝永振一郎とともにノーベル物理学賞を共同受賞している。
西森秀稔(Hidetoshi Nishimori)
大学院理工学研究科 物性物理学専攻 教授
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2015年4月掲載