研究
研究
vol. 38
工学院 機械系 教授
平井秀一郎(Shuichiro Hirai)
日本で排出されるCO2は年間13億トン。これを液体にした場合、東京ドーム1,000個分に相当する。そのため、現在、CO2削減を目的に、電気自動車(EV)や燃料電池車の普及が推進されている。普及を加速させるには、性能向上が不可欠だ。そこで、EVや燃料電池車に搭載する各種電池をリアルタイムに観測できる装置とそのための観測技術の研究開発を進めているのが、工学院 機械系の平井秀一郎教授だ。
現在、EVには、主にリチウムイオン電池が搭載されている。リチウムイオン電池といえば、その開発者である吉野彰・旭化成名誉フェローら3人が、2019年のノーベル化学賞に輝いたことは記憶に新しい。しかし、実はリチウムイオン電池は、世界中に広く普及しているにもかかわらず、その中で何が起きているのかメカニズムがよくわかっていないことが多くある。たとえば、スマートフォンの画面の右上には、残量を示す電池のアイコンが表示されている。アイコンだけを見ると、満充電の状態がしばらく続いていて、急に残量が減りだす。「本来、電池は徐々に減っていくはずなので、突然残量がなくなるというのは、非常におかしな話です。これは、現在でも、電池の残量を計測できるセンサーすら、作ることができないことを意味しています。それだけリチウムイオン電池の中で起こっている現象はいまだによくわかっておらず、ブラックボックス状態なのです」と平井教授は説明する。
また、燃料電池車には、その名の通り、燃料電池が搭載されている。燃料電池とは、水素と空気中の酸素を反応させ、水を生成するときに発生するエネルギーを電力として取り出す装置のことだ。走行中、水しか排出しないため、次世代を担うクリーンな自動車として、普及が期待されている。しかし、燃料電池についても、まだまだわかっていないことが多い。
「各種電池の性能を向上させるには、まずは、電池の内部で、実際にどのような反応が起こっているのかを、マイクロメートルレベルで、詳細かつリアルタイムに観測する必要があります。そのため、我々の研究室では、用途に応じて、世界にここだけにしかない特殊な観測装置と観測技術の研究開発を進めることで、電池の性能向上に取り組んでいます」と平井教授は語る。
まず、リチウムイオン電池については、現在、全固体リチウムイオン電池(以下、全固体電池)を中心に観測に取り組んでいる。全固体電池とは、その名の通り、従来の液体電解質の代わりに、固体電解質を用いることで、発火の危険性がなく、急速充電などが可能なものだ。実用化に向けた研究開発が国内外で盛んに進められている。
しかし、固体であるがゆえに、液体に比べてリチウムイオンが移動しにくいという課題に直面している。「そこで、全固体電池研究の第一人者である本学の菅野了次教授が研究開発中の全固体電池の内部を、X線CT装置を使って観測することに挑戦しました」(平井教授)
電極や固体電解質中には、非常に小さな空隙が、縦横斜めに走っており、この空隙がリチウムイオンが移動する際に障害となる。リチウムイオンが高速に移動するには、空隙をできるだけなくす必要がある。それに対し、平井教授は、電極や固体電解質の材料を加圧しながら、リアルタイム観測することで、最適な空隙の大きさを探ることにした。
「まず、全固体電池の内部の様子を、X線を使って観測するには、電極材料と固体電解質材料と空隙の3つを区別できるようにする必要がありました。特に固体電解質と空隙を区別するのはむずかしく、観測装置の調整に苦労しました。しかし、研究室のスタッフ、学生の頑張りにより、高解像度で観測できるようになりました」(平井教授)。
その結果、加圧のしかたによっては、材料中にマイクロスケールの亀裂が多数発生することが明らかとなった。また、この亀裂によってリチウムイオンの移動が制限され、性能の低下につながることも判明した。逆に、加圧条件をうまく制御することで、亀裂が発生しないこともわかってきた。「全固体電池の性能向上に向けて、実用化に資する突破口の1つでしょう」(平井教授)
一方、燃料電池には、白金触媒でコーティングした触媒層を含む「セル」と呼ばれる厚さ1ミリメートル以下の薄膜が、複数搭載されている。このセルの薄膜の片側に水素を、もう片側に空気を流し、水素と空気中の酸素を反応させ、発生したエネルギーを電力に変換している。しかし、反応の際に生成された水が、セルの表面に溜まることで、水素と酸素が反応できなくなり、発電性能が低下するという現象が問題になっている。この問題を解決するには、生成された水を制御する必要がある。ところが、これまで、水がセルのどこでどのように生成し、その後、どこに移動していくのかといった挙動は、ほとんどわかっていなかった。
そこで、平井教授は、2015年、技術研究組合のFC-Cubicと共同で、セルの内部での水の発生と挙動をリアルタイムに観測できるX線CT装置を開発した。これは、X線をセルに照射し、X線を、検出器を使って検出することで、水の挙動を可視化するというものだ。「通常レントゲンなどに使われるX線は水を検出することができません。そこで、まず、X線の波長を制御し、水への感度を最大限に高めました。また、従来のX線は、放射光状に放出されますが、それを平行に放出するように工夫することで、セルの内部の水を検出できるようにしました。その上で、水素と酸素を観測装置の中に送り込み、反応をさせながら観測したのです。その結果、セルの内部の水の挙動を、マイクロメートルレベルの高解像度で、リアルタイムかつ長時間観測することに、世界で初めて成功しました」(平井教授)
また、現在、企業と共同で研究開発を進めている「吸着式ヒートポンプ」は、水分を吸収するシリカゲルを使ったヒートポンプで、シリカゲルに水が吸着する際の気化熱を利用して空気を冷却することで、電気を使うことなく、冷房を実現できる。しかし、そのためには、熱を外部から与えて吸着した水分をシリカゲルから高速に蒸発させることも必要となる。現在のところ、その熱源として工場での排熱などの利用が検討されている。実用化に向けては、シリカゲルの中で、吸収した水がどのように挙動しているかを詳細に知る必要があった。そこで、平井教授は、X線可視化装置を使ってシリカゲル中の水の挙動を観測した。
「このように、観測装置と観測技術はワンセットであり、見たい対象物の特性に合わせて、その両方を開発する必要があります。そして、そのためには、根本原理をきちんと理解していることが重要です。特に電池の場合、物質が移動して反応する様子や、そこで起こっている現象を観測できなければなりません。その点で、私の専門分野である『機械工学』における、熱工学や流体力学に関する専門知識をフルに活用できています」と平井教授は語る。
今後も、平井教授は観測装置と観測技術のさらなる向上を図っていく計画だ。また、応用範囲も、リチウムイオン電池や全固体電池、燃料電池のほか、リチウム空気電池や吸着式ヒートポンプなど、必要に応じて広げていく予定で、これらを普及させることで、CO2削減への貢献を目指す。
最後に、平井教授は、研究者を目指す若者に向けて、次のようなメッセージを贈ってくれた。
「私は小学生時代にオイルショックを経験した世代で、その頃から、エネルギーに強い関心を抱いてきました。特に最近、強く思うことは、『国力とは何か』ということです。日本はエネルギー資源に乏しい国ですが、国力は資源の豊富さでもなければ、国土の広さでも人口の多さでもなく、科学技術力だと思っています。日本がこれからも経済成長を続けていくには、やはり科学技術力が最大の武器になります。ですから、今の若い人たちには、科学技術に対して、少しでも面白みを感じてほしいと思っています。特に、さまざまな物事に対して、常に『なぜ?』『どうして?』という気持ちを持つことが大切です。学校の授業で習うことを、何の疑問も持たず、そのまま受け入れるのではなく、たとえば、『エントロピーという概念を最初に考えた人は、なぜこのような概念を思いついたんだろう?』といったところまで深く踏み込んで考えてみるなど、自分なりの視点で歴史をひも解くことで、独自の発見があると思うのです。
自分自身が設定した研究テーマでなければ、たとえ、どんなに大きな成果を出せたとしても、世界は認めてくれませんからね。私は修士課程修了後、所属していた研究室の教授に、教授が指示したテーマとは異なる、自分で設定した研究テーマを行いたいと伝え、進めました。結果的に研究成果を出すことができました。その教授は我々にいつも、『私の後を追いかけるようなことはしてはいけません。私を越えていってください』と言っていた方で、改めて立派な研究者であり、教育者だったと感じています。
研究は、他の人がやってきたことを追いかけることから始める人が多い。しかし、単に人マネから始めると、必ず最後に行き詰まります。独自の研究テーマを最初に設定しておくと、必ず、どこかで自分なりの道が開けてきます。ですから、私も学生たちにはいつも、私とは異なる発想で物事を考え、独自の方法などを設定し、さまざまなことにチャレンジしてほしいと伝えているのです」
平井秀一郎(Shuichiro Hirai)
工学院 機械系 教授
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2019年12月掲載