研究
研究
vol. 43
環境・社会理工学院 土木・環境工学系 教授
吉村千洋(Chihiro Yoshimura)
地球温暖化、プラスチック汚染、生態系の劣化など、環境問題は広域化また複雑化している。その多くは水に関わりがあり、日本を含めた全世界において喫緊の課題となっている。
2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標SDGsでは、「安全な水とトイレを世界中に」「海の豊かさを守ろう」といった目標が掲げられ、昨今、水利用や水環境の改善に向けた取り組みが世界的に活発になっている。
このような中、長年にわたり、河川や湖沼を中心に水環境の研究を進めてきたのが、環境・社会理工学院 土木・環境工学系の吉村千洋教授だ。
「将来、社会インフラなど人々の暮らしや生活に直結する分野で貢献したい。そう考え、大学で土木工学科を選び、河川や湖沼などの水環境を扱う環境水質工学の研究室に入りました。以来、私はこの研究テーマに取り組んできました」吉村千洋教授はこう語る。
水環境という対象には、河川や湖沼だけでなく、その周辺で暮らす人々の活動と、それにより影響を受ける生態系も含まれる。そのような水域生態系を、水の安全性と生活環境という視点で捉え、地域社会と自然の関係をいかに持続可能にするかを考える。それが、吉村の研究だ。
現在、吉村が特に力を入れて取り組んでいるのが、「環境光化学」「水質モデルの開発」「生態系機能評価」の3つである。その内容を順番に紹介していこう。
まず、1つ目の環境光化学とは、自然環境における光化学反応を扱う研究だ。光化学反応とはその名の通り、光エネルギーによって起こる反応で、吉村は水環境で生じている光化学反応の解明と工学的利用を模索している。
河川には、農薬や医薬品などの有機化合物が、各種排水や下水道を通して流れ込んでいる。そういった物質は水域生態系で内分泌撹乱や生態毒性を示すものが多くある一方、それらの一部は光化学反応により分解される。光化学反応は植物プランクトンや藻類などの光合成がよく知られるが、光照射下の水中では、生物が介在しない光化学反応も常に生じている。このような光分解は微生物による生分解と合わせて、環境の“自浄作用”として認識されている。
加えて、近年、マイクロプラスチックが海洋汚染を引き起こしており、そのプラスチックも主に光分解と生分解の2つの作用により環境中で分解が進むことが知られている。このように、水環境において光化学反応は重要な反応であり、生物や物質の光化学反応のプロセスが解明されれば、化学物質、水環境、生態系の管理が改善できる。
水環境における有機化合物の分解プロセス。光化学反応と細菌による生分解があり、光化学反応には直接的光分解とラジカル※1を介した間接的光分解に分けられる。(Zhongyu Guo, et al., Water Research. (2022)より、和訳のため一部改変)
しかし、水環境における光化学反応は、その解明があまり進んでおらず、汚染物質の管理や規制が行き届かない1つの要因となっている。そのため吉村は、環境光化学を研究することで効果的な水環境の管理方法を提案し、さらに水環境での光化学反応を応用することで新たな水処理技術の実現にもつなげたいと考えている。
研究室では、国内外の河川や湖沼での調査、実験室での環境光化学に関する実験、そのモデル化を有機的に組み合わせて知見を積み上げている。光触媒を活用した水処理において、水中の光化学反応との相乗効果を引き出す技術が開発できれば、例えば、「発展途上国や山岳地域など電気が使えない地域でも、太陽光さえあれば安全な水が確保できるようになることが期待されます」と吉村。
光触媒反応装置。装置の中央にキセノンランプがあり、太陽光とほぼ同じスペクトルの光を放射している。その周りに試験管を設置して光化学反応を生じさせることができ、さまざまな水環境の水質条件で生じる光化学反応を再現することが可能。つまり、その水に含まれる有機汚染物質が光化学反応によりどのように変化するか、濃度の時系列データを得ることで反応経路や反応速度などが解明できる。
次に、2つ目の水質モデルの開発について説明しよう。これは、水環境を数値モデルを使って記述するという取り組みだ。吉村は湖水を対象に水質モデルを構築。それにより、例えば、湖に汚染物質が流れ込んだ場合、時間の経過とともにその物質がどのように拡散していくか、また、水中での生物の現存量がどのように変化していくかを、シミュレーションにより予測できるようにした。それら濃度の時空間分布の可視化も可能だ。ちなみに、現在、湖にターゲットを絞っているのは、河川に比べて水中での化学反応および生物反応が表れやすいためだという。
その成果の1つに、吉村が代表となり、2016年4月~2022年3月まで実施したカンボジアのトンレサップ湖を対象とした国際プロジェクトがある(JST/JICA-SATREPS)。
カンボジア トンレサップ庁で行われたトンレサップ湖の環境管理に関する会議
トンレサップ湖は、カンボジアの中央部に位置し、全長約100 ㎞、東南アジア最大の面積を誇る。そこでは、湖とその氾濫原を利用して人々が農業や漁業を営んでいる。また、一時的に浸水する広大な氾濫原は、メコン川流域の生物多様性の維持に重要な役割を果たしている。しかし、ここ10年余りの間に流域での各種開発が進み、湖の環境汚染が危惧され始めているのだ。
トンレサップ湖の水上集落
現地での土砂動態の調査
現地での土砂動態の調査
吉村は、プロジェクト開始の経緯について「2016年、最初にトンレサップ湖を訪ねた時には、川の上流域でダム開発や水力発電所の建設も進められており、湖への影響が懸念されていました。当時、この湖は豊かで貴重な生態系で、世界自然遺産に登録すべき価値のある場所だと感じました。そのために必要な湖の特徴を科学的に解明し、それを保全に生かすことは非常に意義のあることだと考え、カンボジア工科大学の研究者と共同研究プロジェクトを開始しました」と語る。
「当時から問題となっているのは富栄養化※2であり、それにより生物や有機物が過剰になるという問題でした。水道水や農業用水としての利用が難しくなるだけでなく、富栄養化の結果として酸欠が生じると魚の生産量が著しく低下するため、栄養源となっているリン酸塩などの動きをとらえる必要がありました」
このプロジェクトの中で、吉村は学内外の研究室と共同で、川から湖に流入してくる水やさまざまな物質の動きを水質モデルとして構築し、シミュレーションにより再現できるようにしたのだ。
トンレサップ湖の植物プランクトン濃度のシミュレーション。季節的な浸水パターン、土砂動態、リン動態に基づき、植物プランクトン濃度の時空間分布を再現している。
このように構築した水質モデルは、パラメータを変えるだけでさまざまなシミュレーションが可能だ。例えば、地球温暖化が進んだ場合の湖の水環境の変化も予測できることから、吉村は、この水質モデルを、日本国内をはじめとする他の湖にも適用していく計画だ。
「現在日本では、水環境の管理は通常、水質や生物種を調査する“環境モニタリング”が基本です。環境モニタリングは、環境が変化した際、その生態系への影響を明らかにする重要な作業です。しかし、どうしても対策が後手に回ってしまいます。それに対し、悪化してから改善するのではなく、シミュレーションにより将来を予測することで、事前に有効な手段を講じることができます」
例えば、日本にはダム湖が約3,000カ所ある。現在は環境モニタリングによる水質管理が基本となっているが、今後、水質モデルを適用することで、より合理的な環境管理が可能となる。そこで、現在吉村は、2021年4月~2023年3月までのプロジェクトとして、一般財団法人水源地環境センター(WEC)と共同で「ダム湖表層における光化学反応の解明と有機汚染物質分解過程のモデル化」を進めている。このプロジェクトでも、特にダム湖におけるアオコ※3の発生と有機物の光分解反応を研究テーマとしている。
「これまではダム管理者がアオコの発生対策を試行錯誤しながら進めてきました。それに対し、水質モデルを使ってシミュレーションすることで、今後、効率の良い対策を講じることを可能にしたいと考えています。アオコの発生を抑制することで、各種水利用に対して望ましいだけでなく、ダム湖生態系の適切な保全にもつながるでしょう」
トンレサップ湖を対象とした国際プロジェクトは2022年3月に終了し、現在は、カンボジア工科大学に設置した組織がトンレサップ湖の保全管理を担っている。「環境保全研究では、現地の人が自立して自然環境の保全管理ができるようになることも重要で、それによって持続可能性を実現することができます。そのため、プロジェクトでは人材育成にも注力しました。彼らの研究成果や環境保全の取り組みに期待しつつ、今後の動向を見守りたいですね」
水上集落の村長らとの会合を実施。現地集落で調査協力を得ると同時に、現地調査を通じてカンボジアの若手研究者、大学生、現地住民に対して人材育成にも注力した。
では、3つ目の生態系機能評価の紹介に移ろう。吉村はこう強調する。「環境汚染の防止はもちろん非常に重要ですが、その先として、生態系機能をより発揮できる環境管理の実現を目指したいと考えています。これは、『生態系を健全に維持しながら、高品質の漁業資源が得られるようになる』など、生態系を維持しながら、社会への便益が増えるような環境管理の方法を考えるということです。そのため、生態系機能を組み込んだ水環境モデルを駆使することで、どのような環境管理を行えば“生態系サービス”が高められるかといった課題に取り組んでいます」
生態系サービスとは、生態系から人の社会が受けている便益のことで、近年注目されている概念だ。水や魚など社会が自然界に依存しているものはすべて生態系サービスに含まれる。例えば、水質モデルに魚の成長を記述するパラメータを追加することで「川の流域でこのような農業をすると最終的に漁業生産がこれくらい変化する」あるいは「上流のダム湖で水をどれくらい使えば、魚の生産量が維持できなくなる」といったことがわかるようになるという。
また、シミュレーションにより水環境の周辺住民の便益を見える化し、定量的に将来を予測ができるようになれば、水環境を最適に社会に活用できるようになる。これは近年、“グリーンインフラ”や“自然に根ざした社会課題の解決策(NbS : Nature-based Solutions)”と呼ばれる、自然や生態系の仕組みをうまく社会に活用していこうという考え方だ。それにより、二酸化炭素排出量も下がり、持続可能な社会の実現にもつながるという。「自然の一部に水環境があるわけで、そのためのツールを開発することで、社会に貢献したいと考えています。それが結果的に、SDGsの目標につながればよいと考えています」
生態系サービスの水域生態系モデルへの統合。各種環境モデルを改良・統合し、生態系機能や生態系サービスを定量的に評価可能とすることで、持続可能な社会の実現に貢献する。※ Nature-based Solutions(自然に根ざした社会課題の解決策)
吉村は研究の醍醐味をこう語る。「博士課程2年目の1年間、スイスの連邦環境科学技術研究所に留学しました。そこは水や環境を扱う国立研究所で、そのとき初めて生態学の研究室に所属し、生態学の面白さを知りました。私は工学系出身でしたが、理学系の研究分野に触れたことで視野が大きく広がりました。実際、水環境は工学と理学の学際分野であり、両方の知識を学べるという点が大きな魅力の1つだと感じました」
また、現在、SDGsへの取り組みが世界的に活発化する中、吉村の研究への注目度も高まっている。「私の研究は、SDGsの17個の目標のうち、特に6番の『安全な水とトイレを世界中に』、14番の『海の豊かさを守ろう』、15番の『陸の豊かさも守ろう』が深く関係しています。とはいえ、SDGsにより私の研究内容が変わったということはありません。SDGsの目標はどれも、掲げられる以前から解決すべき重要な社会課題です。今後も持続可能な社会の実現に向け、水環境に関する研究を進めていきます」
最後に吉村は、研究者を目指す若い人たちに、次のようなメッセージを贈ってくれた。「私の場合、スイス留学が大変貴重な経験となったように、皆さんには学部から大学院まで同じ大学で過ごすより、留学したり、他大学に移ったり、社会に出るなど、積極的に環境を変え新しいことに挑戦することをおすすめしたいです。また、学生時代から周囲の考え方に流されることなく、自分自身の興味や問題意識に真剣に向き合ってほしいと願っています。その結果、視野が広がり、人生がより豊かになるでしょう」
不対電子を持つ反応性が高い原子や分子。活性酸素種を含む。
湖沼やダム貯水池などの閉鎖性の水域が、流域から、窒素化合物やリン酸塩などの栄養塩類を供給されることで、貧栄養から、栄養塩類の濃度が高い富栄養に移り変わる自然現象のこと。
富栄養化が進んだ湖沼等において、水面付近で微細藻類が大発生した状態。それにより水面が青緑色になる。
吉村千洋(Chihiro Yoshimura)
環境・社会理工学院 土木・環境工学系 教授
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2022年9月掲載