研究
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「まったく未知の材料を発見することは新大陸の発見のようなものだ。既存の材料を改良するアプローチだけでは、大きな性能向上と安定性確保など複数の相反する機能を同時に実現できない。今ある材料とは構造や特性が不連続に異なるもの、つまり、これまでの延長線上にはない材料の開発こそがイノベーションの鍵である」と国際先駆研究機構 元素戦略MDX研究センターの神谷利夫センター長は語る。
スマホや電気自動車など、さまざまな分野で革新的な製品が生み出され、高機能化が進んでいる。それらを加速するのは、部品である半導体や電池などに使われる高機能な材料である。Society 5.0やカーボンニュートラルを代表に高機能化のニーズはとどまることを知らない。
東京工業大学は材料の研究開発においてこれまで世界をリードし、社会の発展に大きな貢献を果たしてきた。その経験と蓄積を生かし、革新的な機能材料の研究開発拠点として、2022年10月、「智慧とデータが拓くエレクトロニクス新材料開発拠点(以下、新材料開拓MDX拠点)」を創設した。また、物質科学と情報科学を駆使して新材料開発や新産業を創出する「新大陸の発見者」たる材料研究者の育成については、博士人材を育成する物質・情報卓越教育院を2019年に開設している。
新拠点の狙いと戦略について、新材料開拓MDX拠点研究代表者かつ元素戦略MDX研究センター長の神谷利夫教授に、研究人材育成の考え方と施策について、物質・情報卓越教育院長の山口猛央教授に話を聞いた。
-まず、新材料開拓MDX拠点を立ち上げた背景を聞かせてください。
神谷 近年、SDGsに貢献する新材料、特にカーボンニュートラルを実現する新材料を短期間で開発し、社会実装することが強く求められています。
例えば、電気自動車用途にパワー半導体や高誘電体、電源用途に水素キャリアや圧電・熱電体、そして、情報端末用途にフレキシブル端末を実現する省電力半導体や発光半導体、圧電センサーなどが挙げられます。
ただ、現在の材料の性能を上げて現在の用途を向上させるだけでなく、全く想定もしていないような新たな利用分野が出てくることも期待しています。
発見した材料の学理を探究するとともに、新材料を開発し、社会実装することが本拠点の究極の目標です。また、材料開発と計算科学・データ活用を駆使できる研究者を育成することも狙いです。
-エレクトロニクス新材料開発ではどのような要求があるのでしょうか。
神谷 従来の大学における材料研究では、「1つの機能だけでチャンピオンデータを出す」ということが良い論文を書くために必要な要求でした。しかしながら、実用化される材料の開発では、「性能の向上を追求すると安定性が低下する」、「動作温度を下げると性能が出なくなる」など、相反する機能を同時に実現することが必要になります。本拠点が目指すのは、高性能と高安定性、高速性と低温動作など、相反する複数の機能を同時に満足させることができる、まったく新しい材料の開発です。従来は両立が困難だった「複数の機能を実現する材料」を実現するため、実用材料が持つ「複雑な構造」を積極的に利用するとともに、計算科学・データ科学を活用し、新材料開発を行っていきます。
例として、薄膜トランジスタの半導体材料として使われている非晶質酸化物半導体があります。現在、有機ELテレビなどの薄型ディスプレイや液晶ディスプレイに搭載されています。
現在ではさらに、非晶質酸化物半導体とシリコン半導体を組み合わせることで、省電力で高性能なウェアラブルデバイスを実現していますが、もし非晶質酸化物半導体単体で、シリコン半導体以上の性能を実現できれば、シリコン半導体を置き換えることが可能になります。それにより、たとえば、ウェアラブル端末のさらなる省電力化、高機能化や低コスト化を実現することができます。
-これまで常識的に難しいとされてきた、相反する複数の機能向上をどうやって実現できるのでしょうか。
神谷 例えば、私たちが研究で主に対象とする物質は欠陥が少なく高品質な単結晶ですが、複数の物質と異なる構造を組み合わせて、1つの材料として機能するものがあります。
すでに誘電体として使われている「コアシェル構造」などが知られています。コアシェル構造は、その名の通り、中央のコアとそれを取り囲むシェルによる複雑な構造になっていますが、これにより相反する複数の機能を実現しています。
このような複雑な構造においては、構造をいかに制御するかがキーポイントです。単純な結晶構造では第一原理計算(※)を使って、性能を予測できるようになっていますが、複雑で大規模な構造設計は、今までの計算科学では容易ではありません。
そこで、データ科学を利用して、実用に資する材料を高速・高効率に開発する、いわゆるマテリアルデジタルトランスフォーメーション(以下、マテリアルDX)というアプローチが必要になってきます。これにより、複雑な構造に限らず、さまざまな材料を組み合わせてエレクトロニクス新材料を開発していきます。
量子力学の基本原理に基づいた計算。この手法を用いると、物質の性質を支配する電子の状態だけでなく、全エネルギーを計算でき、その結果、安定な構造、化学反応、物性なども予測可能になる。
-マテリアルDXとはどのようなものですか。これまでのマテリアルインフォマティクス(MI)とは何が違うのですか。
神谷 コンピューターを駆使して新材料を発見するマテリアルインフォマティクス(以下、MI)はすでに約10年前から始まり、多くの材料開発につながっています。MIは基本的に既存の材料をベースに、その延長線上にある周辺の材料を量子計算やデータ解析で見出すことに使われています。
しかしながら、既存の材料とは構造や特性が不連続なもの、まったく未知の材料を発見するためには、MIをさらに進化させ、不連続な構造・材料の発見を導入し、例外となるようなデータを含めて蓄積・分析し、データ科学と機械学習(AI)を駆使することが求められます。
特に、研究者の材料設計理念や直観といった「智慧」までをデータ解析のループに取り込めるようにHuman-in-the-Loopのシステムを構築することにより、従来の材料群からは離れた場所にある、新大陸ともいえる材料分野の発見につながります。一旦、その候補が見つかればMIを活用してその周辺材料の発見が行えます。今回の拠点では、このようなマテリアルDXシステムを構築することも目指しています。
-今後の開発目標を教えてください。
神谷 現在、半導体、誘電体、イオン伝導体、触媒などにおいて相反する要求性能を備える材料群の開発を目標としています。
応用 |
材料 |
相反する要求性能 |
目標 |
---|---|---|---|
IoT、エッジ |
アモルファス・ |
高移動度⇔高安定⇔ |
移動度 > 70 cm2/(Vs) |
パワーエレクトロニクス |
超ワイドギャップ半導体 |
大バンドギャップ⇔ |
Eg > 5 eV、pn制御 |
誘電体 |
高誘電率⇔高温度安定性 |
-55 ~ 250°C |
|
結晶半導体 |
低電圧⇔低損失⇔ |
仕事関数 |
|
IoT、エッジ |
アモルファス・ |
||
高周波フィルター |
誘電体 |
低損失= |
圧電定数d33 > 30 pm/V |
元来、半導体と誘電体はそれぞれ異なる研究分野であり、長年別々に研究開発が進められてきました。これらと異なる機能材料としては、イオン伝導体や触媒などがあります。
しかし、図「関連する異分野材料の共同開発」のように、半導体とイオン伝導体を考えると、半導体は電子の動きやすさを制御したものであり、一方、イオン伝導体はイオンの動きやすさを制御したものです。半導体とイオン伝導体はいずれも、電子とイオンの動きを制御しているという点で共通しています。また、その中間領域には、電子が動けない一方で、イオンが適当な束縛領域の中で大きく動ける材料があり、高い誘電率を持つ高誘電体が見つかります。加えて、電子とイオンの動きを制御することで高性能化する材料として触媒があります。つまりこれらの材料は実は密接に関連していて、これら異分野の情報を共有し、横串を通して解析することでマテリアルDXが実現できるのです。
細野秀雄栄誉教授が代表研究者として2012~2022年度に遂行した東工大元素戦略拠点においては、これら4つの研究分野の研究者同士が情報を交換・共有することで、革新的な新材料の開発に成功してきました。
このように、異なる研究分野の研究者同士が強固に連携し、情報だけでなく、各種の実験データなどを交換・共有することで、さらなるイノベーションを起こしたいと考えているのです。異分野を横串で通すことがマテリアルDXシステムの大きな役割です。
-新大陸発見を目指す研究者の育成はどのように進めていくのですか。
神谷 研究者の目的は、見つかっていなかったものを見つけること、そしてわかっていなかったことを解明することです。今ある技術の改良も研究の一部ではありますが、それに満足することなく、新たな領域を開拓することこそが大学の役割です。そして、そのような気概と能力を持つ人材の育成が大学の責務だと思っています。
まさに、今回のように全く新たな材料を発見することは私たちの責務です。マテリアルDXなどの手法を取り入れていきますが、最後は、膨大なデータから新材料を見出すのは、ユニークな発想を備えた研究者の智慧が鍵です。
また、材料分野と計算科学・データ科学を駆使できる人材の重要性はますます増しており、本学ではすでに物質・情報卓越教育院を2019年に設立し、そのような人材育成に努めています。
-具体的な推進体制と今後の方針を聞かせてください。
神谷 新材料開拓MDX拠点には、東工大、物質・材料研究開発機構(NIMS)、一般財団法人ファインセラミックスセンター(JFCC)、高エネルギー加速器研究機構(KEK)の4つの組織が参画しています。
この組織体制にした理由ですが、まず、東工大は材料の研究開発においてこれまで多くの成果を上げてきました。また、NIMSは物質・材料を専門とする唯一の国の研究機関です。現在、MIに注力しており、マテリアルDXにおける国のデータ中核拠点を構築する役割を担っています。ファインセラミックスセンターは、「第一原理計算」と呼ばれる量子力学を用いた原子・分子レベルのコンピュータ・シミュレーションにおいて高度な技術を持っています。そして、KEKは物質・材料の高精度な測定と解析を担っている研究機関です。これら4つの機関が連携することで、計算科学およびデータ科学を融合させた強固なマテリアルDXシステムを構築しようというわけです。
神谷利夫(Toshio Kamiya)
科学技術創成研究院 教授
元素戦略MDX研究センター センター長
エレクトロニクス新材料開発の鍵の1つが高度研究人材だ。物質・情報卓越教育院の院長の山口猛央教授は、物質・材料分野と情報技術分野の両方に精通した高度な研究人材育成の任務を担っている。人材育成の考え方、カリキュラムの特長および新材料開拓MDX拠点との連携について話を聞いた。
-まず、物質・情報卓越教育院を創設したねらいを聞かせてください。
山口 ものづくりと情報技術の両方に精通した博士人材を育成しようということです。このような人材を私たちは「複素人材」と呼んでいます。東工大は物質・材料を基盤とする「ものづくり」研究に強みを持っていますが、新材料の研究開発アプローチは大きく変わろうとしていますし、これまでの延長線上にはない新たな発想が求められています。
新材料を実社会で役立てるためには、製品の研究開発から社会実装、さらにはより良い社会のための新しいサービスまでを一気通貫で提供できる人材が必要不可欠です。製品開発から社会実装までの期間を短縮するだけでなく、ものづくりを利用した新しいサービスを創造する人材です。つまり、データ科学や人工知能(AI)を駆使した俯瞰的な「ものづくり」が鍵となります。
そこで、東工大の強みである物質・材料分野と情報技術分野の2つを統合し、両方に卓越した博士人材の育成を進めることにしました。
-既存の大学院でデータ科学の教育を行う形では不十分なのでしょうか。なぜ、博士学生なのでしょうか。
山口 データ科学と材料科学、両方を深く理解できている人材が必要ですが、世界中を見渡してもほとんどいません。これら2つの学問領域を深く身につけるためには、博士後期課程までの時間と経験が必要なので、博士人材がターゲットになります。
一方で、日本の大学は欧米に比べて博士課程に進む学生が少ないという課題を抱えています。理由は日本では博士号を取得しても、実社会でメリットがあまりないと誤解されているからです。ですが、欧米では博士号を取得していないと一人前の研究者として認められません。これはグローバル化が進む日本企業にとって、国際競争力の低下につながります。
本教育院では、産業界と協創教育を実施することにより、博士学生への経済的支援を実施しつつ、事業経験豊富な企業の方の力も借りながら、今後社会のリーダーとなる優秀な博士人材を育成しています。さらに、産業界における博士人材の待遇を大きく変えることも進めています。
-カリキュラムの内容を聞かせてください。
山口 まず、学生は東工大のスパコン「TSUBAME」を使ったコンピュータ・シミュレーションやMIを演習形式で学びます。
その後、ラボ・ローテーションと言って、物質系の学生は情報系の研究室に、情報系の学生は物質系の研究室に2~3週間所属し、研究や実験スキルを学びます。ラボ・ローテーション先は東工大に加え、NIMSなど国の研究機関なども対象です。
さらに、博士後期課程に入ると、プラクティススクールに参加します。これは、3名の教員と10名ほどの学生がチームとなり、連携している企業に6週間常駐し、物質・材料の知識と情報科学を駆使して、企業における最先端の重要課題を解決するだけでなく、次の方針も提案しコンサルティングを行うスクールです。
8~9月に1社、10~11月に1社の計2社で実施しています。学生たちは企業における多くのデータにアクセスし、実社会の重要課題を短期間で俯瞰的に捉え、さまざまなアイデアで解決します。多くのデータ・知識・情報に接し、企業の方々とも議論し、さらに分野の異なる学生同士がチームとなって課題解決を行うことにより、幅広いアイデアが生まれます。学生自身も、この経験を通して、自身の研究を客観的・俯瞰的に考え、新しいアイデアを発想できるようになります。加えて、シミュレーションやMIを使いこなす実践力も身につきます。プラクティススクールを経験した学生が研究室に戻り、シミュレーションやMIを研究に導入することで、その研究室も発展していきます。
プラクティススクールやラボ・ローテーションに参加した学生の声
-本教育院に対する企業の評価はいかがでしょう。
山口 創設当初、会員企業数は15社でしたが、現在は30社に達していますので、高い評価を得ていると実感しています。実際、連携している企業は皆、「複素人材」の必要性を強く感じていますし、1人の学生に対して企業から1人のメンターがついて下さっているのですが、皆、人材育成にとても熱心です。
-2022年10月に発足した新材料開拓MDX拠点と物質・情報卓越教育院との連携についても聞かせてください。
山口 高度な教育には高度な研究が不可欠ですので、それを体験できる新たな研究拠点ができたことは、本教育院にとっても大変喜ばしいことです。新材料開拓MDX拠点の研究室に、本教育院の学生がラボ・ローテーションでお世話になることもあります。
本教育院で学んだ博士人材が、この拠点で活躍することによる相乗効果を期待しています。東工大を、研究と人材育成の両面で物質・情報分野における世界屈指の拠点にしていくことが私たちの目指すところです。
-最後に、未来社会を担う若手に向けメッセージをお願いします。
山口 社会課題を解決する上では、今後はますます、自分の専門分野を深掘りするだけでなく、異分野と連携しネットワークを広げていくことが重要になっていきます。また、異なる分野と融合しながらも、異分野の先頭を走る覚悟を持ち、本質を見極め、新しいアイデアを勇気をもって発信していくことが大切です。それができて初めて、社会を変革できるリーダーになれると思っています。東工大では今後もそんな志の高い優秀な博士人材の育成に努めていきます。
山口猛央(Takeo Yamaguchi)
科学技術創成研究院 化学生命科学研究所 教授
物質・情報卓越教育院 教育院長
卓越大学院とは
2018年に文部科学省主導で博士人材の育成を進めるために開始されたプログラムのこと。各大学の強みを核に、国内外の研究機関や民間企業と強固に連携し、修士・博士の一環教育を特長とし、優秀な博士人材を育成するとともに新たな共同研究の創出が持続的に展開される卓越した拠点を形成するプログラムである。物質・情報卓越教育院は、東工大の強みを基盤とするだけでなく、企業と協創し、民間からの経済支援を受けながら、未来の社会が必要とする知のプロフェッショナル育成を目指している。
また、物質・情報卓越教育院は物質理工学院、情報理工学院など物質開発や情報サイエンスを主たる研究分野とする学院のみならず、理学院、工学院、生命理工学院、環境・社会理工学院と全ての学院から学生が参加している。
その他の東工大の卓越大学院
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2022年10月掲載