研究
研究
すべての細胞から放出される微粒子「エクソソーム」。がんの種類によって転移する臓器が限られることに、この「エクソソーム」が深く関与していることを世界で初めて明らかにしたのが、生命理工学院の星野歩子准教授だ。今後、がんをはじめ、さまざまな病気に関する画期的な診断法や治療法の開発につながる成果として注目されている。
星野は8年半におよぶ米コーネル大学での研究生活を経て、2020年3月に東工大の生命理工学院の准教授となった。そんな星野が、学生時代から、世界で活躍する研究者を目指して取り組んできた活動を紹介する。
-まず、星野先生の研究内容を聞かせて下さい。
がんの転移に関する研究をしています。がんには、乳がんや肺がんなどさまざまな種類があります。このようなそれぞれの臓器で発生するがんを、「原発がん」といいます。原発がんは発生後、増殖し、血管やリンパ管に入り込み、他の臓器に転移し、「転移がん」となります。たとえば、乳がんの場合、「原発がん」の状態であれば、5年後の生存率は90%以上であるのに、転移すると生存率は30%前後にまで低下してしまいます。がんの転移が起きるとがん治療は格段に難しくなるのです。
がん細胞にとって、転移は簡単なことではありません。血液は血管中をものすごい勢いで流れています。仮に転移先の臓器の近くまで来たとしても、そこに留まり、細胞間の狭い隙間を通り抜け、他の臓器に着床するのは容易なことではないからです。しかも不思議なことに、たとえば、乳がんは脳や肺、肝臓や骨に、骨肉腫は肺に、すい臓がんは肝臓に転移しやすいなど、がんの種類によって転移する臓器が限定されることが、130年以上も前から知られていました。しかし、そのメカニズムはわかっておらず、長年の謎でした。
私は、こうしたがんの転移に深く関与しているのが「エクソソーム」と呼ばれる物質であることを見出し、そのメカニズムを研究しています。エクソソームとは、すべての細胞から放出される微粒子で、直径は30~150ナノメートル(ナノメートルは10億分の1メートル)。ウイルスほどの大きさしかありません。エクソソームは、従来、細胞内の不要なものを除去する「ゴミ袋」とみなされていましたが、近年、放出した細胞から別の細胞に取り込まれることがわかり、細胞間のコミュニケーションツールの役割を担っているものとして注目されています。
がんの転移に深く関与する「エクソソーム」の電子顕微鏡写真。
すべての細胞から放出される微粒子で、ウイルスほどの大きさしかない。
-具体的にエクソソームはどのようにがんの転移に関わっているのでしょうか。
がん細胞と転移する臓器は「種」と「土壌」のような関係です。トウモロコシの種を世界中に蒔いても、全ての土壌で育つわけではありません。がん細胞である「種」が特定の臓器である「土壌」で育つにはエクソソームがあらかじめその臓器を耕す役割をしていると考えられ、その仕組みを明らかにしようと思いました。
そこで、マウスの血液中に、さまざまな種類のがん細胞が放出したエクソソームを打ち込みました。それにより、たとえば、肺に転移するがん細胞が放出したエクソソームは肺に、肝臓に転移するがん細胞が放出したエクソソームは肝臓に行くことなどが確認されました。
そして、それぞれのエクソソームを、「プロテオミクス解析」と呼ばれるタンパク質解析をすることで、違いを検証しました。その結果、2015年に世界で初めて、がん細胞が出すエクソソームはそれぞれ、転移先の郵便番号のようなものをもっていることを突き止めました。
郵便番号に当たるのは、インテグリンというタンパク質でした。インテグリンは、細胞と細胞との接着に関与しているタンパク質として知られています。がんの種類によらず、肺に転移するがん細胞が放出したエクソソームは、「α6β4」というインテグリンを、肝臓に転移するがん細胞が放出したエクソソームは、「αvβ5」というインテグリンをもっていることが明らかとなったのです。逆に、エクソソームから、これらのインテグリンを除去したところ、特異的な臓器への転移は見られませんでした。転移先の臓器とインテグリンの発現パターンとの間には、強い関係性があることが判明したのです。その成果を2015年のNatureに論文として掲載しました。
微粒子のエクソソームが、がん細胞よりも先に転移先に到達し、がん細胞が転移しやすいように、転移先の細胞を変化させておくことで、がん細胞は容易に転移できるということが明らかに。
-今後の研究目標を聞かせて下さい。
エクソソームの興味深いところは、あらゆる細胞から放出されており、体内で起こるさまざまな細胞の変化に関与しているということです。
特に、発症する臓器が同じであれば、それぞれの病気に共通する機構があることが予想されます。たとえば、脳に転移するがん細胞の場合、そのエクソソームは、脳をターゲットにしていますよね。脳の病気にはほかにも自閉症やアルツハイマーなどがありますが、実は自閉症の子どもの血液中には、脳に行きやすいエクソソームが多く含まれていることがわかってきています。そのため、私は早い時期からエクソソームを柱に、がんの研究と自閉症の研究を同時並行で進めてきました。
その他の疾患についても、同じ臓器をターゲットにしているエクソソームを解析することで、そのエクソソームが病気の進行にどのように関与しているかが、いずれ明らかになると考えています。共通する機構が解明されれば、これまでにない画期的な病気の診断法や治療法、治療薬が開発されることが期待されます。
たとえば、血液を採取し、血液中のエクソソームを分析することで、がんの転移前に転移の可能性を抑えることができるなど、がんをはじめ、さまざまな疾患の早期発見、早期治療が可能になるかもしれないのです。私の研究者としての最終目標は、エクソソームを使った診断法と治療法を確立することです。
血液内のエクソソームをプロテオミクス解析することで、がんの有無を判別するだけでなく、がん種の特定を可能にした。
軸の数字は相対的な値で、離れていればいるほど違う成分を持っていることを示す。
-なぜ、がんの研究の道を志したのですか?
私は周期表が大好きで、大学では応用化学科を選びました。ところが、大学生時代、友人が骨肉腫になり入院してしまいました。病院にお見舞いに行ったところ、そこには小児がんを患っている子どもたちが大勢いました。そして、その子どもたちの多くが3年以内に命を落としているという現状を知り、大きなショックを受けました。そのときに「がんの研究をして子どもたちの命を救いたい」と強く思うようになったのです。
大学卒業後、東京大学大学院の先端生命科学専攻に進み、大学院1年目の2006年、ある国際シンポジウムで、のちの恩師となる米コーネル大学医学部のデイビッド・ライデン教授の招待講演を偶然聞き、衝撃を受けました。がん細胞の転移先はあらかじめ決まっており、転移する前からがん細胞が転移しやすくなるように、すでに場が整えられているという内容だったのです。そこで私は、そのメカニズムを解明し、それに基づいた治療法を開発すれば、これまで助からなかった命を助けることができるかも知れないことを感じ、大きな希望をもったのです。
-コーネル大学で研究することになったきっかけは?
講演後、私はライデン教授に「ポスドクはどういう基準で選んでいますか?」と聞きに行きました。すると、「君はいつ大学院を卒業するのかね?」と逆に質問され、「4年後です」と答えると、「随分先だね」と笑われたことを今でも鮮明に覚えています。その日のうちにライデン教授宛てにメールを送り、返事をいただきました。以来、毎年お正月には必ず年始の挨拶メールのやり取りを続けました。それが、2010年の留学につながりました。
-アメリカと日本で、研究環境の違いはありますか?
アメリカの大学では、人種や性別、ポジション、研究目標など皆それぞれで、全部をひっくるめて、ダイバーシティ(多様性)であり、当たり前に受け入れられています。
私にはアメリカで出産した2歳の娘がいるのですが、アメリカは産休がすごく短く、私の場合、たったの6週間でした。研究室には子どもは連れては行けないので、必要な期間は搾乳室が設けられます。自分の赤ちゃんの泣き声を聞くと搾乳がはかどるという方法も語り継がれていて、携帯の動画を見ながら効率よく搾乳するなど、早期復帰のためのさまざまなアイデアが共有されていました。ところが、この話を日本でしたらとても驚かれましたので、日本もパラダイムシフトが必要かも知れません。
また、コーネル大学在籍中、非常にためになったことは、「be prepared(常に備える、待ち構える)」という姿勢を身につけられたことです。つまり、いつ訪れるかわからないチャンスを逃さぬように、常に準備しておくということです。アメリカには、「エレベータートーク」のトレーニングがあります。これは、自分が尊敬する研究者などとたまたまエレベーターで居合わせたときに、その人が降りるまでの数十秒で、自分をいかにアピールし、チャンスをつかむかのスキルを磨くキャリアデベロップメント・トレーニングです。エレベータートークは学会でのプレゼンテーションなどでも威力を発揮します。
2010年
2018年
星野准教授が留学した当時のライデン教授の研究室は、メンバーが10人にも満たない小さな研究室だった。しかも、その中でエクソソームの研究をしていたのは、星野准教授を含め3人だけだった。その後、エクソソームへの注目度が高まり、今やライデン教授の研究室のメンバーは30人以上に増え、全員がエクソソームの研究をしている。
-研究の道を進んでいく中で、星野先生が大切にしている考えを教えてください。
結局、自分ができることしかできないのだから、日々自分ができることに全力投球するということです。
研究者として最も辛いことは、自分が一生懸命取り組んできた研究テーマについて、ある日突然、他の研究者から先に論文を出されてしまうことです。世界中で同じテーマに取り組んでいる研究者はたくさんいますからやむを得ません。そのときの唯一の対処法は、「自分は精一杯やったけれども、間に合わなかった」と自分が納得できるくらい極限まで努力したことだと思っています。そのためには、日々自分の研究に打ち込む以外に道はありません。
私の場合、「研究者になりたい」というよりも、「この人たちを助けるには研究者になるしかない」という強い気持ちでここまで走ってきました。最終目標までの道のりはまだまだ遠いですが、是非とも到達したいですね。
とはいえ、研究はとても楽しいものです。特に、今自分が見ているこの現象は、世界中で自分だけしか知らない現象だと感じる瞬間は、何にも代えがたいものがあり、研究者になって良かったと心から思うことができます。より多くの若者にも同じような気持ちを味わってほしいと思いますね。
米国での経験を活かして、日本で、この東工大で、世界と勝負していくことができる研究室を作りたいと思っています。
星野歩子
生命理工学院 生命理工学系 准教授
「NEXT generation」は、社会の課題に対して次世代を担う若手研究者が取り組む最先端研究や、その未来社会へのインパクトを読者と共に考えていく新たなシリーズです。
水害から人を守る
(2020年5月掲載)
伊藤亜紗准教授が考える“本当の多様性”とは
(2020年3月掲載)
“企業”と“大学”それぞれの道を歩む2人の若き研究者
(2019年10月掲載)
スペシャルトピックスでは本学の教育研究の取組や人物、ニュース、イベントなど旬な話題を定期的な読み物としてピックアップしています。SPECIAL TOPICS GALLERY から過去のすべての記事をご覧いただけます。
2021年5月掲載