研究

腸内に住む菌の研究で大腸がんの早期発見法が見えてきた — 山田拓司

腸内に住む菌の研究で大腸がんの早期発見法が見えてきた 生命理工学院 生命理工学系 准教授 山田拓司

vol. 23

生命理工学院 生命理工学系 准教授

山田拓司(Takuji Yamada)

ヒトは菌で出来ている!?

「ヒトの身体の中には様々な細菌が住みついています。その種類は約1,000、数は10兆から100兆個と言われています。一方、ヒトの細胞の数は37兆個ですから、ヒトにとって細菌は単なる異物ではなく、ヒトの身体の一部でもあるわけです。細菌は自分とは別の生き物でありながら、自分の身体の一部として生きているのです。」と腸内環境を研究する第一人者である山田は言う。

「ヒトに常在する菌がヒトの身体に及ぼす影響は全て明らかになっているわけではありませんが、体内にいる常在菌の数が細胞の数の半分近くとなると、菌はヒトが行う活動に何かしら関わっていると考えるのが自然です。近年、ゲノム解析※1をもとにしたテーラーメード医療※2が行われていますが、ヒトにはその個人が持つゲノムとは無関係の菌が住んでおり、その菌は複製を繰り返しながら次々と入れ替わっています。また、常在している菌は個人によって違う。そうなると、医療としてゲノム同様、菌にも注目すべきではないかと思っています。」

菌の変化で大腸がんを早期発見

山田が今、最も精力的に取り組んでいる研究は大腸内の菌を調べることで、大腸がんの早期発見に大きな進歩をもたらそうとしている。

「ヒトの体内にいる常在菌は、重さでいうと約1.5 kg程度になりますが、そのうちの大部分が大腸にいます。これまでは腸内にいる菌は善玉菌、悪玉菌などに分類されていましたが、近年の研究ではそのように単純に分類できるものではないことがわかってきました。まだ、人体への影響が解明されていない未知の菌もたくさんあります。そこで注目したのが大腸内の菌と大腸がんの関係でした。胃がんの主要因のひとつがピロリ菌であるように、大腸がんにも特定の菌が関与しているのではないかと考えました。」

大腸がんは日本でも増加の一途をたどり、死因でみても上位に入る。その検査は便を用いた便潜血検査が一般的で、料金的には数百円と手軽にできる一方、検査の結果「大腸がんの可能性がある」と診断された人のうち、実際に大腸がんがみられる人は4%程度と精度が低い。内視鏡を使った検査はより効果的だが、費用がかかるうえに心理的な負担も大きく、積極的に検査を受けるといった状況にはほど遠い。腸内にどのような菌がいるか、すなわち腸内環境を調べることで、より手軽で安全に、大腸がんのリスクを早期発見することができるのではないか。山田はそう考え、近い将来、それが実現できるという手応えを感じている。

山田拓司准教授

「欧米の研究では、進行性大腸がん患者の腸内には、ある菌が増えていることがわかっています。そこで、国立がん研究センター、慶應義塾大学と協力して、内視鏡の検査データと腸内環境の遺伝子データを合わせる研究を行っています。」

大腸がんも初期の状態で発見できれば内視鏡手術での治療が可能となり、生存率を上げると同時に身体への負担を大幅に抑えることができる。研究は日・米・欧の国際コンソーシアムを組んで行われ、各国の患者のデータをとっているため、日本人独特の腸内環境の変化が明らかになる可能性もある。

「腸内環境の研究は具体的に進んでおり、研究成果を活かすことで検査データから大腸がんを早期発見することが視野に入ってきました。」

「バイオインフォマティクス」が生物学を変えた

こうした研究が近年急速に進歩しているのは、生物学(バイオロジー)と情報学(インフォマティクス)が融合して生まれたバイオインフォマティクスという研究領域がその理由の一つだ。バイオインフォマティクスとは、日本語では生命情報学とも呼ばれ、その専門家はバイオインフォマティクス研究者やバイオインフォマティシャンなどと呼ばれる。実験と計算機(コンピュータ)を使った計測技術を組み合わせて行われ、バイオロジーで生まれた課題を、インフォマティクスを駆使して解いていく。日本では2000年頃から一般的になった学問で、その当初から山田はこの分野でも第一線を走り続けてきた。

「他のあらゆる学問と同じく、生物学を探究する過程でも、古くから無数の実験が繰り返されてきました。もちろん、現代でも実験の重要性は変わりませんが、ここ20年、実験プロセスの高速化が進み、基礎実験の結果として生まれてくるデータ量が桁外れになったことで、その膨大なデータを解析するために、生物学に情報学の技術が融合されるようになりました。」

たとえば、遺伝子の配列。ヒトの遺伝子は、遺伝子の本体となるDNAの塩基対※3がチェーンのように連なって構成されており、ヒトゲノムは30億の塩基対からなっている。

山田拓司准教授

「ゲノムを解析する作業には様々な段階があります。その一つとして、すでに他の生物でわかっている遺伝子との比較があります。その作業は、言ってみれば30億の文字列の中から手元にある100文字(既知の遺伝子)を探し出すことに例えることができます。その解析でまず大切になるのは、30億という膨大な数の文字列の中からそれをどう取り出すのかです。」

山田がこのように言う通り、バイオインフォマティクスは、実験結果として集まったデータをまずデータベースに収め、それをどう整理するかから始まる。生物学では長らく、「実験データを出すところが最も大事」だと言われてきた。それが実験の結果、30億の文字列として出てきたデータが生まれるようになると、そのデータを解析し、その“意味”を知ることがより重要になってくる。そのためにはコンピュータでの解析が不可欠であり、「実験データを出すことが大事」という認識から、「実験で出たデータをどう解析するかが大事」という認識に、大きく変化した。

研究はチームプレーだが、研究の方向を決める“ドライバーシートに誰が座るか”が重要だ。チームが1台の車に乗っているとした場合、車が進む方向を決めるのはドライバーで、助手席や後部座席の人たちはナビゲーションなどの手伝いをする役割になる。これまでは実験生物学の研究者がドライバーシートに座り、バイオインフォマティクスを担う研究者は助手席や後部座席で研究支援を行うということが通常だった。

「それはバイオインフォマティクス研究者が生物学の観点から実験を総合的にデザインする難しさがあったからです。しかし現在では、情報学に強みを持つ研究者がドライバーシートに座り、新しい視点からのアイデアを取り入れた研究をリードすることが増えてきました」と山田は語る。

「たとえば腸内環境の研究で我々の研究室でも用いるメタゲノム解析と呼ばれる手法があります。これは特定の疾病患者の腸内にはどのような特徴があるかを知りたい、という課題に有効です。この手法はその環境にいる菌を全部細かく潰し、とにかく遺伝子配列を解読します。この時点ではその遺伝子はどの生物種由来か全くわかりません。得られるデータは遺伝子配列の「文字列」情報であり、この情報をコンピュータを駆使しパズルのように組み直して、ゲノム配列への再構成を試みます。そうすることで、雑多な遺伝子情報からどのような生物種がどの程度存在しているかを知ることができます。ひいては、健常者と疾病患者の腸内を比較して特徴を見出すことも可能です。こういったアイデアを出すのは、データ解析の技術を持つ情報学の研究者が得意です。生物学の課題に対して、情報学ならではの答えの出し方があります。」

図:メタゲノム解析

図:メタゲノム解析

知的な空間を広げる

山田拓司准教授

実は、山田は高校生まで文系の道を進んでいた。その一方で、山田の人生を生物学へと導くきっかけとなった疑問は、幼稚園の頃から頭の中にあった。当時、まだ幼い山田は、“ヒトの意識と身体の連動性”が不思議で仕方なかった。

「自分で右手を動かそうと意識すれば動かせますが、自分が意識をしても他人の右手は動かせません。その事実が不思議で仕方ありませんでした。ヒトの意識と身体はどんな関係になっているのだろう?ヒトに限らず生物の構造はどうなっているのだろう?ただ、その疑問は誰に聞いても自分の納得のいく答えが得られないままでした。」

その疑問を抱いたまま高校生になり、一念発起して文系から理系への大きな変換を決心し生物学を志して大学に入り、そのまま研究者として第一線を走り続けてきた。山田は研究を支える人材の育成と確保が最優先課題と考えており、実際、山田は東工大の学生への教育はもちろん、生物学のすそ野を広げ、よりたくさんの次世代の研究者を生み出す取り組みに熱心だ。2016年9月29日から10月1日まで開かれたバイオインフォマティクス学会では、その最後に一般公開講座を開催し、一般の方々にバイオインフォマティクスの周知をはかると同時に、高校生に参加を募り、「30年後のバイオインフォマティクスの研究」をテーマに発表をしてもらうという試みを行った。高校生達の新鮮で大胆な発表に山田は大いに勇気づけられた。このように、山田が高校生たちに向けて行っている取り組みには、かつての自分自身を目の前の高校生に重ね合わせ、若者が知の大海に漕ぎ出るきっかけになればという思いが込められているのかもしれない。

「仮に人類の知的な空間があって、それが円の形をしているとしたら、サイエンスはそれを広げ続ける仕事だと思っています。自分が研究者としてその円の縁にいて、円をポコンと広げる努力を続けるのはもちろん、多くの研究者がその円を広げられる環境を作っていくことも大切だと思っています。広がった先にどんなことがあるのかはわかりませんが、研究者としてその世界を見られると思うとわくわくします。きっとおもしろい世界のはずですから。」

ヒト細菌フローラマップ

ヒト細菌フローラマップ:人の中で同じ場所に住む細菌たちは“細菌フローラ”という集合を作っています

※1 ゲノム解析

ゲノムとは特定の生物種を構成する遺伝子の総体である。ゲノム解析とはその遺伝子から特定生物の特徴を見出すことである。一般的には近縁種との比較を行う。

※2 テーラーメード医療

個別医療とも呼ばれる。各個人に最適な医療を行うことを指しており、近年では個人のゲノム情報を元に展開されることもある。

※3 塩基対

デオキシリボ核酸の対が水素結合により結合したもの。アデニンとチミンまたはウラシル、グアニンとシトシンで形成される。ゲノムや遺伝子の長さはx塩基対と表現される。

山田拓司准教授

山田拓司(Takuji Yamada)

生命理工学院 生命理工学系 准教授

  • 2007年7月京都大学 理学研究科 博士課程修了
  • 2007年4月京都大学 化学研究所 特任助手
  • 2008年4月European Molecular Biology Laboratory(EMBL) Postdoc
  • 2010年4月EMBL Senior technical officer
  • 2012年4月東京工業大学 大学院生命理工学研究科 生命情報専攻 講師
  • 2016年4月東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系 准教授(改組)

生命理工学院

生命理工学院 ―複雑で多様な生命現象を解明―
2016年4月に発足した生命理工学院について紹介します。

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腸内環境の全容解明と産業応用のプロジェクトは東工大基金によりサポートされています。

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2016年12月掲載

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東京工業大学 総務部 広報課

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