研究
研究
「私がずっとこだわってきたことは、いかに自分の色を出してやっていくのかということ。そうするとこれまで想像もしなかったような新たな発見に出会える。それが研究者の醍醐味なんです」
廣瀬は軽やかな口調でこう語る。言うのは簡単だ。しかし実行するのは難しい。それをさらっとやってのけてしてしまうのが廣瀬の強さだろう。廣瀬の専門分野は地球科学だ。地球がどうやって生まれ、今どのような状態で、今後どうなっていくのか地球内部を調べることで解明しようとしている。
これまで廣瀬は世界に先がけ、地球に関わるいくつもの発見をし、地球科学史に風穴を開けてきた。その成果が認められ、日本IBM科学賞など数々の賞を受賞。2011年には43歳の若さで日本学士院賞も受賞している。
なかでも、「地球科学史における30年ぶりの大発見」として世界中の研究者を驚かせたのが、2004年5月に科学誌「Science」で発表した「ポストペロフスカイト」だ。これは、地球内部の深さ2,600 km付近からマントルの底(深さ2,900 km)までを構成する物質で、その存在すら予言されていなかった。しかし、廣瀬によってその正体が初めて明らかになったのだ。
地球の半径は約6,400 km。内部は大きく、中心部から順に、金属でできている「コア」、岩石でできている「マントル」、そして、我々が住んでいる「地殻」の3つの層で構成されている。廣瀬の発見したポストペロフスカイトはマントルの中でも最下部層の物質で、ちょうどコアとマントルの境界領域にあたる。
「地球の内部は、たまねぎのように何層にも分かれていることが分かっています。たまねぎの皮を外側から順に1枚ずつはがしていくように、地球を外側の層からはがしていくと、最後に残るのがコアです。その上のマントル自体もさらに4層に分かれていて、上から3層目までは、それぞれどのような物質でできているのか、1974年までにすでに分かっていました。ところが、一番下の4層目に関してはさまざまな仮説があり、憶測の域を出ていなかったのです。そこで、私はこの4層目を構成する物質の正体を解明してやろうと思いました。」と廣瀬。
「僕、学部の時、成績が悪くて、人気のある学科には入れなかったんだよね。」
そもそも廣瀬が地球科学の道に進んだのは、東京大学での学部3年進学時に学科を選ぶ際、「数学」か「地学」しか選択の余地が無かったためという。父親が数学者だったから同じ道は考えなかったこと、また、地学は、地質調査という名の下に色々な場所に旅行に行けるだろうという目論みも、地球科学への興味を後押しした。
学部4年次に所属した研究室は、実験も盛んに行っていて、大学院生になるとフィールドワークにはあまり行かずに、実験ばかりするようになった。廣瀬は大学院生時代、地球の表層部近くで発生するマグマの研究をしていた。実験室に置いてあったマグマ発生装置を使って、指導教官が30年来、温め続けてきたものの、一度も試したことがないというアイデアに、自ら志願して挑戦した。そして、見事成功させてしまったのである。
「この成功体験が、誰も試したことがない実験を世界で最初にやるという、自分の研究者としてのこだわりの原点になったと思いますね。」と廣瀬は振り返る。
しかし、廣瀬は1995年に東大から東工大の理学部地球惑星科学科に助手として赴任する際、マグマの研究にピリオドを打ち、新たなテーマに挑戦することを決めた。もっと地球の深いところを研究しようと思い、やるなら一気に誰よりも深いところを目指した。
「我々が住んでいる地殻と大気との境界はとても大きな境界で、そこでは生命活動も含め、実にさまざまな現象が起こっています。地球の内部で最も重要な境界はどこかと考えたとき、コアとマントルの境界領域であることは明らかです。私がマントルの底に目標を定めたのは、そういった理由もあったのです」と廣瀬は説明する。
では、どうやって、深さ2,600 kmを目指すのか。誰もが真っ先に思いつくのが掘削だ。しかしながら、世界最高レベルの掘削能力を誇る深海掘削船「ちきゅう」でさえも、海底下の厚み約7 kmの地殻を掘り抜くのが大目標というのが現実だ。
実は、地球内部は、中心に近づけば近づくほど高圧高温になっていくことが知られている。そこで登場するのが、高圧高温実験装置である。地球の中心部の圧力は約364万気圧、温度は5,000 K(=ケルビン:絶対温度)以上にも及ぶ。そのため、地球内部の研究者たちは皆、実験室で、高圧高温実験を行うことで、地球内部を再現している。それゆえ、「いかに高圧高温状態をつくり出せるか」が、研究における勝負の分かれ目になる。
具体的には、「ダイヤモンドアンビルセル」と呼ばれる装置を用いる。試料を2個のダイヤモンドの間に挟みこんで圧力をかけ、そこにレーザーを当てて試料を加熱していく。その結果、試料がどのような結晶構造に変化したかを放射光施設SPring-8の高輝度X線で解析するのである。
マントル最深部を目指すには、120万気圧以上、温度2,500 K以上を達成する必要があった。そこで、1996年から1年半にわたり、ダイヤモンドアンビルセル実験手法を学ぶために、米国のカーネギー地球物理学研究所に客員研究員として赴任し、まずは基本的な技術を習得することにした。そして、帰国後、本格的に高圧高温実験を開始した。
深さ2,600 kmに匹敵する温度と圧力を実現するのは容易なことではない。しかし、廣瀬は決して諦めることなく、目標のみをひたすら目指し続けた。そして、試行錯誤の末、2002年の冬には、遂に125万気圧、温度2,500 Kの実現に成功した。
ドキドキしながら、生成された物質を解析した廣瀬は驚いた。これまで誰も想像もしえなかった結晶構造をした物質が目の前に現われたからだ。この物質、「ポストペロフスカイト」は、これまで謎とされていたマントル最深部の地震学的観測データを非常によく説明できることが分かった。
「紙のようにぺらぺらと薄くはがれる“雲母”と呼ばれる鉱物をご存知ですか? ポストペロフスカイトは、薄くはがれやすいわけではないのですが、雲母と似たような結晶構造をしていて、それが電気や熱をよく通すことが分かったんです」と廣瀬。
その後も廣瀬は高圧高温実験で、自らの記録を更新し続けた。そして、2010年4月には、遂に364万気圧と5,000 Kを超える圧力と温度を達成。世界で初めて、地球の中心部に到達したのだ。その結果、地球の中心部の物質は、鉄の原子同士が高密度で結合する「六方最密充填」と呼ばれる構造であることを突き止めた。
「我々の研究室がいつも一番乗りで記録を到達できた要因は4つあります。何が何でも達成するぞという強い熱意、常にダイヤモンド研磨技術の改良を続けてくれた町工場の凄腕の研磨工さん、そして、世界最高性能の放射光施設であるSPring-8、そして何より、失敗してもへこたれることなく、黙々と実験を続けてくれた優秀な東工大の学生さんのお陰です」と語る廣瀬。成功の影には、数え切れないほどの失敗があったことだろう。しかし、廣瀬はそんな苦労の跡は微塵も見せず、朗らかに笑う。
さて、ポストペロフスカイトの発見により色々なことが分かってきた。なかでも廣瀬が注目したのは、地球と生物の進化の歴史は相互に密接に関係しているのではないかということである。
地球の中心であるコアは、液体金属でできた「外核」と固体金属でできた「内核」の2つでできている。実はこれまで、内核が出現したのは、約35億年前ではないかと言われてきた。ところが、ポストペロフスカイトが内核の形成を促進していることが、廣瀬の研究によって明らかになった。そして現在では、5億~10億年前の間にできたのではないかと考えられている。
「約5億年前と言えば、生物爆発さらには陸上への進出が起こった時代。このことから、内核の形成と生物爆発もしくは陸上への進出とはリンクしているのではないかという仮説が成り立ちます。このように、生物の進化の歴史は、地球科学なしには語れません。生命がいつどこで生まれ、どうやって進化してきたのか、この人類の根源的な謎を解明するには、地球の歴史の解明が不可欠なんです。」と廣瀬。
2012年、地球科学と生命科学を融合したプロジェクトが発足した。地球生命研究所(以下、ELSI)だ。ELSIは、東京工業大学、愛媛大学、プリンストン高等研究所、ハーバード大学との共同研究拠点で、文部科学省が推進する「2012年度世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)」にも採択されている。その所長に就任した廣瀬は、「ELSIを基盤に、地球と生命の誕生の謎の解明を加速させたい。」と意気込む。
最後に廣瀬は、研究者の道を志している後進に対して、こんなメッセージを贈ってくれた。
「研究者に重要なことは、熱意、努力、そしてほんの少しの運です。また、何事においても、最初から無理だと決めてかからずに、まずは挑戦してみることが大切です。そのちょっとした気持ちの持ちようが、人生を大きく変えていきます。もし、成績があまりよくないから研究者の道は無理だろうと思っている人がいるとしたら、そういったつまらない考えはすぐに捨ててどんどん挑戦していきましょう。それによって道はおのずと開かれていきます。」
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2013年2月掲載